八話
澄んだ蒼みかかった銀髪に真っ赤な瞳をしたその少女は、鈴の音のような声を荒げこちらに詰め寄ってくる。
「こんなに僕の庭を荒らしてって―いくらなんでも荒れすぎじゃないか!?」
崩れた屋根や風化した外壁などを見て少女は心底驚いたような声をあげる。まるで、寝て起きたら一晩で城が崩壊していたかのような反応だ。
「ん?よく見ればアッシュではないか!」
「え?」
そんなことを思っていたら急に声をかけられた。どうやら向こうは私のことを知っているみたいだが、私の方は……記憶の海から彼女を引っ張り出すことはできなかった。
「む、覚えておらぬか?まぁ僕も立派な淑女に成長し、当時とは比べ物にならんくらい気品もあるから―って、酷い怪我ではないか!!大丈夫か!!」
私の左腕に気が付いたのか少女は慌てて駆け寄る。
「ま、まっておれ!ロイターを呼んでくる!絶対に安静にしておるのだぞ!」
「っ!?まてまてまて!今ロイターって言ったか?あの性悪デブのヤブ医者をどうして君が知っている」
ロイター・ポーラは散々世話になったから私の記憶にもある。医者であることも間違いないし、この城で働いていたのも事実だ。しかし、それを目の前の少女が知っているのは非常におかしな話だ。なぜならそれが、200年以上前のことであるということだ。
「?どうしてと言われても?そ、それよりその傷だ!早く何とかしないと、アッシュが!」
服の裾をぎゅっと両手で握りしめ、涙を溜めてうるうるとした瞳でこちらを見上げる。その光景に、見覚えがあった。最早錆びついてしまった記憶の中で、同じように泣きながら裾を握り締める少女の顔だ。
「もしかして…シェリー様、ですか?」
「僕の名前なんて今はどうでもいい!それよりも先に怪我を!」
シェリー・アーデルバルト。この城の城主だった方の一人娘で、彼女が幼い頃に私が何度か遊んであげていたのだ。接した時間があまり長くなかったことと、当時から200年以上経ってしまっていたため、記憶が風化し思い出すのに時間がかかってしまった。
「ああ、この程度の怪我は平気です。それよりも、あまり近づきすぎるとお召し物を汚してしまいます。」
「そんなもの気にするか!」
ふーむ、このままではシェリー様は絶対に引き下がらないな。
「わかりました。傷が治れば良いのですね?」
「うむ!だから早く医者に!」
私は傷口を指でなぞり魔法で作った糸で無理やりくっつける。
「はい、これで治りました。」
「なんだと!?」
本当は中身がズタズタになっているので全く治っていないのだが、シェリー様はこうでもしないと納得しないだろう。ついでにもう身体限界解除等は解除していいだろう。
「さ、さすがアッシュだ。それで」
シェリーは私に背を向け、もう一人の方を見やる。
「僕のアッシュに怪我をさせたのは、君か?」
そこには、片膝をついて頭をさげているアドラーがいた。
別に私はシェリー様のものではないのだが、そのあたりは黙っておこう
「お初にお目にかかります。私はここより東のヴィルヘルム王国に所属しております、悪鬼種のアドラー・グリムガンと申します。」
悪鬼種って三大魔人の一つだろ。道理で強いわけだ。
「ふむ、それで、先程の問いには答えないのか?」
「……彼の者を斬ったのは、私です。」
「そうか。であるならば、死ぬが良い。」
そう言ってシェリーは魔法を行使しようとする。
「ちょっと待て」
「む?どうしたアッシュ。今からこの不届き者に制裁を加えるところなのだが。」
「聞きたいことがあるのです。少し待っていただけないでしょうか。」
「むぅ…アッシュがそう言うなら、そうする。」
心底不服そうに口を尖らせながらも、シェリーは振るおうとしていた力を霧散させる。しかし、アドラーと私の間に立ち、鋭い目つきでアドラーを睨んでいる。
「ありがとうございます。それでアドラー、お前の目的はシェリー様を起こすことだったのか?」
「……ああ、ここに吸血種の最後の生き残りがいると聞いてな。封印解除に長けたやつを連れてこうして来たのだ。」
……あの封印は、そういうものだったのか。
正直なところ、私はこの離れに何が封印されていたのか知らなかった。封印を施した城主、エドガー・アーデルバルトは私に「吸血種の希望が収められている。この世が再び平和になった時、この封印を解いてくれ」とだけ残した。未だ平和とは言い難いが、平穏な森の中ならばと封印を解こうと試みたこともあったが、結局私には解くことができなかった。それ以来、希望を守るためにこの場所を守り続けてきたのだが、まさかシェリーが眠っているとは思いもしなかった。
「それで、起こしたシェリー様をどうするつもりだったんだ?」
「我がヴィルヘルム王国に来てもらいたい。あそこは魔人類たちの唯一の国で、楽園だ。」
「なるほど。だそうですよ、シェリー様。」
「ふん、そんなところ行くわけなかろう。アッシュを傷つけたやつのところなんて死んでもごめんだ。」
腕を組みながらふんっとそっぽを向く。どうやらシェリーの中でアドラーの立ち位置は非常に低いものとなっているらしい。
「かっはっはっは、嫌われてしまったな、将軍殿。」
また新たな声が響く。少し高めの少年のような少女のような声で、そちらを向くと真っ青なフードと外套を羽織った人物がいた。
「すまん、テテ。君が成功してくれたのに、俺の方はどうやら失敗のようだ。」
どうやらアドラーの部下のようで、知らぬ間に入り込まれていたようだ。シェリーが出てきた以上、その封印を解いた人物がいるのは当然であるのだが、先程の反動等々で頭が回っていないようだ。
「まぁ名乗りの時点で彼は守護者と言っていたんだ。そこで事情を説明してればこんなことにはならなかっただろうね。」
「しかしだな。守護者の部分は考慮するべきだったのかもしれないが、7代目と言われては冗談かと思うだろう。」
「たしかにそうだね。230年前真っ先に勇者たちに滅ぼされた吸血種の守護者の7代目が生きているはずないもの。」
守護者。種族の特性で、夜には絶大な力を発揮する吸血種であるが、昼間は非常に弱体化する。その弱体化している時間を守るのが守護者と呼ばれる人間で、必ず新人類から選ばれる。新人類に限定する理由は知らないが、これは歴史の長い吸血種たちが昔から行っていた慣習らしい。ちなみに私は18歳のときに7代目を拝領した。
「それは事実だぞ。アッシュは吸血種の7代目守護者だ。城主エドガー・アーデルバルトが娘、シェリー・アーデルバルトの名の下に証明する。」
「っ!?」
シェリーがそう宣言すると二人は驚きを露わにしたが、そこに疑いの言葉はない。前城主エドガーが亡き今、シェリーが吸血種の正統な統治者であり、その名前に保証された事柄というのは、魔人類にとって疑うことが許されないほどの力を持つのだ。
「別に私は疑られようがどうでもよかったのだが」
「僕のアッシュが疑られたままでいるなんて嫌だからね」
「というわけだ。信じ難いかもしれないが、私は250年ぐらい生きている新人類で、吸血種の7代目守護者だ。」
「おおぅ……色々と突っ込みたいところ満載だね。守護者君、質問していいかな?」
たしかテテといったか?言葉の端から好奇心が見て取れる。学者や探索屋にこういった手合いが多いのだが、まぁどちらでもいいか。
「まぁ私としては構わないが、それに答えるメリットはなんだ?」
正直な話、向こうにも事情があるだろうが、シェリー様を目覚めさせてもらっただけで十分すぎるぐらいだと思っている。しかし、もらえるのならばもらいたいと思うのは人の性ってやつだ。
「いいね、そういうビジネスライクなところ。私としては非常に好感度高めだよ」
「ああそうかい。それで?」
「うむ、君ら二人に利のあるものを提供すると誓おう。」
「わかった。私が答えられる範囲で答えよう。」
「ありがとう。ではまず、新人類の君が250年も生きたカラクリを教えてくれないかい?」
さっそくか。まぁそうだろうとは思っていたが。
「すまないが、それは私にもわからない。」
私はいたって真面目にそう答えるが、テテは首を傾げる。フードを深くかぶっているせいで顔は見えないが、おそらく困惑しているだろう。
「わからない?でも新人類の寿命は長くても80年程度で、魔人類の中でも250年も生きる種はそう多くない。そうなると必ず大きな要因があるはずだが、何か心当たりはないかい?」
「まぁ心当たりに関してはないこともないが、それが直接の原因となっているかは私にもわからないんだ。」
「それは、君のその機械の腕が関係しているのかい?」
「ああ。随分前に死にかける体験を三度ほどしてな。私の身体は、腕だけではなく全身の八割近くが機械で置換されている。」
「っ!?」
それを聞いたシェリーが驚いた表情でこちらを見る。そして数秒後、何かを想像したのか泣きそうになっている。私は無言でその頭を撫で、大丈夫であると伝える。
昔はこうやってよく泣きそうなシェリー様の頭を撫でてたなぁ。
「なるほど。たしかに体の大部分が機械であるのならば、一般的な新人類と同じ道理が働くかどうかは怪しいところだね。しかし」
「ああ、だからといって新人類の肉体部分が250年も劣化しないはずがない。」
「だよねぇ。ちなみに生身の部分に変化はあるのかい?」
「いつから変化しなくなったかはわからないが、この身体になってからは見た目上の変化はないな。生身の部分が直接弱点となり得るから場所は言えんが。」
「まぁ君にも真っ当な子供時代があったということだね。」
「真っ当な子供であったかどうかは肯定できないけどな。」
テテはかっはっはっと豪快に笑う。
「しかし、結果に伴う過程が不明瞭と言うのはすっきりしないね。他に心当たりはないのかい?」
「…残念ながら無いな。」
「ふむ、そうか。」
正直言うともう一つ心当たりがある。しかし、それを言う気にはならなかった。
「ではもう一つだけ質問をさせてもらおうかな。君のその機械の身体について。」
「ああ、構わないが、技術的なことは私にはわからないぞ?」
「承知したよ。でも私が聞きたいのはそう難しい話でなく、その技術が量産できるか(・・・・・・)どうかってことさ。」
個でなく種で見たとき、今の新人類は魔人類と敵対関係にある。そのため、新人類側に私みたいなのが量産されると、ただでさえ数で劣っている魔人類側としてはたまったものではない。
「結論から言うと、私みたいなやつの量産の可能性はまずないだろうな。私―正式名称は魔導機人というらしいのだが、二つの種族と比べて肉体的に劣る新人類の身体能力を向上させるというコンセプトで、考え自体は随分前からあったそうだ。だが、なんか色んな要因で上手くいかなく、ただの机上の空論とされていたそうだ。」
「でも君は成功しているよね?」
「あー、それは私の魔法の性質と属性が関係しているんだ。どう作用しているかは、技術的な話が絡んでくるから上手くは説明できないが、要するに素体の魔法が非常に重要となるらしい。最後にあそこへ行ったとき、私以外の成功例はまだ出ていなかったみたいだしな。」
「なるほど。つまり君みたいな魔法の性質と属性を持つ人間なら、同じようにその魔導機人とやらになれるわけだね?」
「まぁ可能か不可能かで言ったら可能だろう。だが、おそらくそんな奴いないと思うがな。」
「なぜ?」
「理由は二つ。一つは思想的な話だ。今は新人類至上主義みたいな考えが根付いていてな。こんな人間の枠組みを自ら外れる行為は、容認されないってことだな。」
「より能率的なものを目指すことが排斥されるとは、愚かしいな。」
「同意だな。そしてもう一つだが、こっちはいたってシンプルだ。私を機人にしたやつが、超が付くほどの偏屈野郎だったからだ。」
「は?」
「自分の気に入ったやつ以外だと話すら聞かないし、研究成果を誰かに見せるなんてこと、世界が滅んでもない。だから、当時私を機人にした技術はもうないんだ。」
あの爺、結局死ぬまであの偏屈な性格は治らなかったからな。
「まぁ近しい技術の発展はしているから、局所的な機械への置換は行われているかもな。最近私もあそこへは行っていないので、現状がどうなっているかは知らない。」
「そうか、ありがとう。大変貴重な話だった。」
テテは深々と頭を下げる。それに合わせて、未だに地に膝をついているアドラーも頭を下げる。
「では、君たちに提示するメリットの話だが、まず前提としてシェリー様はヴィルヘルム王国に同行はしてもらえないということでよろしいか?」
「うむ、そこは先ほど言った通りだ。しかし、そこの不届き者が気に入らないという理由もあるが、それだけではない。」
そういいシェリーは周りを見回す。崩れた屋根や城、風化し蔦が這っている外壁、雑草が生え荒れてしまった中庭。様々な思い出が巡っているのか、シェリーの目は悲しそうで、そして寂しそうに感じた。
「僕は賢くはないが馬鹿ではない。君らの話や城の状況を見て、吸血種がどのような状況にあるのかは何となく理解した。」
「……申し訳ありません、シェリー様。皆を守るのが私の使命であったにも関わらず、このように私だけ生き延びてしまい。」
「アッシュのせいではない、気にするな。それに、父上の意図もあったのだろう?」
「っ!ご存じで、いたのですか?」
「知ったのは今だ。おそらくそうであろうと判断する材料はあったからの。故に、これから先、そのことの罪悪感に苛まれる必要はない。」
「……ありがとう、ございます。」
「うむ。それで話を戻すが、僕が君らに同行できないのは、君らの王国に不信感などを持っているからというわけではない。むしろ賞賛したいぐらいだ。」
「ありがとうございます。」
シェリーはおそらくテテに言ったつもりなのに、返答をしたのがアドラーだったことに顔を顰める。
アドラー嫌われすぎではないだろうか?
「…魔人類唯一の国。話しぶりからするに他種族を併合した統一国家のようだが、好き勝手やるのが常の魔人類を統合するのは並みの苦労ではない。それは僕の父上も良くこぼしていた。だが、三大魔人と評され、当時最も権威を有していた吸血種ですら成しえなかった偉業を、どう成したのか。考えられるのは二つ。一つは、天才的と称されるほどのカリスマを有した絶対的な統治者が現れた。そしてもう一つは、統一し力を合わせなければ滅んでしまう危機的状況にあるか。」
「………。」
私を含めた三人は押し黙る。
「他にもいくつか考えられるが、吸血種が滅んだ状況を鑑みるに後者の可能性が一番高く、次点で前者だな。」
アドラーとテテは、短い時間と限られた情報からここまでの推測ができることへの驚きにより絶句しているのだろう。しかし、私はそれとはまったく別のことに驚愕していた。
エドガー様が、魔人類の統一?何かの冗談だろうか?あの方に限ってそれは、ありえない。だってあの方は―
「アッシュ?どうかしたのか、怖い顔をして。も、もしかして僕の予想が全然見当違いだったのか!?」
「…申し訳ありません、シェリー様。少し考え事をしていましたので。それで、シェリー様の予想はおそらく当たっていますよ。」
「ホントか!」
「はい。今の情勢はシェリー様が言った通りです。魔人類は、滅びの危機に瀕しています。そして、私もヴィルヘルム王国の成り立ちについて詳しくはありませんが、傑出した者が現れたという話も聞いたことがありません。というわけで、実際はどうなんだ?」
私は二人に話を振る。アドラーは、自分が発言をするとシェリーが不機嫌になるだろうと考えているのか口を噤んだままである。それを見たテテは面白そうに肩をすくめ、口を開く。
「私はヴィルヘルム王国に所属しているわけではないのですが、大体は知っていますのでお話ししましょう。まず、ヴィルヘルム王国と名乗っていますが、この国に王はいません。」
「王国なのにか?」
「はい、正確には建国当時からずっと空席となっています。そして、国の運営は十二の種の長が話し合いで行う合議制となっています。そして今回、吸血種の最後の一人に王国へ来てもらい、ヴィルヘルム王国の王になってもらいたかったそうですよ。」
最初から王位が空席だった王国か。一体当時のやつらは何を思って建国したんだろうな。
「なるほどな。王になるつもりは毛頭ないが、となると尚のこと今行くべきではないな。」
「ほう、それは何故でありましょうか?」
「僕は平和な時代に育ち、今の世界を知らない。」
「……そういうことでありますか。」
テテはシェリーの言いたいことを理解したようで、咀嚼するように何度も頷く。シェリーが生まれたのが、ちょうど魔人類の中で大きな争いが無くなったころで、吸血種にとっては穏やかな時代であった。そして、勇者が城を攻めてくる前には封印されていた。それ故に、シェリーは争いと無縁の日々しか過ごしてこなかったのだ。魔法の使い方、簡単な護身術、剣の握り方ぐらいは知っていても、実際にそれらを活かす場面に遭遇したことはない。そして、今の世界はそういった場面に遭遇することが多い世界だろうと。
「それではシェリー様はこれからどうなさるおつもりで?」
シェリーは血のように赤い瞳を輝かせて、遠くを見つめる。それはどこを見ているのか、どこまで見たいと思っているのか、私には想像もつかなかった。
「世界を見て回ろうと思う。200年以上引きこもっていたのだ。そろそろ外に触れるべきであろう?」
「わかりました、ありがとうございます。よし、では話を戻そうか。守護者君、シェリー様がそういうお考えなのであるのならば、私たちから三つ提示させてもらいますね。一つは君たちの旅の不干渉。このまま帰ったら、まず間違いなく君たちは王国に付きまとわれる。それこそ、頭の出来が悪い種が今日みたいな戦闘をしかけるかもしれないしね。」
ちらりとアドラーを見る。非常にばつの悪そうな顔をし、私に無言で頭を下げてくる。
「たしかにそれは鬱陶しいし、何よりシェリー様に危害が加わる可能性がある。一つ目、宜しく頼む。」
「了解だよ。それで二つ目だけど、世界を見て回る旅には危険の可能性がどうしても付きまとう。だから、優秀な護衛を付けよう。」
「護衛?」
「そう。まぁ彼なんだけど。」
そう言ってアドラーを見やるテテ。
「いらん。」
その瞬間即答するシェリー。
「……まぁそうなるだろうね。それにしても随分と嫌われちゃったね、将軍殿?」
「……うるさい」
「では、二つ目は無しということで。それでは三つ目ですが―」