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竜巻

作者: 岩槻 大介

竜巻に追いかけられたことがある。

これはわたしが小学校の2年か3年の時の話。

群馬のおばあちゃんのうちに遊びに行った日の出来事だ。


雑木林の向こうで少しずつ、曲がフェイドアウトするように蝉が鳴くのをやめていった。

わたしは、広い畑を超えた先の原っぱで、裸足になって寝っ転がっていた。

青い空を灰色の雲が形を変えながら速足で通り過ぎて行く。

それをぼんやりと眺めながら、ここで暮らせたら友達なんかいらないかも、と思った。

風の匂いがしてふと横を見ると、雲と原っぱが黒っぽい線で不気味につながっていた。

徐々に強さを増した風は、胸の上に置いたわたしの麦わら帽子を軽々と空へ舞い上げた。

あっ。お気に入りの帽子だったので、わたしは跳ね起きて追いかけた。

帽子は落ちてこなかった。

落ちるどころかそのまま高く舞い上がり、ずんずんとこっちに近付いてくる黒い線の方へ吸い込まれていった。

次第にものすごい風になった。

汗に濡れた髪の毛が耳に当たって痛かった。

雲と原っぱをつないだ黒い線がみるみるうちに太く、大きくなっていった。

その周りでわたしの帽子は狂ったように舞っていた。

よく見ると、空に舞っているのは帽子だけではなかった。

木の枝、肥料の袋、空き缶、見たことのない鳥、そしてたくさんの土埃。

向かいの畑の端にある小さな掘立小屋があっという間に飲み込まれ、青いトタン板が黒い線の周りを漫画みたいに回転した。

ばきばきと何かが折れる音や、何かが割れるうるさい音が響いた。

やがて線は黒い渦となり、でたらめなリズムでこっちに近付いてきた。

わたしは直感した。あの渦は、わたしを飲み込もうとしている。

大急ぎでサンダルを履き、わたしはおばあちゃんの家に向かって一目散に駆け出した。

さまざまなものを巻き込んで回転する巨大な黒い渦が、轟音を響かせわたしを追ってくる。

サンダルが脱げないように、足の親指を力いっぱい曲げて必死に走った。

原っぱを出て用水路沿いの畦道を走り、ビニールハウスの手前で曲がって、あとは畑の中を延々と突っ切った。

列になって盛り上がった土にわたしの足の形の小さなくぼみができた。

何かの種が撒いてあったら踏んでしまってごめんなさい、と思った。

でも助かるにはそこを走るしかなかった。

ごめんなさい、おばあちゃん、ごめんなさい。

思っていただけじゃなく本当に口に出ていたので自分でもびっくりした。

どうにかおばあちゃんちの門まで辿り着き、庭の敷石を飛び越え玄関の扉を開けて廊下に駆け上がった。

助けて。

わたしの叫び声は家の中をきれいに一周して、くすんだ廊下にぽとりと落ちた。

誰もいなかった。

居間にも、和室にも、台所にも誰もいなかった。

はあ、はあ、というわたしの呼吸音しか聞こえない。

わたしは縁側の窓から恐る恐る外を見た。

黒い渦はいつの間にか消えていて、さっきまで寝転がっていた原っぱにトタンや木の枝が落ちて突き刺さっているのが見えた。

その時、8畳間の柱時計がぼーん、ぼーん、ぼーん、と3回鳴った。

そうだ、私の両親は冷や麦を買い行く、と先程おばあちゃんを連れて車で出かけたんだった。

思い出したら、今この家で一人ぽっちだという事実が突然わたしに襲い掛かった。

よそのうちの匂いをまとった動けなくなるほどの怖さと寂しさが天井から降りてきて、わたしをがんじがらめにした。

静けさがいやでいやでたまらなくなって、自分の泣き声でここを静かじゃない場面に変えようと思った。

でも、なぜか泣き方が分からなかった。

このまま分からなければ2学期からは男子に泣き虫とからかわれずに済むかな、と少しだけ思った。

家の中の静けさは、さっきのうるさい風の音よりも怖かった。

わたしは縁側の床に座り込み、両手で耳をふさいだ。

静かなことを耳に分からせないように、何でもいいから声を出そうと思った。

似てなくてもいいから、蝉の声や車の音や電車の音や遮断機の音を口真似しようと思った。

帰りたい、と思った。

その時、本物の車の音がした。

風の音はもう聞こえない。

プールの中で聞く先生のホイッスルみたいな鳥の啼き声が庭の方から聞こえる。

ただいまあ。

スーパーの袋をたくさん下げて、お母さんとお父さんとお婆ちゃんが玄関から入ってきた。

出迎えたわたしを、サンダルの脱ぎ方が行儀悪い、とお母さんは怒った。

見るとわたしのサンダルが玄関の三和土の遠くの方で裏返っていた。

あんな距離をわたし、ジャンプしたんだ。

体育の走り幅跳びの時みたいに誰かが計ってくれたらいいのに、と思った。

わたしは、今度は逆に玄関からジャンプしてサンダルを履いた。

黒い渦のことは誰にも話したくないと思った。

話してはいけない、と思った。

その代わり次に体育で走り幅跳びをする時、それを思い出してジャンプしよう、と決めた。

どこ行くの、これからみんなで冷や麦食べるのよ。

お母さんはまだ怒っているような言い方だった。

帽子を探してくるだけだから、私は言って外に出た。

ちょっと待ちなさい。

見上げると、白い雲が秘密を共有したようなすまし顔でゆっくりと流れていた。

いつの間にか蝉がまた鳴き始めている。

庭に出て、敷石の上をぴょんぴょんと飛んで振り返ったら、縁側から原っぱを指差して何か叫んでいるお母さんが見えた。






                        Daisuke Iwatsuki 2020






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