「『愛の夢』?」
「あ~あ、昨日はひどい目に遭ったなあ~」
曲と曲との間の小休憩でのことだった。
いつものバルのいつものピアノの前に座りながら、わたしはしみじみぼやいてた。
何をって、そりゃあ当然昨日のことですよ。
「女子会って話を聞いてたから行ったのに、蓋を開けてみればただただ話のネタにされただけでさあ~」
「しかたないじゃない。あなたがあんまりにも面白い目に遭ってるから。根掘り葉掘り聞いてみたくなるのは人情じゃない?」
「……リリゼット、あんたもはやオブラートに包む気もないわね?」
わたしのジト目などどこ吹く風、リリゼットは楽し気に言葉を紡ぐ。
「にしても今回のは強烈だったわねえ~。まさかあの奥手なクロードが一歩を踏み出すなんて、思ってもみなかったわ。思ってもみなかっただけに、これは千載一遇のチャンスじゃない? 昨日も言ったけど、今こそ一気に、怒涛のようにつけ込むべきよ」
ぐぐっと拳を握りながらリリゼット。
「んん~、そうは言うけどさあ~……」
わたしは重い重いため息をついた。
昨日の緊急裁判という名の恋話強制披露会で出た結論は、もっとわたしからモーションをかけるべきとのことだった。
クロードは超が付くほどの奥手だし、主人と執事という関係性も邪魔しているので自らアタックをかけてくることはない。
だが、こちらに好意を持ってるのは間違いない。モーションをかければグラつくし、告白すれば99%オトせるはずだ。
だからこそこちらから動くべきだというのだけれど……。
「問題はあなたよ。あなた自身にその気があるかどうか」
「わたしにその気かあぁ~……」
ぐいぐい押して来るリリゼットの言葉に、しかしわたしは首を唸った。
たしかにクロードはいい男だ。
仕事は出来るしイケメンだし背が高いし、何よりわたしを大事にしてくれる。
一生一緒にいられれば嬉しいし、それが恋人もしくは夫というなら最高だろう。
そんなのはわかってる。わかってるんだけど、でも……。
「……やっぱり、わかんない」
結論として、わたしは逃げた。
「なんか色々無理っぽいし、やめとくわ」
「まあぁぁぁ~たそれえぇ~?」
ヘタレたわたしに呆れたのだろう、リリゼットはハアと大きなため息をついた。
「……以前から思ってたけど、あなたってどうしてそんなに自分に自信がないの?」
さも不思議そうに聞いて来るが。
「自信……自信かあぁ~……」
そうだ、知ってる。
わたしには自信がないんだ。
対人関係、特に男性関係においてはゼロといっていい。
なぜならば……。
ちょっといいなと思った音楽部の先輩には「なんであいつ俺のこと見てんだ、キモ」と気味悪がられ、席替えでクラス一のイケメンだった男の子の隣になってみれば「俺の隣、あのデブスなんだよ。あーあ、半年間最悪だよ」と人目もはばからずボヤかれ、派遣先のエリート課長には「彼女、なんとかならないのかね。猫背で陰気で、一緒に働く者のモチベーションを下げるんだが」と派遣担当にクレームをつけられた。
もちろん中にはいい人もいるんだろうけど、個人的には男性にはひどいことをされた思い出しかない。
だからこそ、現実世界で男性に好意を持つことはやめていた。恋人を作りたいという願望も捨てていた。
理想的な男性なんていうのはゲームや漫画やアニメの中にのみ存在するファンタジーな生き物だと思うことにしていた。
なのに……。
こっちの世界は、すべてが違ったんだ。
みんながわたしのことを見てくれて、わたしの言葉を聞いてくれて、傷つかないよう大事に扱ってくれるんだ。
中にはストレートに好意を伝えてくれる人もいたりして……。
だけどそれは、この顔があってのことだと思う。
元悪役令嬢とはいえ絶世の美少女で、鏡を見るたび見惚れてしまう、テレーゼの顔があってのことなんだと。
もしこの顔を失ったらどうだ?
例えばなんらかの事故に遭って、ふた目と見られぬ醜女になったらどうだ?
それでもまだ、みんなはわたしのことを好きでいてくれるのか?
わたしに暖かい笑顔を向けてくれるのか?
仮に告白が上手くいってクロードとつき合って、最終的には結婚までしたとする。
だけど美少女の劣化は速いんだ。
歳をとって容色の衰えたわたしを、こんなめんどうな女を、それでもクロードは愛してくれるのか?
「……」
そうだ、知ってる。
わたしは怖いんだ。
上手くいかないことが、たとえ上手くいってもまたそれを失ってしまうことが。
偶然により手に入れたこの体だからこそ、またいつか偶然によって失ってしまうんじゃないかと思って、怖くて怖くてしかたがないんだ。
「……やっぱ無理、自信なんてないよ、まるでゼロ。リリゼットみたいな恵まれた人にはわかんないだろうけどさ、わたしってばホントにダメ人間なんだ。だからさ……」
わたしと違って、生まれた時からすべてを持っているリリゼット。
美貌に音楽センス、親ガチャだって大当たり。
そんな彼女に、わたしの気持ちがわかるわけない。
「……ふう~ん、そうなんだ? ま、あなたの人生なんだからどこまでいってもあなたの自由にしたらいいとは思うけど」
リリゼットは肩を竦めると。
「だけど、周りは放っておいてくれないみたいよ」
いたずらっぽく顔を歪め、わたしの耳元で囁いて来た。
「え? え? え? 周りって?」
促されるままに周囲を見渡すと、飛び込んで来たのはお客さんたちの好奇の目だった。
──おいおい、聞いたか? 例の話。俺のテレーゼちゃんに変な虫がついたって、ちきしょうっ。
──ああ、あの背の高い兄ちゃんだろ? でもあれって執事だって聞いてたけどなあ。執事が主人に懸想するなんてあり得るのか?
──しかも聞いた話じゃ、長屋で同棲生活をおくってるらしいぞ? 年頃の男女がひとつ屋根の下でふたりで、そりゃあ何も起こらんわけないよなあ~。あ~あ、にしてもショックだよなあ~。
どこから情報が漏れたのだろう、わたしとクロードの間に起こったことをみんなが噂している。
ほとんどの人は楽し気に話のタネとして、だけど中には嫉妬を叫ぶ人もいて……。
「な、な、なああぁ……っ!?」
「まあ有名税ってやつよ。あなたって人はね、もはやそこに存在するだけで周りの目を惹きつける存在なの。まずはそれを理解しておきなさい」
リリゼットは笑いながらわたしの肩を叩いた。
「その上でね、色々考えたほうがいいと思うわ。目を閉じて、耳を塞いでいるだけじゃなく。お互いのためにもね」
それだけ言うと、リリゼットは客席へと戻って行った。
コーゲツさんとツキカゲさんのコンビが恭しく椅子を引くのに、ふわり優雅に腰掛けた。
「あ、それ。わたしからのリクエストよ、演奏どうぞ」
気が付けば、わたしの手には一枚の紙片が握らされていた。
そこに記されていたのは……。
「え、リクエスト? リリゼットからの? これが? え、え、ええ~……?」
「いいでしょ~。今の状況にぴったり、甘やかな愛の曲」
にひひといやらしく笑うリリゼット。
リクエストは以前このバルで演奏したことのあるフランツ・リストの『愛の夢』の三番。
元々が歌曲だったこの曲は、リストがサロンで知り合ったマリー・ダグー伯爵夫人と不倫関係になって逃避行へ出て、10年間の同棲生活の末に子供を三人も作って……っていかん、考えるのやめよう!
ええとええとええと……そうだこの曲はさらにピアノ曲になったんだけど、その時もリストはヴィトゲンシュタイン侯爵夫人と不倫をして同棲生活を……ってうおおおいリイイイイイイストオオオオオオオオ!
おまえの愛情は偏りすぎなんだよおおおお! お願いだから普通の恋愛してくれよおおおおお!
わたしたちの今の状況にぴったりがっちりハマりすぎで他人事に思えないんだよおおおおおお!
あとあとリリゼットおおおおお!
あんた原曲の成り立ちなんてまったく知らないくせになんでこうもピンポイントなリクエストしてくるんだよおおおおおお!
おかげで忘れようとしてたクロードとのここ数日の思い出がドバっと脳内に溢れて来たじゃないかああああああ!
ホントなら演奏拒否か休憩に入りたいところだが、残念ここからはお仕事タイムだ。
というわけで渋々弾き始めたわたしだが、どうも上手くいかない。
クロードの顔が脳裏をチラついて、指に変な力が入る。
クロードの言葉が耳元で蘇って、変なとこでペダルを踏んじゃう。
おかげで演奏はボロボロだ。即興部分がねっとりねちっこくなって、居酒屋のカウンターの端でくだを巻いてる女みたいというか、『愛の夢』ならぬ『愛の千鳥足』みたいになっちゃうというか……。
「ああああもうダメ! 全然ダメダメ! わけわかんないいいいいっ!」
わたしはたまらず叫んだ。
ピアノを弾きながら、強く強く。
「ああああああもう! 愛っていったいなんなんだああああああーっ!?」
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