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ゴミ拾いの終盤、街の最果てにある、今にも崩れそうなパン屋の前にカナは立った。

看板は剥げ落ち、店先には「本日分終了」というやる気のない札が揺れている。

カナはピンクのタスキを翻し、迷わずその扉を蹴破らんばかりに開けた。


「ジジイ! 今日も来たわよ! 世界を統べる覇王、カナ様の御成よ!!」


「うげっ、またお前か! シッシッ、もうお前にはやるパンなんて一欠片もねえぞ! 貧乏人が王様ごっこして歩き回るんじゃねえ!!」


奥から出てきたのは、粉まみれの頑固そうな老人だった。

彼はカナを見るなり、汚れた雑巾を振り回して追い払おうとする。

コウタは一歩引いたところで、その光景を冷めた目で眺めていた。


「……カナさん。ここ、前に『一口食べて吐き出した』って言ってた、あの不味すぎるパン屋っすよね? 効率的に考えて、ここに来る意味一ミリもないっすよ」


「黙りなさいコウタ! 貴様には分からないのよ! 私のキングダムには、このジジイのパンがいるんだ!!」


「ああん!? 誰がタラちゃん隊なんぞにパンを食わせるか! とっととゴミ拾いに戻りやがれ!!」


老人はカナのあだ名までしっかり把握しており、容赦なく罵声を浴びせる。

だが、カナは怯まない。

彼女は鼻に付いた泥を拭いもせず、パン屋のカウンターに身を乗り出して叫んだ。


「世界を支配するには、まず胃袋を支配しなければならない! この石より硬く、泥より不味いパンを食らってこそ、私の覇道は完成するのよ!! ジジイ! 貴様がくたばる前に、その最悪な味の秘訣を私が買い取ってあげるわ!!」


「誰が売るか! っとに……ほらよ、売れ残りのカチカチのパンだ。これ持ってとっとと消えろ!!」


投げつけられたのは、もはや武器にできそうなほど乾燥したパンの塊だった。

カナはそれを空中で見事にキャッチすると、宝物のように胸に抱えて「にしし……!」と笑った。


「……あ、いっす。結局、カツアゲしただけじゃないっすか。タイパ悪いんで、俺はもう帰るっすよ」


コウタは溜め息をつき、連結された足でカナを促す。

だが、背中を向けたコウタの耳に、カナの小さな、独り言のような声が届いた。


「……いいのよ、これで。……この不味いパンがなくなったら、私の空腹を本当に知っている奴が、この街からいなくなってしまうもの」


「…………」


コウタは足を止めた。

振り返ると、カナは不味そうなパンを一口齧り、あまりの硬さに涙目になりながらも、幸せそうに咀嚼していた。

それは、どれほど栄華を極めても、自分を「ただの腹を空かせた子供」として扱ってくれる場所を、必死に守り抜こうとする王の、不器用すぎる愛の形だった。





「よおジジイ! また来たわよ! 疲れてんじゃないわよ!!」


カナは勢いよく扉を蹴り開けると、疲れ果ててカウンターに突っ伏していたジジイの背中を、景気よく叩き上げた。

小麦粉が舞い、ジジイが「げほっ、ごほっ! 殺す気かこのアマ!!」と咳き込みながら飛び起きる。


「にしし! 王である私が直々に励ましに来てあげたのよ! さあ、感謝して、今すぐ私に『不味さの極致』を献上しなさい!!」


「うるせえ! 薪代すらねえってのに、パンなんて焼けるか! ほら、今日はもう店仕舞いだ、帰れ帰れ!!」


ジジイが怒鳴り散らす中、コウタは一歩も動かず、入り口付近で静かに視線を走らせていた。

彼の瞳の奥では、不可視の魔法回路が高速で演算スキャンを開始している。


「……あ、いっす。カナさん、ちょっと黙っててください。……ジジイ、あんたの疲労の正体、今特定デバッグしたっす」


コウタは指先で空中に小さな魔法陣を浮かべ、店の各所を指し示した。

彼の声には感情がなく、ただ事実だけを陳列していく。


「まずこの釜、熱漏れがひどすぎて薪の消費量が通常の三倍っす。これじゃあ冬を越す前に資金が底を突くっすね。……それと、この床の傾き。動線に無駄な負荷がかかって、ジジイの膝に致命的なデバフをかけてるっす。このままじゃハードウェアが物理的に損壊するっすよ」


「「…………は?」」


ジジイとカナの声が、見事に重なった。

二人は揃って口を半開きにし、淡々と指を動かすコウタを、まるで得体の知れない化け物を見るような目で見つめている。


「……おい、コウタ。貴様、さっきから何をブツブツ言っているのよ。……熱……もれ? デバ……? なに、新しい踊りか何か?」


「お、おい若造。お前……俺の膝がなんだって? 膝に呪いでもかかってんのか? それに、しすてむ……? なんだ、それは」


ジジイは恐る恐る自分の膝をさすり、カナはコウタが指し示した何もない空間をトングで突っついた。

コウタは二人の反応に微塵も動じず、空中に浮かぶ光るグラフをスワイプして見せる。


「……あ、そうっすか。今の、そんなに難しい概念コンセプトじゃなかったはずっすけど。要は、ジジイがアナログな精神論で浪費してる時間を、俺がデジタルな魔法で回収しなきゃ、この店、来週にはゴミ屋敷として更地デリートになるって話っす」


「「…………」」


カナとジジイは顔を見合わせ、それからまたコウタを見た。

二人の間には、初めて「この少年の言っていることが一文字も理解できない」という奇妙な連帯感が生まれていた。


「……ダメだわジジイ。コウタが、私たちの知らない『向こう側』へ行ってしまったわ……!!」


「……よく分からねえが、こいつ、パンの話をしてるんじゃねえぞ。……なんか、恐ろしい禁忌の術でも使おうとしてやがる」


「……あ、いっす。もう説明するだけタイパの無駄っすね。……カナさん、理解しなくていいんで、とりあえずそこに転がってるドロップアウトした職人候補、全員攫ってきてください。俺はここのソースコード、今から書き換えるんで」


コウタが冷たく言い放つ中、カナとジジイは嵐が過ぎ去るのを待つ子犬のように、ただただポカンと立ち尽くしていた。




街の賑やかな大通りに面した、行列のできる人気パン屋。

その裏口で、一人の職人が店主から罵声を浴びせられ、粗暴に追い出されている真っ最中だった。


「貴様のような、こだわりばかりで効率の悪い職人はうちには不要だ! 二度とこの店の敷居を跨ぐな!!」


「そ、そんな……! 俺は、この店に青春の全てを……」


粉まみれの職人は、持っていた麺棒をガシャンと音を立てて落とし、絶望に打ちひしがれた顔でその場に膝をつく。

彼の隣を通りかかったコウタは、一瞥しただけで「あ、いっす。ミスマッチっすね。さっさと転職した方がタイパいいっすよ」と呟き、何事もないかのように歩き去ろうとした。


だが、その光景を偶然目撃してしまったカナは、目を爛々と輝かせ、全身を震わせながらその場に立ち尽くしていた。


「……ハッ ハッハッハッハ!!」


カナは突然、高らかに笑い声を上げた。

絶望に沈む職人や、追い出した店主が呆然とカナを見る。


「……伝説のざまあ追放! これよコウタ! これが、私の求めていた『物語』の始まりなのよ!!」


「いや、ざまぁまで入ってないっすよ。ただのリストラっす。しかも店主、特に罰を受けてないんで、ここから因果応報までの実装コードが足りてないっす」


コウタは冷めたツッコミを入れるが、カナの興奮は最高潮に達している。

彼女は絶望に沈む職人の前に仁王立ちになり、指を突きつけた。


「あんた!! 実はとんでもない隠しスキルがあるパン職人なんでしょ!! この追放をきっかけに、とんでもないチート能力に覚醒して、いつかあの店をぎゃふんと言わせるんでしょ!? そうなんでしょ!!」


「は……? い、いや、俺はただのパン職人で……もう俺はパン屋なんてやらねぇんだ……」


職人は完全に状況についていけていないが、カナはそんな彼の言葉など聞く耳を持たない。

カナは職人の手を力強く掴み、無理やり立たせた。


「チッチッチ! 甘いのよ! ここから涙あり笑いありの覚醒チート開始よ! さあ行くわよ、私のキングダムの『光の戦士』よ!!」


カナはそう叫ぶと、職人を文字通り「引きずる」ようにして、あのパン屋へと向かって駆け出した。

コウタは後ろから、呆れ顔でその光景を眺めている。


「……あ、いっす。結局、やる気のないドロップアウト組を拾って、ジジイになすりつけるつもりっすね。……もう俺のデバッグのしようもない、最悪のバグ取りっすよ」


コウタはそう呟きながらも、なぜかその足はカナの後を追っていた。




有名店の裏口から追い出された「ざまぁ枠」の職人を引きずりながら、カナが次なる獲物を探して大通りを闊歩していた、その時。

街角のベンチで、履歴書のような束を握りしめ、魂が抜けたように空を見上げている一人の新人と遭遇した。


「……はは、これで十件目か。有名どころは全部落ちたな。……俺、パン職人の才能、一ミリもなかったんだな……」


青年が力なく呟き、履歴書を丸めようとした瞬間。

カナが爆風のような勢いで彼の目の前に着地した。


「ハッハッハ! これが運命力デスティニーか!!」


「うわあああ!? な、なな、なんですか貴女は!!」


「にしし! 諦めるのはまだ早いわよ、若人! 見なさい、この私の後ろに控える『伝説の追放者』を! そして今、貴様という『不遇の天才』が揃った!! これこそが、最強のパン屋が爆誕する前兆プロローグなのよ!!」


カナは、嫌がる追放職人と、腰を抜かした新人の襟首をまとめて掴み上げた。

一人でも重い男二人を、羽毛のように軽々と持ち上げるその怪力に、周囲の通行人がざわつき始める。


「……コウタ、カナさん。ちょっと都合よすぎません? この街、パン職人のドロップアウト率が高すぎるか、カナさんの引きの強さが統計学のバグを叩き出してるっすよ」


「細けえことは気にすんな! 面白いことが起きてるんだから、それが正解なのよ!!」


カナはそう言い捨てると、バタバタと暴れる二人を抱えたまま、あの崩れかけのパン屋へと猛ダッシュを開始した。

コウタはその後ろ姿を、感情を消した目で見つめている。


「……あ、いっす。もう確率論を論じるだけ無駄っすね。……さて、ジジイ。あんたの店に、今から『やる気ゼロのプロ』と『自信ゼロの素人』という、最悪の混合データ(ジャンクパーツ)が二つ同時に放り込まれるっすよ。……システムダウンしないよう、俺がバックアップに回るっす」


コウタはため息をつきながら、歩行デバイスの出力を上げた。

前を走るカナは、もはやパン屋を救うというより、自分好みの「面白いパーティ」を結成することに夢中だ。




粉まみれの厨房に、カナの破壊的な咆哮が響き渡った。

彼女は両脇に抱えていた「追放された職人」と「夢破れた新人」を、ゴミ袋でも置くかのような無造作さで床に放り出した。


「ジジイ! とりあえずゴミどもを連れてきたわよ!!」


「うわあ!?」

「な、なんなんだここは……!」


床に転がされた二人が悲鳴を上げる中、ジジイが奥から麺棒を構えて飛び出してきた。

その顔は怒りと、それ以上の困惑で真っ赤に染まっている。


「このアマ……! 勝手に人の店を職業安定所ハローワークにしやがって! 誰がそんな、死んだ魚の目をした奴らの面倒を見るか!!」


「にしし! 贅沢言わないの! この子たちは私が厳選した『物語の主人公候補』なんだから! ほらジジイ、お駄賃にパンを焼きなさい! こいつらの魂を叩き直すような、とびきりのやつをね!!」


カナはそう叫ぶと、勝手に小麦粉の袋を椅子代わりにしてどっかと座り込み、カウンターをトングで叩いて催促を始めた。

ジジイはあまりの理不尽さに血管が浮き出ているが、カナの背後で冷徹に腕を組むコウタの視線に気づき、動きを止めた。


「……あ、いっす。ジジイ、怒鳴るエネルギーがあるなら、今のうちにそこのジャンクパーツ(新人)たちに、最低限の粉の捏ね方でもインストールしといてください」


「若造……! お前まで何を言ってやがる!」


「俺、今からこの店のオーブンをオーバーホールするんで。あんたの旧式なアナログじゃなくて、俺の魔法ロジックで熱伝導率を強制書き換え(ハック)するっす。……あ、カナさん。粉まき散らすのやめてください。可読性が落ちるんで」


コウタは淡々と空中に魔法陣を展開し、古びた石窯に手を触れた。

一瞬、窯が青白い光を放ち、ジジイが「ひいっ!?」と腰を抜かす。

コウタの指先が動くたび、店の「不運」と「不全」が、問答無用でデバッグされていく。


「……さあ、地獄のブートキャンプ開始っすよ。やる気のないプロと、自信のない素人。そして、言葉の通じない頑固なジジイ。……このバグだらけの環境で、カナさんの言う『伝説』とやらが本当に出力アウトプットされるのか、俺が裏から監視モニターしてやるっす」


カナが「ハッハッハ! 焼け焼けー!」と笑い、ジジイが怒鳴り、職人たちが泣き言を漏らす。

そのカオスな中心で、コウタはただ一人、冷徹に「再生」のスイッチを押し込んだ。



翌日、予定より早くクエストを片付けたカナは、ギルドへの報告もそこそこに、桃色のタスキをなびかせてパン屋へと突き進んだ。


「おいジジイ! 早く終わったから、私がパンを食ってやるぞ!!」


返事も待たずに厨房へ踏み込むカナ。

その後ろでは、コウタが魔導端末のホログラムを展開し、冷徹な数字の羅列を指先で弾いていた。


「……あ、いっす。ジジイ、ちょっといいっすか。今の経営状況をシミュレートしたんすけど、仕入れルートの冗長性と、この立地における客単価のミスマッチが深刻っす。キャッシュフローが死ぬ前に、抜本的な損切りを――」


「うるせえ! さっきから何をブツブツと……! し入れ? きゃっしゅ? 訳の分からねえ呪文を唱えるんじゃねえ! 俺はパンを焼く話をしてるんだ!!」


ジジイが粉まみれの拳を振り上げてブチ切れる。

コウタの「正論」は、ジジイにとっては異世界の言語か、あるいは自分の人生を否定する侮辱にしか聞こえない。

一触即発の空気の中、昨日さらわれてきた二人が、震える声でその輪に加わった。


「あ、あの……! ジジイさん、俺たちにパンを教えてください! さっきのコウタさんの話は……よく分からなかったけど、この店をなんとかしたいんです!!」


「俺も……! 有名店を追い出されて、もう後がないんです。お金、今は全然持ってないですけど……いつか必ず返しますから!!」


「……ふん。金もねえ、やる気も怪しい、おまけにどいつもこいつもバカばっかりだ」


ジジイは鼻を鳴らし、忌々しそうにコウタの「光る数字」を睨みつけた。

だが、空っぽの金庫と、熱効率だけは魔法でハックされたオーブンを交互に見比べ、苦虫を噛み潰したような顔で溜息をつく。


「……背に腹はかえられねえ。若造、お前のその『呪文』が必要なことくらい、俺だって薄々分かってんだよ……! ちくしょう、教えろ! その、まーけてぃんぐだか何だか知らねえ理屈をよ!!」


「……あ、いっす。話が早くて助かるっす。じゃあ、まずはこの減価償却の概念コンセプトから――」


コウタが淡々と解説を始めるが、ジジイは三秒で白目を剥き始めた。

専門用語の洪水に溺れかけるジジイの横で、意外にも、必死に食らいついたのは二人の弟子だった。


「……なるほど。この『うぃんうぃん』ってのは、要するに美味いパンを安く仕入れるってことっすね!?」


「違うっすけど……まあ、その理解でいいっす。ジジイ、あんたは手を動かしてりゃいいっすよ。この弟子二人に、俺のロジックを無理やりインストール(教育)するんで」


カナが「にしし! 地獄の講義の始まりね!」と笑いながら、焼き上がったパンを勝手に頬張る。

理解不能な数字に頭を抱えるジジイと、それを必死に翻訳しようとする二人の弟子。

コウタが冷徹に引いた境界線の向こう側で、バラバラだった「ゴミ」たちが、少しずつ一つの不格好な「組織」として動き出そうとしていた。


 

数日後。

パン屋の厨房は、コウタの「魔法の工程表」によって劇的な進化を遂げていたはずだった。

だが、扉を開けたカナとコウタを待っていたのは、焼き上がりの香りではなく、激しい罵声の応酬だった。


「だから! この粉のグレードを下げれば、もっと利益が出るってコウタさんも言ってたじゃないですか!」


「うるせえ! だったら昨日お前が焼いた、あのボソボソの塊は何だ! あれを客に出すくらいなら、俺は今すぐ店を畳んでやる!!」


新人の弟子二人が、コウタから授かった「利益率」という武器を盾にジジイに詰め寄っている。

ジジイは真っ赤な顔で麺棒を振り回し、今にも爆発しそうな一触即発の空気だ。

そこへ、カナがいつも通りの理不尽な勢いで割って入った。


「よおジジイ! パンよこせ! 腹が減って覇道が進まないわ!!」


カナは険悪な空気など一ミリも読まず、カウンターに身を乗り出して叫ぶ。

それを見た弟子の一人が、焦った顔でカナを制止した。


「あ、カナさん! ちょっと待ってください! 今、経営を安定させるために試作と計算をしてるんです! そんな風に、身内だからって無料で配ってたら、いつまでたっても店は良くならないですよ!!」


「そうですよ! コウタさんの理論なら、まずは『無駄な支出』をカットするのが最優先なんです!」


弟子たちの「正論」が、狭い厨房に突き刺さる。

ジジイはぐうの音も出ず、苦虫を噛み潰したように黙り込んだ。

自分が守ってきた「情熱」が、コウタが教えた「数字」によって論破され、存在価値を失いかけている。

だが、その時。カナのトングが、カウンターを凄まじい音で叩いた。


「だまらっしゃい!!」


カナの咆哮に、弟子たちの肩がびくりと跳ねる。

彼女はトングを剣のように突き出し、弟子二人を一人ずつ睨みつけた。


「ゴミども……コウタの口真似をして、賢くなったつもり!? 利益? 支出? そんな退屈な言葉で私の空腹が満たせると思っているのかしら!!」


「い、いや……でも、現実的に考えて……」


「現実なんてゴミと一緒に拾って捨ててきなさい! 私が『食わせろ』と言っているのは、ジジイのこの、不味くて不器用な『意地』なのよ! 数字で綺麗に整えられたエサなんて、そこら辺の溝にでも流しておけばいいわ!!」


カナはそう言い捨てると、黙り込んでいたジジイの胸ぐらを掴んで引き寄せた。


「いいジジイ! あんたは私の民(パン職人)でしょ! 私が飢えてる時にパンを焼かないで、何が経営よ! 何が王国の補給基地よ!! ほら、さっさと焼きなさい! 焦げてても硬くてもいい、ジジイの『魂のバグ』を私に食らわせるのよ!!」


「……カナさん、暴論すぎて俺の計算式が全部弾け飛んだっすよ。……でも、まあ。ジジイの死んだ目が、今ちょっとだけ再起動リブートしたっすね」


コウタは隅っこで溜め息をつきながらも、魔法の演算を「効率」から「ジジイの熱量」へと密かにシフトさせた。

カナの理不尽なまでの肯定。

それが、崩れかけていた店の芯に、再び歪な情熱を注ぎ込もうとしていた。


 

カナの一喝で黙り込んだ厨房に、今度はジジイの低く、それでいて勝ち誇ったような笑い声が響いた。


「……へっ、聞いたか若造ども! これが『客』の魂の声だ! 効率だの利益だの、小利口な理屈で俺を教導しようとした報いだ。……ほら、さっさと荷物をまとめて、元の路地裏へ帰りやがれ!!」


勢いづいたジジイが、ここぞとばかりに弟子たちへ麺棒を突きつける。

それを見たカナは、呆れたように鼻を鳴らすと、今度はジジイの眉間をトングで小突いた。


「馬鹿ねジジイ! そんなことしたら、貴様こそが『覚醒した若者に復讐される悪徳店主(ざまぁ対象)』になるわよ!!」


「ざ、ざまぁ……? なんだそれは!」


「チッチッチ! 王道フラグを舐めないことね。この若者たちは、今はまだドロップアウトしただけのジャンクパーツかもしれないけれど、貴様がここで追い出せば、明日には隣にピカピカの競合店を建てて、貴様を破滅させる最強のライバルに覚醒しちゃうんだから!!」


カナはそう言って、怯える弟子二人の前に立ちはだかり、彼らを庇うように両腕を広げた。


「いい、貴様ら。そもそもドロップアウトした職人に、一度も採用されたことがない新人。……そんな何者でもない身分のくせに、コウタの数字を借りて偉そうにするのは、百年早いのよ!!」


「「……うっ」」


「貴様らが作ったパンなんて、まだ一度も食べていないわ。……さあ、そこにある粉と火を使いなさい。あんたらの作ったパンを、この私が直々に評価してあげる!!」


カナの挑戦的な言葉に、厨房がしんと静まり返る。

コウタは壁に寄りかかり、手元の魔導端末を閉じて溜め息をついた。


「……あ、いっす。結局、カナさんはジジイの『不味いパン』以外に、この新人たちが作る『まともなパン』もタダでたかりたいだけっすよね?」


「だまりらっしゃいコウタ!! これは王による厳格な品質管理セレクションなのよ!!」


「……はいはい。ジジイ、そういうわけなんで。この『未来のチート主人公』予備軍たちが、あんたの技術を盗んで化けるか、それともただのゴミとして終わるか。……ここで白黒つけるのが、一番タイパいいっすよ」


コウタの言葉に、弟子たちの目に、今までにない鋭い光が宿った。

コウタが教えた「数字」のためではない。

自分たちを「ゴミ」と呼びつつ、その可能性を「物語」として期待している、この理不尽な赤髪の少女に認められたいという、根源的な欲求。


「……やってやる。俺たちのパン、食わせた後に後悔させてやりますよ!!」


「ジジイさん、火を貸してください! 俺の、人生一回目の『覚醒』……見せてやります!!」


「……フン。面白え。コウタ、魔法それで火加減の微調整だけはしておけよ。……こいつらの『未熟な熱』で、店が燃えちまったら堪らねえからな」




厨房は、熱気というより殺気に包まれていた。

カナに焚きつけられた弟子二人が、コウタの魔法火力を限界まで使いこなし、執念の「覚醒パン」を次々と焼き上げる。

対するジジイも「年季の差を見せてやる!」と、釜が悲鳴を上げるほどの勢いで、石のように硬いパンを量産していた。


結果、カウンターには山のような、いや、もはや「パンの防壁」と呼ぶべき質量が積み上がっていた。


「ハッハッハ! どうだお嬢ちゃん! これが俺たちの……」


「馬鹿じゃないの!? こんなに食えるわけないでしょ!!」


誇らしげに胸を張るジジイと弟子たちを、カナの一喝が切り裂いた。

彼女は山積みのパンを見上げ、呆れたようにトングを投げ捨てる。


「いくら私が覇王でも、胃袋のキャパシティ(容量)というものがあるのよ! 貴様ら、作るだけ作って『在庫』という名のバグを撒き散らして、満足してるんじゃないわよ!!」


「……あ、いっす。カナさん、珍しく正論っすね。……ジジイ、このままだと廃棄損で店が物理的に埋まるっすよ」


コウタが冷静に損失を計算し始めたその時、カナが何かに気づいたように拳を掌に打ち付けた。


「……そうだ! 一番大事なことを忘れていたわ!!」


カナはそう叫ぶと、積み上がったパンを風呂敷に包み、強引に背負い込んだ。

そして、店の表へ飛び出すなり、通行人に向かって喉が裂けんばかりの咆哮を上げた。


「聞きなさい、愚民ども! 今日は我がキングダムの建国記念セールよ!! この、ジジイの不器用な魂と、若者の無駄な野心が詰まったパンを、特別に私が直接売ってあげるわ!!」


「おい、カナさん!? 何して……!」


コウタの静止も聞かず、カナは路上でパンを掲げ、羞恥心をどこかにゴミとして捨ててきたかのような勢いで売り込みを始めた。

「おい、そこの戦士! 貴様のその剣、このパンより硬いのかしら!?」「お嬢さん、このパンを食べれば、嫌な上司を殴るくらいの勇気カロリーが出るわよ!!」


「……カナさん。……羞恥心とか、最初から実装されてないんだったわ、この人」


コウタは頭を押さえて溜め息をついたが、その瞳は驚きに揺れていた。

カナの無茶苦茶な売り込みに、呆れつつも足を止める客が続出している。

「覇王のパン」という謎のブランド力(勢い)に圧され、山積みだった在庫が、魔法のような速度で「金」へと変換されていく。


「にしし! ジジイ、見たかしら! 全部売り切ってあげたわよ!!」


一時間後、空っぽになったパンの山を背に、カナはドヤ顔でジジイの前に立った。

そして、売上金の袋から、迷いのない手つきで半分を抜き取り、自分の懐へと収めた。


「はい、これは私の『広報宣伝手数料』ね! 文句はないわね!!」


「「「た、たけぇ……!!」」」


ジジイと弟子たちが同時に絶叫する。

だが、カナは鼻歌交じりに、その金で早速パフェを食べに行く準備を始めていた。

コウタは計算機を閉じ、空になったカウンターを見つめて、小さく口角を上げた。


「……あ、いっす。結局、カナさんの強欲さが、この店を救う最後の『パーツ』だったってことっすね」



コウタは、もはや厨房の「空気」そのものを魔法で制御していた。


「……あ、いっす。ジジイ、左から三番目のトレイ、あと三秒で引き上げ。……新人の、あんたは捏ねのピッチを五パーセント上げて。……追放されたあんたは、今のうちに予熱の余剰魔力を発酵室に回しといてください」


コウタの指先が、空中のホログラムを弾く。

職人たちの背後に浮かぶ不可視の数値が、最適解へと収束していく。

一人一人の癖、その日の湿度、薪の燃焼効率……全てがコウタの「デバッグ」によって完璧に管理されていた。

だが、その効率化の極致にある厨房には、どこか窒息しそうなほどの静寂が漂っていた。

職人たちの顔から、表情が消えかけていた。


「……コウタ。貴様のその『しすてむ』とやらは、確かに凄いけれど。……なんだか、見ていて面白くないわね」


背後でパンを齧っていたカナが、不機嫌そうに鼻を鳴らした。

彼女はトングを槍のように構え、職人たちの中心へとズカズカと踏み込んでいく。


「貴様ら! 何その死んだ魚のような目は! コウタの数字に飼われて、ただの『パン焼き人形』に成り下がったつもりかしら!!」


「い、いや……でも、コウタさんの指示通りに動けば、失敗もしないし……」


「黙りなさい!!」


カナの咆哮が、コウタの魔法陣を物理的に震わせた。

彼女はジジイの胸ぐらを掴み、その鼻先に自分の顔を突きつける。


「いい、ジジイ! 貴様のパンは、私を一度吐き出させたほどの『猛毒』だったはずよ! それが今はどう? 毒にも薬にもならない、ただの『正解』じゃないの!! 私は、貴様のその煮え繰り返るような意地が食いたいのよ!!」


カナはそのまま、立ち尽くす弟子たちにもトングを突きつけた。


「貴様らもよ! 有名店を追い出された屈辱は、その程度の『効率』で洗い流せるのかしら!? だったら今すぐ、その綺麗なパンを道端に捨ててきなさい! 私のキングダムに必要なのは、コウタの数字を焼き切るほどの、貴様らの『ざまぁ』という名の情熱なのよ!!」


カナの理不尽なまでの焚き付け。

それは、コウタが整えた「冷たい最適化」という檻に、真っ赤な松明を投げ込むような暴挙だった。

だが、その瞬間。

ジジイの目に、そして死んでいた弟子たちの瞳に、ドロリとした熱い色が戻った。


「……へっ。……若造。悪いが、お前の指示コードは一度無視させてもらうぜ。……俺のパンを『毒』と言いやがったこのアマに、本当の地獄を見せてやらなきゃならねえからな!!」


「……あ、いっす。……結局、俺がどれだけ基盤ハードを整えても、最後に火を点けるのは、カナさんのその非合理な『バグ』なんすね」


コウタは計算機を閉じ、壁に寄りかかって溜め息をついた。

厨房は一転して、粉と汗が舞う戦場へと変わる。

コウタが裏で、暴走しそうな火力を密かに「安全圏」へと繋ぎ止める。

カナが表で、「もっと焼かないと、全員ゴミと一緒に拾って捨てるわよ!」とケツに火をつける。


それは、ロジックとパッション。

相反する二人の不協和音が、崩れかけのパン屋を、この街で最も熱く、最も不条理な「聖域」へと変えていく瞬間だった。



パン屋の再建から数週間。

店は、コウタの冷徹な最適化と、カナが焚きつけた職人たちの情熱が噛み合い、街の勢力図を塗り替えるほどの繁盛を見せていた。

今日、その「パン」の集大成とカナへのお礼として、ジジイと弟子たちが全力を注いだ一品が、ギルドの広場に運び込まれた。


「ハッハッハ! 見なさい愚民ども! これが我がキングダムの勝利の証よ!!」


カナが誇らしげに掲げたのは、畳一畳分はあろうかという**「超巨大・祝賀ハードパン」**だった。

あまりの重さにギルドの机が悲鳴を上げるが、それを見たベテランハンターたちが、次々と席を立ち、パンを囲み始めた。


「……おい、この匂い。あのジジイの店のマークか」


一人の傷だらけの戦士が、震える手でパンを千切り、口に運ぶ。

そして、噛み締めた瞬間に目を見開いた。


「……ああ、この不器用な火の通り方。……間違いない。俺が新人の頃、金がなくて路地裏で震えてた時、ジジイが『売り物にならねえから食え』って投げつけてくれた、あの味だ」


「私もよ。……親とはぐれて泣いてた時、あの不愛想なジジイが、黙ってこの硬いパンを握らせてくれたわ。……あのおかげで、私は今ここに立ってる」


次々と、ギルドのあちこちから声が上がる。

それは、コウタのデータには存在しなかった、ジジイが何十年もかけて街に撒いてきた「名もなき恩義」の集計結果だった。

カナが適当に「守りなさい」と叫んだあの店は、実はこの街の多くの強者たちの「原点」だったのだ。


「……へぇ。ジジイのやつ、裏でそんな**隠しパラメータ(信頼)**を貯め込んでたんすか。道理で、俺のロジックだけで潰しきれなかったわけっすね」


コウタは計算機を仕舞い、騒がしい喧騒を眺めながら、小さく独りごちた。

ジジイが「非効率」に配り続けた不味いパン。

それは、いざという時に街全体が立ち上がる、世界で最も強固な**「インフラ」**として機能していた。


「にしし! 当たり前じゃない! 私の目に狂いはないのよ! この街の皆が、私のキングダムの民が、あのジジイの不器用な優しさに守られていた……。それを掘り起こしたのは、他でもないこの私よ!!」


カナがドヤ顔で胸を張る中、巨大なパンはあっという間に冒険者たちの手で分け合われ、ギルド全体が不思議な温かさに包まれていく。

コウタは、不味くて硬いパンを笑いながら噛みしめる人々を見ながら、静かに息を吐いた。


「……あ、いっす。結局、俺が必死に組んだ魔法システムより、ジジイの数十年分の『無駄飯』の方が、よっぽど強力な基盤プラットフォームだったってことっすね」


夕暮れの街に、香ばしいパンの匂いが広がる。

どんなに時代をアップデートしても、決して書き換えられない「人の温もり」という名のバグ。

コウタは「たまには赤字も悪くないっすね」と、誰にも聞こえない声で呟き、パフェを催促するカナの背中を追った。



パン屋は、今や街で一番の活気に溢れていた。

コウタの冷徹な経営戦略と、弟子たちの若き野心が噛み合い、並ぶパンはどれも一級品。

だが、そんな「完璧」な店内に、一人の少女の不満げな声が響き渡った。


「おいジジイ! 久しぶりにあのカッテカテのパンが食いたくなったんだけど!!」


カナはカウンターを叩き、最新鋭の魔導オーブンから出てきたばかりの黄金色のクロワッサンを指差して、鼻を鳴らした。


「最近のパンは根性とガッツが足りないわよ! こんなふわふわした軟弱なもの、覇道を進む私に相応しくないわ! もっとこう、顎が砕けるような絶望的なやつを出しなさい!!」


「……あ、いっす。カナさん、それ、全自動で品質管理デバッグされた最高傑作っすよ。ジジイの情熱を、俺がロスなく数値化した完璧な成果物に対して、何てこと言うんすか」


コウタが呆れたように端末を叩くが、カナは聞く耳を持たない。

ジジイは一瞬、眉間にシワを寄せたが、やがてニヤリと不敵に笑った。


「へっ、物好きめ。……おい若造、お前のその魔法の火加減を、今から十秒だけオフにしろ。それと弟子ども、お前らも余計な手出しはすんじゃねえぞ」


ジジイは最新の設備をあえて無視し、奥の煤けた古い石窯に、無造作に捏ねただけの生地を放り込んだ。

数分後。

そこから出てきたのは、もはやパンというより、路地裏に転がっている黒い石塊だった。


「ほらよ。お前以外に、こんなもん食う奴はいねえよ」


投げつけられた「石」を、カナは空中で見事にキャッチした。

そして、嬉々としてそれに齧りつく。

ガリッ、という、聞いているだけで歯が疼くような鈍い音が店内に響いた。


「……ぶふぅ! ……まず、やっぱり最高に不味いわジジイ!! 喉を通る時のこの絶望感、これこそが私の、不屈のスピリットを呼び覚ますのよ!!」


カナはあまりの硬さに涙目になりながらも、幸せそうに咀嚼を続ける。

コウタは、自分の完璧なロジックを嘲笑うかのようなその光景を見て、深く、深く溜め息をついた。


「……あ、いっす。理解を放棄するっす。……結局、どれだけ世界を最適化アップデートしても、この二人の『歪み』だけは、一生修正パッチできそうにないっすね」


どれほど店が繁盛し、システムが洗練されても。

ジジイの「不味いパン」だけは、この街の片隅に、消えないバグのように残り続ける。

それが、かつて一人の少女を、そして多くの敗者たちを救った「最強のインフラ」である限り。


カナは不味いパンを掲げ、夕暮れの街へ向かって高らかに笑った。

その隣で、コウタは次の「無駄」を削るための計算を始め、ジジイは再び弟子たちに怒号を飛ばす。

不揃いで、非効率で、けれど最高に熱いパン屋の日常が、そこにはあった。

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