「月の光を浴びながら」
「はあああー、ホントにひどい目に遭ったわあー……」
音楽堂からの帰り道、わたしはため息をつきつき歩いていた。
「コンサート大成功で、エメリッヒ先生の家庭事情も大解決で、全部がまるっと解決したはずだったのに……」
傍らにはクロード。
いつもの如くのわたしの愚痴に、今日も今日とて律儀につき合ってくれている。
「なのにさ、カーミラったら突然変なこと言うんだもん、参っちゃう。このわたしが結婚だなんて、しかも相手が先生だなんてさ。や、もちろん結婚相手としての先生が悪いって言うわけじゃないんだよ? カーミラの言う通りの良物件だと思う。問題は単純にわたしという女の質が低いというか、そもそも誰かと結婚するまでのレベルに達してないというか……ねえ、わかるでしょ?」
同意を求めたが、クロードは返事をしてくれなかった。
ただ黙って、わたしの横を歩いてた。
「………………おや?」
おかしいな、と思った。
とにかくわたしを敬い、わたしを盛り上げ引き立てることに関しては世界一なクロードだ。
わたしが自己卑下したらそれに倍するぐらいの勢いでフォローしてくれるはずなのだが……じゃっかんそういう狙いもあったわけなのだが……。
しかしクロードは返事をしてくれなかった。
真面目な顔でまっすぐに前を見て、黙々と歩いている。
あれ、もしかして聞いてない?
わたしの言葉、聞こえてなかった?
珍しいこともあるもんだと思って再度口を開くと……。
「ねえクロード。あのさ──」
「──そうですね。お嬢様にはまだ早いかもしれません」
ぼそり、低い声でクロードは言った。
わたしの目は見ず、まっすぐに前を見ながら続けた。
「お嬢様はまだ16歳。法的に結婚可能年齢ではありますが、昨今のご婦人の出生率も考えますと、もう少し肉体的に成熟されてからのほうがいいように感じます。精神的にはもはや老成されていると言っても過言ではないお嬢様ですが、肉体の成長は決してこれに比例しておりませんし」
妙に早口で……。
「結婚相手としてのエメリッヒ様本人に不満があるというわけではありません。お子様であるカーミラ様に関しても、多少特徴的だとはいえ心根の優しい素敵な女性であると思います。お嬢様をお慕いなさっているようですし、そういった面でも不安はありません」
どこか慌てたような感じで……ってあれ? あれれ?
「昨今の貴族の子女が、経済面・環境面共に整った一般の男性と結婚することは決しておかしなことではありません。しかしお嬢様は何といってもバルテル家の公爵令嬢。今はそうでないとはいえ、その血筋はあくまで気高く尊く、決して蔑ろにしていいものではありません」
もしかして、このコ……。
「ですので、今は様子を見るのが良ろしいかと思われます。肉体の成長を待ち、時期を待ち、さらなる良縁を求めるのが良いと、不肖わたしは考えます」
「もしかしてクロード。寂しがってる?」
「はいっ!?」
わたしの繰り出した鋭いカウンターに驚いたのだろう、クロードはガバッと凄まじい勢いで振り返った。
「あのね、寂しがってるんじゃない? って聞いたの。わたしが誰かの家に嫁いで、いなくなるのが寂しいんじゃない? って」
「そ、そんなことは……」
珍しいことに、クロードは目に見えて動揺し出した。
「そんなことは、じゃないよクロード。ほら今、ものすっごい顔を赤くしてるじゃない。ダメだよそんな慌てて誤魔化そうとしたって。見ちゃったもん、わたし、この目でマジマジと」
「ち、違います、これは……っ」
クロードは必死で言い訳しようとするが、もうダメだった。
顔はどうしようもなく赤く、冷や汗までかいてる始末。これで違いますは通らない。
「そっか~、クロードは寂しいんだ~。わたしが嫁いでいなくなるのが嫌なんだ~。へえええ~? ホントに主人想いなんだね~君は~、可愛いぃ~」
くすくすと笑いながら、わたしは足を早めた。
クロードが「違いますっ」と連呼するのを聞き流しながら、軽やかな足取りで先へ進んだ。
心がウキウキし、胸が弾むようだった。
そうさ、嬉しかったんだ。
万事につけわたしを大事にしてくれて、どこまでも将来のことを考えてくれる完璧執事クロードが一瞬だけ見せてくれた人間の部分が。
わたしを大事にしたい、しかし手放したくはないという相反した、生の気持ちが。
だってさ、それってさ、とってもとっても大事にされてるってことじゃない?
執事という立場としても、一個の人間としても、どっちでも大事にされてるってことじゃない?
なんの忖度もなくわたしのことを良く思ってくれてる、そういうことじゃない?
「ふんふふ~ん♪」
鼻歌を歌いながら、わたしは歩き続けた。
「ふふふふふ~ん♪」
嬉しかったから、楽しかったから。
でも同時に、寂しい気持ちもどこかにあった。
わたしたちは歳をとる。
肉体は成長し、社会的責任も増えて来る。
いつまでも子供のままではいられず、いつかわたしは、クロードと離れ離れにならなければならない。
だって、わたしはわたしで、クロードはクロードだから。
わたしにはわたしの人生があって、クロードにはクロードの人生があるのだから。
そうあるべきだから。
わたしはこのまま恋を知らず、結婚だってすることなく老いていくだろう。
誰にも看取られることのない、寂しい死を迎えることだってあるかもしれない。
でもきっと、クロードはそうじゃない。
イケメンで高身長で、強くて優しくて誠実で。
だからきっと、とてつもなく素晴らしい縁があるはずだ。
どこぞのご令嬢か、はたまたお姫様か。
ともかく彼には、まだ18歳のこのコには幸せになる資格がある。大いにある。
だから決して縛ってはいけない。
クロードに良縁が訪れたらさっと身を引き、お嬢様と執事の関係を解消し、笑って背中を押してやらなければならない。
36年を生きた大人の余裕で、一筋の涙も流さないニッコリ笑顔で送り出してやらなければならない。
「あれ……あれれ……?」
そんなことを考えていたら、きゅっと胸が痛んだ。
喉が詰まって、目頭が熱くなった。
理由? そんなの決まってる。
嫌なんだ。
わたしは、クロードと離れるのが。
だって、クロードは素晴らしい男の子だから。
イケメンで背が高くて、強く優しくて誠実で、たとえ世界中を敵に回したとしてもわたしの味方になってくれて。
外出した時はどんな夜遅くにだって迎えに来てくれて、どんな愚痴にだってつき合ってくれて。
こうしてただ歩いてるだけでも楽しくて、底抜けにおかしくて、幸せな気分になれて。
一緒にいるだけでとにかくどこまでも満ち足りて……それを失うのが嫌なんだ。
「……なんだ、わたしたちって同じことを考えてたんだ」
わたしはぼそりとつぶやいた。
クロードが寂しいと思ってるように、わたしも同じことを思っている。その事実を。
クロードには聞こえぬように、そっと。
「……お嬢様、今なにかおっしゃいましたか?」
「ううん、なあ~んにもっ」
心配して聞いて来るクロードになんとか笑顔を返すと、わたしは空を見上げた。
秋の空にぽっかり浮かんだ満月の下、後ろで手を組みながら。
「ねえクロード、知ってる? 東方のとある島国にはさ、こんな伝説があるんだって。月にはウサギが二匹住んでてさ。二匹はとっても偉いことをしたから月に住まうことを許されててさ。永遠に仲良く餅つきしてて……」
クロードが絶対知らないだろうおとぎ話をして、束の間浮かんだ悲しみを誤魔化した。
「なんかちょっと、うらやましいよね」
クロードと離れたくない。
出来ることならばいつまでも、ふたりでこうして過ごしたい。
そんなことを思いながら、わたしは──
「──わたしたちも、あんな風になれたらいいのにね」と、素直な願いを口にした。
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