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休み時間

作者: 四ツ角

よろしくお願い致します。

 私がこの世で一番好きなもの。シャボン玉。

 

 自分でも、シャボン玉がこの世で一番好きだなんて馬鹿げているなと思う。けれど、あの石鹸の玉が空中を浮遊して、太陽の光を反射して、表面が虹色になるところを初めて見たときから、私はシャボン玉が好きなのだ。好き。うん、好き。別に構わないと思う。だって、好きってバカらしい。隣の席に金髪の厚化粧女子生徒が、「もう、彼氏好きすぎてたまらん」って言ってるのだって、バカらしい。前の席のオタク眼鏡が、「咲様、最高でしゅー」と言ってるのだって、バカらしい。本当、好きってバカらしい。

 

 私がこの世で一番嫌いなもの……

 私は悩んでしまう。それは嫌いなものがないのではなく、沢山ありすぎるのだ。まず、ワサビ。鼻の奥がつんとして、痛くて嫌い。虫も嫌い。キモイから。あと、飼い犬のケン。最近、臭くなってきたし。他には、朝とか、勉強とか、野菜とか。どれも嫌い。どれも嫌いだけど、この世で一番ってわけではない。

 私がこの世で一番嫌いなもの。

 私は重たい瞼をゆっくりと開く。

 これだ。私はしっくりときた。これだ! というより、こいつらだ……って感じ。

 私がこの世で一番嫌いなもの。それは、この騒々しい、サルから進化したとは思えない、いやむしろ、お前らサルから退化したんじゃねえのかって思う、クラスメイトたち。同じ学校で、同じクラスで恥ずかしい。

 黒板の前で、一人の男子生徒のズボンを脱がそうとしている男たちの群れ。真ん中には、下手くそなメイクを躍起になってやっている女たち。私の前の席では、オタクたちがアニメの話を熱く語っていて、真横ではギャルが自分の恋愛話をしながら自分に酔いしれ、周りの女どもは冷たい眼をして聞いている。本当に嫌い。私はクラスメイトがこの世で一番嫌い。


 私は、机の上に突っ伏す。腕の中に顔をうずめて、目を閉じる。

 目を閉じるとなぜだか、耳が敏感になって、クラスメイト達の喧騒が耳を劈く。私は固く瞼を瞑る。眠ってしまおうと思った。眠れば、この時間をやり過ごせるから。

 ゆっくりと眠気が襲ってくる。それと同時に、クラスメイト達の話し声も、意識の外へと遠ざかっていく。


 キャハハハハハハハハハハハ。ワハハハハハハハハハハハハ。ウフフフフフフフフフ。


 一度遠ざかったクラスメイトたちの喧騒が、ブーメランのように、私の脳に戻ってくる。笑い声が響く。それはまるで、大勢の人間が私を取り囲んで笑っているよう。私をバカにしているよう。大勢の人間が、私を指差して笑っているのだ。


「やめろ」


 そう言ったのに、声は私の口の中でこだましただけで、外にはほんの少しの空気が漏れただけ。


「やめてよ」


 声にならない。

 誰が私を笑ってるの? 違いない。クラスメイトたちに違いない。

 お前らが私を笑う資格なんてない。私は体全体に力を入れる。動け、動けと念じる。

 座っていた椅子が音をたてて倒れる。私がすごい勢いで立ち上がったからだ。

 椅子はかなりの音をしたのに、クラスメイトたちは気づかずに、騒いでいる。

 さっきまでの笑い声は消えて、喧騒に変わる。

 私はついと首をめぐらせて、教室を見る。

 そこには、この世で一番嫌いなものたちの笑顔が広がっている。私には笑えない。だって、何も面白くないから。私は、こいつらみたいに程度の低い人間じゃないんだ。もっと格上の人間なんだ。こんなところにいるような人間じゃないんだ。


 私は踵を返して、教室の一番端の一番後ろに行く。そこには、壁に貼りついたエアコンにスイッチがある。私は、エアコンの温度を下げていく。25、24、23、22……

 18℃のところで止まってしまう。これ以上下がらないようだ。エアコンは音をたてて、冷気を吐きだす。今年、取り換えたばかりの最新型らしい。

 どこかのぶりっ子が、猫のような気持の悪い声で、「さむいー」と言っている。確かに、教室はかなり寒くなっている。クラスメイトたちの顔がだんだんと青ざめていく。私はニヤリと笑って盛大に鼻を啜り、指


先で目元に溜まった涙を拭う。そういえばさっきから、何だか鼻の奥が痛い。


「いてぇ」


 ポツリと言った男子生徒の声が教室に響く。確かに痛い、鼻の奥がツンとする。


「何なのよ、これ!」


女子生徒が号泣しながら、叫ぶ。

私の目からもポロポロと涙が流れる。これは、アレだ。私の嫌いな――


「何で、ワサビの匂いがすんのよ!」


 そう、それだ。

 なぜだか、教室中がワサビの臭いで充満している。


「ここからだ!」


 男子生徒が、天井を指差して言う。男子生徒の指の先にはエアコンがある。


「エアコンがワサビの匂いを出してるんだ!」


 クラスメイト全員が、「そんなバカな」という顔をする。しかし、数人がエアコンの風が当たる場所に立ち、「うわ本当だ!」、「ワサビの匂いだ」と言う。

 私がエアコンのスイッチのある場所でたじろいでいると、クラスメイトの一人、このクラスの女子のリーダー榊原さんが私をキッと睨みつける。


「吉村さん! 何したの!」


 背筋がスッと伸びる。少しどもりながら私は答える。


「わ、私は何も……」


 エアコンのスイッチに目が留まる。先程まで、『18℃』と表示されていたところが、『ワサビ』と変わっていた。

 私は「へ?」と目を丸くして、ただ呆然と見つめてしまう。


「ちょっと、吉村さん!」


 その声に肩を震わせ、ゆっくりと振り向くと、クラスメイトたちが憤った顔で私を見ている。


「何したんだよ」、「ふざけんなよ」、「直せよ」……

キャハハハハハハハハハハハ、ワハハハハハハハハハハハハ、ウフフフフフフフフフ……


 私は歯を食いしばる。悔しくて仕方がなかった。私は、胸の中に溜まった汚いものを吐きだすように言った。


「私は、何もしてない!」


 再びスイッチに向き直る。私は温度を上げていく。18、19、21、22、23……

 何でお前らなんかに文句を言われなきゃいけないんだ。私の何を知ってるんだ。

 24、25、26、27、28……

 後ろから笑い声が聞こえる。温度は30℃で止まった。

 私は振り返る。


「私を笑うな!」


 そこにはクラスメイトたちではなく、セーラー服に身を包んだ3人の女子生徒が立っていた。彼女たちのセーラー服は紺に一色で、胸に付いたリボンも紺で、地味だけど、品のいいセーラー服だった。



「アキちゃん、しょうがないよ」


「高校行っても会おうね」


「高校が違くても、私たち友達だよ」


 3人の女子生徒はそう口走り、煙のように消えていった。消えたさきから、白いワイシャツにチェックの入った灰色のスカートを着た女子生徒や、白いワイシャツに灰色のズボンを履いた男子生徒が現れる、

 私はセーラー服を着たかった。そのために、誰よりもたくさん勉強した。遊びもしなかった。でも、届かなかった。

 高校の合格発表の日。私は塾の友達3人と一緒に行った。別にその友達と仲が良かったわけではないけれど、一人で行くよりか、幾分恐怖が和らいだ。でも、合格発表の張り紙が掲げられたとき、私の受験番号はなかった。私を含めた4人中、私だけが落ちた。そして私は、滑り止めの、いきたかったセーラー服の高校とはレベルが格段に違う、この灰色のスカートの学校にきた。


教室に悲鳴が響く。

見ると、エアコンからハエやらカやらハチやらの虫が出てきている。クラスメイトたちは慌てふためき、教室の中を駆けまわっている。

教室の中は羽音や悲鳴や怒号が入り混じって、見るに堪えない光景だ。

虫たちは、制服に付いたり、蛍光灯に群がったり、壁や机にぶつかり、変な音を出している。

不意に頭の頂点に違和感を覚える。手のひらを頭にのせると、手のひらと頭で挟みこまれたセミが夏の風物詩ともいわれる透き通った鳴き声とは相いれない濁った鳴き声で、頭の

上に尿をひっかけて去っていった。

 背中を冷たい汗の玉が流れた。全身に悪寒が走り、鳥肌が立つ。

 私は叫んだ。


「セミが! セミが! セミが!」


 セミを触った手を、胸の前でピンとたてて固定したまま、半泣きで立ち尽くす。


「どうしたの! 吉村さん!」


 クラスメイトの竹田さんが私に声をかける。彼女は、両手にセミを掴んだまま私に近づい

てくる。そういえば彼女は飼育委員だった。


「やめて!」


 竹田さんは、両手に掴んでいるセミをパッと離す。飛んでいくセミ。

 にっこりと竹田さんは笑う。


「虫、苦手なんだ」


「うん」私は答える。


 堪りかねたクラスメイトの一人が窓を開けると、面白いように虫たちは窓の外へと飛ん

でいった。

 私は自分の足先を見つめる。私のせいなのだろうか。私がクラスメイトたちへ当てつけを

したから、こんなことになってしまったのだろうか。

 大体、私はどうしてクラスメイトたちが嫌いなのだろう。本当に嫌いなのは、勉強でも、

合格発表のとき一緒にいった3人でも、クラスメイトたちでもなく、上手くできない自分で

はないか。


「どーして、変なの出てくるんだ?」


クラスメイトたちは、天井を見上げて、エアコンの送風口を覗きこむようにして見ている。

もう誰も私を責めようとはしない。

クラスメイトたちは、別に私を受け入れなかったわけではないのに。私が受け入れなかっ

ただけなのに。


「ごめん」


 私の口からそう、零れた。


「ごめん。多分、私のせい」


 クラスメイトたちが真っ直ぐ私を見つめる。私も彼らを目線を受け止める。


「直し方。分かるか?」


 クラスメイトの一人、確かサッカー部で1年生なのにスタメンで出てるっていう山崎君が言う。


「分かんない」私は首を横に振る、


「とりあえず、こっち来なよ」


 学級委員長の阿部さんが私を呼ぶ。

 私は頷いて、そっと前に足を踏み出す。

 私も、クラスメイトたちの中に入って、同じようにエアコンを見上げる。

 演劇部の石川君が机の上にのって、エアコンの中を覗きむ。その時、再びエアコンが音をたてて、動きだす。


「くっせえ!」


 エアコンの風を直に受けた石川君が、鼻を両手でおさえて、机から飛び降りる。

 エアコンから吐き出された風が私の鼻にも届く。

 何か肉の腐ったような、獣のような匂い。


「なんだこの匂い!」


 クラスメイトたちはみんな、鼻をおさえて、苦悶の表情を浮かべている。この匂いが何の匂いか分かる人はまずいないだろう。この匂いは――

 私も両手で鼻をおさえる。


「ケンの匂いだ」


 クラスメイトたちが一斉に、口をそろえて「ケン?」と聞くものだから、私は思わず笑ってしまった。

 すると、何人かが私につられて笑い始める。何人かは不満げな顔をしている人もいたし、わけが分からずぽかんとしている人もいた。

 私は、一つ息を吐いて笑いをおさめる。


「飼ってる犬の匂い。老犬なの」


「何でそんな匂いが……」誰かがポツリと言ってから、教室は沈黙に包まれた。


「とりあえず……」


 私はエアコンのスイッチの元に駆け寄った。クラスメイトたちも付いてくる。

 エアコンの温度を下げていく。元々の27℃に戻す。

「どう?」私が聞くと、映画研究部の黒田君がエアコンの風があたる場所までいって、確認してくれた。

 黒田君は心底残念そうに首を横に振る。

 あちこちから嘆息が漏れる。

 私はエアコンを見つめる。

 不思議なものを吐き出すエアコン。その全てが私の嫌いなもの。確かに私は嫌いなものが沢山あるけれど、でもそれだけじゃない。

 私はON/OFFのところに指先を伸ばす。そして、押す。

 エアコンからシャボン玉が出てくる。そのシャボン玉は空中を浮遊して、窓から入ってきた光に反射してキラリと光る。

 クラスメイトたちは顔を上げて、シャボン玉を見たり、顔の前にきたシャボン玉に息を吹きかけたりしている。

 私は教室にシャボン玉が彷徨う光景をじっと眺めていた。


「私、この世で一番シャボン玉が好き」


 独り言で言ったつもりだったけど、隣にいた文芸部の新倉君が聞いていた。


「シャボン玉が?」


「うん。おかしいかな?」


 私がぎこちなく新倉君に微笑むと新倉君も笑ってくれた。


「おかしくないよ。分かる。少し、分かる」


 最後のシャボン玉がパチンと弾けたとき、授業開始のチャイムが鳴った。


ありがとうございました。

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