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「挫折を知らない」

 ~~~カーミラ視点~~~




 歓喜の嵐の中で、テレーゼは立ち上がった。

 スカートをひょいと摘まんで優雅に頭を下げると、そこかしこから今までに倍するほどの拍手が打ち鳴らされた。

 テレーゼはどこか恥ずかしそうに笑いながらそれらに答えると、急にカーミラを見据えた。


「どうだったあぁー!? カーミラぁぁーっ!」


 両手を口に当て、大声で問いかけて来る。


「……え、え、え、あたしっ?」


 来ると思っていなかった質問が来たことに、カーミラは飛び上がるほど驚いた。

 ガウンをしわくちゃに揉みし抱き、どうすればいいのかと隣に目線を送ったが、当のリリゼットは興味無さげにそっぽを向いている。

 そんなの自分自身で解決すれば? とでも言わんばかりに無視してくる。


「ど、ど、ど、どうすれば……っ?」


 右にあたふた、左にあたふた。

 カーミラは完全にテンパってしまった。

 

 と言って、このまま黙っているわけにもいかない。

 それではテレーゼの面目が立たない。

 可及的速かきゅうてきすみやかに、何かしらの態度を示さないと……っ。

 

「さ、さ、さ、最高でしたっ!」


 カーミラはぶんぶんとちぎれんばかりに手を振りながら、必死に感想を口にした。

 噛みこそしなかったがどもりまくりで、おまけに子供の感想文よりもなおひどい幼稚な感想しか出てこなかったけれど、とにかく口にした。


 だって、ホントに最高だったのだ。

 素晴らしい楽曲、運指、曲への理解、今まで何度弾いて来たのだろうというほどの熟練ぶり。 

 16歳という年齢が信じられないほどの神演奏だった。


(やっぱりテレーゼ様は最高だわっ。超推しっ、死ぬまで推せるっ。今夜は色々あれだったけど、ホントに来て良かったっ)


 胸に感慨を抱きしめていると、テレーゼが「ありがとーっ!」と陽気に手を振って来た。

 右目をバチコンッと閉じる、元気なウインク付きで。


「はあああ~……」


 カーミラは瞬時に顔をとろけさせた。

 今この瞬間にいきなり心臓が止まって死んでしまっても悔いはないと、本気で思ってしまうほどに最高だった。


「幸せっ、幸せがすぎるっ。……っといけない、呼吸が苦しくなって来たあぁぁっ?」


 興奮しすぎて、本気で胸が苦しい。

 カーミラは胸に手を当て、呼吸を整えた。


「ひっひっふー……、ひっひっふー……」


 深呼吸を繰り返すうちにテレーゼはステージ袖に消え、聴衆たちが賑やかに歓談を始めた。

 もちろん話題の中心はテレーゼの演奏についてだ。

 今しがた目にした超絶技巧と、聴いたことのない超名曲と。

 その分析や感想語りで、皆は大いに盛り上がっている。 


「あ……」


 いいなあと、カーミラは思った。

 自分もあの輪の中に入りたい。

 一緒にテレーゼのことを褒め、テレーゼ愛を語りたいと、本気で思った。


「し、詩とか書いてる人いたりしないかな……? さすがにいないかな……?」


 ソワソワしながら辺りを見渡していると……。


「……ふん、弾かない(・ ・ ・ ・)連中( ・ ・)は気楽でいいわよね」


 リリゼットは、いかにも不満そうに鼻を鳴らした。


「もうっ、なんなのよあんたはっ!?」


 気持ちよく余韻に浸っているところへ水を差された気がして、カーミラはカッとなった。


「あの素晴らしい演奏を聴いて、いったい何が不満なのっ!?」


「不満よ、大いに不満だわ」


「はあぁーっ!? だから何がっ!? どこに不満があったのよっ!?」

 

「ここよ。不満があるのはわたし、わたし自身(・ ・ ・ ・ ・)


「へ? え? あんた自身……?」


 そんな返しが来ると思っていなかったカーミラは、ひどく困惑した。

 てっきりテレーゼの演奏にダメ出しでもするつもりかと思ったのに……。


「そうよ、わたし。あのコと対決して敗れ、その後もさっぱり勝てず、足元にも近寄れず、今もこうして観客席から見物してる、わたし自身」


「あ……っ?」


 そうだったと、今さらながらカーミラは思い出した。

 

 リリゼット・ペルノー。

 海運商で財を築いたヨーゼフ・ペルノーの娘で、ピアノの天才。

 テレーゼに敗れるまでは西地区25連勝。その華麗な演奏ぶりから『舞姫』と呼ばれていた女。


 幾度もの音楽決闘ベルマキアとサロンでの成功、楽曲の販売などで今まさに光の下に歩み出しているテレーゼとは違い、彼女は闇の中にいる。

 くっきりと明暗の分かれた世界で、屈辱を受け続けている。


「始まる前に言ったでしょ。『今から鳴る音を聴いた上で、それでもまだ言える?』って」


「………………言ってたわね」 


 そうだ、ステージ上に向けていた射るような目。 

 初コンサートを行う友人に向けるにしては、あれはあまりに鋭すぎた。


「あのコとわたしはライバルよ。わたしは少なくともそう思ってる。……いえ、そうあり(・ ・ ・ ・)たいと( ・ ・ ・)願ってる(・ ・ ・ ・)


 唇を噛みながら、リリゼットはステージ上を見つめ続ける。

 ついさっきまでテレーゼが座っていた椅子を、にらむようにしている。


「……っ」


 なんて恐ろしいことを言うのだろうと、カーミラは思った。

 リリゼットのセリフの意味、それはつまり、テレーゼがリリゼットをライバル視していないかもしれないということなのだ。

 一緒にいると楽しいだけの友達で、敵としてすら認識してもらっていないかもしれないということなのだ。


「…………辞めるつもり?」


 言ってから、しまったと思った。

 我ながら、なんてひどい言葉だろう。

 今まさに天才との実力差に苦しんでいる人に向ける、これ以上に残酷な言葉はないだろう。


 でも、もう遅い。

 カーミラの言葉は口を出た。もう取り返しはつかない。


「………………なんでそう思うの?」


 しばらく時間を置いてから、リリゼットは聞いてきた。

 目は相変わらず、ステージ上に向けたまま。


「だ、だって……」


 こうなったらもう、止まることは出来ない。

 一度言ってしまったものを引っ込めることは出来ず、リリゼットの圧力もあって、けっきょくカーミラは喋り続けた。


「そんなの、当たり前じゃない。どれだけ頑張って練習しても、勝てないなら意味ないもの。負け続けるのなんて、ただ辛くて、惨めなだけだもの。だったらやらなきゃいいじゃない。もっと違う、勝てる分野で勝負すればいいじゃない」

 

 喋りながらカーミラは、胸の痛みに耐えていた。


 だってそれは、まさに自分のことだから。

 ライバルたちとの実力差に絶望し、敗北を続けることに耐えられず逃げた、かつての自分自身の姿がそこにあったから。


「そもそも音楽以外だっていいわけでしょ? そ、そうよ、あんたってお嬢様なんだから、他にいくらでも道が選べるじゃない。絵を描いたっていいし、行儀作法を学んでいいお婿さんを見つけたっていいし。わざわざ辛い道を選ぶ必要なんてないじゃない」


「無理よ」


 リリゼットはしかし、あっさりと否定した。


「だって、わたしはピアノ弾きなんだもの。そうなるべくして産まれて来たんだもの」


 強い光を宿した目で、まっすぐにステージ上を見つめている。


「もちろん怖いのは怖いわよ。辛くて、折れそうになることだってある。でも……ああ、そうね。あなたの言ったこと自体は当たってるのかも」


「……あたしの言ったこと?」


「わたしはまだ、挫折を(・ ・ ・)知らない( ・ ・ ・ ・)。だって、わたしはま(・ ・ ・ ・ ・)だ折れてい( ・ ・ ・ ・ ・)ないから( ・ ・ ・ ・)

 

「そんな……それって……っ」 


 あのテレーゼに勝つつもりなのか? そんなの無理だ。

 いつまでも諦めず、これからも負け続ける道を選ぶのか? そんなのおかしい、狂ってる。


 リリゼットは間違ってる。

 間違ってる……はずなのに……。


 どうしてだろう、カーミラにはその一言が言えなかった。

 言えないまま、形容しがたい震えに襲われていた。


 それが起こったのは、そんな瞬間だった──


 多くの聴衆が歓談する中、リリゼットとカーミラが黙り込む中。 

 ステージ上に、ひとりの男が立った。


 最初は、誰もが注意を払っていなかった。

 調律師か、あるいはピアノを撤去しに来た係員か。

 そのたぐいだと思っていた。


 だが違った。

 その男は、他らぬエメリッヒだったのだ。

 

「え? パパ、どうして……え?」


 燕尾服を身にまとい、髪をワックスで固めたその姿は、エメリッヒがプロとして演奏をする際の格好だった。

 過去に何度も見たことのある、カーミラの大好きな、シャンとした父の姿だ。


「え、でもなんで? 今日はテレーゼ様のコンサートで、演奏自体は終わっていて……なのになんで? なんでパパ、ピアノの前に座ってるの?」


 他の聴衆も、ようやく気づいた。

 ピアノの前に座ったエメリッヒを見やり、こそこそと噂し始めた。


 ──……ねえ。あの紳士は、いったいどなた?

 ──エメリッヒ・シュテーガーだな。プロのピアノ弾きだよ。最近は少人数での重奏などでしか見かけないが。

 ──以前はよくコンテストに出場していたがね、続々と出て来る若手に勝てなくなって引退したのかと思っていたが……。

 ──そういえば最近、不思議な噂を聞きましたよ。あの方、どこぞのバルで連日連夜、音楽決闘ベルマキアをなさっているとか……。

 

 エメリッヒの過去の実績や近況、その中に、ひとつの単語が混じった。

 音楽決闘。

 それは風のように観客席の中を吹き渡った。

 

 ──音楽決闘? そうだ、音楽決闘だっ。

 ──これから行おうというの? わあ、すごい趣向ね。

 ──だが、相手はあのテレーゼ嬢だぞ?

 ──無茶だ。さっきのあの曲に勝てるわけがない……。

 

 興奮と、好奇と、諦観と、失望と。

 相反するいくつもの感情が、そこここでぶつかり合った。


「ちょっと……やめてよ、冗談でしょ? パパ」


 カーミラは思わず立ち上がった。

 

「勝てるわけないじゃない。無理よ、無理だってば。やめようよ」


 ステージに駆け上がってでも、父の無謀を止めないと。

 そう思って一歩を踏み出そうとした、その瞬間。


 エメリッヒはカーミラのことを見つめた。

 深いエメラルド色の瞳で、優しく笑みながら。


「え、え、パパ……っ?」

 

 エメリッヒの口元が、わずかに動いた。

 声としては聞こえなかったが、唇の動きだけでわかった。

 父はこう言ったのだ──見ていてくれ、カーミラと。

いつもはテレーゼ後攻なんですが、今回は逆パターンです(*´ω`*)


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[良い点] 熱い展開ですねっ [気になる点] 勝負の行方 [一言] 毎日楽しみに読んでおります。 目が離せない勝負になりそうですねっ! リリゼットの覚悟も素敵です。
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