起、秋の始まりと穂高と彼女
そんなわけで、俺は今、人生初の彼女持ちである。
※
世に高校生カップルといえば、カラオケや水族館、映画館やイルミネーションへ出かけてデートするもの、らしい。だが、あいにく高校三年の秋という今の時期、そんなことにかまけている暇はない。ましてや、事件以来成績が落ちている垣谷と、そうでなくても成績が芳しいわけではない俺という組み合わせである。必然、デートと言えば、学校帰りにほどほどに洒落た喫茶店で二人そろってお勉強、というのが関の山だった。もちろん、店は垣谷セレクト。とても手が出せそうにない値段のケーキと食べごたえのなさそうなサンドイッチがメニュー表に載っている、というあたりが俺にとっての『おしゃれ』基準である。高いばかりで苦い珈琲が、お替り自由なのがせめてもの救いだ。
「穂高君、この問題、分かる?」
と、そっと数学のノートを差し出してくる垣谷。
「ん? ああ、これは……」
理数だけはかろうじて点数を出せる俺は、問題をさっと見て、どうやら一度解けた問題だと分かって内心胸をなでおろす。たしかベクトルを使うんだったかな……。
「……って感じで、合成式を使えばいい」
「なるほどー、やっぱり穂高君、頼りになるね」
「ああ、いや。たまたま解けたやつだったし……」
へにゃ、と笑う垣谷から目をそらしつつ、ごにょごにょと口ごもってしまう。こう正面から褒められるっていうのは、慣れない。いままでさんざん貶されたりからかわれたりしていたせいだろう。
「……よし、こんなもんか」
苦手な英語の長文和訳をルーズリーフに殴り書き終えて、一息つく。
「あ、終わった? 早くなったね、穂高君」
「まあ、殴り書きだけどな」
「速読だって大事だよー」
「そうか? ……うん、そうか」
そう考えると、妙に達成感がわいてくる。と、向かいに座った垣谷がくすくす、と小さく笑う気配。いぶかしんで顔を上げると、
「穂高君って、わりとすぐ表情に出るよね」
にこにこと答える垣谷。……そういわれると、自分が単純な人間のように思えてしまう。
「あ。えと、ごめん、気にしないで? いい意味だから」
「……ありがと」
すぐ表情に出る人間、の良い意味とはなんだろうか。首をかしげたくなってしまうが、まあ言われた通り、気にしないことにした。
「そういえば、垣谷。最近は、アレ、どうなんだ? あのメール」
話題をそらすついでに、気になっていた話を振ってみた。例のノロイメールの転送が、ここ1週間ほど無くなっていたからだ。ノロイメール自体が来ていないならそれでいいが、変な気を回して垣谷が転送をやめたのではないかとも疑っている。もっと早くに聞きたかったが、こんなタイミングになってしまった。そもそものきっかけではあるが、垣谷にとってはデリケートな問題でもあり、扱いが微妙だ。こういう、さりげない聴き方が一番だろうと判断してのことである。
「あー、うん。最近は、ずいぶん減ったよ。ほんと、ありがとう」
「いや、俺自身は何もしてないし」
転送設定を指示したくらいで、ここまで感謝されるのも歯がゆい。こっちは何もしていない。あえて言うなら俺のケータイがただ黙々と転送されるメールを受け取っているだけで、俺自身はそれを開くことはおろか、たまったメールをごみ箱に捨てるという作業さえしていない、完全な放置状態である。
「そんなことないよ。穂高君は、かっこよかったよ」
頬を赤くして力説する垣谷。喫茶店の真ん中でそうド直球を投げられるとうろたえてしまう。
「いや、まあ、垣谷がそれでいいならまあ」
俺はあわてて話題をたたんだ。
彼女というのはどうしてこう……いや、やめておこう。どう言ってもノロケにしか聞こえまい。
※
とまあ、嬉しいような気恥ずかしいような喫茶店デートも、学校では難しい。文化祭は終わったから、心躍るようなイベントがあるわけでもない。むしろ、これから本番だと言いたげに、放課後の居残り学習が全員に課せられてしまった。クラスの移動も、席替えも禁止の厳しいルールである。別に俺としては、いつも隣に彼女がいなくちゃいやだとか言う束縛系彼氏を名乗るつもりもないが、かといってむさくるしい男子どもに左右を挟まれている状況が嬉しいと言えるほど倒錯的でもない。そんななかでのひたすらな勉強だ。夏は勉強、秋も勉強である。そろそろ勉強にも飽きてきた。しかし、時間が経つにしたがって勉強への意欲を減らしていく俺と違って、周囲は時間に比例して勉強にのめり込んでいるようだった。天王山はもう過ぎたというのにご苦労なことだ。と言いつつも、空気の読める俺は周りに合わせて勉強にのめり込む、ふりをするしかない。やれやれ。
ところで。
「なあ、高木」
「……んあ?」
俺は、隣の高木に声をかけた。英語の教材を広げた机に向かったものの、全くもって気合が入らず、ぼんやりとしている、といった感じの高木は、半分寝ていたような返事をした。
「おい、それ、どうしたんだ。松葉杖なんかついて」
高木はそれを聞いて、嫌そうな顔をする。高木は机に松葉づえを立て掛け、左足に、でかいギプスを履いていた。正直言って、間抜けだ。
「階段から落ちたんだよ」
高木はしぶしぶ、そう端的に答えた。
「まじか。滑るとかお前この時期に縁起の悪い。というかお前んとこ整形外科だろ。なんだそのコントみたいな状態は」
「おかげでおやじに嫌な顔されたよ。というか俺は別に滑ったわけじゃない」
そこで高木、声をちょっと落とし、身を乗り出す。
「突き落とされたんだ。……たぶん」
「突き落とされた?」
「背中を、こう、ぐっと押された。ような気がする」
おいおい。それって。
「事件じゃないか。誰かにそれ言ったか?」
思ったより深刻な話に、俺は知らず小声になる。が、高木は首を横に振る。
「押された時とっさに振り返ったけど、誰もいなかった、って言って誰が信じると思う」
「……やっぱ滑ったんだろ」
じゃなけりゃ心霊現象――ノロイそのものじゃないか、という言葉は飲み込んだ。ふと思い浮かぶ顔がないでもないが、ノロイとなると全く似合わない。高木の方はというと、口元をへの字に曲げ、
「俺も今はそう思う。認めたくないが、確かに誰もいなかったからな。だけどな、女子がなんか『近くの人が怪我をする』ってノロイメールの通りだとか騒いでるんだ。正直、参る。あれこれ聞きに来て、さすがにうざい」
「女子はいつもそんな感じだろ」
いや、正直女子の知り合いは垣谷くらいだからよくわからんが、適当にそう言っておく。垣谷以外で知ってる女子は、一般的な女子と数えるのもどうもためらってしまうようなやつだ。
「そうなんだけどな、なんか、ノロイは続くとかなんとか言ってて。ちょっと気になるじゃん」
「繊細か」
「真面目に聞けっての。しかもそのノロイメールによると、小テスト落ちるとか、運を逃すとか書いてるらしくてさ、ホラ、俺ら、運とか大事じゃんか」
「ジツリョクをつけろ」
「お前が言うなよな。実力無いのはお互い様だろ」
それもそうか。虚しい気もするが認めざるを得ない。
「なんにせよ、ノロイってのは気になるんだよな……。お前のところには来たのか?」
「来たというかなんというか……」
持ち込ませたというか送りこませた、が近いような気がする。
「おお、ブルータス、お前もか。お前にもノロイメールを送ってくれるような友達がいたんだな」
「それは絶対友達じゃないだろ。ノロイメールなんてくだらん、なんであんなものが流行るんだ」
俺の彼女を泣かしたノロイメールは、しかしおかげで彼女ができたので、憎い半面、微妙な気持ちになったりもする。が、黙っておく。憎いのは間違いないのだし。
「さあなあ。けど気分は悪いだろうよ。なにせ俺達は受験生だからな。ノロイ解除っていうの、ノロイメールが来る前にやっといた方がいいかな」
「なんだそりゃ」
「なんか、ノロイ解除の方法ものってるらしいぜ」
「3人に送ればってやつだろ。メール来る前にどうやって送るんだよ」
「あー、違う違う、最近は、違う方法があるらしいんだよ。メールにのってるんだとよ。なんだっけ、呪文? お祈り? を神様に願うとか何とか。良く知らねーけどさ」
「ノロイをかけるメールに、呪いをやめる方法付きか。親切なんだか不親切なんだか……」
「まじそれな」
愉快げに笑う高木。それで満足したのか、しれっと自習に戻った。それで俺も、自習に戻る。世間話の唐突さにも、おかげで慣れてきた。とはいえ、今回は気分転換、というわけにはいかない。
(ノロイの解除方法、ねえ……)
もしそんなのがあるのなら、そっちを垣谷に勧めても良いかもしれない。いくら俺が構わないと言っていても、俺にノロイメールを送り続けていることを気にしている節があるからな。
自習が終わって、俺は早速ケータイを開いた。受信箱は垣谷からのメールで埋まっている。ここ最近はめっきりノロイメールも来なくなったと言っていた。受信箱をさかのぼって、最後に転送されたノロイメールを開いてみる。今までただ送られるだけで、開きさえしていなかった。
そこには、読んだら呪われるだの、道しるべがなくなるだの、友達が怪我をするかもだの、ありきたりでくだらない「ノロイ」がおどろおどろしく説明され、そして最後には――
※
(――このメールをだれかに送れ、か……)
垣谷と待ち合わせての帰り路、なんとなくさっき見たノロイメールを思い返した。
(新しいノロイ解除なんて載ってなかったな。高木のやつ、ガセネタ聞いてきたのか?)
「――穂高クン? ねえ、穂高クン」
「……ん? あ、なに」
「なにって、ボーっとしてるから……どうしたの?」
困ったように眉を下げ尋ねる垣谷に、俺は、笑う。
「いや、夕飯何かなって思って」
「あは。たしかに、お腹すいたね」
俺の答えに、垣谷は可笑しそうに笑った。
(まあ、垣谷にノロイメールが来てないなら、別に関係ないか)
俺はそれで納得し、すっかりその話を忘れてしまった。
「そうだ、今日は久しぶりに、ファミレスでも行くか? ミスドでもいいけど、腹も減ってるし……」
「えっと、お家はいいの? お夕飯作ってるんじゃ」
「あー、いや、別にいいよ。両方入るから」
「はー、男の子ってすごいねえ」
感心したように目を丸くする垣谷。そういや垣谷はこっちが心配になるくらいの小食だったな。
「そういうの、ケンタンカ、っていうんだったか……」
あいまいな記憶を掘り出そうとしていると、垣谷はふふ、と笑って、
「穂高クンって、ときどき、すごく難しい言葉知ってるよね。文系の私が知らないような言葉」
「ああ……難しい言葉が好きな知り合いがいてな……」
「ちょっと、うらやましいかも……。ねえ、その知り合いって……」
「うらやましい?」
あんまり心外で、つい垣谷の言葉を遮る形になってしまった。いやいや、うらやましいというより、俺にとっては、疎ましいという方が近いんじゃなかろうか。
「あ、ううん、なんでもない。ね、今日は、ちょっと早く帰らなくちゃいけないから、ファミレスはまた今度でもいい?」
「ああ、もちろんいいけど」
「うん。ごめんね」
「別に謝ることじゃないだろ」
「うん、でも……」
「垣谷はそういうの気にし過ぎなんだよ。お互い都合ぐらいあるだろ」
「……やっぱり、穂高クンは優しいね」
眉を下げて困ったように笑う垣谷だった。
第三話がどうなるか、作者の私も読めません。一応伏線は張っているつもりです。