転、中秋と彼の決意
昨晩はまさか校門の閉じた学校の中に侵入するわけにもいかず、捜索はひとまず翌日に持ち込まれた。
捜索、と言っても、今度はモノ探しじゃない。怪しいやつを見つけ出すための、まあ人探しのようなものだ。
カバンはずっと教室のロッカーに仕舞っていたというので、極論誰でも近づくことができる。うちの学校はロッカーに鍵なんて上等なものをつけているわけでもなく、開けることも簡単だ。とはいえ、人目のある中で他人のロッカーを開け、カバンを取り出し、さらにその中に仕舞いこんだ封筒を取り出し、という一連の行動を考えると、それができる時間というのはごく限られるはずだ。
昨日の垣谷の行動と、時間割を調べる。垣谷は休み時間は基本的に席で話をしたり、本を読んだりするので移動しないそうだ。そして昨日は結局俺が放課後すぐ垣谷を呼びに行ったので、垣谷は放課後はどこにも移動していない。となると怪しいのは教室で、しかも垣谷が封筒を確認した後、つまり午後から放課後までだ。そして教室内に人がいなくなるのは、昼休み直後の体育の時間。休み時間に体操服に着替えるのだが、女子は更衣室が与えられているので移動し、男子は教室で着替える。ここが一番怪しいと踏んだ俺は、昼休み、聞き込みを開始した。昼休みは垣谷はクラスの女子と前庭の憩い広場とかいうところで弁当を囲む習慣だ。動くなら垣谷が気にしない今が良いだろう。
単純明快、聞くのはこれだけだ。
『昨日の体育で、教室を最後に出たのは誰か。もしくは授業の後、最初に教室に戻ったのは誰か』
俺は勢いこんで隣のクラスの生徒を廊下で捕まえてさっそく問いただしはじめた。
※
いなかった。
隣のクラスの生徒たちにいくら問いかけても、「さあ」「しらない」のいずれかの返事しか返ってこなかった。諦めずに続けていると、ようやく6人目で「知ってる」という答えが返ってきたので、勢い込んで尋ねたところ、「5人くらいが同時に」という返事だった。詳しく聞くと、このクラスでは、教室を最後に出た人間が鍵を閉めて、そのカギを職員室に返しに行くという責務を負わされるというシステムらしく、それを嫌がったその5人は、鍵の押し付け合いで着替えを急いだので、同時に教室から出たそうだ。その様子を見ていたらしい。その5人を聞きだして、順にあたったが、特に否定もされなかった。
とはいえ5人である。残り4人がバタバタと出口に駆けだしている間に5人全員に気づかれずに盗み出すなんて行動は、怪盗キッドやルパン三世じゃあるまいし、いくらなんでも不可能だろう。
そして、最後の望みとばかりに『最初に帰ってきたやつ』というのを聞いたところ、かなりあっさりわかった。
というか教師だった。次の時間が差し迫っていて、着替えをせかすために教室で待っていたという。
打つ手がなくなった。
俺は知らず高揚していた気分が急速にしぼんでいくのを感じた。どこぞの探偵志望じゃあるまいに、どうやら、この状況に興奮していたらしい。彼女の窮地を助けられるかもしれないという、ヒロイックな妄想だ。実に度し難い。今日中にでも解決してやる、と豪語した昨日の自分を殴ってやりたい。
そんな感じでちょっとした自己嫌悪に陥っていたが、ふと思った。
教師だからといって、盗難に関わらないということもない。どこぞの探偵志望も言っていた。
『あり得ない、そんなことするはずがない、まさかあの人が。たいていの推理小説ではこのあたりは常套句だよ。いいかいトワ君。犯人というのは意外な人物であるべきなのだよ』
……思い返してから言うのも何だが、暴論にもほどがある。参考基準が推理小説であるというあたりが特に。
あれこれ考えて、結局、有効な考えは浮かばなかった。しかたなく俺はスマホを取り出した。何を探すかくらいは知っておかないと、これ以上は無理だ。放課後垣谷を呼び出すことにした。
「――それで、話って?」
そわそわとやってきた垣谷に、俺は単刀直入に、
「封筒の中身、やっぱり教えてほしい。実は、昼にも探してたんだが、何を探すかもわからないままだと、これ以上は難しいんだ。きっと探し出すから、教えてもらえないか」
と頼んだ。垣谷は一度目を伏せ、しばし迷うそぶりを見せたが、やがて眉尻を下げた顔を上げた。意を決したように、口元を引き結ぶ。
「……お金、なの」
「おかね?」
予想していなかったと言えばうそになるが、しかし意外な言葉ではあった。最近の垣谷の金穴具合を考えると、違和感を感じる、が同時にむしろそのための金欠かと思えば、納得もした。
「うん……。どうしても、その、必要で、それで……」
「理由までは聞かないよ。でも幾らか聞いてもいいか?」
垣谷は口を開きかけ、ためらうようにまた閉じた。そして、そっとその両手を上げる。その指の数は……いや、結論だけでいいだろう。垣谷があの日持ってきて、そして無くした、いや誰かに盗まれたお金は、俺が思わず問い返すような大金だった。
だが俺は「どうして」という言葉を呑みこんで、黙ってうなずいた。いくら彼女でも、聞かれたくないと明言している以上、聞くことはできない。
垣谷にはひとまず先に帰ってもらうことにした。一緒に行動したそうにしていたが、いよいよ盗難の色が濃くなってきた今、万一犯人が判明でもしたら、それこそややこしい。俺にだって、穏便に済ませられるならその方が良い、とそれくらいの気は回せる。
※
放課後、後輩の部活の声が遠く聞こえる。受験生にとってもはやそれはただのBGMだ。夕方になるとうるさく鳴いている虫の声も、今は聞き慣れて気にならない。夕暮れが近づいているのだろう、窓の外、空の色は微妙な色合いを見せていた。
垣谷を校門まで送り、一旦校舎に戻った俺は、下駄箱の前でふと立ち止まる。この後どうすればいいか、しばし悩んだ。
あては、実はないでもない。けれど……
「ホダ。今帰りか?」
そんな思考を断ち切ったのは、不意に背後からかけられた声だ。俺は振り返った。
「あ、ああ……高木か」
「よぅ」
気楽な様子で片手を挙げる高木。松葉杖に、上着は制服ながら、ズボンだけ黒いジャージのようなものを履いている。ジャージは片足だけ不自然に膨らんでいた。ギプスだ。ギプスを足に履いたリュック姿で、一見すると学生には見えない。何度見ても間抜けである。
高木は片腕を松葉杖に預けたまま、器用に下駄箱から革靴を取り出した。松葉杖に預けている方の腕には、カラらしいスポーツバッグを手首にひっかけてトートバックがごとくぷらぷらさせている。
「高木、今帰りか?」
「うん、まあな。ジョーシンでも寄ろうかと思って」
郊外の大型電気量販店の名前をあげる高木。
「何か買うのか?」
「ゲームって言いたいところだが、電子辞書だよ。まあついでに他にも何か買うかもしれんが」
「へー、ずいぶん豪勢だな」
電子辞書といえば学生にとっては入学祝やお年玉レベルの買い物だ。気楽に学校帰りに買えるってもんでもない。
「前のが壊れたから早急にだよ。さすがに、辞書なしで今度の授業受けたくはないんでな。臨時出費は痛いが仕方ない。『受験生は一分一秒が勝負』らしいんでな」
厳しいことで有名な数学教師の名言を口真似する高木。うんざりした表情の中にも、皮肉気な笑みが浮かんでいる。自嘲は受験生の標準装備だ。
「さすがの高木も、観念したか」
「まあ、怪我だの盗難だのノロイだの、騒がしい分、逆に受験にでも失敗したら、まるでそれが原因みたいに思われるかもしれないと思うと、どうもな。別に神経質なつもりはないが」
「不安になったか?」
「んー、どうだろうな」
高木は首を傾げ、ちょっと考え込んだようだった。だが、すぐに鼻で笑って、くだらない考えだったというように小さく笑って、おどけた口調になった。
「ま、ノロイだったら、ホコラに行って学校の神様に祈ればノロイ解除できるらしいから、いよいよ不安になったらそうするさ」
「ずいぶんあっさりしてるな」
「あれこれ考えたって仕方ないだろ。女子みたいに騒ぐのも柄じゃないし」
俺の言う「あっさり」はノロイ解除の仕方に関してだったが、まあ訂正するほどの齟齬も無いので黙っておく。そして高木は片手を挙げ、そのまま杖を突きつき立ち去った。
俺はそれを見送った後、「さて」と小さくつぶやいた。普段通りの友人との、普段通りのやり取りで、決意は固まった。
このまま帰るわけにはいかない。会わなければならない人物がいる。
次回、(作中でも幾度か言及があったので、気がついた方もいるかもしれませんが)いつものあの人の登場です。