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悪党は満足して瞳を閉じる

 俺が別れを告げたとき、アマンダは黙って頷いた。いつもの通り、俯いたまま、落ち着かないようすで指先を擦り合わせていた。


 俺は戸惑っていた。ようやく、俺と離れられるんだ。アマンダはもっと喜ぶかと思った。俺の紹介だから、信用できないってことか?

 そう考えると、虚しくなる。そんな資格は無いってことは、わかっていても。


 俺はアマンダを心ある仲介人に引き合わせた。仲介人は、アマンダの為に新しい人生を用意すると約束してくれた。博愛と奉仕の精神、正義感と慈悲の心を持ち合わせたナイス・ガイだ。疑り深いこの俺が、この人ならば信用できると見込んだ男だ。アマンダも納得してくれたように思う。仲介人と話すと、表情が柔らかく和んで、見違えるほどだった。


 仲介人といったんわかれ、二人で過ごす最後の夜。アマンダは癇癪を起こした。これまでで、最も激しい癇癪だった。アマンダはナイフを持ち出した。


 殺されると思った。それも良いと思った。すぐに我にかえって、思い直したが。アマンダの手を、悪党の薄汚い血で汚すわけにはいかない。この子は明るい未来を生きていくんだから。


 そう言ってナイフを取り上げると、アマンダはその場にへたりこんだ。近づこうとすると、長い髪を振り乱して叫んだ。


「なんなの。なんなんだよ、あんた! 本当、あんたって……気持ち悪い! やることなすこと、ぜんぶ、ぜんぶ! 気持ち悪いんだよ! なんで、姉さんはあんたなんかに……あんたが死ねば良かったんだ。死ねよ、死んじゃえよ、あんたみたいな偽善者、生きてる価値ない! 死ね死ね死ね、ものすごく苦しんで、ものすごく痛がって、死んじゃえばいいんだ、あんたなんか!」


 アマンダは泣いた。俺はただ、その場に立ち尽くしていた。ジャケットのポケットに詰め込んだ飴玉が、ボロボロと床に落ちた。


 次の日。仲介人がアマンダを迎えに来た。俺は彼を、扉の前で迎えた。痣と切り傷に埋もれた俺の顔を見て、怪訝そうに顔をしかめる仲介人を待たせておいて、俺は大急ぎで部屋を片付けた。


 アマンダは窓辺で膝を抱えて大人しくしていたが、俺が彼女の足元に散らばった飴玉を拾おうすると、猛犬みたいに俺を睨んで唸った。

 仕方がない。片付けは諦めて、仲介人を招き入れた。


 仲介人は部屋の隅で小さくなるアマンダの前で膝をつき、視線の高さを合わせた。にっこりと感じの良い笑顔を浮かべた仲介人の差し出す手に、アマンダはその手を重ねた。


 アマンダは去った。俺は二人の背中が見えなくなるまで見送った。アマンダは一度も振り返らなかった。


 ひとり、モーテルの部屋に戻った俺は、部屋を見回した。はて、と首をかしげて、ダストボックスを引っくり返す。アマンダがはなをかんだ紙屑が床に散乱する。その他には、何もない。


 しばし放心した後、俺はマッチを擦り、火を点ける。赤く昇る陽炎の中に、見たこともない、アマンダの笑顔を思い描いた。やけにリアルだ。にやけちまう。


 窓辺に立ち、煙草をくわえる。薄暗い室内に、小さな火が灯もる。役目を終えた火は、さり気ない一振りで、呆気なく消え失せた。


 茜色の空をゆっくりと流れる浮雲を見上げ、俺は溜息のように紫煙を吐きだす。


 ガキの頃。親父の留守に、俺は適当な理由をつけて、末の弟がいるガレージへ立ち寄ることがあった。探し物をする合間に、あいつの隣に腰をおろして、一服することもあった。煙で輪をつくって見せれば、あいつは目を輝かせて手を伸ばしていた。まるで、雲を掴もうとするみたいに。


 俺は空へ手を伸ばした。短い手は空高く流れる雲には決して届かない。さっきまでそこにあった紫煙さえ、手の届かないたかみへ昇ってしまった。


 残酷な伯爵は、今頃、笑っているだろう。俺を捕えたあとの、めくるめく残酷な拷問と処刑に想いを馳せて。同僚達は呆れているだろう。奴隷を盗み出すなんて、狂気の沙汰だ。まともじゃない。 


 俺はおかしくなった。だからこそ、血に飢えた伯爵との追いかけっこをやってのけたんだ。アマンダを送り出したら、気が抜けちまった。神経を極限まですり減らしてきた。もうまっ平らだ。頭がぼうっとする。


 背中を窓に擦り付けて、床に座り込む。ベルトにさした、抜き身のナイフを引き抜いた。手にとって、まじまじと眺める。


 どうする? 死ぬなら今しかない。今死ねば、苦痛は少ないぞ。   


 俺は悩んだ。悩んで悩み抜いて、ナイフを空っぽのダストボックスに放り込んだ。


 逃げるな。せめて、最期くらい。もしも死後の世界があったとしたら、どうだ。ここで逃げたら、あいつにあわせる顔がないだろう。


 俺みたいな悪党は、苦しんで痛がって、死ななくちゃ、おさまりがつねぇんだからよ。


 それにしても、驚いた。俺は博愛主義者じゃない。もしそうだとしたら、いくら金が欲しくたって、あんな狂ったシャトーで、働けやしない。


 どうしても、放っておけなかった。あんなところで、死なせたくなかった。逃がしたかった。


 なぁ、アマンダ。幸せになってくれ。

 君が自由になれたら、幸せになれたら。俺は死んでも、希望が残る。このがらんどうの胸に火がともる。灰になったこの体は、その温もりに寄り添って、どんなに苦しんでも、安らかに逝けると思うんだ。

 とどのつまり、君の言う通りだよ。俺の自己満足に付き合わせて、悪かったな。


 俺は空を見上げた。太陽は地平線の向こう側へ去り、夜の帳が下りる。


 ドアが叩かれた。聞き覚えのある怒鳴り声がした。包囲されたようだ。逃げ場は無い。


 膝が震える。歯の根が合わない。まだ始まってもきないうちから、俺はガタガタになっている。いざ伯爵のお遊びが始まったら、どうなることやら。


 アマンダ、君の姉さんは本当にすごいな。こんな恐怖に揉みくちゃにされながら、毅然としていられるなんて。本当、スペシャルだよ。


 俺はダメだ。もう既に、後悔している。たぶん無様に許しを乞うだろう。君の姉さんのようにはいかない。君を逆恨みするかも。


 俺は笑った。


 あり得る。なんといってもこの俺は、身の程知らずの呆れた小悪党だ。


 それでもいい。俺の心がポッキリ折れても、アマンダは大丈夫だ。俺は何も知らない。俺が知っている程度の情報がもれたところで、なんてことはないよう、仲介人が万事取り計らってくれた。


 もちろん、見苦しくなく死ねたらそれに越したことはないんだが、そうは問屋が卸さない。伯爵の残酷さも、俺の小物ぶりも、俺はよく知っている。


 俺らしくて良いさ。俺はヒーローにはなれない。血迷っただけの小悪党だ。


 扉が蹴破られる。俺は瞳を閉じる。


 瞼の裏に浮かんだのは、飴玉を頬張るアマンダの顔。その表情は、笑っているように見えた。

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