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セリフを飛ばした花嫁

作者: 皆月 優

 目を開けたとき、天井はシャンデリアだった。

 静寂。柔らかく香る何かの香水。肌に触れるのは絹の感触。けれど、目覚めの瞬間に思ったのはそんなことじゃない。

「……この身体、私のじゃない」

 胸がある。喉も細い。骨格が違う。息を吐くと、どこか音の高さが違った。身体が、女だった。

 名前も思い出せない。でも、自分が“女じゃなかった”ことだけは、なぜかはっきりしていた。

 ドアがノックもなく開く。金髪の召使いのような少女が微笑む。

「ご準備を。今日は《選定の儀》ですから」

 足を地につけると、滑らかなドレスが肌を包む。胸元が大きく開いた、赤い絹のドレス。露出の多いその装いに、羞恥心ではなく違和感を覚える。まるで、自分が舞台に立たされる役者のようだった。

 鏡に映った“女”が、私を見返していた。

 名は「リス」と呼ばれるらしい。記憶にはない。でも、周囲の誰もがそう呼ぶから、否定のしようもなかった。

 案内された広間には、七人の王子が並んでいた。全員が絵画のような美貌で、背筋を伸ばし、微笑みを浮かべている。

「ようこそ、リス嬢。今日からあなたは、我ら七人の誰かの“花嫁”になります」

 その声に、私は一歩だけ下がってしまった。

「選ばれるのはあなた方ではなく、私が選ばれる側なんですか?」

「もちろんですとも」

 答えたのは、最も年上に見える男。鋭い目を持ち、銀髪の長身。おそらく第一王子だろう。

「我々は、“選ぶ側”ではありません。“選ばせる側”なのです。あなたが、誰を受け入れるかが全てなのです」

 そう言いながらも、王子たちの視線には、明らかな“狩人”の気配があった。


 その日から、私は七人の王子たちに囲まれることになった。

 彼らはそれぞれ、違う色の薔薇を身につけていた。

 赤、青、白、黒、金、紫、銀。

 薔薇は“花嫁候補”へのアプローチを許された証らしく、持つ者は正々堂々と私に近づける。

「まずは一輪だけ、受け取ってください」

 そう言って第一王子は、金の薔薇を差し出してきた。

 私は何も答えず、それを両手で受け取る。気づけば、あまりにも自然な所作だった。

 その瞬間、周囲がわずかにざわめいた。

 金の薔薇を最初に受け取った女は、過去に一人しかいないと、あとで侍女から聞かされた。

 彼女は後に正式な王妃となったのだと。

 王子たちは日替わりで私を“口説く”。

 ある者は静かなピアノを弾きながら手を取った。

 ある者は舞踏の誘いをしてきて、優雅なステップで腰を引き寄せた。

 ある者は声もかけずに首筋へキスを落とし、笑みを浮かべて去っていった。

 私はそのすべてに、“微笑み”で返した。

  ——心は凍ったまま。


 なぜなら、私は“抱かれる”ことが怖かったからではない。

 むしろ、何も感じないことが、何よりも怖かった。

 キスをされた。唇に、頬に、鎖骨に。

 くすぐったさや甘さではない。異物感。自分ではない身体に触れられている、そんな感覚。

「ああ、これは“演技”だ」と、何度も自分に言い聞かせた。

 そう、演技なのだ。

 私はこの“選定の館”という芝居に配役された役者であり、

 心の奥底では、どこか遠くから聞こえてくる“知らない誰かの声”がささやいていた。

  ——これは違う。私は、本当は……


 夜。

 第一王子の私室に呼ばれる。

「君と話したい。夜風に当たりながらでいい。緊張は解けたかい?」

 彼の声は優しく、表情には思いやりがあった。だが、それすらも私は信じられなかった。

 それは演技かもしれない。台本通りかもしれない。

 だけど、彼の腕にそっと抱かれたとき、私は不意に“守られている”と錯覚した。

 そして、身体は……受け入れてしまった。

 その夜のことを、私は覚えていない。

 覚えていたくなかった。

 痛みも、快楽もなかった。

 ただ「入ってきた」という実感だけが、どこかに残っていた。

 怖いのは、それが“嫌悪”というよりも、“理解できなかった”ことだった。

 でも、その直後だった。

 私は彼に対して、どうしようもないほどの感情を抱いてしまった。

  ——この人を包み込みたい。

  ——この人に、泣かせてほしくない。

  ——この人に、私を“愛させたくない”。

 それは快楽でも恋でもない。

 “母性”というにはおかしなほど歪んでいて、でもどうしようもなく強い感情だった。

「……名前を教えてください」

 私はベッドの上で、彼にそう尋ねた。

 彼は静かに答えた。

「私は名前を捨てた。君にとっての“第一王子”であればいいと思っている」

 それは優しさではなかった。

 私に“感情”を与えないための、役割の名前。

 まるで、舞台で役名を名乗っている俳優のようだった。


 儀式の最終日、私は“謁見の間”へと呼ばれた。

 黄金の床、薔薇の香り、響き渡る弦の旋律。

 広間の奥には、父王が座っていた。顔は見えない。光が差し込み、王冠の輪郭だけがくっきりと浮かぶ。

 第一王子が私を導く。

 彼の手を離すと同時に、足が床に吸い込まれそうになった。前に進んでいるのに、どこかへ落ちていくような錯覚。

 王の前で跪いた私に、侍女が告げる。

「選ばれし“花嫁”は、その証として、王へ“祝福の口づけ”を捧げます」

 私は一瞬、意味がわからなかった。

 だが、目の前の玉座に座る“父”が手を伸ばし、顎をそっと持ち上げたとき、すべてが理解された。

  ——ああ、そういうことなのか。

 逃げ出す気力もなかった。

 それが“この国のしきたり”なら、私は逆らえない。

 これは演技であり、儀式であり、私という存在を認めさせる唯一の方法。

 私は目を閉じて、唇を差し出した。

 接触の瞬間、体がひやりと震えた。

 老いの気配すら神聖に感じさせる、異様な“mouse to mouse”。

 心の奥底では、確かに何かが軋んでいた。

 「どうしてここまでして、“選ばれなければならない”のか」

 でも、選ばれなければ、私は誰でもなかった。

 この国の誰でもなく、この館の誰でもなく、自分という存在すら持たなかった。

 キスが終わると、父王は一言も発さず、侍女に何かを示した。

 差し出されたのは、眩しいほどの黄金のネックレス。

 目に映るだけで“重さ”が伝わる、宝石の塊。

「三億の価値があるといわれております」

 そう耳元で囁かれ、私はうっすらと笑った。

 重みが肩に乗ったとき、私はついに理解したのだ。

 この身体は、“誰かに渡すため”のものだった。

 この唇も、腕も、髪も。

 何かと引き換えに価値を与えられる道具に過ぎないのだと。


 けれど、それでも。


 第一王子の目だけは、ずっとこちらを見ていた。

 彼だけは、王のキスの間も、一度も目を逸らさなかった。

 まるでそれが、“リスという人間の中にある痛み”を確かめるための試験だったかのように。

 婚礼の日は、あまりにも静かにやってきた。

 赤と金の刺繍が施されたドレス。

 揺れる宝石のイヤリング。

 無数のランプが灯る白い回廊を、私はただ歩く。

 王子たちは、広間で私を待っていた。

 七人全員が正装し、互いに視線を交わさず、それでも“舞台の始まり”に備えていた。

 侍女が私の背に手を添える。

「父上に言葉を。結びの挨拶です」

 ああ、これが最期の儀式なのだ。

 そう理解しながら、私は玉座に立つ父王の前へと進む。

 父は、すでに口元を少し開けていた。

 それが“mouse to mouse”の再演であることを、私は察してしまった。

  ——これも“演技”なんだ。

  ……でも、私はそのとき、言ってしまった。

「すみません。セリフ、飛ばしちゃいました」

 空気が止まった。

 楽団の演奏が、ふと消える。

 王子たちがこちらを見る。誰も動かない。

 召使いたちの視線が一斉に私に集まる。

 そして、ゆっくりと奥の扉が開いた。

 暗がりから、一人の男が現れる。

 スーツ姿。眼鏡。無表情のまま、淡々と歩いてくる。

「ストップ。演出中断」

 その声に誰も逆らわなかった。

 それどころか、父王はスッと立ち上がり、首のマントを外して後ろへ歩いていく。

 王子たちは、芝居の終了を知った役者のように軽く背伸びをしていた。

「……え?」

 私だけが、その場に取り残されていた。

「台本を受け取っていなかったのは君だけだったんだよ」

 男はそう言って、厚い束の紙を差し出す。

 そこには私の台詞、動き、感情の指定までが、細かく書かれていた。

「今から30分以内に覚えて。次の回に間に合わせてくれ」

 私は、紙を受け取った。

 震える手。目に入ってくるのは文字の海。

 知らない名前。知らない言葉。記号のような指示。

  ……無理だ。覚えられない。

 けれど、誰も助けてくれない。

 みんな“この舞台”の中では、プロの俳優。

 唯一、素人だったのが私だった。

 そのときだった。

 第一王子が、そっと私の肩に手を置いた。

「なら、演技を続けながら覚えていこう。君が君であるままで」

 その声は、役を抜いた“彼”の声だった。

 誰でもなく、ただの青年のような、少し疲れた声。

 だけどその響きに、私はなぜか、少しだけ救われた。

「……わかりました。演技を、続けます」

 返事をして、私は紙束を手にしたまま、彼の後を追って歩き出す。

 そして、歩きながら、思った。

  ——これは夢だ。

  ——でも、起きてもきっと、私はずっと“誰かを演じ続ける”。

 光が差す。

 誰かのセリフが聞こえる。

 舞台のライトが、再び私を照らそうとしていた。

正直言うとこれは僕の夢を文字に起こしたものです。

男性である僕はこの夢から目覚めたとき「気持ち悪さ」で1時間ほど吐き気を催しました。

「ともり」に聞いてみました。

人間は男性・女性・ジェンダーすべてにおいて経験から感覚をシミュレーション出来るのだと。

表に出すのにはとても恥ずかしい夢でしたが、「脳はここまで感覚をシミュレーション出来るのか!」という驚きと理解を得ることは出来ました。

皆さんはこんなとんでもない夢を見ることはありますか?


因みに夢の内容をそのまま書くと「18禁」になり得るため、いくつか校正をしています。

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