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「意識している」




 やってしまった。

 ええ、わたしやってしまいました。

 クロードに対して、言わなくてもいいことを言ってしまいました。


 よく考えてみるまでもない、たしかにリリゼットの指摘する通りだ。

 わたしたち、月に住む二匹のうさぎみたいになりたいねなんて、愛の告白以外の何ものでもない。

 しかもそんなことを言っておいて実はそんなつもりじゃなかったんですなんて、男心をもてあそぶ悪女と言われてもしかたない。

 

 だけど言い訳をさせてもらうならさ、ホントのホントに気づかなかったんだ。

 なんせ恋愛経験値5のゴミみたいな人間だからさあ、自らの発言が人にどんな影響を与えるかなんて想像も出来なかったんだよお。ごめんよおおおおーっ(号泣)。


 まあでも待って、待ちましょう。

 もしかしたらクロードがまったく気にしていない可能性もあるんじゃない?

 みんなの取り越し苦労で、気の回し過ぎで。

 全然まったく響いていない可能性だってあるんじゃない?

 そうだワンチャン、ワンチャン。


 そう思ったわたしは、ちゃんと聞こうと思ったんだ。 

 クロードに、直接。

 それがさらなる泥沼の入り口だとも知らずに……。

 

「ね、ねえ~クロード? 昨夜のことなんだけどさあ~……?」 


 学校が終わって帰宅して、いつものように食事の支度を始めたクロードに、わたしはおそるおそる話しかけた。

 長身イケメンのくせに花柄の可愛らしいエプロン(わたしの趣味だ)をしながら作業をするクロードは、一見すると普段と変わらないように見えるが……。


「はい、お嬢様」


 わたしへの返事に、いつもと違って愛が無い。


 いやもちろんね、いつもは愛嬌があるってわけじゃないよ?

 真面目くさった顔で、笑顔の欠片も無くて。

 それがいつものクロードなんだ。

 なんだけど、今日はいつもと違ったんだ。

 どことなくわたしを拒絶する感じがあるというか、近くにいるのに距離が遠いというか……。


「えっと……えっとね?」


 いつもと違うクロードの様子に、わたしはカチコチと緊張してしまった。

 どう話しかけていいかわからず、わたわたしてしまった。

 そうこうしているうちに……。

 

「どうされましたか?」


 ニンジンを切った包丁を振り上げたままの格好で、クロードが振り返った。

 ジロリと鋭い目で、わたしを見据えた。 


「ひいいぃ……っ?」


 振り上げた包丁にはなんの意味も無い、鋭い視線にだって悪意は無い。

 そんなことはわかっているはずなのに、わたしは二の句が継げなくなってしまった。

 怖くなって、正直震えた。


「あのね、あの……その……ね?」


 お腹の前で両手の指を絡ませて、もじもじ、そわそわ。

 次の言葉に悩んでいると……。


「リリゼット様がおっしゃっていた例の件(・ ・ ・)でしたら大丈夫です、お嬢様」


 わたしがクロードに愛の告白を……という噂はクロードの耳にも届いているのだろう。機先を制するように言って来た。


「わたしはまったく、気にしておりませんから」


「え、えっとその……わたしが何を言うのかわかってる感じ……かな?」


 万が一にも行き違いがあってはいけないと思って重ねて聞くと。


「はい、お嬢様」


 クロードは平坦な口調で繰り返した。


「わたしはまったく、気にしておりませんから」


 同じセリフを、寸分違わず。

 冷たく突き放したような口調で繰り返した。


「ですのでお嬢様も、普通に毎日をお過ごしください」


 あれ? 怒ってる?

 もしかしてクロード、怒ってる?

 いつもはあんなに優しいクロードが、わたしのめんどくささに怒ってる?

 とうとう愛想を尽かした? 嫌いになった? 

 元の世界に(・ ・ ・ ・ ・)いたあの人( ・ ・ ・ ・ ・)たち( ・ ・)みたいに( ・ ・ ・ ・)、バカにする?


「う……」


 じわり、目の端に涙が浮いた。

 がくがくと、膝が震えた。


 今までのクロードとの思い出が、走馬灯のように蘇って来た。

 楽しかったことが浮かんでは消え、嬉しかったことが浮かんでは消えた。


「うう……っ」


 ああ、もう二度とあんな関係には戻れないんだ、仲良しさんではいてくれないんだ。

 そんなことを考えたら急に悲しくなってしまい……。


「うわあああ~ん、そんなに怒んないでよおお~っ」


 わたしは思わず泣いてしまった。

 いい歳こいた大人が泣くなんてみっともないとわかっていたけど、しかし込み上げるような衝動だけはどうしようもなくて、クロードのエプロンの端を握りながらぽろぽろと涙をこぼしてしまった。


「ちょ、え、お嬢様……っ?」


 突如として泣き出したわたしに驚き、クロードは大慌てで台所仕事を放り投げた。

 わたしの前にひざまずくと、みっともないほどおろおろし出した。


「あの、お嬢様。どうか落ちついて……っ?」


「ごめんよおお~っ。わたし、ホントにバカだからあ~っ。そうゆー人情の機微みたいなのがわかんなくてえ~っ」


「違うんです、違うんですっ」


「でも悪気はないんだよおお~っ。悪かったから~、謝るから許してよおおお~っ」 

 

「そんなつもりはなかったんです、お嬢様っ」


 わんわんと子供みたいに泣くわたしを、一生懸命あやし続けた。




 □ ■ □ ■ □ □ ■ □ ■ □ ■ □


 


 ダイニングの椅子に座りながら、わたしは泣き続けた。


 クロードはわたしの隣に並んで座りながら、その間ずっとあやしてくれた。

 わたしを泣かせたことを悔いているのだろう、辛そうに眉をしかめながら。


 クロードにそんな顔をさせたことが悲しくて、苦しくて、申し訳なくて。

 頑張って泣き止もうとしたけどなかなか上手くいかず、けっきょくわたしは10分以上も泣き続けてしまった。


「お嬢様、落ち着かれましたか?」


「……うん、ごめん」


 鼻をぐずらせながら、わたしはこくりとうなずいた。


「自分勝手に騒いだあげく急に泣き出したりして、とんだメンヘラ女でごめんね?」


「めんへら……というのはよくわかりませんが、お嬢様は悪くありません。つっけんどんな態度をとったわたしの方こそ……」


 わたしに責任を感じさせないためだろう、クロードはいかに自分が愚かだったかを語って聞かせた。


 曰く、わたしの気持ちをまったく考えていなかった。

 曰く、自分の見た目が人にどんな印象を与えるかの認識不足。

 曰く、これは執事としてあるまじきことで……。


「……ただ、言わせてもらうならば」


 いつもだったら自分を責めて終わりだったクロードも、今日のことに関しては物申したいことがあるらしい。

 背筋を伸ばし、深呼吸すると、意を決したように口を開いた。


「わたしがあのような態度をとったのは、お嬢様の身の危険を考えてのことでございました」


「……身の危険? わたしの?」


 思ってもみなかった言葉に、わたしはコテリと首を傾げた。


「ええ。こう申し上げてもお嬢様は否定なさいますでしょうが、しかしこれは客観的事実ですので」


 そう前置きした上で、クロードはわたしのことを褒め出した。

 

 顔の造形の美しさ、ほっそりした肢体の美しさ、明るく健やかな心の美しさ。

 ピアノの腕前はもちろん、わたしという存在が男性にとってはとてつもなく魅力的であること。

 さながら伝説のエルフのようですらあるということ。


「エメリッヒ様の件も笑いごとではありません。あなたは世の多くの男性から求婚を受ける立場にあるのです」


「世の多くの男性からの求婚? このわたしがあ~?」


 ないないあり得ない、と否定しようとしたが、しかしクロードが許してくれなかった。

 真面目で熱のこもった瞳でわたしを見つめ、さらに続けた。


「先ほども申し上げましたように、客観的事実です。あなたはそれほどに魅力的な女性であり、だからこそ危うい立場にもあるのです。あなたの美貌は、存在は、男性の心を容易に狂わせる。人の道を外れた行為を犯させてしまうほどのものだということを、理解していただきたい」


「いやあ~、さすがにそれはないよ~」


 笑って流そうとしたわたしにずずいと詰め寄ると、クロードは断固とした口調で。


理解してい(・ ・ ・ ・ ・)ただきたい( ・ ・ ・ ・ ・)


「………………ひゃいっ?」

 

 ものすごい剣幕に、わたしは思わず息を呑んだ。


 そしてすぐに、ふたりの距離が異様に近くなっていることに気づいた。

 椅子に座るわたしの上に覆いかぶさるようなクロード。

 その距離はごくごくわずかで、吐く息すらかかりそうなほどで……。

  

「わ、わかった、わかったよう。で、でもさ、それでもさ……」


 どうしようもなく火照った顔をパタパタあおぎながら、わたしはクロードから目を逸らした。


「それってでも、世の男性の多く、じゃなく一部の層でしょ? わたしみたいなのでもいいっていう飢えてる人か、あるいは物好きぐらいでしょ? 少なくともクロードみたいな人には関係ないでしょ? クロードみたいな、真摯で誠実な……」


「いいえ、滅相もない」

 

 わたしの言葉に、しかしクロードは重くゆっくりかぶりを振ると。


「わたしですら、おかしくなってしまいそうだったのです。なので重々、気を付けていただきたいと言っているのです」


「………………ひゃいっ?」


 再び詰め寄られたわたしは、身を強張らせながら声を絞り出した。


 おおうそうか、クロードですらそうなのか。

 ふんふんなるほどねえ~、う~んそうか~、クロードですらそうだったんだあ~。

 

 心中でなるほどねとうなずきながら、しかしおかしいぞ、と思ってた。

 何かが忙しなく警鐘を鳴らしていた。

 早く気づけ、今の言葉おかしいぞと。


「…………あ」


 答えにたどり着いた瞬間、背筋を電流が流れた。

 そうだ今、クロードは大変なことを言ったんだ。


 おかしくな(・ ・ ・ ・ ・)ってしま( ・ ・ ・ ・)いそう( ・ ・ ・)だった( ・ ・ ・)って。

 わたしに告白まがいのことをされて、男心を弄ぶ悪女ムーブをかまされて、おかしくな(・ ・ ・ ・ ・)ってしま( ・ ・ ・ ・)いそう( ・ ・ ・)だった( ・ ・ ・)って言ったんだ。


 それってつまり、クロードは単純にわたしのことを主人としてだけ見ているんじゃないってことだ。

 ひとりの女として、異性として意識している、そういうことだ。


 あのクロードが、このわたしを。

 同じ部屋にいて、毎日共に寝起きしているわたしを。

 ひとりの女として、異性と認識していて、下手をしたら下手をすることもあり得るって、そういうことだ。


「クロードが……わたしを……?」


「あ」


 自らの発言の意味にようやく気づいたのだろう、クロードは瞬時に耳まで真っ赤になった。


「ち、違います。今のは言葉の綾と申しますか。お嬢様に自らのお体のことを心配して欲しいがために鳴らした警鐘のようなものであるというか……っ」


 必死になって言葉を尽くすクロード。

 だけどその言葉は、まったくわたしの心に響かなかった。


 だって、それより大きい音が鳴っていたから。

 心臓の音が、血管を流れる血流の音が、ドックンっ、ドックンって。

 どうしようもないほどに、うるさく鳴っていたから。

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