14話 『元戦争時代の戦人』
ビンセントの転職審査の為に同行しているサリバンのはずですが、
本能には逆らえないおじいちゃんのようです。
【元ドラゴンの巣】
ビンセントとカミラがいなくなってから、最強の生物の巣の前で仕込み刀を抜いて、得物の確認をしているサリバンと、その様子を慣れたような笑顔で見守るカンノーリが、突っ立ったままビンセントの戻りを待っていた。
剣の確認を終えたサリバンは、剣を持つ手を後ろで組み、姿勢曲がりの全く無い、美しい直立で立っていた。
カンノーリはこれから少し長引きそう打と察し、椅子の他にスイーツと紅茶がのったエクステリアテーブルを召喚してそれに座った。
無論サリバンにも勧めたが、サリバンは礼をした後に断って、やはり立ったままで、その立ち姿も変わらない。
カンノーリが物を召喚してから二口目の紅茶に口を付けた時、二人の前の空間がぱっくり裂けて、そこから足が見え、腕や胴が見え、顔が出てくる。
クロイス国からネスタ山の奥地までを一歩でたどり着く男の顔は、どことなく吹っ切れた顔をしている。
右手が最後に境界を越える。元ドラゴンの巣に現れた男の右手には、ボロボロに刃が欠けた剣が握られている。
「お待たせいたしました。宜しくお願いします。サリバン区長」
「いや全く待たんかったよビンセントさん」
サリバンは後ろの組手を解き、自身の得物を力まずに、リラックスしながら片手に握る。
対するビンセントは、自身の得物の状態をよく知っている。ボロボロの剣、いい物ではない。それを握る為にビンセントが入れている力は、少々強い。
「む、ビンセントさん。剣がボロボロだな、大きく欠けておるぞ。闘技歴戦の証か……」
「闘技の時にも刃は欠けましたが、この大きな刃欠けはネスタの森の樹の頑丈さが故です」
なるほど、と頭をコクコク動かすサリバンだが、戦闘を待ちきれないのか早々にかかる。
「さて、ビンセントさん。早速だが、スキル上昇の訓練をするか。とりあえずは、本気でかかってきなさい。剣のスキルが主に上がるが、それに連なって筋力、体力等の基本スキルから、俊敏性や防戦になれば歩術スキルも上げられるだろう」
今までビンセントはあまりスキル等は重視していなかった。強弱判断は、誰でも見られるレベルと雰囲気だけで見ていたからだ。
(俺は一時的な気力だけで闘ってきたようなもんだからな、もう戦もないだろうし今更いいと思うが、まぁいい)
「なるほど、そうなのですか。今までスキルという物をあまり気にしていなかったのですが、今後は意識をしていきたいと思います」
(スキルって言っても何でもあるから、上がって悪くなることはない。うん、やろう)
ビンセントが思うように、スキルと言っても種類は多く存在する。
何も戦争時代には戦闘で使っていたスキルが、戦後の日常に使えないとは限らないからだ。
特に体力は根本のスキルで、コレが無いと何をするにも話にならない。それを今は鍛えられるのだ。
ビンセントは戦闘ができる点に意識があったが、そういう事を考えると、この稽古を全面的に受け入れられた。
そんなビンセントの気配を感じ、又その体を見てサリバンは唸る。
「うむ、良いな……」
ビンセントはいつでも動けるように足をリラックスさせている。純粋な剣術戦闘の稽古を受ける気になっているので、境界を使う気はない。
サリバンは闘気を纏っている。それがビンセントにまだ使えないオーラなのか、それとも歴戦の元軍人の醸し出す雰囲気なのか、ビンセントにはわからない。
「それでは……、こい!! 」
低くこもった掛け声は覇気を纏っていた。
ビンセントの周囲の空気、皮膚に筋肉、骨まで染み、髄、脳へとピリピリひりつく感覚が全身へ響く。
ビンセントはサリバンへと駆けだす。四歩で接近し、五歩目で地を蹴って勢いを加速させ、その速度を剣の重さに乗せる。ビンセントは本気である。躊躇する事は無い、何故ならビンセントはわかっている。
(勝てねぇ。だができるだけやるさ)
区長を殺したとなれば、それは言わずもがな非常にまずい事だ。しかしその心配がない。殺そうとしても殺せないから。
ビンセントの一撃は、激しい音を立てて細身の剣により受け止められる。
(ほら出たこういうの、久しぶりだなこのありえない頑丈さ。――カミラ程じゃなさそうだが)
闘技場で同じ状況での攻撃をしたことがある。対戦相手は刃有のレイピア。それに対しビンセントは、今程には欠けていない剣で攻撃をする。身軽さでは軽鎧装備の対戦相手の方が早いが、ビンセントに対してカウンターができる程ではない為、間に合わないと知った対戦相手は、ビンセントの斬撃をレイピアで受け止めて身を守ろうとした。
しかし勢い乗るビンセントの斬撃を、そんな細身の金属棒で防げるはずがないのだ。
対戦相手はそのまま、レイピアもろとも首を両断された。
それなのに、この元老兵、この区長、微動だにすらしていない。完全に受け止め、弾いた。
(おかしい)
「ビンセントさん。剣を扱う時は、少し硬い動きになってもよいぞ」
ビンセントの本気の剣を何度も弾きながら、サリバンはビンセントの戦い方や癖を分析していく。
「硬い……動き、ですか……はぁはぁ――」
既に息が上がっているビンセントに対して、サリバンはもう歳にもかかわらず、疲れ一つ見えない。
それは何故か、単に体力の差というのもあるが、理由の一つに、サリバンに比べてビンセントの動きは無駄が多かった。闘う姿勢はまるで野生動物を連想させるようで、決まりのような『型』がない。ビンセントは状況に合わせて自然に立ち回りを変えているので、無意識ながらの全身運動をしている。
「ビンセントさんの立ち回り方は、何ともせわしない。そんな動きを続けていると今のビンセントさんでは体力が持ちませんぞ」
サリバンは剣をクルンと回すと、初めてその場を動いた。
「おそらくその剣は、自らの生存の為に身に着けた剣なのであろうな。無駄無く動けば、その分体力も温存でき、結果的に勝利へ近づけるものですぞ」
息を荒げながらも、サリバンの言葉に耳を傾けるビンセントにとって、ゆっくり歩いて近づくサリバンがとても早く見えた。
「ビンセントさん、少し私の攻撃を受けてみられよ。全力で防ぐのですぞ」
唾を呑む、いくら刃引きされてるとはいえ、サリバンの斬撃を受けられるのか。
(この剣、完全に折れる気がする……! )
自身の得物の心配をしながら、ビンセントはサリバンの攻撃に身構える。
「ゆっくりいきますぞ、上から……」
サリバンはビンセントの前まで歩むと、剣をゆっくりとまっすぐ上に上げた。
「良いですか、何もそんなに動かなくとも良のです。確かにビンセントさんの様に助走をつけて勢いを増すのも良いが……、せっかく足が地にあるのだ。それをその場で利用すれば、それで十分です。無駄な消耗も抑えられますから。剣技での戦場、意識すべきは足元です」
ゆっくりと、というのはサリバンからすればの言い方だが、ビンセントから見れば普通に振り下ろされる剣。何か特別な術を使っているわけでもない。
ビンセントはその普通の剣を、全力で受けて立つ。
「ゥ――グッ!! 」
高い単音が静かに響く。サリバンの表情は変わらない。
サリバンの純粋な一振。地や体重移動、姿勢を最大に活用された一撃。
その攻撃はとても美しい、まっすぐで、重く、正確だ。
対するビンセントは凄絶な表情をしている。
「どうです、なかなかに重いでしょう。スキル値の差はあるやもしれんが、正しく攻撃をするだけでも随分と違うのですよ」
ビンセントは片膝をつきながらも耐えるが、限界はすぐそこだ。
(なんだこれは……、あんな攻撃がどうしてこんなに重いんだ……! )
サリバンが剣をはらうと、ビンセントはそのまま体勢を崩して転げる。
「こんな感じです。どれ、今度はビンセントさんの番です。同じう様にやってみなされ。環境を知って、状況を知り、まっすぐ正確に攻撃をしなさい」
「は、はい」
ビンセントの体は一振りの剣を受け止める事で、消耗しきって震えている。
深呼吸をして、体と荒い呼吸を落ち着かせる。
「正しい攻撃は疲れにくい。だから長時間戦場で闘え、生き残れる。……もっとも、もう必要ないかもしれませんがね。運動としてはいいでしょう? 」
「運動としては、なかなかハードですね。しかし、どんな事にでも役に立ちそうです」
ビンセントの体の震えと呼吸はおさまっていく。
「参ります」
サリバンのように姿勢を正し、それを崩さずゆっくり歩み寄る。
「そうですね、そんな感じです。かかってきなさい」
攻撃対象を見定める。普段意識せずに感覚だけで戦ってきたが、今のビンセントはそれを意識している。
剣を対象へ振る、サリバンはそれをまっすぐ受けるが、サリバンが感じるビンセントの意識は、先ほどの物より明らかに変化している。自分を殺そうとする殺気を強く感じる。
しかし剣を振る本人はその変化を分かっておらず、本人にその気はない。
あくまで姿勢を正し、対象を定めて攻撃しただけ。
それだけでも変わるのは戦闘方法の違いもあるが、一種の才能もあるのだろう。
ビンセントが剣を振り、サリバンが受け止めた時に鈍い音が響き、ビンセントの剣はとうとう折れてしまう。
「うおっ折れた! 」
サリバンは一歩下がり、また後ろで手を組む。
「どうでした? さっきまでの攻撃と、何か変化は感じましたかね? 」
「い、いえ、しかし剣が折れてしまいました」
「……そう、ですな」
サリバンは自分の知らないところで少なからず恐れた。些細な変化とはいえ、ビンセントはただ自然体から基本を覚えただけ、その変化は大きい。ビンセントの表面上は、おそらくビンセント自身もそう思っているだろうが、底が知れている。
だが見る人が見れば思う事は違うだろう。実際サリバンがビンセントを見て思う事は違った。
(底深い……強くなる)
与えられた勇者達の力とはまた別で、元老兵の眼でも、ビンセント本人の容量が測れない。
「今のビンセントさん、なかなかに良かったです。続けますか」
「いや、しかし剣が――」
サリバンはちらっとカンノーリの方を見ると、サリバンはピクッと反応して口についてるクッキーの食べカスをハンカチで拭き取る。
「カンノーリ君。剣、だせるな? 」
「はい、出せます」
「ビンセントさんに一本頼むよ」
「承知致しました」
カンノーリが地面を足で軽く叩くと、地面から剣が五本召喚された。
「後五本出せます、また必要になるようでしたらいつでも」
「うむ、助かる。さ、ビンセントさん。受け取りください」
「はい。カンノーリさん、ありがとうございます」
「いえ、武器自体の強度はなかなか強いほうですので、思う存分振るってください」
カンノーリが召喚した剣は、細身の軍刀。
細さで言えば、サリバンの持つ仕込み刀よりは太い。
柄には青を基調とした美しい装飾がなされ、刀身にも植物の彫刻が刻まれている。
その装飾は戦闘の邪魔にはなりえず、非常に上品でいて華やか。ビンセントが扱ったことの無い、気品に満ちた剣だ。
これが召喚された量産剣だとはとても思えない。これが召喚できるカンノーリは、召喚士としても秀でているのだ。
「軽い……。なんだこの軽い剣は」
ビンセントが剣を見て思うのはその華やかさだったが、持った時に衝撃を得た。
とても軽いのだ。これで強度もあるとは、人が扱う剣としてはおそらく最高峰の物だろう。
「カンノーリ君の召喚した剣はなかなかに良い物だからな。せっかくだし、思う存分使いなさい」
(これは、面白そうだ)
「それでは、遠慮なく貸していただきます」
ビンセントは思わず笑みを浮かべて一刀を手に、再びサリバンへと向かう。
「それでは、再び参りましょう。さっきの感じで、気楽にですぞ」
二時間程たち、ビンセントはかなり消耗している。
さっきの比ではないほどの消耗だ。
だが圧倒的に運動量は多い。相手を意識し続け、体力の消耗を可能な限り減らしながら長時間二人は闘い続けた。
ビンセントが最初に受け取ったカンノーリの召喚剣は既に二本折っている。
サリバンはと言うと、息は変わらず切らしていないが、自前の仕込み刀は柄の部分が潰れて刀身の鋼のみとなっており、ビンセントと同じくカンノーリの召喚剣を扱っている。
サリバンは現在二刀流だ。
「ずいぶんやったな。この短時間で、凄い成長ですぞビンセントさん。まさかレベルがそんなに上がるとは、私も驚いた」
「サ……サリバン区長、もう……このくらいにしましょう、はぁはぁ……体力の限界ですッ!! 」
ふらっと体が崩れ、ビンセントは地面に剣を刺して体を支えた。
その時の顔は、目を大きく見開き、顔に長く描かれた線のように口元は細長く苦しい笑みを浮かべており、汗が噴き出て全体は紅潮している。
「そうですな、今日はこの辺にしておきましょう。また稽古をしたい時は役所を訪ねてください。私の時間が空いていればまた稽古をつけられます。はっはっはっ」
サリバンは笑いながら、両の手に持つ剣を地面に突き刺した。
「カンノーリ君。剣ありがとう。良い剣だったよ」
「いえ、ありがとうございます」
カンノーリの剣だったという事を思い出して、ビンセントは焦って口を開いた。
「あ、カンノーリさん! 剣二本も折ってしまってすみません!! 」
剣は確かにいい剣だったが、剣の強度をオーラで高めていたサリバンの剣との衝撃で折れてしまった。
ビンセントはオーラを使ったことが無いので、少し羨ましい。
「いえ、構いませんよ。また時間が経てば元に戻りますので」
(召喚魔法……恐るべし)
「それでは剣を戻しますね」
地に刺さっている八本の剣は、次第に薄れて消えていった。
「いやぁ、久しぶりに良い運動をしたよ。杖は壊してしまったが、二刀流など久しぶりだった! 」
サリバンの仕込み刀も、ビンセントの斬撃による衝撃に耐えられるよう、同じくオーラで強度を高めていたが、その際サリバンは力みすぎて、木製の柄を握りつぶしてしまったのだ。
サリバンはその後一本の剣をカンノーリから借りるが、剣を重ねる中に自身本来のスタイル、二刀流になっていた。サリバンが両の手に剣を持つのは、魔物との戦争以来であった。
「サリバン区長、二刀流は……死ぬかと思いました」
「いや、私は全て剣の腹の部分でやっていたのだが、一撃だが、熱くなり本気でかかってしまいましたな。すまない」
ビンセントはサリバンの本気の攻撃を受け、それをガードした際に二本目の召喚剣を折ってしまう。
「生きているので良いのですが……」
「あの攻撃に対して防御で追いつけたのであれば、反射神経もなかなかですぞ。それに今あなたは――」
サリバンはビンセントを凝視している。何かが、ビンセントの周りに見えるかのように。
「オーラ、仕えるようになったんですな。非常に薄いが、見えますぞ」
「え、私がオーラをですか!? 」
ビンセントは慌てて自分の手脚や体の見えるところをきょろきょろ見回す。しかし、
「み、見えませんが……」
ビンセントには見えていない。
「本当に薄くだが出ていますぞ。零から一になったんだろう、この違いは非常に大きいですぞ。それに、オーラが出せるってことはもう、総合スキル値3000は超えているという事ですな……、ステータスを見てみなさい」
言われるがままにビンセントはステータスを表示させる。
名前:ビンセント・ウォー 種族:人 職業:魔法使い
レベル:41.2 スキル:3006
:筋力 1000/374 :歩術 1000/318 :剣技 1000/426 :体力 1000/412
:料理 1000/12 :耐性 1000/40 :俊敏 1000/329 :掃除 1000/20
:美容 1000/58 :制御 1000/327 :隠密 1000/78:魔力 1000/10
:強化 1000/102 :創造(境界) 1000/500:
「レベルが40を超え、総合スキル値も3000を超えている。初めてビンセントさんと会った時のレベルは35だったかな、なんだか私は楽しみになってきましたぞ。ビンセントさんが戦争時に軍人になっていれば、既にかなりの者になっていたかもしれんが……。まぁ……、平和が一番ですかな」
(俺のレベルが、40代に……! )
サリバンの言葉を聞きながらも、ビンセントは自身のステータスを見て静かに感動する。
「サリバン区長のおかげです、ありがとうございました!! 」
「いや、構いませんぞ。それに今回は私のわがままだ。こちらこそ感謝しますよ」
頭を下げるビンセントに対し、同じくサリバンも頭を下げる。
そんな後ろでカンノーリが椅子やテーブル等、全ての召喚物を戻してこちらを見ている。
サリバンがそれに気づいて時計をみる。
時刻は十二時四十二分
「さぁ、じゃあそろそろ戻るとしようか。役所へ着いたら報酬金を渡します。称号については、またカミラさんと役所に来る時に与えますぞ。……いや開拓の称号だけでも今渡せるか」
サリバンは後ろに振り返りカンノーリを呼ぶ。
「カンノーリ君。ビンセント君に開拓者の称号を頼むよ」
「承知致しました」
カンノーリはビンセントの元まで行くと、開いているステータスに触れて編集をする。
「む、ビンセントさんは初めての称号なのか。闘技試合でも取れている称号があると思うのだが、申請しなかったのだな……。あぁ、そうだ。カミラさんにも開拓の称号は他のやつとまとめて渡しますので、その事をお伝えくだされ。またいつでもいいから役所に来るといいですぞ」
ビンセントの初めて手に入れた称号。
『ネスタの開拓者』
(俺にも称号が! というより、闘技試合でも取れただとぉ!? )
ビンセントは初めて手に入れた称号に感激したが、それと同時にサリバンの小さい声で呟かれた、闘技称号についてのショックな発言が後を引く。
実際闘技試合で称号を得た者はかなり少ない。
力が至らないものも当然大勢いたが、ビンセントのように称号を受けられる程の力はあるが、そもそも称号の存在を知らなかったものも数多い。
試合前に式典がある時、段に登り称号を与えられる者を、ビンセントは影ながら羨ましがって、与えられる事を目指していたこともある。ビンセントなら既に、申請をすれば与えられたのにである。
そんな事を今まで知らずに、今の今が初の称号であるから、何を思うかビンセントは、曇った眼でサリバンを見つめている。
嬉しい反面、知らぬ事実を聞かされた事でこけた気分だった。
「あ、ありがとうございます……はい。それでは、役所への境界を開きます」
ビンセントの前方がぱっくり割れて、役所の裏口が見える。
「それでは、戻りましょう」
【サラスト区役所】
三人は区長室へ戻ると、ビンセント一人残してサリバンとカンノーリは役所の金庫へと向かう。
(三千四百万か、それプラス八百万……、本当に大金だな。自宅か境界無かったら受け取れない金額だろ。カミラは今まで金をどう保管してきたんだ……)
大金が渡される前とあって色々考えるビンセントは、カミラの今までの金銭保管方法への疑問へと落ち着いた。そして何気なく区長室内を見渡し始めた。
本棚には資料や本が詰まっている。
中にはクロイス国の法全集やファイルに閉じられた申請書類。
しかし、本棚には『破棄プラン』と区切られたところが殆どだ。
王と大臣の死亡、城の崩壊、その影響での国全体の衰退。
そうなれば最早役所としてもお手上げなのが正直なところだ。
(へえ、色々考えられてたんだな)
ビンセントも流石に区長席の周りに勝手に入るのは忍びなく、客間の、入ってきた人が見てもまだおかしくない物を手に取って見ている。
その中には、サラスト区と東隣のリース区と共同で城とその周辺の城下町を対象とした緑化計画や、サラスト区の本格な水路計画。闘技観戦に変わる貴族の娯楽計画。
他の区と共同計画の他にも、サラスト区単体での計画と多数あるが、それとは違う分けられ方で、クロイス国大臣命令書廃と称された物まで破棄プラン扱いである。
(提案日を見るに結構昔の物だが、かなり大掛かりだな。……これは商人も民衆も助かりそうだ、あの大臣も国務はしっかりやってたんだな、いや、大臣も違う者だったのか)
破棄された大臣命令書とは、クロイス国圏の道路製作計画とされている。
広大なクロイス国圏を対象として、クロイス国外に存在する村や砦、農業地等の産業地、ネスタ山等の産業地にできる可能性のある場所までを整備された道で繋ぐという物。
ビンセントが書類束をパラパラと見ていくとその書類の中に、資金資料は別紙。と記載されているので、命令書という事を置いても、それなりに準備がなされていた計画だった事がうかがえる。
この様なクロイス国圏規模の大きな計画から、中規模、小規模、その他多々の計画が破棄されていた。
「これが実現出来たら、他国との交流もやりやすくなりそうだな。ネスタ森にも計画してたのか……これだけの破棄案、逆に今動いているのは何があるんだ」
他の資料を見ようとしたところで、部屋に近づく足音が廊下から聞こえてくる。
(戻ってきたかな)
ビンセントは資料書類を戻して客席に戻る。
足音が区長室の扉の前で止まると、サリバンが扉を開けて戻ってきた。
「待たせたねビンセント君。額が額でな、クロイス国の通貨はかさばる。少々手間取っておった」
サリバンに続き、装備を身に着けた館員二人が荷車に乗った報酬金を運び入れる。
最後にカンノーリも部屋に入って扉を閉めた。
「これが、ミル・フランク基フランクの賞金とセシリオ壊滅の賞金、後は今日の手数料を含めた、総額四千二百万Gだ。受け取りたまへ……といえど、難しいな」
サリバンは、役員二人に少し外で待っているように命令をすると、扉を閉めた。
「さて、これでいいかな。ビンセントさん、開けてくだされ。私達も手伝いますぞ」
部下の二人を部屋から出したサリバンだが、ビンセントが境界を人々に隠すつもりは、イクスリプ監獄で監視に見せて以来無い。だがサリバンの気持ちを無碍にするのも申し訳ないので、ビンセントは礼を言って言葉に甘える。
そこにしまうしかないのだ。この無駄に重く、かさばる通貨は。
「あ、ありがとうござます。それでは」
ビンセントは荷車に積まれた多額のGの横に、広く境界を開ける。
「ビンセントさん。一応聞くが、金をこのまま入れてしまって、後で出せるのかね? 」
「はい。その点は問題ありませんでした」
「そうか、それでは入れていくぞ」
ビンセントとサリバン、カンノーリの三人は、報酬金を一気に境界の中へと押し込んで入れていく。
手で金貨の山を押し入れるのだが、ジャラジャラと大きな音を立てるのは最初だけで、境界の中に落ちていくとその音も無くなり、金貨も全て納まった。
「よし、全部入ったな。クエスト完了だ、ビンセントさん方には感謝しているよ。カミラさんにも、礼を伝えてもらいたい」
サリバンはビンセントに頭を下げる。返してビンセントも軽くお辞儀をした。
「ありがとうございます、もちろん、伝えさせていただきます」
「うむ。それでは、また機会があったら会いましょうぞ。待っております」
「それは、ありがたく思います」
「ビンセントさん。称号に関しては、カミラさんと一緒に来ていただければ、私がお付けいたしますので、いつでもお越しください」
「カンノーリさん、ありがとうございます。それでは私は戻ります。失礼致します」
二人にお辞儀をして、再び境界を開く。行き先はカミラとミルの待つ宿。
時は既に昼を過ぎている。
(怒って、無いよな……二人共――)
ビンセントは内心恐れながら、境界を渡り宿へと戻った。
ビンセントが区長の部屋から消えた後、サリバンは一つ思い出した。
「そういえばカンノーリ君」
「はいサリバン区長」
「ビンセントさんのネスタ開拓の事だが、フリークエストの報酬の事を伝えているか? 」
「……いえ、カミラさんが付いている物ですから、知っている物と思い、伝えておりません」
「そうか、ちゃんと伝えておいてくれ。たぶん分かられていない」
「分かりました」
カンノーリは頭を下げたが、サリバンはそれを制して席を勧めた。
「少し話がある。心配することは無いから、掛けたまえ」
「……はい」
カンノーリがサリバンの席の前に向かい合って腰かけると、合わせてサリバンも自分の席に掛けた。
「君はどこまで知っているのかね? 」
「どこまでと言いますと――」
「ビンセントさんとカミラさんの事だよ」
カンノーリは内心ほっとした。裏業の事を聞かれたのではなかったからだ。
「いえ、私は深くは存じませんが」
「……そうか」
いくら上司でも、客の個人情報を教えるわけにはいかないカンノーリは、あくまで情報に踏み入らない返答を返す。
「まぁいい。どうだ、茶を一杯くれんか」
「はい、ただいま」
カンノーリは紅茶と菓子を机に召喚した。
「おぉ。、すまんな」
紅茶を飲み、甘い菓子を口に入れて、それを食べ終えた後の言葉は、カンノーリを再びギクリとさせた。
「ところでカンノーリ君。ひょっとして軍事関係者やギルドの者が訪れていないか? 」
「そ、それは――」
「何、別にカンノーリ君が個人取引をしていてもそれはいいんだ。何か問題なことをしていても、私は気にせんし他に報告する事も無いよ」
「……実は、軍事国家ガルドの元軍団長、ハーベルク将軍が来られました。その内容は言えませんが」
サリバンに隠しても仕方がないと振り切ったカンノーリは、その事を告白した。何故知れたのか、彼には謎だった。
しかし、別にそのことをサリバンが知っていたわけではない。単に、サリバンが知りたいのはビンセントの、又カミラの正体である。
大よそカミラについては察しがついているのだ。だから、軍事、ギルド関係の事をカンノーリに聞いたまでだ。
「ハーベルク将軍か、将軍が何か、『紅蓮の闘神』の事とか、何か言っていなかったか」
「い、いえ。そのような事は何も。それに、内容はお教えできません」
「そうか……」
サリバンは無駄と分かると再び紅茶を飲み、話を変えた。
「時にカンノーリ君」
「はい」
「ガルドに行ったことはあるか? 軍事国家ガルドだよ」
「いえ、私は行ったことがありません。しかしサリバン区長は、戦争時代に何度も足を運んだのではないですか? 」
「はっはっは、そう何度も行かんよ。ガルドは北国、それも冬国の様に寒いのだ、確かに軍事力は素晴らしかったが、今はどうだかな、寒いだけではないかな」
「そうなのですか」
「あぁ。それにさっき言ったハーベルク将軍、彼はガルドでは色々と有名でな。彼は隻腕の騎士と呼ばれて、私達と共に魔物と戦ったこともあるよ。それなりに、やる者だったな――」
サリバンは戦の思い出に耽る様に吐息をつくと、ビンセントとの剣交えを思い出して微笑んだ。
元軍の狗