二話
森に入って半刻ほど歩いたところで、私は近くの木に手を当てる。この森に入ってから何度目になるかわからないほど繰り返してきた行動だが、おかしなことに結果の方で未だ変化はない。
「……ふむ、確かに少し変だな。」
私は再び暖かな木漏れ日が差す馴れ親しんだ森を歩き始める。最近は天気の良い日が続いてるため、足元もしっかりとしているし、空気も程よく乾燥している。そのため、探知の方も良く機能しているはずであるのだが。
「んー、ここの奴らはそんなお行儀の良い奴じゃなかったはずだが、どうにも静かすぎる。」
私は辺りを見回す。青々とした葉がついた木々の枝、風でさわさわとゆらぐ茂み、薄暗い小さな洞窟。しかし、どこもかしこも気配の一つない。いつもであれば常時フィーバータイムみたいな盛況ぶりなのだが、今回は半刻歩いて未だ一匹も見つかっていない。いつもだったら、虎視眈々と隙を伺っているクソ毒ヘビや、ワンワンと煩いアホ群狼、延々と縄張りを周回している痴呆シカなどと出くわすはずであるのだが、今日はとんと反応がない。
「ホントどういうことだ?引っ越しでもしたのか?」
まぁ道中楽できていいんだが、どうにもきな臭いな。何かの前触れでなければいいが…
私は周りの木々や地面を注意深く観察し、なにか異変の痕跡となるものがないかを探す。
「ん、これは…」
つぶさに辺りを観察しながらしばらく歩いていると、どうにも気になるものを発見した。それは、踏み折られた枝と押し分けられた跡の残る茂み。明らかに何かが通った跡である。
「このサイズ、狼ではない。鹿は茂みを通らないし、猪はこんなあからさまな痕跡を残したがらない。となると、、、」
私はポリポリと頭を掻き、溜息を吐く。まぁとりあえず、見つかったのならこれを辿るとしますか。
「はぁ、一番嫌な予想が的中ってか?」
私はしゃがみこんでそれを見つめながら溜息をつく。先ほどの痕跡を一応辿り、その先に特に何もなければ再び散策に移ろうとしていたのだが、その道中で複数のフォレストボアらしき足跡も発見していたため、そのまま追跡を継続。しばらく進んで、少しひらけた場所に出たところでそれを見つけた、
「今どきのフォレストボアは焚火をしたりしてくれねぇかな?」
そう、焚火の跡である。しかも、煤けた枝と灰はまだ結構な量残っており、火が消えてからそれほど長い時間が経っているわけではなさそうだ。
「知性のある個体への進化か。それとも、この森に入るなんて馬鹿な真似をする(・・・・・・・・・・・・・・・・・)外の人間がいるかのどちらか、かな。」
先ほどの戯言にも漏れたように、私としては是非とも後者であってほしくないのだが、流石に前者を期待するのは無理がある。
「はぁ、これが森の異変の原因だとしたら面倒なことこの上ないな。」
私は背中の矢筒から矢を一本取り出し、焚火の付近に突き刺す。そして腰に差した剣を少しだけ抜き、刃に指を押し当てる。
「とりあえず目印だけ…」
私は膝をつき、突き刺した矢に流れる血を垂らす。矢羽に落ちた真っ赤な血が、一つのしみをつくり、それを確認してから私は立ち上がる。
「さぁて、行きますか」
あれからまた半刻ほど森の中を歩き回った結果、ようやく見つけた。
私は茂みに身を隠して、息を殺し、数十メートル先を歩く獣を伺う。荒い鼻息を吹かし、長く鋭い牙をぎらつかせている、やたら殺気立ったフォレストボアの群れを発見した。
うーむ、数は四体。番が二組か、はたまた別か。さてはて、どうしたもんか。
私はフォレストボアの周りを見回し、あいつらが殺気立つ原因を探す。しかし、いくら注意深く辺りを観察しても、特に目立った異変も確認できない。
にしても見たことないぐらい殺気立ってるな。番いが産気付いていたとしてもこうはならんぞ?
私は原因が気になり、そのまま少し観察を続けることにした。場所は茂みから木の上へと移動し、より広範囲を観察できる位置取りをした。幹の太く葉の多い木を選び、一足で木の枝に飛び乗る。衝撃をしっかりと逃がして音を立てず無事に着地をする。
「ん?」
そうして移動した頑丈そうな木の枝で変なものを見つけた。枝の上部にミミズがのたうち回ったような黒い焦げ目のようなものがついていたのだ。その周りには一切の焦げ目はなく、綺麗にその部分だけが焦げていた。まるで枝の上部に潜んでいた蛇が一瞬で燃やされて焼き付けられたかのように
「……原因はこいつか」
あのクソ蛇の感知能力の高さは私がよく知っている。それが気づく前に、周りの可燃物に延焼しない制御を行なった上で、なす術なく一瞬で燃やし尽くされているのだ。つまり、これを為した相手は尋常じゃないほど練度が高く、厄介な性質を持った手合いということだ。
私は暫くその場で思考を巡らせ、結果物音を立てずにゆっくりと矢を引き抜き、弓に矢をつがえる。腕に力を籠めて弦を引き絞り、目を細めて獲物に狙いを定め、すっと息を止める。現状、相手の狙いが分からない。この森に入る(・・・・・・)という愚行を犯している時点で、碌なやつではないことは確かなのだが、いきなり武力行使というもの知性に欠ける。故に、侵入者にはまず話し合いをするという方針で行こうと決めた。そうなると残っているのは、眼下で触るもの皆傷つけそうな状態のフォレストボアたちだけとなる。村の人間がもしも出くわしたら間違いなく危険である。
「……びゅーてほー」
ひゅんっと静かな風切り音とともに、放たれた矢はフォレストボアの眉間に吸い込まれるように突き刺さる。短い断末魔をあげ、その巨体が轟音を響かせて倒れる。
「■■■■■■■■■■■■っ!!」
仲間がやられたことで、周りにいた三体が唾を振り乱しながら雄たけびをあげる。そして周りを見回し、自分らの仲間を殺した敵を探しているようだった。
「すまないな、安らかに眠ってくれ」
私は放った矢に着けられた糸を掴み、体内で力を練る。そして、その力を一気に開放する。
「咲け。」
耳をつんざくような轟音が鳴り響き、フォレストボアに突き刺さった矢を中心に青白い雷の花が咲く。その花の開花に巻き込まれた三体の獣は、断末魔をあげる間もなく黒焦げになる。
「………。」
私は木の上から降りて、四体の躯となったそれに手を合わせる。しばらくそうした後、腰につるしてある小ぶりなナイフを抜き、黒焦げになった一体を手早く解体する。雷で仕留めると毛皮や肉の一部が焼けてしまう上に音も大きいので、本来の狩りであれば使うことはないのだが、今回はいくつかの要因により使用した。
「……やっぱりか。」
解体をしながらフォレストボアの体内を調べていたのだが、脳の方に僅かばかりの魔法の痕跡が見受けられた。どのような魔法なのかは私には判別がつかないが、蛇を焼き殺したやつとフォレストボアの脳に干渉したやつの、少なくとも二人以上の侵入者がいることが判明したのは大きいだろう。
「しかし、なんでまたこんな魔法を使ったんだ?」
侵入者たちの意図を考えながら、牙も肉も骨も素材として村の糧になるフォレストボアを回収できるだけ回収する。
あの後、しばらく森を散策したが何も見つけることができなかった。一応警報器代わりのものを張り巡らせてきたのだが、未だ反応はない。
「ただいまーっと。あー、重かった。」
私は自宅の脇に二体のフォレストボアの死体を投げ捨てる。その場で解体してしまった一体と損傷の激しい一体は森に埋葬し、残りの二体はこうして持ち帰ってきたのだ。とりあえず自宅の甕で服と体に付いた血を洗い、弓と矢筒を部屋に立てかける。
「よしっ、ようやくさっぱりしたわ。」
ようやくべたべたした血の感触と獣臭さから解放され、今の私は非常に心地が良い。
「さて、とりあえず報告はさっさとしておこう。まずはミリア女史だな。」
今はまだ夕刻前、それじゃ向かう先は寺子屋のほうかな
そう思い、私は村の北西に歩を向ける。
「んー、どうやって報告しようかねぇ。素直に森に入った侵入者がいると言ってもいいが、それはそれで色々と面倒なことになりそうだしな。道中考えるつもりが、フォレストボアが重すぎてそれどころじゃなかったし、うちから寺子屋までそんな距離があるわけでもねぇし……まいったねぇ」
そんなことをつらつらと考えている間に、気が付いたらもう着いていた。
「……やべぇ、本気でノープランだ。」
中からミリア女史の声だけが聞こえる。どうやらまだ授業中であるみたいだけど、中入って静かに待たせてもらおうかな。
私はそっと扉を開き、気配を消してそっと教室の隅に座る。
さ、ミリア女史の授業を聞きながら言い訳でも考えますか。