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ギルドの依頼掲示板の前。

プラスチックの王冠を斜めに被り、コウタから搾取したばかりの新しい上着をマントのように翻したカナが、最高難易度の羊皮紙を指差した。


「はっはっは! 見つけたわ、我が伝説の供物に相応しい獲物を! 次はこの『灼熱の飛龍レッドドラゴン』を討伐し、その首をギルドの看板にしてあげるわ!!」


カナが今にもその依頼書を引き剥がそうとした瞬間、横からコウタの冷ややかな手が伸びて、彼女の手首を制した。

「……いや。カナさん、今どきドラゴンじゃないっすよ」


「なんだと!? ドラゴンこそがキング・オブ・ロード! 覇道の王道! 私のような絶対強者が踏み潰すべき究極の種族ではないの!!」


カナは頬を膨らませ、信じられないものを見る目でコウタを睨みつける。

だが、コウタはチッチッチ、と人差し指を左右に振って見せた。

「いや、いきなりドラゴンっていうのも、古き良き伝統としては分からなくはないんですけど。やっぱり令和のトレンドは『ミノタウロス』なんすよ」


「なぬーーー! 貴様、なかなかセンスが良いではないか!!」


カナは一瞬で食いついた。

彼女にとって「ドラゴンか、ミノタウロスか」という実力的な問題はどうでもいい。「どちらがより『映える』か」が全てなのだ。


「確かに、あの巨大な斧を腕力でねじ伏せ、私の足蹴にする……悪くないわね! むしろドラゴンより私の肉体美が際立つというものよ! よし、ターゲット変更! ミノタウロス、貴様の命を私が受理してあげ……」


「あ、すみませーん。これ、受けられないですよ」

受付嬢の無慈悲な声が、カナの背後から飛んできた。


「な、何ですって!? この私が、わざわざ格下の牛を狩ってやると言っているのよ!? 受理しなさい、今すぐに!!」


「いえ、規定のランクが足りないのもそうですけど……お二人とも、装備が布一枚とシャツ一枚ですよね? その格好でミノタウロスに挑むのは、冒険じゃなくて単なる『お供え物』になっちゃうので……」

 

受付嬢の視線が、カナの「コウタから奪っただけの上着(下はほぼ全裸)」と、コウタの「ガタガタ震える薄いシャツ」に注がれる。

そこには、覇王の威厳も、実力者の風格もなかった。

あるのは、ただの「風邪を引きそうな不審者二人組」という現実だけだった。

 

「……ですよねー。あ、いっす。やっぱり薬草採取の依頼あります?」


「コウタ!! 貴様、王を草むしりに動員するつもりか!? 退かぬ、媚びぬ、草はむしらぬ!!」


「……へいへい。じゃあ、ミノタウロスにそっくりな『牛の魔物のフン掃除』にしますか? タイパいいっすよ、掃除ならすぐ終わるし」


「なっ……! 牛の……近縁種……!! ふん、合格よ。まずはその『聖なる排泄物』を片付け、世界を浄化することから覇道を始めてあげようじゃない!!」


カナは王冠をキラリと光らせ、誰もいない虚空に向かって勝利のポーズを決めた。

コウタは掃除用のバケツを手に取り、死んだ魚の目で歩き出す。

令和の覇道は、ドラゴンの首ではなく、牛のフン掃除から再スタートすることになった。


「はっはっは! 見なさいコウタ! これはただの汚物ではないわ。命の循環、宇宙の凝縮されたエネルギーよ!!」


「……いや、普通にクソっす。鼻もげそうなんすけど」

コウタは顔を半分布で覆い、スコップを杖にして今にも倒れそうな姿勢で立っていた。

だが、カナの瞳には、汚物すらも覇道の資材に見えているらしい。

彼女は、コウタから搾取したぶかぶかの上着の袖をまくり上げ、大真面目な顔で宣言した。


「大地が栄養を欲しているわ! コウタ、これを一粒残らず持ち帰るわよ!!」


「えっ?」


「これこそがキングダム改革の鉄板ルート! 農業レボリューションの始まりよ!! 剣で支配する時代は終わったわ。これからは肥料で世界を平伏させる、土の覇王の時代よ!!」


カナは、泥と糞にまみれることを厭わず、素手でその「エネルギーの塊」を掴み取ろうとする。

コウタは一歩、いや十歩ほど後ずさりしながら、冷徹な事実を突きつけた。

 

「……あの、カナさん。言いたくないんすけど、牛糞ってそのまま撒いてもダメっすよ。ちゃんと発酵させて熱を通さないと、逆に植物の根が焼けて死ぬんすよ。タイパ最悪なんすよ、それ」


「はっ?」


カナの動きがピタリと止まる。

彼女の脳内にある「覇王の辞書」には、微生物による分解や、数ヶ月に及ぶ発酵プロセスという地味な言葉は載っていなかったらしい。

数秒の沈黙。

カナはゆっくりと、糞を掴もうとしていた手を下ろし、コウタを真っ直ぐに見た。


「……知るか!! クソまみれ!!」


「うわあああ!?」

逆ギレしたカナが、手近な糞の塊を全力でコウタに向かって投げつけた。

放たれた「命の循環」が、コウタのシャツの胸元で無惨に弾ける。


「発酵がどうとか、そんな軟弱な論理が私の覇道に通用すると思っているの!? 根が焼けるなら、焼けた後の灰からまた新しい命を生ませればいいのよ! さあ、コウタ! 全てを、今すぐに、持ち帰る準備をしなさい!!」


「無理! 絶対無理! 臭すぎて宿屋出禁になるっす!!」


「問答無用! 契約魔法を忘れたの!? 家来は主人の肥料運びを拒めないのよ! はっはっは!!」


夕暮れの牧場に、カナの狂気じみた高笑いと、クソまみれになりながら絶叫するコウタの声が空虚に響き渡った。

令和の覇道は、文字通り、泥濘と汚物の中に沈んでいくのだった。


街の喧騒から離れた、清流のほとり。

夕闇が迫る中、そこには地獄のような異臭を放つ二人の男女が立っていた。

ギルドの門前で「バイオテロか?」と衛兵に槍を向けられ、一歩も街に入れなかった結果の、緊急避難的洗濯場である。

コウタは絶望的な手つきで、クソまみれになったシャツを脱ぎ捨てた。

「……最悪っす。令和の冒険者が、なんで川で野生の洗濯しなきゃいけないんすか。カナさん、さすがにこれ、羞恥心って言葉、知ってます?」

コウタが横を見ると、カナはすでに、唯一の防具代わりだった「コウタの上着」を脱ぎ捨て、一切の躊躇なく川へ足を踏み入れていた。


「知っておるぞ! しかぁし! コウタ! 魂の共鳴しているお前ならば問題ない!!」


「いや、俺の問題じゃないんすよ! 俺の目のやり場の問題なんすよ!!」


カナは全裸(イミテーションの王冠のみ着用)のまま、腰まで川に浸かり、バシャバシャと豪快に水を跳ね上げる。

月光に照らされたその肉体は、確かに芸術的なまでに美しかったが、彼女が手に持っているのは「牛のフンが付着した布」である。


「見なさい、コウタ! 水の精霊たちが私の汚れを奪い合っているわ! これぞ浄化! 私の覇道が、また一つ新しい輝きを手に入れる儀式よ!!」


「……精霊じゃなくて、ただの物理的な洗浄っす。あと、下流の村の人に謝ってほしいっす」

コウタは背中を向けたまま、自分のズボンをごしごしと洗う。

だが、カナは無邪気に笑いながら、川の中でくるりと一回転した。


「にししし! 何を恥ずかしがっているの、コウタ! 貴様は私の『所有物』、つまり私の一部! 自分の体を見て恥ずかしがる馬鹿がどこにいるのよ!!」


「……その理論、一生理解できる気がしないっす」


「いいから貴様も入りなさい! クソまみれのままでは、私の覇道の隣を歩く資格を剥奪するわよ!!」


カナが川の水を掬い、コウタの背中に向かって投げつける。

冷たい水が、汚れとともにコウタの理性を少しずつ削り取っていく。

コウタは諦めたように溜め息をつき、シャツを川に沈めた。

目の前では、ほぼ全裸の美少女が「私が川の主よ!」と叫びながら、魚を素手で捕まえようとして滑って転んでいる。

「……あ、いっす。もう、どうにでもなればいいっす」

 

川辺の夜風が、濡れた肌に突き刺さる。

コウタは慣れた手つきで焚き火を熾すと、自分のシャツを棒にかけ、蒸気を上げさせていた。

一方のカナは、全裸にイミテーションの王冠という出で立ちで、岩の上に立ち、月に向かって両手を広げていた。


「深淵より出でし焦熱の劫火、銀河を貫く雷霆の裁き! 今ここに融合し、真理の乾燥を司る神の息吹となれ!!」


「……カナさん、何してんすか?」


「見て分からんか! 全神経を集中させ、魔力の極致を編み上げているのよ!!」


「わからんす。服、火の近くに置けば乾きますよ」


「愚かな! 凡人の乾燥など、我が覇道には相応しくない! 聴け、これぞ禁忌の秘奥義――『ギガス・サンダーストーム・ファイア』!! これで服の水分を一滴残らず、存在の地平から抹消してやるわ!!」


「ああ……」

コウタはそれ以上突っ込むのをやめた。

カナが怪しげな踊りとともに、真っ黒に汚れた「元・コウタの上着」に向かって、火花とも静電気ともつかない微弱な魔力を放出し始める。

その横で、コウタは自分の魔力を指先に集中させた。

もともと「普通に強い」彼は、魔力の精密操作もお手の物だ。

彼は、カナのデタラメな呪文の風圧に紛れ込ませるようにして、一瞬だけ高密度の熱風を発生させた。

一発。

物理法則をねじ伏せるような、超高温の除湿。


「はい、カナさん。早く服着てください。風邪引きますよ」


「なっ……! まだずぶ濡れだわ! 私の究極魔法が今まさに発動の予兆を……」


「もう乾いてますよ。ほら」

コウタが指差した先には、水分を完全に飛ばされ、ふっくらと仕上がった上着が岩の上に鎮座していた。

むしろ、買った時よりも柔軟剤を使ったかのような質感にすら見える。


「おぬし、いつの間に!」


「さっきのギガスなんちゃらが、凄かったんじゃないすか。俺にはよく分かんなかったっすけど」


「そうよ! 流石は我が奥義! 水分どころか、時空の湿り気すらも焼き尽くしたようね!! はっはっは、恐れ入ったかしら!!」


カナは一瞬の戸惑いを覇道スマイルで塗り潰し、乾いたばかりの上着をバサリと羽織った。

誇らしげに胸を張る彼女の背後で、コウタは静かに焚き火の番に戻る。

「……あ、いっす。カナさんの手柄でいいんで。早く寝ましょう」

令和の覇道。

それは、主人の勘違いを「最強」として成立させる、家来の超絶技巧によって支えられていた。




ボロ宿の、狭い一室。

ようやく人心地ついたコウタは、ベッドの端に腰掛け、自分の手首に巻き付いた不可視の鎖――契約魔法の残滓を弄っていた。

「……てか、カナさんの契約魔法、これどうなってんすか? 街の魔導師にでも相談しようと思ったんすけど、全然解けないんすけど」

コウタが魔力を流して解析しようとした、その瞬間。

隣で王冠を磨いていたカナが、火が付いたような勢いで食ってかかってきた。


「ナあああああ! 何、解こうとしてんの! 貴様、今、何をしようとしたのよ!!」


「いや、普通に解こうとするでしょ。ずっと縛られてるの、タイパ悪いっていうか……自由がないっていうか……」


「二度と契約魔法に触るな!! それは解くためのものではなく、刻むためのものよ! 我とおぬしは一心同体! 宇宙の特異点で結ばれた運命なの! それを解こうとするなんて、自分自身の魂をハサミで切るようなものよ!!」


カナはコウタの腕を両手で掴み、必死の形相でガクガクと揺さぶる。

その瞳には、いつもの傲岸不遜な光の裏側に、ほんの一滴だけ、「拒絶」を何よりも恐れるクソザコナメクジの本音が混じっていた。


「いい、コウタ。貴様がこの鎖を解こうとするたびに、世界にヒビが入ると思いなさい! 貴様は私の所有物! 私の一部! 分かったら二度と『解く』なんて不吉な言葉を口にしないで!!」


「……あ、いっす。そんな必死に怒らなくても。一生付き合うって、さっき契約したばっかっすもんね」

コウタが諦めたように力を抜くと、カナは「フンッ」と鼻を鳴らし、ようやく手を離した。

だが、その頬は心なしか赤く染まっている。


「……分かればよろしい。さあ、夜も更けたわ。王と同じ布団で眠る栄誉を、特別に無償で授けてあげようじゃない。感謝しなさい、今夜の貴様は世界で一番の幸せ者よ!」


「……あ、はい。結局、ベッドも搾取っすか」

狭いシングルベッド。

無理やり潜り込んできたカナの、川で洗ったばかりの肌の香りと、コウタから奪った上着の匂いが混じり合う。

コウタはため息をつき、目をつぶる。

鎖は解けない。けれど、その重みは不思議と、それほど不快ではなかった。




「何を戸惑っているの。かもん! こい! 隣じゃい!!」


「言い方……」


「遠慮はいらないわ。この狭苦しい寝床も、私の覇道の前では広大な銀河と同じ! さあ、私の隣という特等席に、貴様のその貧弱な体を収めるがいいわ!!」


「いや、俺は床でいいっすよ。令和のコンプライアンス的に……」


「却下よ! 貴様が隣にいないと、夜の冷気が私の覇気を削ぐではないの! 早くしなさい、これは王命よ!!」


カナは布団をバタバタと叩き、コウタを急かす。

その瞳には一分の迷いもなく、あるのは「寂しい」を「寒い」に、「一緒に寝たい」を「隣へ来い」に変換する、圧倒的な自己肯定感だけだった。

コウタは観念して、狭いベッドの端に潜り込む。

途端に、カナの熱と、コウタから搾取した上着の匂いが、至近距離で押し寄せてきた。


「にししし! 合格よ。貴様の体温、家来としてはなかなかの熱量ね。今夜は特別に、私の腕を枕にしても……」


「それはいいっす。カナさん、腕細いから折れるし」


「なっ……! 貴様、私の鋼の肉体を馬鹿に……」


カナは憤慨してコウタを睨もうとしたが、至近距離で目が合うと、不自然に言葉を詰まらせた。



「……二度と、契約を解こうなんて思わないことね」


「……へいへい。分かったっすよ、カナ様」


 

「……解こうとした罰だ」


カナがそう呟くや否や、彼女の顔が目前に迫った。

柔らかな感触が、コウタの唇に触れる。

その瞬間。

二人の手首に刻まれた契約の紋章が、不吉なほど鮮やかな真紅に爆発した。

「うおっ、熱……!? え、カナさん、これ……!?」


全身を縛り上げる見えない鎖が、さっきまでの数倍、数十倍の密度で細胞の一つ一つに食い込んでくる。

指先を動かすだけで、カナの鼓動がダイレクトに神経を叩くような、異常なまでの「密着感」。

「え……なんか、体が重いっていうか。力、全然入らないんすけど」


「はっはっは! 驚いたかしら! 契約魔法、拘束力パワーアップじゃい!!」


「拘束力パワーアップじゃい……って。え、俺が強くなるんじゃないんすか? 普通こういうのって、バフとかかかるもんじゃないんすか」


「愚かな! なぜ私が家来を強くして、謀反の隙を与えねばならないのよ! 貴様が二度と『解く』なんて不敬な思考に至らぬよう、私の支配ロックを深めてあげたのよ!!」


カナは満足げに唇を拭い、仁王立ちで言い放つ。

コウタは困惑した。

筋肉が再構築されるどころか、カナが少し寝返りを打つだけで、自分の体まで強制的に引きずられるような、絶対的な主従の固定。

「……いや、これじゃ俺、カナさんがトイレ行く時まで一緒についていかなきゃダメなレベルじゃないっすか。タイパ最悪どころか、人生の自由時間がゼロっすよ」


「にししし! それこそが私の望む覇道の形よ! 貴様は一生、私の私有地から出られない! 感謝しなさい、今の貴様は世界で一番『逃げ場のない』幸せ者よ!!」


「……あ、いっす。罰にしては重すぎるんすけど。てか、今のキスも、拘束を強めるための『儀式』だったんすか?」


「そうよ! 悪い!?NO!悪くない!敬え! 覇王の接吻は、甘美なる監獄の鍵なのよ!!」


カナは耳まで真っ赤にして布団に潜り込み、コウタの腕を、パワーアップした鎖の力でこれでもかと自分に密着させた。

コウタは、一ミリの隙間もなく押し付けられた彼女の熱量に、ため息をつく。

ただ、逃げ道が完全に塞がれただけだ。

「……あ、いっす。もう、このまま一生動けないっす。カナ様」

令和の覇道は、一回のキスで「絶対的な自由の喪失」へと進化した。


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