その姉妹は、悪党の運命を左右する
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その日の夜会で、高貴な悪魔たちの食卓に饗される生贄は、二人の少女だった。
年頃は、ハイティーンとローティーン。輝く黒髪、青い瞳。二人とも、色白で目は大きくパッチリしていて、鼻の頭はつんと尖っている。キラキラ眩しい美人姉妹の登場に、高貴な悪魔達は色めき立った。
姉妹は目に見えて憔悴していた。虐待と失神、泥のような昏睡を繰り返せば、筋骨隆々のタフガイでもこうなる。
伯爵が買いつけてくる奴隷たちは、本格的な調教を受けていないが、夜会に出されるまでの過程で、奴隷達はひとり残らず、恐怖と苦痛を骨の髄まで叩き込まれる。
以前、遊びの最中に奴隷が失神したことがあった。伯爵は、応急処置を施し、生理食塩水に栄養剤と気付け薬を混ぜたものを注射するよう、俺に命じた。
嫌な役目ばっかり回してきやがる。うんざりだ、畜生。それくらい、自分でやれるだろうが。
という悪態をつけるのは、心のなかでだけ。作業にとりかかる俺の背後に伯爵が立つ。
虚ろな視線を彷徨わせる奴隷を見下ろして、伯爵は言った。
「『夜と霧』を読んだことは? ふむ、ならば読むと良い。アウシュビッツの囚人達もこの子と同じように、呆然と目を見開き、闇の一点を見つめていたことだろう。人間というのは、理不尽な暴力に晒され続けると、感情活動が麻痺するように出来ている。慈悲深い神によって、そのようにつくられたのだ。だが、奴隷に慈悲は不要だろう。奴隷は人ではないのだからね」
読むといいってか。おおう? なんだ、あれか? 文盲の俺に対する嫌味か? と、心の中でまぜっかえしつつ、俺は息を詰めた。指先の震えを抑え込むのに苦労した。
結局、その奴隷は首を捩じ切られて死ぬまで、意識を鮮明に保ったまま、伯爵と高貴な悪魔達の遊びに付き合わされた。
これから姉妹を待ちうけるのは、それを凌駕する恐怖と苦しみになる。夜会のお遊びは、会を重ねるごとにエスカレートしていた。
高貴な悪魔たちは、なごやかに、冗談を言い合って笑いさざめきながら、グラスを傾ける。歓談を交えつつ、調教のプランについて話し合う。寛いだ様子で抜け目なく、彼らの発言に対する奴隷の反応を観察し、調教プランを練っている。想像は痛みを鋭くすると言うのが、伯爵の考えだ。
使用人達が伯爵の指図で、道具を揃え、舞台のセッティングをする間、俺は伯爵の傍に控え、彼や来賓に酒を注ぎ、軽食を取り分ける。
伯爵曰く
「お前はかわいくて愛想が良いから、接待に向いているんだよ」
とのこと。なるほど、俺は可愛いのか。俺が鏡を覗き込むと、目の下のクマが目立つ陰気な男が、切れ上がった瞼の間から、やたらと目立つグリーンの瞳でこちらを睨みつけてくるのは、何かの間違いか。俺の目がおかしいのか。それとも伯爵の頭がおかしいのか、どっちだろうな。どっちでも、たいして変わらないか。
求めに応じて、酒と料理をのせたワゴンを押して回る。ただそれだけの、楽な仕事だ。何が気に入らない、と言われるかもしれない。だが、忘れないで欲しいんだ。ここでふんぞりかえっている奴ら全員、人間を切り刻んで、苦しめて痛めつけて、肉片にして喜ぶキチガイだってことを。ライオンの群れに放り込まれたインパラにでもなった気分だ。
伯爵は、俺が嫌がっているのを知っていて、給仕の役を回してくるに違いない。そうさ、伯爵は俺を困らせて楽しんでやがるのさ。
ピアスをあけられたときなんか、酷かった。ニードル片手に俺の部屋まで押し掛けてきた伯爵が
「今からお前を私のものにするよ」
って宣ったときには、目の前が真っ暗になった。ケツに突っ込まれるのかと思った。生きた心地がしなかった。思い違いで良かった。本当に、本気で。
ピアッシング自体は、別に良い。ちくっとするだけで、たいしたことない。何が酷いって、伯爵の膝に頭をのせて、撫で回されなきゃならなかったことだ。
「緊張しているのかな? 可愛いね」
なんて言って、おかしな手つきで、耳の縁をなぞってみたり、耳たぶ摘まんでもみももしてみたり、あげくのはてに、耳孔に吐息を吹き込んでみたり。気色悪い、気色悪い、気色悪い! あいつはホモなのか?! いやまてよ、恋人の自慢をされたことがあったな。彼女、って言ってた。じゃあ、つまり、どっちもイケる口ってわけか? やっぱり、俺の可愛いケツを狙ってやがるのか? 男のケツを可愛く思う感性が怖すぎる。ああああ、鳥肌がヤバイ!
俺が嫌がるから、伯爵は何かにつけて、俺の耳朶に埋め込んだピアスを弄りたがる。俺は喚きそうになるのを辛うじて堪えて、愛想笑いの可愛げで対応する。しんどい。
俺に触りたいなら、変態趣味のない、善良な巨乳美女に生まれ変わってから、出直してこい。バーカ、ホーモ、チービ、ヘンターイ。
なんて、茶化していなきゃ、やっていられねぇ。思い返しただけで、冷や汗が噴き出す。あのサディストめ。かわいくて愛想が良い給仕をご所望なら、自分でやれば良いだろうが。こちとら、可愛いはとっくの昔に卒業してるんだよ。そもそも、可愛いかった覚えがないがな。
奴隷は人間では無いから、神の慈悲は与えられないと言って憚らない伯爵は、彼の思想で言うところの、最も人間らしい人間だ。神は彼を贔屓した。地位と名誉、莫大な資産に加えて、頭の先から爪先まで、黄金律が適用された、完璧な美貌まで与えた。そこまで手をかけておいて、まともな人間性を与えなかったのは、手落ちか手抜きか。どういう了見だ。ええ? 神様よ。
伯爵がワイングラスを持ち上げる。合図を見逃さず、伯爵のグラスにバルバレスコを注いだとき、奴隷姉妹の、姉のほうが叫んだ。
「私は、どうなっても構いません! ですから、妹は、妹だけは、助けて下さい。お願いします!」
奇跡が起こった。俺がバルバレスコを伯爵の腹にぶちまけなかったことも。恐怖と苦痛に支配されたこの地獄で、ハイティーンの少女が妹を庇ったことも。奇跡だ。彼女は奇跡の大馬鹿者だ。
水を打ったようになる会場で、伯爵は、整える必要性を感じない優美な曲線を描く眉を上げた。たったそれだけで、痺れるような緊張がはしる。俺だけじゃない。その場に居合わせた全員が凍りついた。