「涙声で」
~~~カーミラ視点~~~
エメリッヒの演奏が終わると、歓声と歓喜が会場内に吹き荒れた。
拍手の量と歓声の量で勝敗が着く音楽決闘の結果は、わずかな差でテレーゼの勝利。
エメリッヒの『月の光』はたしかに素晴らしかったが、あの『月光ソナタ』には及ばなかったという判定だ。
判定ではあったが……。
「……パパ!」
カーミラはそんなこと、まったく気にしなかった。
曲が終わったと同時に席を立つと、まっすぐに走った。
「……パパ!」
どこかで落としたのだろう、ガウンはいつの間にか消えていた。
サンダルも脱げ裸足になっていたが、カーミラはまったく気にとめなかった。
聴衆の注目をこれでもかというほどに集めていたが、それすらも、まったく。
「カーミラ……?」
ステージに駆け上がるなり、驚くエメリッヒに正面から飛びついた。
胴に手を回す形で、ぎゅうと。
思ってもみなかっただろうカーミラの行動にエメリッヒは戸惑いよろめいたが、倒れはしなかった。
ぐっと踏みとどまり、娘の体をしっかりと支えた。
「……パパっ! ……パパっ!」
カーミラはエメリッヒの胸に顔を埋めると、何度もその名を呼んだ。
「……パパっ! ……パパっ!」
本当はもっと言いたい言葉があるのに、なかなか出て来ない。
出て来るのは迸るような熱気と、熱い涙のみ。
「ごめんね! ごめんねパパっ!」
ようやく口をついたのは、謝罪の言葉だった。
頑張ったねでもなく、惜しかったねでもなく、ただひたすらの謝りだった。
歌うのをやめ、引きこもっていたこと。
度重なる慰めや助言を聞かず、悪態ばかりついていたこと。
それらを全部ひっくるめて、カーミラは謝罪した。
顔を真っ赤にし、鼻をぐずらせ、何度も、何度も。
彼女の心を動かしたのは演奏だ。
他ならぬ、エメリッヒの演奏だった。
すごいと思ったのだ。カッコいいと思ったのだ。
『月の光』の出来栄えはもちろんだが、テレーゼのあの『月光ソナタ』に挑んだことが。
圧倒的にテレーゼ寄りの会場の中で、実力差を知っていてそれでもなお果敢に勝負を挑んだことが。
絶対恐ろしいはずなのに。
負けたら恥ずかしくて、死にたくなるに違いないのに。
エメリッヒは真っ正面から戦いを挑んだ。
ピアノ弾きとしてのプライドを賭けてぶつかった。
結果はたしかに負けだ。
だが、その表情にはどこか清々しいものがあった。
胸を張り、堂々としている姿もカッコいいと思った。
そしておそらく、それらはすべて自分のために行われたのだ。
突然のコンサートも、最後の音楽決闘も。
自分を家から引きずり出し、再び歌を歌わせたいがために。そのためだけに。
「ごめんね。わたしがこんな風になって、ママもいなくなって。パパだって辛かったはずなのに……」
下級貴族の出身で気位の高いところがあった母にとって、自らを飾り立てるアクセサリーのように感じていたカーミラが挫折したのは許せないことだった。
教育についてエメリッヒと度々ぶつかり、最終的には離婚して実家へと帰って行った。
そのやり取りを、カーミラはずっと自室で聞いていた。
聞いていたのに何もしなかった。
嵐が過ぎ去るのを待つようにじっと、布団を被って耐えていた。
「全部、あたしのせいなのに……」
カーミラは恐れていた。
母がいなくなったのが自分のせいだと認めることを。
だからこそ自室にこもり、悪態をつき、ひたすらに迷惑をかけ続けたのだ。
一番の問題から目を逸らすために。
エメリッヒを責めている限りは、その罪から逃れられると思ったから。
「あたしの……せいなのに……っ」
カーミラは、とうとう言葉が喋れなくなった。
胸が詰まり、唇がわななき、全身が震え。
ただ抱き着いているしか、出来なくなった。
「カーミラ……」
ようやく戸惑いから脱したのだろうエメリッヒが、カーミラの頭を優しく撫でてくれた。
ぎゅっと強く、愛おし気に抱き寄せてくれた。
「謝るのはわたしの方だ。今まで放っておいて悪かった。本当ならもっと早く対処するべきだったのに手をこまねいていた。正直言って、怖かったんだ。何より大事なおまえに嫌われることが、避けられることが。すまない、カーミラ」
エメリッヒは、エメリッヒもまた、胸を詰まらせているようだった。
唇をわななかせながら、繰り返し謝って来た。
「すまない……」
「ううん、あたしの方こそ」
「とんでもない、わたしの方が」
「あたし、何度もパパを罵った」
「わたしだって、何度もおまえに強く言った」
親子の譲り合いは、止まることなく続けられた。
今までの距離を埋めるように、何度も。
熱く、強く、涙声で。
テレーゼの活躍が気になる方は下の☆☆☆☆☆で応援お願いします!
感想、レビュー、ブクマ、などもいただけると励みになります!