3話[入学編Ⅲ]
啓介と太田は互いに脱帽して頭を下げ、それからキャッチボールを始めた。
キャッチボールを始めてから10分。投げる距離が長くなるに連れて、太田が投げる球の威力が増していた。ただのグローブで捕るのは痛いくらいだ。
「よーし、ラスト行くぞー!」
太田は最後の遠投を全力で投げて来た。距離は約80m程だったが、その球は低い弾道で啓介のグローブに届いた。
す、すごい……
グローブに収まったボールを見つめ、呟いた。
レフト線にいる太田の下へ戻ると、太田は肩を回して言った。
「おーし、だいぶ肩の痛みも良くなって来たな」
「肩の痛み?」
啓介が太田の呟きに思わず聞き返したが、
「次、投内連携(投手内野手)行くぞ!! ピッチャーはピッチングをしていない奴が来い!」
と原が言うと、太田はマウンドへと走って行ってしまった。
呟きを聞こうとしたが諦めて、啓介もマウンドへと向かった。
1時間半程で投内連携とシートノックを終え、それと同時に啓介以外のピッチャーのピッチングにが終わった様だ。
「他に投げていない奴はいないか⁉︎ 」
「自分、投げてないです!」
ピッチングがしたくてうずうずしていた啓介は、阪本の声に一早く反応して大きく返事をした。
「よし来い!」
ブルペンでキャッチャー防具を身に付け、構えていたのは篠田だった。その後ろには、パイプ椅子に座り腕を組んで啓介のピッチングを見ようとする阪本もいた。
アピールするチャンスだ!
心の中でそう思った。啓介はブルペンのマウンドに上がり、篠田の構えるミットを見た。そして振りかぶり、オーバースローで啓介は全力のストレートを投げ込んだ。
パンッ!!
と乾いたミットの音がした。コースは右打者の外角低め(アウトロー)に決まっていた。篠田はミットのボールを見つめて阪本に何か告げていた。
「何か変化球はあるか? 投げる前に球種を言ってくれ! 」
篠田に言われた通り、啓介はそれから、カーブ、スライダー、シュートを投げた。投げるたび篠田は阪本に何か告げて、阪本はそれを聞いて頷いていた。
30球投げ込むと、
「よし五十嵐、お前はもう上がりだ。午後になったらライトポールからレフトポールまでのダッシュをやれ」
「はい! ありがとうございました! 」
啓介はお礼を言いながらも、少し不満だった。自分の球筋を見て、何か言って欲しかった。すると、
「おーい、今から昼食だよ! 一緒に食堂に行こう! 」
と啓介よりも少しだけ背の高い男が誘って来た。
「僕、西野樹! 推薦組だよ! 僕もピッチャーだから、これから仲良くしようね五十嵐君! 」
「よろしくね! 」
啓介は食堂に向かう西野に着いて行った。
食堂は全部員92人が楽々入れる程広く、とても綺麗にされていた。食事は寮母やマネージャーが行っている。
あの人が作った料理か……
目の前に置かれている数ある料理を見つめて啓介は少しだけ唇を歪めた。
「五十嵐君、何でニヤニヤしてるの? 」
その瞬間を西野に見られてしまい、慌てて真顔に戻した。すると調理場で、バンダナやエプロンをして働いている沙良の姿が見えた。思わず目が沙良の方へと行ってしまう。テーブルは3列に並べられ、入り口から順に三年生、二年生、一年生となっていた。啓介は一年生のテーブルの一番後ろに座ることにした。その隣に西野も座った。
「岡島と大野はどうした? 」
主将の城戸が周りの選手に尋ねた。
「あいつらは紅白戦に向けて、さっきからティーバッティングやってましたよー! 」
真鍋が城戸に答えた。
「ったくあいつらは。紅白戦には出ないのにな。……まあいい、先に食べるぞ。…合掌! いただきます! 」
『いただきます!』
城戸の号令で選手全員が手を合わせ、一斉に食べ始めた。その食べるスピードはかなり速く、啓介はそれを呆然と見ていた。
「五十嵐君、早く食べた方がいいよ! すぐに午後の練習が始まるからね! 」
しかし啓介は大食いだった。どんぶりに目一杯盛られたご飯。他の人からすれば嫌になるだろうが、啓介からすればこの位は普通だった。味噌汁や海老フライなどをご飯と一緒に次々と口へと運んで行った。
あっという間に啓介は食事を終えた。
「す、すげーなあいつ…… 」
隣にいた西野だけでなく、先輩達も啓介の食いっぷりに驚いていた。
「おい五十嵐! 今から室内練習場でバッティングピッチャーやってくんねーか? 」
そう言って来たのは真鍋だった。真鍋は啓介よりも更に早く食べた様で、既に食器も片付けていた。
「あ、はい! ですが、ポール間ダッシュをやる様に言われてるんですが……」
「あー大丈夫大丈夫! 5打席分位で終わるから! それから走っとけ! 」
啓介は食器を下げに調理場の方へ行った。そこにはまだ沙良もいた。
「あ…… ご、ご馳走様でした! 」
啓介が頭を下げて食器を渡すと、
「ありがとうさん! 午後も頑張ってな! 」
と沙良が微笑んで啓介にエールを送った。その笑顔を見て、午後の練習にもやる気が湧いて来た。
早く名前呼んでもらえるようになりたいな……
室内練習場は縦50m、横30mとまずまずの大きさだった。その中央には三つマウンドとバッターボックスがある。マウンドとバッターボックス以外は全て人工芝だ。甲子園に行ったことのある高校は、地域や学校側からの資金が集まり、そこから室内練習場やバッティングマシンなどの練習設備も整えられる。昭栄高校もその中の一つだ。
「肩温まってるかー? 」
「少しだけキャッチボールして頂いても良いですか? 」
真鍋は快くキャッチボールをしてくれた。昨夜、篠田に聞いたが真鍋はチームのリードオフマン(一番バッター)。走攻守の三拍子が揃った、天才だと言う。先程から真鍋の投げる球は確かに速い。肩が強い証拠だろう。その人といきなり対戦できることは、かなり貴重だ。
「もう大丈夫です! 」
「よし、じゃあ始めるか! 」
ヘルメットを被り、バッティンググローブを嵌めた。真鍋は左打席に入り、バットを構えた。バットの先を啓介に向ける。その瞬間、啓介にもスイッチが入った。
「なあ五十嵐、何か賭けねーか? 」
「賭け、ですか? 」
真鍋はそう提案して来た。
「俺、何かねーと気合入んねーんだ。昨日今日入って来たばかりの新入生にも俺は容赦はしねーからな」
……まあ容赦していられる相手じゃねーだろうけどな、お前は。
「良いですよ? チーム一の天才だとお聞きしましたが、僕はそんなこと気にしませんよ? 常に全力投球です! 」
「いいぜその感じ! 5打席対決な! ……もしお前が1打席でも打ち取ることが出来れば、監督に直談判してお前を試合で投げさせてやる。俺なら監督も耳を傾けてくれるからな」
さらりと真鍋は嫌味を言っていた。本人は全く自覚していないが。
「もし…… 1打席でも打ち取れなかったら? 」
「…… 野球部辞めろ」
「な、何を言うんですか⁉︎ 」
「一般組で試合に出られたのは今まで一人もいねー。野球ってのは試合に出てなんぼだ。ここは実力主義のチームだが、実力を注目されなかった一般組は埋れて行くだけなんだよ」
……ウチ特待組とか一般組とかいう括り方は嫌いやねん
沙良の言葉が蘇った。その言葉を実力で示せなければ結局負け組だ。覚悟を決めて啓介は言い放った。
「この野球部の考え方を俺が変えてやる! 全力で行きますよ先輩! 」
それを聞いて真鍋はニヤッと笑った。再びバットを構える。その構えからは、全てのコースに隙が無いことが分かる。
「来やがれ! てめーの全力見せてみろ! 」
啓介は大きく振りかぶって、真鍋のストライクゾーンへと投げ込んだ……