「『月光ソナタ②』」
ベートーヴェンが月夜の街を散歩していると、とある家からピアノの音が聴こえてきた。
それは盲目の少女の手によるもので、弾いているのはベートーヴェンの曲だった。
感動したベートーヴェンはその家を訪れ、少女のために即興演奏を行った──
この『月光ソナタ』の誕生秘話は、戦前の教科書に掲載され尋常小学校にて多くの子供たちに教え広められた。
日本人のベートーヴェン好きは、もちろん曲そのものの魅力もあるのだけれど、幼少期からの刷り込みによる部分が大きい。
だが、話自体は創作だ。
盲目の少女も、ベートーヴェンの訪問も存在しなかった。
19世紀にヨーロッパで作られた、販促目的のウソ。
でも、優しいウソだとわたしは思う。
音楽の素晴らしさを教えるのは本当に大変だから、子供たちが入りやすいようとっかかりを作るのは本当に大事なことだから。
それをわたしは否定しない。
情景も美しいじゃないか。
月夜の晩に憧れのベートーヴェンが家を訪れ、自分のために演奏してくれる。
それが後の一大傑作で、何百年と引き継がれていくことになる……。
もし自分の身にそんなことが起きたら、きっとわたしは嬉しくて死んでしまう。
カーミラじゃないけれど、どうか帰らないでくれとすがりついてしまう。
でも当然だけどわたしは帰るし、ベートーヴェンだって帰ってしまう。
では、残されたカーミラは/少女はどうするだろう?
大人しくわたしの/ベートーヴェンの再訪を待つ?
いやいやと、わたしは首を横に振った。
「聴きに行くでしょ。もう一度あの曲を、って思うでしょ」
つぶやきながら、わたしは第一楽章を弾き終えた。
そして即座に第二楽章に入る。
第二楽章はアレグレット──やや速く、だ。
静謐に満ちた第一楽章から一転、軽やかに始まる。
軽やかだが、曲の持つ幽玄さそのものは失われていない。
湖面を望む草原の上で夜の精が踊るような、しっとりとした密やかさを湛えている。
「だって、本物の感動を知っちゃったんだもん。もう空想なんかで満足できるもんか。多少無理してだって、絶対聴きに行かなきゃって思うでしょ」
というか、そうじゃなきゃダメなんだ。
CDでもダメ、レコードでもダメ、空想なんかじゃ全然間に合わない。生で聴かなきゃ。
そう思わせるぐらいのものを聴かせてコンサート会場に足を運ばせる、それがピアノ弾きという生き物なんだから。
「──さあ、ここからが本番よ」
短い第二楽章を終えると、わたしは奥歯をギリと噛みしめた。
気合を入れ直すと、すぐさま第三楽章を始めた。
プレスト・アジタート──極めて速く、興奮気味に。
指示記号通り、最初は爆発するようなアルペジオから。
──……なんだこれは、今までの静けさとは打って変わって、まるで嵐のようだ。
──張り詰めるような緊張感……恐ろしい……。
──あの指の動き……信じられないっ。
──肘掛けに掴まってないと、吹き飛ばされてしまいそうだわ……。
急激な曲の変化に、聴衆がハッと息を呑んだ。
肘掛けに掴まったり、自らの身を抱きしめたり、近くの友人と手を繋ぐ人の姿も見受けられる。
無理もないことだと、わたしは思う。
『月光ソナタ』の凄さは、何よりもこの構成にあるのだ。
幽玄で静謐を湛えた第一楽章、軽やかで密やかな第二楽章、そして嵐の第三楽章。
凄まじいまでの情動の移り変わりが、聴く者の心を撃ち抜くのだ。
ベートーヴェンの曲に慣れ親しんだわたしですらも時に胸を貫かれ涙することがある曲だ。こちらの人にしてみれば、カルチャーショックどころの騒ぎではないだろう。
自らの足元が砕け、地割れに落ちてしまうぐらいの衝撃があるはずだ。
見ると、カーミラは脱いだガウンを抱きしめている。
唇をぎゅっと噛み、何かに怯えるように体を震わせている。
「聴きなさい、カーミラ。逃げずに、そこで」
つぶやきながら、わたしは弾き続けた。
ベートーヴェン特有の堅牢な楽曲構築は一瞬たりとも崩れることなく、それでいながら、曲はどこまでも疾走を続ける。
小舟が激流を下るような、険峻な山肌を地滑りが削るような、緊張と熱情が絡み合い竜巻となるような、とにかく物凄まじい力がぶつかり弾ける。
そして──
雲間から月光が差し込んで来たかのようなピアニッシモでさらに緊張感を高めると、最後は両手ユニゾンによる爆発的なアルペジオで締め括った。
両手をバッと上げて曲の終わりを告げると、一瞬の静寂の後、爆発的な歓声が沸き起こった。
音楽堂に集まった聴衆たちが、一斉に歓喜を叫んだ。
その中でカーミラは──
原本引用は著作権の問題で断念しました、無念!
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