「就業規則」
「じゃあ、細かいとこを詰めてくぞ」
さて、めでたく『酔いどれドラゴン亭』に就職の決まったわたしは、さっそくテオさんから就業規則の説明を受けていた。
「演奏時間は昼間の2時間と夕方から夜にかけての3時間。途中休憩をとるのは自己裁量で。曲は好きに選んでもらっていいが、お客さんからの要望は聞けるようなら聞いてやってくれ。また、曜日によっては勤務時間が増えることもある。特に祭りの時なんかは頻繁に弾いてもらうことになるけど、問題ないか? 長すぎるってんならもう少し時間を削ってもいいんだが……」
「全然ないです。むしろそんなに少なくていいんですか? たぶんですけどわたし、その倍ぐらいまでならいけますけど……」
「倍……全部で10時間ってことか……?」
わたしの答えに、テオさんは明らかに面食らった様子。
「そんなすさまじいことが……? ああ、なるほどだから、あれほどの技術を……?」
ってものすごい感心されてる。
そうかあ、こっちの世界じゃみんなそんなに長時間弾かないんだあ。
なるほど、プロのドミニクがあの程度なわけだ。
もちろん単純に時間をかけりゃいいわけじゃないんだけど、基本練習してない人とかはすぐにわかるからね。
「あのお嬢様がこんなにもやる気に……」
こっちはこっちでクロードがハンカチを目元に押し当てて感動してるし。
どうやら知らず知らずのうちに「わたし、なにかやっちゃいました?」ムーブをかましてしまったようだ。
うぬぬ、現役時代に一日十時間弾いてたのは本当だが、変に怪しまれて騒がれないよう気をつけないと……。
「ともかく全然余裕です。ガンガン弾かせていただきますっ」
この話に深入りしたくなかったわたしは、陽気に笑って話を進めた。
「えっと、あと残るはお給金の話ですかねっ」
「ああ、それなんだがな……」
ここでテオさんは、ちょっと困り顔になった。
「正直あんまり繁盛してる店じゃないんでな。お嬢ちゃんが満足するほどには出せねえと思う」
料理も酒も美味いがゲイルさんの演奏がいまいちだったという『酔いどれドラゴン亭』は、三叉路の角という好立地なのにも拘わらずお客さんが来なかったのだという。
ほうほう、味じゃなく奏者で店が選ばれる辺りがさすがは音楽の都といったところか。
そうしてテオさんが紙に書き出してくれた条件は、1時間で銅貨5枚というものだった。
てことは1日5時間労働で銅貨25枚で、週5日出勤なら週125枚で、月で計算するならおおざっぱに考えて500枚ほど。
「ふむ……」
正直、それが多いのか少ないのか見当もつかない。
銅貨って一枚何円何だろ?
物価もわからないしなあと内心で唸っていると……。
「おとーさんおとーさんっ、ボクの先生代忘れてるっ」
テオさんの隣に座っていたウィルが、ぐいぐいとおとーさんの袖を引っ張った。
そうそう、ウィルの強い要望により、わたしがピアノ弾きの合間を縫って家庭教師をしてあげることになったのだ。
そもそも音楽院に通っているコにわたしが何を教えられることがあるのだろうと思ったが、なんだかすごい熱意で押し切られてしまったのだ。
「おう、そうだったな。ウィルの先生代として月銅貨100枚」
「とすると月で600枚ぐらいか……ちなみにですけど、わたしがさっき飲んだエールって一杯いくらですか?」
「うん? ああそうか、お嬢様は自分で買い物なんてしないのか」
テオさんは、都合のいいほうに勘違いしてくれた。
「あれは一杯銅貨5枚だ」
「サラダとパンとスープとお肉料理のセット。これを全部頼んだら?」
「銅貨10枚、銀貨でいうなら1枚ってとこだな」
ああなるほど、銅貨10枚イコール銀貨1枚ってことね?
てことはエールを1杯500円、セット料理をざっくり1000円で換算すると……銅貨1枚イコール100円で、銀貨1枚1000円ぐらいかな? 金貨はその10倍とか?
てことはわたしの月給は6万円ぐらいってことか。
んー……それはさすがに安すぎないかなあ?
音楽の都だからピアノ弾きはありふれてて、そういった意味で買い手市場になってる的な?
まあでもいいのかなあー……なんにもしないよりはなにかしてたほうが気分的にも落ち着くし、そもそも家計の足しになってクロードを楽にさせられるし、それがピアノ弾きだったら最高だし……。
「先生……」
わたしが断る可能性を考えているのだろう、隣の席に座ったウィルが泣きそうな顔を向けて来る。
ううっ……しゅんとした姿が豆柴みたいでキュンとくる……っ。
「王都の人にはわからんかもしれんがな……」
密かにウィルに萌えているわたしに、テオさんがこちらにおけるピアノ弾きという職業について説明してくれた。
わたしの想像した通りの買い手市場であること、客の入り次第では大入り袋的なものが出ること。腕によってはお客さんがチップを投げてくれ、それが追加の収入になることも。
「なるほど、つまり稼ぐも稼げないもわたしの腕次第ってことですね?」
そう言われるとメラリと燃えて来る、単純なわたしだ。
「そうだな。そして毎食まかないもつけよう。飲み物も一杯サービスだ」
「余り物をクロードへのお土産に持って帰ったりしていいですか?」
「ぐっ……よし、乗った」
ちゃっかりしたわたしの要望に、テオさんは苦しげに呻きながらも許可してくれた。
「なら決まりですね。わたし、がんばって働きます。お客さんをいっぱい呼んで、このお店をグラーツ一の音楽バルにしてみせます」
「わあ、やったあっ」
わたしの決断にウィルは、やったやったと飛び上がって喜び。
「くっ……お嬢ちゃん意外としっかりしてるな……」
テオさんは嬉しいような辛いような複雑な表情を浮かべ。
「お嬢様……わたしのことまで考えて……」
クロードは感極まったように打ち震え。
「……わたし、いったい何を見せられてるんだろう」
テーブルの端に座ってわたしたちのやり取り眺めていたウィルの同級生のアンナが(藍色のブレザーとスカートを身に着けている)、思案気に首を傾げた。
ともあれ、そんな風にわたしの仕事は決まったのだった。
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