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ギルドの片隅で、一人の男が「やれやれ」と言いたげな顔で肩をすくめていた。
その前には、討伐不可能と言われていた巨大な魔獣の首が転がっている。
「……困りましたね。僕はただ、静かに暮らしたいだけなのに。こんな大きな獲物を仕留めてしまったら、また注目されてしまう……。ああ、僕の平穏が遠のいていく……」
男は周囲の冒険者たちが驚愕の視線を送る中、わざとらしく溜息をつき、長い前髪をかき上げた。
彼はアルトリウス。
「目立ちたくない」と口にしながら、わざわざギルドの最も混雑する時間に、最も巨大な証拠品を持ち込む矛盾の塊だった。
「……カナさん。見ました? あの『本当はやりたくなかったけど、力がありすぎて困っちゃうなぁ』っていう、全身から溢れ出るバグまみれの自己顕示欲」
「ええ、見たわコウタ。……あいつ、さっきから『目立ちたくない』って三回も言ったわ。三回もよ!?」
カナは物陰からアルトリウスを睨みつけ、トングを激しく打ち鳴らした。
彼女の逆立ったピンクの髪が、怒りでさらに膨れ上がる。
「あいつ、自分から光の中へ飛び込んでおきながら、眩しいフリをしているわ! 覇道とは太陽そのもの! 隠れるフリをして注目を乞うなんて、王として、表現者として、万死に値する不敬よ!!」
「……あ、いっす。カナさんの怒りのポイント、そこっすか。……でも確かに、あいつの手法は見ていてタイパ悪いっすね。……あ、カナさん? 何するつもりっすか」
「決まっているわ! あいつが『目立ちたくない』と願っているなら、その願いを叶えてあげるのが王の慈悲というものよ!!」
カナはニヤリと不敵に笑うと、弾丸のような勢いでアルトリウスの背後に躍り出た。
そして、彼が「やれやれ」と四回目の溜息をつこうとした瞬間、その巨体の魔獣の首を、力任せに踏みつけた。
「ハッハッハ!! 素晴らしい獲物じゃない! 貴様ら、よく聞きなさい! この化け物を仕留めたのは、他でもない、この私! タラちゃん隊の覇王、カナ様よ!!」
ギルド中が静まり返る。
アルトリウスは、自分の手柄を目の前で奪い去った少女を、唖然とした目で見つめた。
「え……? い、いや、君……。これは僕が……」
「だまりらっしゃい! 貴様、さっきから『目立ちたくない』って言っていたわよね!? だったら私が代わりに目立ってあげるから、貴様は望み通り、その隅っこで埃と一緒に静かに暮らしていなさい!!」
カナは魔獣の首に乗り、周囲の冒険者たちの喝采をこれでもかと独り占めにした。
アルトリウスは、想定していた「いえ、僕なんて普通ですよ」という謙遜マウントを取る機会を完全に奪われ、ただの「死体を運んできただけの人」として、群衆の外に押し出されていく。
「……あ、いっす。カナさん、手柄の横取り(ハック)の仕方が鮮やかすぎて、もはや芸術的っすね。……アルトリウスさん、顔が真っ青っすよ。……あ、でもこれ、あいつの望み通りの『平穏』っすよね?」
コウタは震えるアルトリウスの横を通り過ぎ、冷淡な視線を一瞥だけ送った。
「目立ちたくない」という嘘を、カナという暴風が「真実」へと強制変換してしまったのだ。
カナの無邪気なまでの強欲さが、偽善の仮面を被った聖騎士を、一瞬でただの「背景」へとデリートしてしまった。
「コウタ! いいカモを見つけたわよ!!」
カナはギルドの影から、鼻の穴を膨らませてアルトリウスを指差した。
あちらではアルトリウスが、またしても「はぁ、僕の力が強すぎて、また魔物の群れが全滅してしまった……」と、通行人に聞こえるような独り言を漏らしている。
「……あ、いっす。カナさん、目が完全に獲物を狙う肉食獣のそれっすね。……いいカモって、まさかさっきみたいに、あいつの手柄を全部吸い上げるつもりっすか?」
「にしし! 当たり前じゃない! あいつは『目立ちたくない』、私は『目立ちたい』。これこそが最高に効率的なギブアンドテイク(略奪)というものよ!!」
カナはトングをカチカチと鳴らし、コウタの胸ぐらをぐいと引き寄せた。
「いい、コウタ! 貴様はあいつを徹底的にストーカー(尾行)しなさい! そしてあいつが獲物を仕留めて、一番『やれやれ、また僕がやっちゃいましたか』と言いそうな、最高に鼻につくタイミングで私を呼びなさい!!」
「……あ、いっす。要するに、あいつが一番気持ちよくなりたい瞬間を、俺に検知しろってことっすね。……タイパはいいかもしれないっすけど、俺の精神衛生上のデバフが凄まじいっすよ」
コウタは深いため息をつきながらも、魔導端末に「カモの行動ログ」という不名誉な名前のファイルを作成した。
アルトリウスの移動速度、戦闘パターン、そして「やれやれ顔」が出るまでの平均時間をデータ化していく。
「……カナさん、準備はいいっすか。あいつ、今から森の奥のレア種を狩りに行くみたいっすよ。……俺が裏で座標を追うんで、カナさんは一番美味しいところを食らう準備、しといてください」
「ハッハッハ! 任せなさい! 王の仕事は、いつだって美味しいところを攫うことにあるのだから!!」
カナは不敵に笑い、茂みの中へと姿を消した。
善意の皮を被った「目立ちたがり屋」の聖騎士と、その虚栄心を燃料にして輝こうとする「強欲な覇王」。
そして、その泥沼の茶番を冷徹に管理させられる「最強の補佐」。
アルトリウスが最も輝くはずだった舞台は、今、カナというハイエナの餌場になろうとしていた。
森の最奥、黄金の毛並みを持つ巨獣「レガリア・ライオン」が、アルトリウスの剣閃によってついに地に伏した。
アルトリウスは額の汗を拭いもせず、沈みゆく夕日に向かって、これ以上ないほど陶酔した表情で呟き始める。
「……ふぅ。……また、守ってしまいました。僕という力(呪い)が、この平穏を……。ああ、誰にも知られず、ただ風のように……」
「……あ、今っす。カナさん、最大出力でどうぞ」
茂みに潜むコウタの冷徹な合図と同時に、ピンクの突風がアルトリウスの背後から躍り出た。
「ハッハッハ!! やれやれ、また私がやっちゃい――」
カナが、アルトリウスの「決め台詞」を上書きしながら、その不気味なほどのマウントを完成させようとした、その瞬間だった。
「――ゴツッ!!」
虚空から、物理法則を無視した鈍い金属音が響き渡る。
どこからともなく飛来した「使い古された銀色のタライ」が、加速を伴ってカナの頭頂部を直撃した。
「……ぶへっ!?」
さらに、そのタライは驚異的な跳ね返りを見せ、真横でポエムを詠んでいたアルトリウスの脳天をも完璧に捉えた。
「……あ……あ、有り難き……幸せ……っ」
白目を剥いたカナと、謎の感謝を口にしながらアルトリウスが、糸の切れた人形のように同時に崩れ落ちる。
静まり返った森の中に、カラカラと虚しく転がるタライの音だけが響いた。
「これさすがっす。……カナさん、狙いすぎて天罰が直撃したっすね」
数時間後。
ギルドの広場には、山積みの獲物と共に、並んで担架に乗せられた「気絶した二人の英雄」が運び込まれていた。
その異様な光景を見た冒険者たちが、一斉に歓喜の声を上げる。
「見ろよ!! あの懐かしい銀色の輝き……間違いない、タラちゃんの加護だ!!」
「伝説の『タラちゃん』、ふたたび!! 今回はあの聖騎士様まで道連れに、不条理な笑いを提供してくれたぞ!!」
「これぞタラちゃん隊! 手柄よりも笑いを優先する、真のエンターテイナーだ!!」
「タラちゃん!」「タラちゃん!」というシュプレヒコールが沸き起こり、ギルドはさながら祭りのような騒ぎに包まれる。
コウタは、担架の上でピクピクと足を震わせているカナを見下ろし、深く重いため息をついた。
「……カナさん。……手柄どころか、街の『おもしろマスコット』としての地位を不動のものにしたっすよ。……アルトリウスさんも、これで望み通り(?)の不名誉な注目度、マックスっすね」
コウタは、誰にも見られないようにタライを回収しようとしたが、あまりにも神格化されたその輝きに、そっと手を引っ込めた。
覇道への道は、再び「笑い」という名の深い霧に包まれようとしていた。
ギルドの医務室。
頭に巨大な「たんこぶ」を作ったカナが、跳ね起きるなり枕をアルトリウスの顔面に叩きつけた。
「誰がタラちゃんだ!! 私は覇王! 世界を統べるべきカナ様よ!! あの忌々しい金属音、私の脳内から今すぐデリートしなさい!!」
「……あ、いっす。カナさん、起床即怒声とか、脳の再起動早すぎっすよ。……あと、隣のベッドを見てください。あっちも起きたみたいっす」
コウタが指差した先では、同じく「たんこぶ」を掲げたアルトリウスが、どこか恍惚とした表情で自分の頭を触っていた。
彼はカナの方を向くと、眩いばかりの、それでいて最高に気持ちの悪い笑顔を浮かべた。
「……分かりました。ようやく理解できましたよ、カナさん。……あのタライこそが、天が僕たちに授けた『運命の絆』だったんですね!!」
「はぁ!!? 貴様、タライの衝撃でついに脳の回路が焼き切れたのかしら!?」
カナの罵倒も、今のアルトリウスには心地よい賛歌にしか聞こえない。
彼はベッドから立ち上がると、芝居がかった動作でカナの手を取ろうとした。
「いいえ! 僕は今まで、自分の強すぎる力を疎んできました。……でも、君と一緒にタライに打たれた瞬間、僕は救われたんだ! 痛み、笑い、そして共有される不条理! これこそが僕の求めていた『平穏な愛』の形だ!!」
「寄るな! 触るな! そのキラキラした目で私を見るな!! 気持ち悪い、気持ち悪すぎるわ!!」
カナは全力で後ずさり、窓枠に飛び乗った。
いつもなら力でねじ伏せるところだが、アルトリウスの「純粋すぎる勘違い」という名の精神攻撃は、覇王の心をも容易に侵食していく。
「……あ、いっす。カナさん、これ完全に『なろう』の変なルートに入ったっすね。……アルトリウスさん、あいつ、カナさんのことを『自分を飾らずにいてくれる唯一の理解者』だと思い込んでるっすよ。……タイパ最悪のストーカー、爆誕っす」
「コウタ!! 何とかしなさい! 貴様の魔法で、あいつの記憶から私を、いや、あのタライの存在ごと抹消するのよ!!」
「無理っす。あいつの脳内、今『善意』と『勘違い』で上書き禁止がかかってるんで。……あ、アルトリウスさん、またポエムの準備始めてるっすよ」
「ああ……カナ。君という名のタライが、僕の心の扉をノックしたんだ……」
「死ねええええええ!!」
カナの叫びが医務室を突き抜け、街中に響き渡る。
覇道を突き進むはずの乙女は、今、人生最大の「天敵」という名の粘着質な光に、完膚なきまでに追い詰められていた。
アルトリウスの粘着質な「善意」から逃れるべく、カナはギルドの裏路地でコウタの襟首を掴み、激しく揺さぶっていた。
「フン! ああいう『ポエマー』主人公もどきの隣には、従順で、薄幸で、それでいてとんでもなく強い『奴隷ヒロイン』が寄り添ってるのが相場(お約束)なのよ!!」
「……あいっす。カナさん、ついに自分のキャラ設定を維持するために、他人のパーティ構成にまで口を出し始めたっすか。……で、その奴隷を拾ってきてどうするつもりっすか」
「決まってるじゃない! あいつにその『ヒロイン』をあてがって、私の存在をデリートさせるのよ! コウタ! どっかから拾ってきなさい! 過去がドロドロにダークで、目つきが悪くて、でも王(私)には絶対服従するような、とびきり強いやつをね!!」
「……あ、いっす。……『過去がダーク』で『絶対服従』……。そんな都合のいいジャンクパーツ、その辺に落ちてるわけ……」
コウタが魔導端末のサーチ機能を無造作に起動した、その時。
路地裏のさらに奥、ゴミ溜めのような暗がりに、鎖に繋がれたまま「無心」で鋼鉄の板を素手で引きちぎっている人影が、赤外線モニタに反応した。
「……あ、いました。……検索一発でヒットっす。……カナさん、あれ。……闇ギルドの闘技場から逃げ出してきた、通称『死に損ないの黒狼』。……過去ログによれば、故郷を焼かれ、仲間に裏切られ、今は心を閉ざした戦闘機械っすね」
「にしし! 最高じゃない! まさに私が求めていた『ダークな逸材』よ!!」
カナはゴミ溜めへと踏み込み、鋭い眼光を放つ少女――ボロボロの耳と、呪印が刻まれた首輪をつけた獣人の少女の前に仁王立ちになった。
少女はカナを殺気で射抜くが、カナはその視線を鼻で笑い、トングを突きつける。
「いい、貴様。今日から貴様は私の『ヒロイン』よ! あのキラキラした聖騎士の隣で、不幸そうに、かつ献身的に振る舞いなさい! これが王の命令よ!!」
「………………殺す」
「……あ、カナさん。……その子、従順どころか、カナさんの喉笛を狙って物理演算(殺意)を加速させてるっすよ。……あと、あいつ。……アルトリウスさんみたいな『光属性』が一番嫌いなタイプっすね」
「好都合よ! 同族嫌悪をぶつけて、あの聖騎士の脳内を物理的に破壊してやるわ!! さあコウタ、この子の首輪をハックして、私の『奴隷(という名の刺客)』として登録しなさい!!」
「……あ、いっす。これ、アルトリウスさんを救うどころか、街一つ吹き飛ぶレベルの致命的なエラー(共依存)が発生する予感しかしないっすよ」
コウタは諦め顔でキーボードを叩き、少女の首輪に刻まれた「絶望のコード」を書き換え始めた。
覇王カナによる、あまりにも強引な「ヒロイン供給作戦」。
それは、アルトリウスのキラキラした世界に、本物の「闇」を叩き込むための、最悪のパッチワークであった。
カナは、拾ってきた獣人の少女――フェンの首根っこを掴み、アルトリウスが「道行く人々に善意を配っている」広場の中央へと放り出した。
「おい、アルトリウス! 貴様に相応しいヒロインを連れてきてあげたわよ! ほら、この可哀想な『過去がダークで強い奴隷』を愛でて、私の視界から消え失せなさい!!」
「……殺す。……光る奴、全員、殺す……」
フェンは地を這うような声で呪い、その手に凝縮された「闇」の魔力をアルトリウスの心臓目掛けて放とうとした。
だが、その瞬間。
アルトリウスが「ああ、なんて痛ましい!」と叫びながら、無防備に両腕を広げてフェンを抱きしめたのだ。
「……えっ!? ……離せ、光のバグ……消し飛ば……」
「いいえ、離しません! 君のその瞳に宿る深い闇……それこそが、僕という光が照らすべき場所だったんだ!! 君が僕を殺すというなら、それでも構わない! 君の悲しみという名のタライを、僕が全て受け止めよう!!」
カナとコウタが「は?」と口を開けたその時。
奇跡という名の、最悪に都合の良い「構文」が発動した。
アルトリウスの放つ眩い「善意」が、フェンの「闇」と反転・融合し、二人の周囲に見たこともないような祝福の光が渦巻き始めたのだ。
フェンの首に刻まれていた呪印がパリンと音を立てて砕け散り、彼女の目からスッと殺意が消えていく。
「……あ、……暖かい。……私を、拾ってくれるの……? この光の塊が……?」
「もちろんです、フェン! 君は今日から僕の『唯一無二の伴侶』だ!! さあ、共に行こう! 愛と正義が支配する、僕たちの楽園へ!!」
「……マスター。私、どこまでも、ついていく……」
二人は見つめ合い、背景に「完」の文字が見えそうなほどのハッピーエンド空間を形成した。
そして、アルトリウスは最後にカナへ向かって、最高に輝く笑顔で親指を立てた。
「カナさん! 君が僕たちを引き合わせてくれたんですね! 最高の仲人だ! ありがとう、僕の親友!!」
二人はキラキラした粒子を撒き散らしながら、手を取り合ってスキップで去っていった。
静まり返った広場。
そこには、呆然と立ち尽くすカナと、虚無の表情でタブレットを見つめるコウタだけが残された。
「何よ、今の。何なのよ、あいつら。……私の計算だと、あいつがドロドロの過去に苦しめられて、私への執着を捨てるはずだったのに」
「……あ、いっす。……カナさん。……理不尽をぶつけたら、奇跡が当たって、最強のバカップルが爆誕したっすよ。……あいつら、もうこの世界の物理法則じゃ太刀打ちできないっす」
カナは震える手でトングを握りしめたが、その行き場のない怒りは、ただ空を斬るしかなかった。
奪われた手柄、押し付けられた仲人の役職。
覇王としてのプライドを、最も「お約束」な形で粉砕されたカナは、その日、初めて自分の「物語」が負けたことを悟った。
アルトリウスの無敵の善意がフェンの闇を中和し、誰も予想しなかった、あるいはお馴染みの奇跡のカップリングが成立して去っていく。




