悪党は腐りきっていた
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血に飢えた伯爵のシャトーにて。夜な夜な盛大に催される夜会は、悪趣味を極めていた。
夜会は快楽の為の遊び場だ。高貴な悪魔たちは伯爵のもとに集い、楽しむ為に人を甚振る。
美人の泣き顔が扇情的だって意見は、わからなくもない。だが、細切れにしたり、輪切りにしたり、黒焦げにしたりする楽しみは、さっぱりわからない。わかったらおしまいだと思う。
『生贄』の殆どは、金で売り買いされる奴隷だ。伯爵曰く、結構、需要があるらしい。大枚はたいて人殺しを楽しみたがる悪魔的な変態は伯爵とそのお仲間たちだけじゃないってこと。この世は地獄だ。
需要があれば供給がある。世の中には、忽然と姿を消しても差し支えない人間が、ゴロゴロ転がっているもんだ。
うちの末弟は、まさしくそれだった。
親父は、アル中にしてヤク中のクズ野郎。五人の物好きな娼婦が親父と暮らして、ガキを一人ずつ産んだが、全員が親父に愛想を尽かし、ガキを捨てて家を出た。
俺を産んだ母親の顔を、俺は覚えていない。声だけは、なんとなく覚えている。高くすんだ声が豊かに弾んで、俺の名前を呼んでいた。その美声ゆえ、歌手になる夢を追いかけてここまできたが、多くの同郷の怠け者たちと同じように、敗けて埋もれた。その程度の女だと、嘲る親父の酒やけしたダミ声は、耳障りで我慢ならない。
親父は嫌な奴だ。機嫌が良くても悪くても、いつも誰かを嘲笑って、薄い唇を意地悪くひん曲げていた。また、酒と薬のためなら、何をしでかすかわからない、危険な男でもあった。
酒と薬を切らすと、発狂した親父に殺されかねない。だから俺達兄弟は、それぞれ、金策に奔走した。
俺は専ら盗みで稼いだ。物心ついた頃から、他人のものをくすねて暮らした俺の、手癖の悪さは折り紙つきだ。それなりに悲惨なガキだと言って良いと思う。
だけど、末の弟は、俺なんか目じゃないってくらい、悲惨だった。
あいつの母親は後光がさすような美女だったが、とにかく頭が弱かった。ついこの間までハイハイしていたてめぇのガキが、端金と引き換えに、ペドフィリア野郎のオモチャにされても、にこにこ笑っていられるような。ある意味、幸せな女だった。
ひぃひぃ泣いているあいつの髪を撫でて、お薬を買って来てあげる、とかなんとか言って出掛けて行ったきり、帰ってこなかった。
親父はますます酒と薬に溺れ、機嫌が良かろうが悪かろうが、あいつを殴った。蹴った。それだけじゃ飽き足らなくなった。あいつの客は、拷問好きのド変態ばかりだった。
あいつはいつも、傷だらけの体と、色が抜けて真っ白になった頭を抱えて、ガレージの隅でぼんやりしていた。
あの家で、親父だけがあいつを見ていた。俺達は皆、見て見ぬふりをしていた。あいつに関わるとろくなことがないからだ。
俺はあいつの口に飴玉を放りこんだところを親父に見つかって、肋骨を折られた。すぐ下の妹は、あいつに朝の挨拶をしたところを親父に見つかって、前歯を折られた。二人のバカを見て学んだ、利口な弟と妹は、あいつとは目も合わせなかった。
恐怖と苦痛と孤独が、あいつの日常だった。誰も、それ以外のことをあいつに教えなかった。
あいつがいなくなった日、親父は上機嫌だった。まとまった金が手に入ったと言っていた。あの淫売を地獄に叩き落としてやった。ざまぁみろ、とも言っていた。つまり、そういうことだった。
あいつがいなくなって間も無く、俺は家を出た。
ニューヨークの下町、性根の腐った貧乏人が犇めくスラム街を後にして、各地を転々として。俺はたどり着いたニューハンプシャーの田舎、人里離れた森の中にある黒々としたシャトーに住み込みで働いている。伯爵はそこの主人だ。
伯爵はいつも祖国を恋しがっていた。恋しく想う故郷があるのは素敵なことですね、と俺は無難に愛想を言う。本当は、文句があるなら帰れ、と思ったが、そんなこと、口が裂けても言えない。
伯爵は、肩を竦めてため息をついた。
「この国に、本物の文化はない。何もかも、かりものだよ。このシャトーだって、石を丸ごとフランスから輸入しなければ、建たなかったのだからね。しかし、ここには夢がある。ファンタジーを楽しむには、うってつけの場所ということだ」
鹿爪らしく伯爵の靴紐を結び直しながら、俺は舌を突きだす。この国に、夢の国は一つでじゅうぶんだっつぅの。
伯爵の見る夢、邪悪なファンタジー。壮絶な最期はいつも、俺のすぐ傍にある。
奴隷の恐怖と苦痛は最期まで、途絶えることがない。禁忌なんてない。何もかも、悪魔のお気に召すまま。仔羊は生きながら食い殺される。神は死んだ。少なくとも、俺達が生まれる前に。
ファンタジーが具現化して、人を食い殺す瞬間を、俺は数え切れないくらい、目の当たりにして来た。時々、考える。金持ちの道楽で殺される奴隷の人生に、楽しいとか、嬉しいとか。幸せを感じられる瞬間はあったんだろうか。
そんなことをつらつらと考えると、決まって、あいつを思い出す。
俺はあいつの腹違いの兄貴だが、俺は血の繋がりを、特別な繋がりだとは思わない。死にかけたあいつが俺の袖を掴んだとき、俺はその手をすげなく振り払った。
あいつは勘違いをしていた。勘違いさせたのは俺だ。飴玉なんか、やらなきゃ良かった。どうしてヒーローを気取ったりした? 鏡を見てみろ。どこからどうみたって、俺は悪党だろうが。
俺は伯爵の傍に控えている。話しかけられれば、面白がられるようなことを言う。笑うべきときには笑いもする。笑えることなんか、何もないけど。
そうやって、やり過ごしている間にまたひとり、奴隷が死ぬ。またひとり見殺しにして、俺は生き延びる。
これまでずっと、そうしてきた。俺はヒーローじゃない。だからと言って、悪魔でもない。たいしたことない小悪党だ。小悪党らしく、狡賢く立ち回れば、それなりに、生きていけると思っていた。