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悪党はヒーローになりたい 

『奴隷は主人の快楽に仕え、欲望を解消する為に存在する』


 それが、伯爵が定めた絶対のルールだ。奴隷は主人に最大限の敬意を払わなければならず、不服従は許されない。口答えも反抗もダメ。主人に意見するなんて、それもよりによって、伯爵に要求するなんて、もってのほかだ。


 伯爵が目を伏せる。くるりと上を向いた長い睫が、瞳に影を落とす。彼の頭髪はプラチナブロンドだが、眉と睫は瞳と同じブラウンだ。眉墨要らずのマスカラ要らず。ぬけるように白い肌には、ファンデーションも要らないだろう。本当、善良な巨乳美女に生まれ変わってくれ。


 出し抜けに、伯爵が手を叩いた。ひき綱を引かれるように、皆が伯爵に注目する。蕩けるような微笑に、俺の骨格がドロドロに蕩けて、くずれおちそうになる。


「麗しき姉妹愛に胸を打たれた。もし、それが本当ならば、こんなに素晴らしいことはない。ほ、ん、と、う、な、ら」


 伯爵の笑顔は眩しいくらいだ。俺は卒倒しそうだった。伯爵には近寄りたくないと、常日頃から思っているが、こう言うときの伯爵とは、おなじ空気を吸うのも耐え難いと思う。


 裸に剥かれて、吊るされた少女の細い足は、生まれたてのバンビみたいに震えていた。怖いもの知らずって訳じゃないらしい。怯えながら、それでも、唖然とする妹に微笑みかけた。


「大丈夫。大丈夫よ、アマンダ。姉さんが守ってあげるからね」


 妹が……アマンダが、目を見開いた。か細い声で姉を呼ぶ。みるみるうちに瞳が潤み、大粒の涙が窶れた頬を伝った。

 アマンダは姉のもとへ駆けつけようとした。屈強な男に押さえ付けられても、諦めず、アマンダは足掻いた。泣き叫び、姉へと手を伸ばす。大の男が小さな女の子に手を焼いている。それだけ、必死だった。


 伯爵は、アマンダにギャグを噛ませるよう、俺に命じた。三度、同じ命令を繰り返されて、俺はやっと気が付いた。わたわたと用意をして、アマンダのもとへ駆け寄る。慌てて、不用意に手を伸ばすと、親指の付け根に、思いっきり噛みつかれた。甲高い声が、俺を罵る。


「この悪党! 姉さんに酷いことをしたら、許さないから!」


 俺はアマンダにギャグを噛ませた。突き刺さる言葉を封じても、突き刺さる視線は遮れない。


 俺を傍に呼び戻すと、伯爵は姉の方を向いた。

 始める前に、気が変わればいつでも言うように、と言った。


「無理強いはしない。お前は本当の痛みを知らないようだから」


 伯爵は明らかに、姉の翻心に期待していた。妹なんかどうでも良いから、一思いに殺してと、意地も誇りもかなぐり捨てて、無様に泣き叫ぶ醜態を見て、嘲笑いたいんだろう。


 ところが。少女は胴を切り離され、息絶える最期の瞬間まで、妹を守るという誓いを撤回しようとはしなかった。



 アマンダの慟哭が、俺の頭の中で反響している。彼女が地下牢へ連れていかれ、高貴な悪魔たちが去った後も、ずっと響いている。


 こう言うとき、人生を左右するこうした局面には、言葉が消える。


 映写機がフィルムを巻き戻すように、音の無い追想が駆け巡っていた。


 俺がくれてやった飴玉を口のなかで転がすあいつの顔。瞼の腫れ上がった目を細めて、切れた口角をほんの少し上げた表情。まるで、笑っているみたいな。


 俺とあいつは、親父の目を盗んで、同じグリーンの瞳で見つめあった。

 あのとき、あいつは何か言っていた。何て言っていたのか、ずっと謎だった。今になって、わかった。


『兄さん』


 そうだ。あいつは俺を、兄さんって呼んだんだ。


 俺はあいつの兄貴で、あいつは俺の弟だった。あいつは俺へと手を伸ばした。兄貴を頼ったのだ。


 あのとき。悪魔じみた客に切り裂かれて、血塗れになって、死にかけたあいつが、真夏のガレージに閉じ込められたとき。


 もしも、俺がバカだったら。救いようのない大バカだったら。アマンダの姉さんみたいな兄貴だったら。

 俺は親父に立ち向かっただろう。怒り狂った親父に殺されたかもしれない。殺されなくても、無事では済まない。親父は装填したショットオフを振り回していた。  


 俺はずるくて賢いから、あいつを見捨てて、生き延びた。

 アマンダの姉さんは勇敢なバカだから、アマンダを庇って死んだ。  


 アマンダの瞳にうつる彼女の姉さんは、気高く美しかった。あいつに飴玉を分けてやるとき、あいつの瞳にうつる俺だって、負けちゃいなかった。あいつの瞳のなかでなら、俺はヒーローになれたんだ。


 俺は生きている。だけど、死ぬほど後悔している。気がついたら、もう、ダメだった。


 地下牢へ忍び込んだ俺は、アマンダの拘束を解いた。自由になったアマンダは、金切り声をあげて襲いかかってきた。


 アマンダの小さな拳が、膝をついた俺の顔を滅茶苦茶に殴る。目を開けていたら目を潰される。顔を背けながら、何とかして、アマンダを宥めようとした。


「ちが、ちがう。俺は、き、きみを」


 ひどく興奮していて、言葉がつっかえる。言いかけて、口ごもる。


 何が違う? アマンダの姉さんを殺す片棒を担いだ俺に、何が言える? なにも言えない。言える筈もない。だからと言って、ここで黙って目玉を抉られる訳にはいかなかった。


 アマンダは遅かれ早かれ、彼女の姉さんと同じ運命をたどることになる。彼女の姉さんはゲームに勝ったが、伯爵は奴隷との約束より、己の快楽を優先するに決まっている。だからこそ、こそこそしながら、びくびくしながら、俺はここまで来た。同僚を三人、殴り倒して。死んでなきゃ良いが。


 俺はアマンダと見つめあった。黒い瞳を覗きこみ、その奥に怒りを、さらなる奥に悲しみを見る。耳朶にビリッとした痛みが走る。アマンダがびくりと竦み上がって、手を引いた。右手の拳から、血が滴っている。ピアスを引きちぎったようだ。伯爵の首輪が外れた。


 清々しい気持ちだ。体が軽くなった。今なら、飛び立てる気がする。

 俯くアマンダの顔を覗きこむ。戸惑い顔が可愛かった。俺は笑った。笑うのは久しぶりだ。


「君を、助けに来た。君の、姉さんと約束したんだ。絶対に、君を助けるって」


 勝手に、一方的に、な。


 アマンダが目を見開いた。鏡面のように、俺ばかりを映し出す双眸を見つめる。俺自身の心の裏側がさらけ出されていた。


 理屈じゃない。俺は、俺の弟を助けたかったんだ。だけど俺は、出来ないと決めつけて逃げ出しちまった。これは神様のくれたチャンスだ。俺はアマンダへ、手をさしのべる。


「俺と一緒に来てくれないか」


 アマンダの躊躇は短かった。彼女は姉さんの遺志を、しっかりと受け止めていた。


 俺はアマンダの手を握った。

 今度こそ、掴み損ねない。俺がアマンダを助ける。


 俺はアマンダを抱えて、黒いシャトーから逃げ出した。


 アマンダを陽のあたる世界へ送り出す為に、俺は手を尽くした。あちらこちらを転々としてきただけあって、知り合いは多い。


 そこから、アマンダを託すことの出来る、パーフェクトな人間を見つけるのは、一朝一夕の仕事じゃなかった。


 その間、俺とアマンダは各地を転々とした。一緒に過ごす時間はたっぷりあるが、交わす言葉は限られていた。アマンダは彼女から大切なひとを奪った人殺しの悪党を憎んでいる。当然だ。どう頑張っても俺が悪い。


 時々、アマンダは癇癪を起こす。泣き叫んで、俺を殴ったり蹴ったり、物を投げ付けたりする。死なない程度にやってくれる分には構わない。辛いのは、嵐のあと。膝を抱えるアマンダの後ろ姿を見るのが辛い。悪夢に魘されるアマンダの苦しむようすを見るのが辛い。何もしてやれない自分を殴り殺したくなる。


 悩み悩んで、俺がしたことといったら、かわいそうなアマンダの傍らに、飴玉を置いておくことくらいだ。

 それが精一杯だった。一瞬でも良い。甘い飴玉が、アマンダの心を慰めくれないだろうか。


 わかっている。俺はどこまでも独り善がりだ。アマンダには見透かされている。飴玉は必ず、ダストボックスの中でゴミに紛れていた。

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