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鮮やかに

 翌朝登校するときに小夏とすれ違った。互いに言葉は交わさない。クラスメートたちは彰人と小夏が週末に遊んでいることなど夢にも思わないだろう。

 校門の挨拶運動に新一年生が加わって初々しい。それもゴールデンウィークが終わればあか抜ける。

 教室ではホームルームが始まる前の僅かな時間でも、気の置けない仲間同士がコロニーを形成してお喋りをしている。男子は教室の後ろ、ロッカーの前でブレイクダンスの真似事をする。

 彰人は自分の席に座る前に小夏を見た。数人の女の子と窓際で語らっている。小夏が大袈裟な身振りをすると、グループに笑顔が弾けた。

 机のなかに手を入れると、堅い感触を指の腹に感じた。小夏に貸したノートだった。いびつに膨らむノートを開くと数粒のチョコレートが入っていた。ささやかなお礼代わりだろう。

「おい、それうまそうじゃん」

 後ろの席の男子がノートの上のチョコレートを素早くかすめた。

「それは駄目!」

 クラスメートたちは一斉に彰人を見る。いつも一言も話さない彰人の大声は、教室内に轟く霹靂と例えても過言ではなかった。彰人はチョコレートを奪い返すと机に臥せた。

 やってしまった。また目立ってしまった。彰人の心臓は鼓動を早める。

「驚いた。お菓子くらいで怒るなよ」

 後ろの席の男子が呟くと、丁度チャイムが鳴って教師がやって来た。全員が着席し、元の平穏なクラスに戻った。少なくとも彰人はそう信じていた。

「せんせー学校にお菓子持ってきてる子がいます」

 全身が強ばる。それだけではないクラスの視線が彰人の方へ向けられている気がする。周りを直視できない。

「飲食物の持ち込みは校則で禁止されている。全員机と鞄の中身を出しなさい」

 いつの時代の教育方針なのか、彰人は理不尽に思う。教師が巡回を始めた。彰人は腹をくくってノートを開く。目をきつく閉じた。もうお仕舞いだ。

「おい、お前廊下に出ろ」

 声のする方を見ると、髪の毛をワックスで剣山のようにかき揚げた前列の男子生徒は鞄をひったくられ、教師と共に教室を出た。ざわつく室内。咄嗟に彰人はチョコレートを口に入れた。

 食べてしまえば、証拠は残らない。銀の包装紙だって、いつから入っているのか教師は判別不能だ。詰問されたらいつの間にか紛れていたと言い逃れよう。お菓子そのものがなければきっと罰則にあたらない。

「あいつどうして連れていかれたんだろうな」

「さあね、大人の雑誌でも出たんじゃねえの」

 誰かが噂している。真偽は不明だが、髪の逆立った子のお陰で命拾いした。それにしても後ろの席の男子は厄介者だと彰人は辟易した。


 放課後いつもの公園で小夏と待ち合わせた。髪を二つに結わえた小夏が申し訳なさそうに手を合わせる。

「ごめん、私のせいで。ちょっとした災難だったよね」

「結果としてばれなくて済んだし、チョコレートも美味しかった」

 公園を出て電車で三駅離れた街に向かう。有名なタピオカドリンクのお店が目当てだ。道すがら小夏が洒落たゼネラルストアに足を止めた。

「ねえ、ちょっと見ていこうよ。可愛い雑貨があるよ」

 オリエンタルな雰囲気に彰人も心惹かれた。木調で整った店内は優雅な香が燻っている。客は彰人と小夏だけだった。

「怪しい店かもね」

 小鼻を膨らませておどけてみせる小夏。彰人はまんざらでもなかった。牙を顕にした木彫りの仮面や、乾燥させた唐辛子を数珠繋ぎにしたものなど、用途も価格も判然としない商品で溢れている。

 店の奥には胸まで伸びた白髪をしだらせた作務衣姿の老人が安楽椅子に腰を落ち着けていた。彼の足元にすり寄る黒い猫は黄色い目をしていた。

 帰ろうか、と彰人が言いかけたとき老人の足元で猫が鳴いた。

「お客さんかあ」

 老人は目をつむったまま呟いた。

「お茶をお出ししなあくちゃね」

 安楽椅子が揺れる。小夏と視線を交わす。壁掛け時計が午後五時を知らせた。老人は音もなく店のさらに奥、簾で隠された内部へと姿を消した。

 店を出るなら今のうちだ。小夏は金縛りにあったように動かない。彰人の両足も固まっている。逡巡していると、再び老人が現れた。

 手にはソーサーとカップを載せたお盆を抱えている。戸棚から茶葉の入った缶を探している。

「疲れてしまうよお。座りなあさい」

 奇抜なイントネーションと、ゆったりとした口調とは打って変わって、お茶を準備する所作は無駄がない。

 差し出された薄く真っ白で上等なカップには、サファイアのような美しい青色の液体が注がれていた。明らかに小夏が尻込みしている様子が彰人の目の端が捉えた。

「どうぞお召し上がりなあさい」

 白髪の老人はにこやかに微笑む。相変わらず目は閉じられている。彰人は彼の笑顔に純真無垢な赤子の影を重ねた。悪い人ではなさそうだ。なぜそう思ったのか分からない。彰人は直感を信じるタイプだ。

「待ってよ彰人!」

 制止されても構わず喉に流し入れた。覚悟していた珍味の想像を裏切られる花の薫る紅茶の味だ。もう一口含もうとすると今度は老人が彰人を遮った。

 手を止めた彰人のカップに老人が素早くレモンの欠片を搾る。青い液の界面に果汁が到達する。カップの中心からスローモーションに同心円で広がる桃色は、新学期の窓辺から見えた川に注ぐ桜吹雪を彰人に思い起こさせた。

「わあ綺麗」

 引き留めるために彰人の肩に置いた手を外すのを忘れて、小夏も彰人と同様にカップの中で起きた魔法のような変化に魅了されていた。

「マロウブルー、五百八十円だあからね」

 驚いた二人は老人から目が離せない。老人が彰人の顔を見て笑う。

「冗談ですからあ。心配せずにお飲みなさい」

 狐に化かされたような浮遊感を味わいつつも、二人はマロウブルーに舌鼓を打った。

「君たちはあ、学生さんかあ」

「そうです。私たち中学生です」

「若いねえ」

 すっかり小夏は老人と打ち解けている。

「おじいさん、ここはタピオカドリンクって売ってないわけ?」

「タピオカは置いてないねえ。ごめんなあさい」

「そっか残念。彰人そろそろ行こうか、人気店だから混むし」

 急に話を振られた彰人は曖昧に頷いた。

「ご馳走さまでした。お茶美味しかったです」

 老人は安楽椅子を揺らして彰人の礼に応えたようだ。表に出ると俄に人通りが増えている。

「そう言えばどこにいったんだろうね」

「何が?」

「おじいさんの足元で寝そべっていた猫」

「猫なんていたんだ。私は気がつかなかったな」

 首を傾げる小夏の背後で人波が移ろう。急がなくては、目当ての期間限定タピオカドリンクが彰人を呼んでいる。二人は混雑する目の前の交差点を早足に歩き始めた。

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