生まれてはじめて
旅は始まったのですが、ここに来て話が少し進んで二歩下がる……
2日目に通ったモリスバッグとフランセの境の川は予想より大きく、美しかった。周囲の家並みは、ジョゼフの家の様に土壁で、レンガの青が美しい。
木造の橋はアーチ型になっており、増水に備えているらしいが、周りの景色と相まって壮観で素晴らしかった。
メサジという川は魚も良く採れるし、この辺りの村民には無くてはならない川で生活用水としても重要なんだと、教えてくれる。
澄んだ川の水を見ていると心が洗われた。
昼ごはんはここで食べましょう、とハンスが馬車を止めてくれた時、私は体のポキポキいう音が皆んなに聞こえるかと思って冷や汗が出た。
馬車の旅は、車より当たり前だが快適では無かった。
揺れるし、お尻のクッションも完璧ではない。
でも、初めて見るこの世界の景色が美しすぎて、私は窓から何度も身を乗り出す。
初日はジョゼフも慌ててウエストのリボンを掴んで引っ張っていたが、既に昼頃からは腰に手を回して私を支えてくれる様になった。
スキンシップにドキドキもするが、慣れるものだ……
密室の馬車の中で私たちは自然に手も繋ぐ様になったし、眠たいときはもたれ掛かる様になったのだ。
日本の友達たちに報告したいくらい、私たちは進展している。
もう結婚してるんだけどね……
食事は途中通過した町の路面店で買った。お弁当屋さんにはカラフルな飲み物も置いてあり、見ていて楽しい。
ハンスたちが勧めてくれたご飯はクリネック。マイの粉で作ったお食事風クレープなもので具材によって腹持ちが変わるのだそう。
マイの粉は恐らく小麦に近いと思う。
クリネックは薄く生地を焼き、肉やハムと野菜を挟んでいる。サイズはピタパンといったところ。
私は鹿肉をローストしたものを頼んでみたのだが、かなり野性味溢れる味だ。クセが半端なくある。
私は1種類頼んだだけだが、ハンスもケインも3つずつ。ジョゼフは4つ頼んでいた。
サンドイッチより噛みごたえありで、私は一個で十分お腹が膨らんだ。
飲み物にはオレンジを絞ってお茶と割ったシアーと言うジュースを頼んでみた。
お茶程さっぱりでは無く、オレンジジュースだと口が甘ったるいなぁ……の間をいってる感じが気に入り、私はジョゼフの分も少し飲んでしまった程だ。因みにジョゼフは、シアーも大きいボトルを2本購入。
そしてコソコソとエールというお酒を買い込んでるのを私は見逃さなかった。
フランセはワインの方が手頃でよく飲まれるが、モリスバッグはエールの方が流通していて、価格も安いらしい。
ケインはお酒が大好きらしくて、こっちに来たら必ずエールを頼む様になるのだそう。
私もお酒は少々イケる口だが、エールは生温いので美味しとは思えない。此処ではビールの様な爽快感は得られないなぁ……と少し寂しくなった。
川沿いに馬車をとめて、皆んなで景色を眺めながらの食事は楽しい。
しかしふとした瞬間に昨日の宿でのことを思い出す。
*******
昨日はフランセの森を抜け、初めてこの世界の街並みを見ることが出来た。
印象としては素朴な北欧風の家と、せいぜい3階建てのアパートの様な建物。
レンガ、土壁に瓦屋根が多く見られた。
砂利を固めた舗装道路なので当たり前なのだけど、道はけしてなだらかとは言い難い。
馬車は時にはガタガタと大きく揺れ、私のお尻も夕方には悲鳴をあげそうになる。
漸く宿町に着いたと、薄明かりが灯る大通りで馬車を降ろされた。
宿町には沢山の店が軒を並べて、飲食店も騒めきを見せている。
夕食は宿でも取れるが、外で食べても良いなぁ……とジョゼフが呟いた。
しかし昨日は、偶々首都へ荷を運ぶ一団とぶつかり、部屋探しは難航した。
ハンスとケインは庶民的な一般の部屋を先に抑えてそこに泊まることになり、問題は私たちとなる。
私は清潔であれば何処でも良いですよ、と言ったが、あまりに庶民なところはジョゼフが困るらしい。部屋の作りのしっかりしたAランク宿を探す事になった。
混んでいるから勿論二部屋は難しい。
最終的に値段は同じくらいの2つの宿が候補に上がる。
ジョゼフは決定権を私に託してくれた。
悩みに悩んで、私は中ランクの宿よりも、お風呂のある1番高ランクの宿をジョゼフに頼んだ。
部屋の広さは中ランクの宿は3倍は広いが、狭くても設備が行きとどいた方が自分たちに都合がいいと考えての上だ。
ジョゼフも私も一人でお風呂に入りたいだろうし、部屋はとても狭いがベッドサイズはダブルくらいある。
ジョゼフは体が大きいからベッドで休んでもらい、私は最悪ソファーで休むつもりだった。
ハンスとケインに宿が取れたので・・・と話をする。一部屋しか取ってないと言えば、二人とも苦笑いしながら明日の集合時刻を指定してきた。
「どうぞご無事で・・・」
ハンスが何故か耳まで真っ赤になっている。
ケインはニヤニヤしながら、ジョゼフを肘でグリグリ突く。
私も良い年齢で耳年増。言いたいことは分かっている。
男女が一部屋に泊まるのに、一晩中しりとりしてた・・・・とか、一晩中ババ抜きしてた・・・
とかにはならないだろう。
所謂、「初夜」はまだだし。
だけど、経験値の浅い私がどうこう出来るとは到底思えず、先ずは手を繋ぐところから・・・・と、いい年した二人が健全で中学生以下のおつき合いから始めている状態だ。
私の勝手な勘だが、この旅行中大きなハプニング迄には発展しない!と踏んでいた。
ジョゼフは私を家に招いてから3ヶ月もたつのに、一度も其れらしき行動をおこしたことは無い。健康的な成人男性なのに。
精神的にもかなり大人で、騎士道精神の鏡とも言える人だ。見た目は子供、体は大人、心は子供・・・の私に合わせてくれているのだろう。
・・・・・やはり経験値の高いレベル999(大人)はちがうなあ。
私は、何故だかギグシャグ歩くジョゼフの後ろをついて行きながらそんな事を考えていた。
不意に宿屋の前で急に大きな声が上がる。
「この盗人め!!!!子供だからとて容赦はせんぞ!!!」
「離せ!!!返したんだから良いだろっ!!!」
「憲兵に突き出してくれるっ!!!」
人垣が出来ているところを少し掻き分け騒ぎの中心を見てみれば、年の頃は10歳くらいの銀髪の少年が、大きな男に襟首を掴まれていた。
正面から見ると、体の大きなその男は太い腕にもう一人女の子を羽交い締めにしている。
年は小学校にあがる前といったところか。
体を宙に浮かせたまま、苦しそうに顔を真っ赤にしていた。
思わず体が勝手に動く。
「やめて!!!」
私は大柄なその男に縋り付くように腕を引っ張る。
男は怪訝な顔し私を見下ろした。
「まだ子供よ!暴力はダメ!!!」
私の剣幕に驚いた表情で女の子を足元に下ろすと逃げないように服を掴む。
「貴族のお嬢さん。コイツらは俺の大事な積荷を盗もうとしたんだ。
見逃すこたぁ出来ねえのよ。」
「りんご2個だろ!!ケチだ!!しかもかえしただろ!!」
銀髪の少年が噛み付くように怒鳴る。
大男は彼の襟首をギュウッと締め上げるように肘をあげる。
おえぇっと少年が身を捩るが男は気にせずに続ける。
「この街では盗みは大罪だ。小さい大きいに関わらずな。」
人垣はいつのまにか膨れ上がり皆、私たちに興を向けているのがわかった。
ジョゼフがいつのまにか私の傍らで静かに手を握ってきていた。
そっと私を後ろに下げると
「ご主人、私がこのリンゴの代金を払う事でおさめてはいただけないだろうか?」
ジャケットに手を入れ、金入れに手を伸ばした。
商人の男はジョゼフの胸元にチラリと視線を向ける。
ジョゼフは金貨を数枚抜くと、これでどうか?というように首をかしげた。
商人は目を細めて嬉しそうに頷くと、子供達の服を掴んでいた手を離し、少年のお尻を膝で軽く蹴る。
「命拾いだな。運のいい坊主」
真っ赤な顔をしていた女の子はへたり込みフウフゥと息を吐く。
私はその手を取るとゆっくりと立たせてあげた。
「寛大な処置をありがとうございます。」
私は女の子の体を真っ直ぐに支えると、深々とお辞儀をした。
商人の男は驚いたように私の姿を見つめる。
今度は少年の手を引くと、自分の横に並ばせる。
ビクッと体を引こうと嫌がる彼をしっかりと掴み
頭を押さえて下げさせた。
『謝りなさい』
耳元で低く、静かな怒りの声を滲ませる。
少年は少し震えるような小さな声で、
「・・・・・ごめん・・な・・さ・い」
と呟いた。
人垣からパラパラと拍手があがる。
次第にそれは大きくなり、
いいぞ!
良かったな!
などのヤジまでとんできた。
商人はニヤニヤ笑いながら、お嬢さん上手くやったなぁと金貨を受け取るとその場を離れていった。
商人の姿が遠くなっていった頃、私も漸く頭をあげる。
呆然と立ち竦む二人の子供に私は話しかけた。
「どうして、リンゴを盗もうとしたの?」
女の子は頬を赤らめて「お腹がすいて・・・」
と答えた。
少年は口を尖らせたまま喋ろうとはしない。
「私たち昨日からご飯食べてなくて、そこの木箱を覗いたらリンゴが有ったから・・・・ついたべたくなって・・・・」
「お母さんたちは知ってるの?」
「私たち、お母さん居ないよ?」
!?!?!?
私がジョゼフを見上げると
「戦争孤児だな。」
そう言いながら少年の頭をグリグリと撫でた。
女の子の名前はターニャ、少年はカーク。小さくて判らなかったが、ターニャは7歳だった。細い手足を見ていると、栄養が足りていないことが容易に想像出来た。
カークは11歳。2人は兄弟では無いが、カークがターニャの世話をもう4年くらいみているらしい。
私はジョゼフに頼み、この子達と一緒に夕食をさせてもらった。
初めは悪態をついていたカークも次第に打ち解け、食堂で炙り鳥の骨に齧り付く頃にはスッカリ打ち解けていた。
カボチャのスープを口端に付けたままターニャもお喋りが饒舌になる。
2人は名ばかりの孤児院に身を寄せているそうで、寝泊まりの場所が有るだけましだと笑っていた。孤児院は管理人という女が1人いるが、大した世話をしてくれるわけでもなく食事はかなりお粗末だ。子供たちは自ら生計を立てなければいけないらしく、いつも何かしら働きに出て行くのだそう。
カークはいつもメサジの川の漁師たちに仕事を分けてもらい日銭を稼ぐそうだが、今年は気候が安定しないせいか川に魚が上がる量が少ないのだそう。
「今はメサジの川が不漁で俺の仕事が上がったりなんだ。」
お腹いっぱい食べさせれなくてごめんな、とターニャの頭を撫でる。
私は寄り添う2人を見ていて涙が出てきそうになった。
「沢山食べなさい。」ジョゼフも優しく芋煮のお皿を前に出した。
ケインたちに2人を孤児院に送り届けてもらうと、私たちは宿の部屋に入った。
お風呂を済ませてベッドの端に座る。
あんな小さな子供達がお腹を空かせているのを目の当たりにして、私の胸は苦しかった。
空腹で盗みをはたらくなんて・・・自分でも思っているより衝撃をうけた。
日本ではテレビやネットニュースで見るばかりで、直接子供のあんな姿を肌身に感じたことはない。
何とかしてあげたかったが、結局はジョゼフにお金で解決してもらった。私は本当に無力だ。
あの時頭を下げながら、自分の不甲斐なさに奥歯を噛み締めていた。
生まれて初めての感情だった。
頭を下げさせることしか出来なかった自分が恥ずかしく、もどかしさに涙が滲んだ。
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風呂から上がると、スイは殊勝にも俺を待っていた。
普段じっくり見ることのない夜着に不意を突かれる・・・・・
・・・・・・・嫁が可愛すぎて死にそう・・・
心臓が早鐘のようだ・・・・
『ジョゼフ・・・・・胸が苦しい・・・・・』
スイが飛んでもないことを告げる。
夜着のサイズが豊満な胸のサイズに合わなかったのだろうか?
それとも俺と同じ気持ちか?!?!
『あんな幼い子供が食事に困っているなんて・・・』
あぁ、優しいスイは先ほどの子供たちを案じていたのか。
「確かに戦争孤児の問題は深刻だな。恐らく街の民からの手助けは中々難しいだろう。ここは戦火の激しかった地区で生活が整ったのも最近だ。」
自国の話をしながら子供達の事を考えるとやはり大人として責を果たせていないことに言い澱む。
日本では国からの補助や民からの寄付で子供は助けられる対象となるのです。
スイは切々と俺にニホンの話をしてくれた。
その国政は素晴らしく整った内容で正直スイにこのような知識が有ったのか・・・と驚いた。
保険制度、教育機関、商人と国との税制の諸々。
どれも興味深く夢のような話だった。
もっと続きが聞きたくなったが、限界が来たのだろう。スイの言葉が途切れ途切れになり瞼が何度も降りるようになった。
ベッドの端にお互い腰掛けていたが、掛布を捲り柔らかなスイの体を横たえる。
「おやすみ・・・スイ」
スゥスゥと寝息を立て始めた妻の額にそっと唇を押し当てた。
小さく細い体に、不思議なほどの知識。
美しく、愛らしい姿に似合わぬ程の勇気を持ち合わせている。
俺はとんでもない宝を手に入れたのかも知れぬ。
寝顔を眺めながら顔に掛かった髪を払おうと手を伸ばすと、クルリッとスイが抱きついた。
布団の中で見えぬが、スイの太腿が俺の足に絡まる感触が走る。
腕は首筋をなぞり、スイの甘やかな呼吸が胸元に当たる。
!!!!!
『NARUT○ -ナル○さまの枕、やっぱサイコォ〜』
これがなくっちゃ……むにゃむにゃ……
多くの戦地を経験した俺はどんな所でも3秒で寝落ちするという特技があった。
しかし、豊満な胸の感触と太腿に走る快感に悶絶しながら、生まれてはじめて眠れぬまま朝を迎えた。