「まさかの提案」
「いやあー先生、素晴らしい演奏でしたっ。ありがとうございますっ。熱い音楽決闘でした、楽しかったっ」
エメリッヒ先生がカーミラを連れてステージ袖に下がり、拍手喝采が落ち着いたのを見計らってから登壇すると、今度はわたしに勝者への賞賛が送られた。
やんややんやの喝采にニッコリお嬢様然とした笑みを返しながら、わたしは観客席を見渡した。
50人近い紳士と淑女、いずれの顔にも先生を貶すような色は見られらない。
それはもちろん演奏の素晴らしさもあったのだけれど、わたしの『月光ソナタ』へ挑む気概、そしてカーミラとの麗しき親子関係も併せて評価されているのに違いない。
みんなの頬が赤らみ、目にキラリ涙が光っているのがその証拠だ。
「みなさんも楽しんでいただけたようですし、また今度やってくれますか? え? 望むところだ? 次は絶対にほえ面かかせてやるぞ? さっすがさすが」
ステージ袖でカーミラと抱き合っている先生に向けて軽口を叩くと、先生はやれやれとばかりに肩を竦めた。
照れたような薄笑みを浮かべながら、何事かをつぶやいているが……。
よく言うよ、だろうか?
ああ上等だ、だろうか?
いつでもバルで戦おう、だろうか?
その目には、どこまでも清々しい戦意が宿っている。
──ふたりとも良かったぞー!
──またこんな決闘を聴かせてくださいねー!
わたしたちの好敵手然としたやり取りに敬意を評してだろう、観客席から拍手が上がった。
今夜のステージで味わった感動を表そうとでもいうかのような、それはとてつもなく大きなものだった。
笑顔が溢れ、口笛が吹き鳴らされ、場が歓声で満たされた。
まさにノーサイドだ。
敵も無く、味方も無い。
戦い疲れたピアノ弾きへ送られる、ただただ純粋な賞賛がそこにはあった。
ああ、いいなあって思った。
音楽っていいなあって、ピアノっていいなあって。
歓喜の嵐の中で、わたしはずっと思ってた。
□ ■ □ ■ □ □ ■ □ ■ □ ■ □
ステージ袖へ降りたわたしの所へ、カーミラがやって来た。
「ありがとうっ、ありがとうテレーゼ様っ」
エメリッヒ先生の肘を抱くようにしたカーミラは、未だボロボロと涙を流し続けている。
顔を赤く染め、唇をわななかせ、わたしに何かを訴えようとしてくる。
「おかげであたし……っ、おかげであたし……っ、パパともう一度……っ」
「うんうん、よかったね、カーミラ」
何を言ってるのかは正直わからなかったけど、とにかく上手くいったことだけはたしからしい。
親子仲はバッチリ。
こんなにたくさんの人の前にいても普通に話せているし、引きこもりもこれで解消って感じになるのかな? 音楽院にも通えるようになるのかな?
だったら素晴らしいし、頑張った甲斐があったというものだ。
「テレーゼ君、ありがとう。わたしからも礼を言わせてくれ」
先生の目は真っ赤で、声はわずかに震えてる。
「こんな舞台を用意してくれて、わたしに演奏させてくれて、本当にありがとう。おかげでわたしたちは一からやり直すことが出来る」
大の大人が泣くことを、情けないとは思わない。
家族のために泣ける、本当に嬉しい事のために泣ける。
それは人間として、とても素敵なことだとわたしは思う。
「おめでとうございます、先生」
だからわたしは、ニコリと笑んだ。
心の底から祝福し──
「でもね、それは一部違います。まず、自分の名前でコンサートを開くってのはわたしの元々の夢でした。でもなかなか勇気が出なくて開くことが出来なかった。だから今回のことは、先生たちのあれこれに乗っかれた部分もあったんです。人の事情につけ込んで、勢いをつけさせてもらったというか、おかげで成功出来たというか。ある意味WinWin? だから変に気にしなくていいですよ。それにたぶん、わたしだけの力じゃここまでの結果にはならなかったんじゃないかと思います。コンサートが成功出来ても、ここまでの結果には」
チラと見ると、カーミラは未だに先生の肘にしがみついている。
お気に入りの玩具を手放さない子供のように、ぎゅうっと。
そうだ、このコは子供なんだ。
子供ゆえに間違いもして、親に反抗することもあって、その結果として長い間引きこもることになった。
束の間の感動で引きずり出すことそれ自体は簡単だけど、それだけじゃダメなんだ。
感動を失っても長い間外にいられるように、多少嫌なことがあっても勇気を振り絞ってそこにいられるように。
一番身近な存在である親との関係性を回復させなきゃダメだったんだ。
そういう意味で、音楽決闘をしたのは大正解。
見事な演奏と覚悟で、先生は娘のハートをがっつり掴むことに成功した。
「だからね、これは先生のおかげなんですよ。先生が頑張ったからなんです。わたしはそのお手伝いをしただけ」
「だがそれでは……」
「ああもう、そんな顔をしないでください。頭を下げるのももうやめっ。ほら、娘さんが見てますから、あまり情けない格好をしないでくださいっ。ほらほら、胸を張って堂々としてっ」
「あ、ああうん……そうだな。たしかにその通りだ。あまり情けない姿ばかりも見せていられないな」
カーミラの視線に気づいた先生はゴホンと咳払いすると、むんとばかりに胸を張った。
「OKOK、背筋がぴんと伸びていい感じですよ。カッコいいです。先生はなんだかんだで男前ですからねー。今夜の演奏がきっかけで女性ファンとかついちゃうんじゃないですか? いいですねー、ヒューヒューですねーっ」
わたしが口笛を吹く真似をすると、先生は「これは困ったな……」と照れたように頭をかいた。
「さんざん世話になった上に子供扱い……。君には本当に敵わないな」
先生は肩を竦めると、改めてといったようにわたしを見た。
「しかし……あの勝負度胸に卓越した技術……。年上相手でもまったく怖じ気づくことなく、むしろ呑んでやるかの如く堂々とした話しぶり……。君は本当に16歳なのか?」
「や、や、やだなあーっ。当ったり前じゃないですかーっ。こんなぴちぴちお肌のおばさんがいますかーっ? もうー、からかわないでくださいよーっ」
「や、さすがにおばさんとまでは言っていないのだが……。ただ歳に似合わぬ落ち着きがあって、まるで大人の女性と話しているようだと……」
「あ、あれーっ? そそそそうだったんですかーっ? いやー、これは早とちりしちゃったなあーっ。わたしとしたことがーっ。あは、あは、あはははははははーっ」
心の中で吐血しながら、わたしは必死に誤魔化し笑いをした。
「じー……」
そんなわたしを、じっと見つめる双眸がある。
肌にぴりぴり感じる独特のこの圧は、紛れもないカーミラのものだ。
「じー……」
「え、えっと……カーミラ? どうしたの? わたしの顔に何かついてる?」
「じー……」
「あの……カーミラ?」
「じー……」
「あのー……?」
穴の開くほどわたしを見つめた後、カーミラは突然。
「テレーゼ様。うちのパパと結婚しませんか?」
とんでもないことを言い出した。
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