落ちた花
息すら凍り付きそうな寒い冬の日、私の初恋は終わった。
周りが思春期病で騒いでいる中、クラスに馴染めないでいた私も静かにそれに罹っている。忘花病、それが私の病名だ。こめかみ付近に咲いた花が記憶を吸い取ってしまうんだという、死に至ったり完全な記憶喪失になることはないが大切な記憶だけを吸い取ってしまうんだとか。ひと月もすれば取れるらしいが……。
私は忘れたくない記憶を毎日ノートに書いている、大切であろう記憶を片っ端から。忘れたくない、そんな一心で。家族のことや少なくはあるが友人のこと、それから……恋のこと。
クラスに馴染めないどころかいじめられていた私を助けてくれた。そんな太陽みたいな彼が大好きだった。彼はクラスでも人気者で、最近は虚構花吐病に罹った友人にちょっかいを出しているのを見かけた。そんなちょっとした事でさえも愛おしくて、私の胸はきゅっと締め付けられるのだ。
でも最近はノートの存在すら覚えているのが困難になってきて、私は部屋の中の目につくところに『大切ノート』と書いて貼っておくことにした。ノートは必ず部屋の机の上に。
そんな時だった、彼らがお付き合いをしていることを知ったのは。
見てしまったのだ。彼らが抱き合っているところを、キスをしているところを。幸せそうな二人を見て、私はただ隠れる事しかできなかった。
家に帰って部屋に入るとぽろぽろと涙がこぼれてくる。嫌になった、男同士でなんて、と一瞬でも思ってしまった自分が。そんなのただの負け惜しみだ。何の行動も起こさなかった私が彼らを責められるわけがない。ただただ泣くことしかできなかった。泣いて、泣いて、散々泣いた私は彼に告白しようと決めた。このまま忘れたくないのだ、私の初恋を。何もしないまま、今まで通りのまま、終わりにしたくないのだ。
次の日私は彼を人気のない教室に呼びだした。外は雪が降っていて、窓ガラスが凍り付くほど寒い。そんな中彼は来てくれた。
扉の向こうにはもう一人、多分彼の恋人であろう気配がしたが私はもう決めたのだ。嫌な奴でもいい、自己満足でもいい。忘れる前にせめて伝えるだけでもしたかった。
「ずっと前から好きでした。貴方の優しいところに私は凄く救われました、私は病気で大切なことを忘れてしまうのでその前に伝えたかったんです」
「外にいる彼と付き合っているのは知っています。それでも好きです、好きなんです。……私と、お付き合いしてもらえませんか」
俯きそうになるのをこらえてじっと彼を見た。答えはもう分かっているのに、私はずるい。こんな状況で少しでも彼の記憶に残りたいだなんて。私は今のこの気持ちをきっと忘れてしまうのに。
『……ごめん。君の気持ちには応えられない』
ああ、やっぱり。
『好きなんだ、彼が。普通じゃないって分かってるけど、でも、それでも大切にしていきたいんだ』
『だから、ごめん』
彼も私をしっかり見つめてそう言った。それだけで泣きそうなくらい嬉しかった私はきっともう駄目だ。彼の視線の先に私がいる、それだけでも告白して良かった、そう思った。
「ううん、分かってました。彼のこと、大切にしてあげてください」
「今日は来てくれてありがとうございました。嬉しかったです、さようなら」
泣く前にと私は教室を後にする。扉の外にいた彼にもぺこりとお辞儀をして、私は走って帰路についた。
外に出るころには私は泣いていた。マフラーで顔を隠して私は走る。走って走って家に帰る頃には涙はもう止まっていて、妙にすっきりした気持ちだけが残っている。忘れる前に、と私は大切ノートに今日の出来事を書き込んでノートをそっと本棚にしまった。至る所に貼っていたメモもぺりぺりとはがしていく。忘れたかったのかもしれない、彼を好きになる前に戻ってみたかったのかもしれない、でもそんな私の気持ちとは裏腹に私に咲いた花はぽとりと落ちた。
「あはは……、忘れるなってことかな」
足元に落ちた花を見て私はまた少しだけ泣いた。