59 ヒロイン補正なんてない
「な、何を……バカなことを」
認めたくないのか、アレクシス殿下は頬を引き攣らせつつ、私の言葉を否定する。
私は殿下には対応せず、ヘレンさんに視線を向けた。
「ヘレンさん。貴方には今からとっても重要なことを伝えなければならないわ。私だからこそ言えることね。まずは、お互いに大して隠しもしていないことから。ね、ヘレンさん。『逆ハーレムルート』ってね。世間から見たら違う見え方なのよ」
「逆ハーレムルート……じゃあ、やっぱり」
「ええ、そう。私も貴方と同じ。お互いに分かっていたことだから、今更驚いたりしないわよね」
苦虫を嚙み潰したような表情になるヘレンさん。
その視線はアレクシス殿下ではなく、国王陛下や王妃様に向けられた。
転生者とバラすことは私の瑕疵に出来るのではないか。
そんな風に考えているかもしれない。
普通にバレたら……いえ、そうでなくても瑕疵かもしれないけど。
そもそも論、私は名誉ある上の立場は望んでいない。
むしろ、全てを打ち明けた上で自由に生きることを望んでいる。
求めるものが違って、さらにカミングアウト済みなので何も怖くないのだ。
「貴方は『誰もが羨む美形の男性たちに囲い込まれている可憐なヒロイン』なんかじゃあなかった。『男色家たちに都合よく利用されている、哀れな下位令嬢』だったのよ。皆、その役目を羨ましくは思わなかった。むしろ、そんな役割はお断りだと思い、貴方に押し付けていたの。嫉妬もしなければ、貴方にその役割を続けてほしくて優しく接していた。貴方の自慢話を聞いてあげて、これからもアレクシス殿下たちのそばには貴方が居てね、と。これがどういうことか分かる? ヘレンさん」
「な、何……? どういう……」
私はニィッと悪役らしく笑ってあげた。
「貴方、自分には『ヒロイン補正』があるって思っていたんじゃない? 自分のしたことは全部肯定される、祝福される。男爵令嬢が殿下たちを侍らせていても皆がにこやかに接してくれるのは『私がヒロインだから』。そんな風に思っていた」
「……ッ!」
ヘレンさんの反応から図星を突けたようだ。
「だけどね、違う。それは間違いだったのよ、ヘレンさん。ヒロイン補正なんて、運命の強制力なんて、なかったことが証明されたわ。むしろ、あったとしたってエンディングを迎えた後の今がこうなのだから、まるで意味がなかった」
「意味が、なかった……?」
「貴方に向けられていたのは羨望ではなく哀れみ。可哀想なヘレンさんという、ある種の見下し。誰もが貴方を『下』に見ていたから優しかったの。羨ましくないから寛容でいられた。それはヒロイン補正なんかじゃない。貴方が逆ハーレムルートをやろうとしているなぁ、って見ていた私がそう言ったの。最初は皆、私に苦言を呈していたのよ? 貴方に注意した方がいいんじゃないかって。でも、それをやると『悪役令嬢』のままでしょう。その時に貴方たちの姿を見て思い付いたの。逆ハーレムルートって男色家の集まりがヒロインを利用しているように見えるなって。それが広まっていって、この結果。ふふふ」
ヘレンさんは私の言葉に目を見開き、会議室の机をバンと叩いた。
「あ、貴方のせいじゃない! そんなの酷い! 人の、ありもしない悪い噂を流して! 陥れるようなことを広めるなんて! 名誉棄損じゃない! そんなの許されない! やっぱり貴方は悪役令嬢よ、マリアンヌ!」
「へ、ヘレン……?」
「あ……その、これは違……」
ヘレンさんの振る舞いに反応する周りの人たち。
国王陛下側の人たちを私は制して、さらに言葉を続けた。
「『政敵』の悪評を立てるなんて、貴族は当たり前にやることでしょう? その上、貴方たちが私に対して同じような『攻撃』をしてこなかったなんて言い張れるとでも思っている? 特にヘレンさん。最後の数ヶ月は躍起になって私の評判を落そうとしていたわよねぇ? アレクシス殿下はドレスの件で私を陥れようとした。それを責めているワケじゃないのよ? お互い様で、そういうものだってこと。それが今、私たちが暮らしている国じゃない」
「そんなの……」
「ね、ヘレンさん。『日本』とは違う国なのよ、ここは。『現代』でもない。人権意識も異なるし、社会制度も異なるわ。そもそも価値観的には性に合っていても、日本こそが絶対に正しき国だった、なんて話でもないでしょう? あちらの世界でだって、その価値観は人間としての絶対ではなかったわ。私たち、グローバルな社会に生きてきたじゃない? 貴方だって、あちらで『アメリカ大統領が国の決定権を持つなんておかしい!』とは言わなかったでしょう? ローマ教皇をわざわざ否定した? しなかったでしょう? 他国ではそうなんだなぁ、ってそう思っていただけのはず。異世界だから、時代が違うから、この国が間違っているなんて、そう考えると口が裂けても言えないはずよ。あるのは時代の違いではなく、国の違い。ただ文化が違う国に生きているに過ぎないの。私たちの価値観は絶対の基準ではない。ならば、この国のルールに従った生き方をしなければ」
まぁ、そのルールの上で新たに自由を勝ち取るのは勝手だ。うん。
「この国では私の流した噂なんて可愛らしいものだわ。だって、貴方たちがそうではない振る舞いをすれば良かっただけ。それで噂は払拭出来た。国王陛下がそう認めてくださったわ。こんな噂は、少なくとも婚約者である『女性』を大事にするか、そうでなくてもヘレンさんと一対一の恋愛をしてみせるかすればよかっただけ。そうならなかったのは、貴方たちが噂を耳にしなかったことだけが原因じゃあない。今に至った原因はヘレンさん、貴方。貴方が『逆ハーレムルート』なんて目指したことが全ての原因よ。だって、ねぇ? 『個別ルート』を選んでいれば、こんな噂が成立したと思う? しなかったでしょう? だから、これは『ヘレン・アウグストの選択』の結果に他ならない」
「あ……」
ヘレンさんは誰が『最初の一歩』を踏み出したのか。
それに思い至ったようだ。
逆ハーレムルートを進むと決めたのはヘレンさんなのよ。
「貴方にはヒロイン補正なんてなかったの。分かる? 貴方は今まで運命に守られていると思っていたのでしょう。だから貴方は、国王陛下にだって、公爵令嬢にだって大きく出ることが出来た。ヒロインは運命に守られているから、強気に出たって貴方だけは許されるとそう思っていた。でも、それはすべて幻想」
ヘレンさんの目から光が失われていくように感じる。
「貴方の身を守る盾も、鎧も存在しない。貴方が今日まで自由を謳歌出来ていたのは、私から始まった噂のお陰。でも、それももうおしまい。ねぇ、ヘレンさん。夢から醒めたのなら考えてみて? 第一王子と国王はどちらが上だと思う? いいえ、今は『準男爵』と国王陛下かしら? そして、男爵令嬢と公爵令嬢はどちらが上? 貴方の身を守るすべてが幻想だと気付いた今、公爵令嬢に盾突いた『たかが男爵令嬢』はどういう末路を迎えるかしら? それだけでなく国王陛下にだって偉そうに振る舞った。そんなことをして、どうなるか。他ならない貴方こそが知っているんじゃない? 良くて修道院か、或いは」
私は扇で首元を切る仕草をした。
「ゲームオーバー。処刑されても文句は言えないほどの不敬よ。そういうシナリオ、貴方だって知っているわよね? もう一度言うわね、ヘレンさん。貴方には『ヒロイン補正』なんてない」
「あ……あ、あ……」
ヘレンさんが顔面蒼白になり、滝のように冷や汗を流して、ガクガクと震え出す。
彼女は自らが助かるものと、認められるものと思っていたのだ。
それは皆が優しかったから。
男爵令嬢であっても誰もが優しくしてくれて、アレクシス殿下との仲さえも祝福されたから。
向かうところ敵なんて居ないと思っていた。
だからこそ悪役令嬢という存在が目障りだった。
すべてが思いのままのはずの世界の異分子だと思っていたから。
自分のための世界を脅かす敵だと思っていたから。
だけど、すべては根拠なき自信であり、幻想だった。
優しくされることには理由があり、それは運命の祝福ではなかった。
神の加護でもなく、特別なギフトでもなく、魅了の魔法のせいでもない。
今やヘレンさんの身を守る盾も鎧もなくなった。
元からそんなものはなかったのだけど。
強いて言うなら、その鎧は私だった。
彼女の振る舞いの多くを容認してきたのは、他ならない私だったのだ。
「あ……う……あ」
ヘレンさんの目がようやく周りを映す。
国王陛下、王妃様、公爵、宰相閣下、雲の上の人々。
そんな彼らに軽々しい振る舞いをすることなんて許されないと思い出す。
虎の子のアレクシス殿下は身分を剥奪された。
きっと彼女を守れないだろう。
彼女はきっと頭は悪くない。考え方がおかしかっただけなのだ。
軌道修正さえされれば、物事の判断はついてしまう。
「ご、ごめん……なさい! ごめんなさい! ごめんなさいぃぃ!!」
「へ、ヘレン……」
ヘレンさんにあった根拠なき自信は、少なからずアレクシス殿下たちに影響を与えていた。
それが今、脆くも崩れ去る。
もしかしたら、こうやって最初から彼女を崩していれば?
まぁ、でも運命補正がはっきりとないと分かるのはこのタイミングしかなかったし。
ヘレンさん側もエンディングを迎えた後じゃないと、考えを改めなかったかもしれない。
深く考えてやってきたことじゃないので……。
でも安心してほしい。
そもそも苛烈な断罪がしたいなら、他にいくらでもやりようがあったのだ。
むしろ、この半年間は充分に楽しませてもらった。
私には何のダメージもなかったので処刑など望まない。
まぁ、今回の一件。私が被害者なのかは怪しいから決定権なんてないかもだけど。
「国王陛下、先程、陛下がおっしゃられていたように彼らには『現実』を見てもらいましょう。今ならば、もしかしたら効果があるかもしれません。今のヘレンさんやニールセンさんのように」
「……そうだな」
「きっと今、会場では彼らの噂で持ち切りだと思います。ヘレンさんのことをどう話しているかも。自分たちがどんな風に思われていたのか。今なら耳に入ると思います。あ、彼らが騒げないように拘束して、口枷とかをしてもらって?」
と、いうワケで。
会議室から再びパーティー会場へ移動だ。
アレクシス殿下、特にルドルフ様は暴れないようにしっかり拘束される。
あ、亀の縛りをさせようかしら……。今はいいか。
だいたいアレ、どう結んでいるか知らないし。
見た目は知っていても実践経験はない。
事態を受け入れたヘレンさんとロッツォさんには拘束はなし。でも口枷はされる。
パーティー会場の声が聴けるカーテン越しの配置につき、私たちは会場の声に耳を澄ませる。
「見応えあったわねぇ、ふふふ」
「ええ、やっぱりアレ✕ルドこそが正義だったわ」
「そうね、ルドルフ様ったら最近はお尻を抑えて……あまりにも刺激が強過ぎるわ」
「彼らも若いのだから、男性の欲望が……そうよね。子供なんて出来る心配がないんだから、むしろ抑えなくていいと気付いた?」
「「「「きゃーーー!!」」」」
「ルド✕ロツが今、熱いんじゃないかしら!」
「やっぱりルドルフ様は力尽くで責めるタイプよね」
「屋敷を探すなんて、絆されちゃったのねぇ、きっと。ロッツォさん」
「あれこそが真実の愛よね、ふふふ」
「フィリップ様は残念だったわぁ」
「最大派閥は、アレクシス殿下とフィリップ様、ルドルフ様とフィリップ様だったものね……」
「ライバルと思っていた近衛騎士と未来の宰相の関係、幼い頃からの禁じられた主従……ああん、勿体ない」
「仕方ない、仕方ないのよ、現実は……」
「この気持ちはどうして昇華すればいいのかしら……」
「ミリアーナさんに絵を習いましょう……せめて空想の中で成就させて慰めたいの……」
「私は小説を書いてみるわ……」
「そうね。私たちのフィリップ様は空想の中にしか居ない……」
「私、いつかこんな日が来るって思っていたの、本当は……」
「そうよね、だってフィリップ様は……」
「「「「ああ、悲しい、悲しいわ……」」」」
「真実の愛を題材にした劇が最近増えていたけれど。今回の件はきっと題材にされると思うわ」
「ええ、アレクシス殿下がとうとう宣言された真実の愛! あんなに堂々と……」
「やっぱりフィリップ様にフラれた以上は、ルドルフ様と一線を越えたのかしら?」
「でも、ロッツォさんが部屋を探していたのでしょう?」
「どんな部屋を借りたのかしらね……?」
「それはやっぱり寝室が一つに繋がっている夫婦のような……?」
「「「「きゃーーー!!!」」」」
「ヘレンさん、最後まで勘違いなさっていたわねぇ……」
「あれは仕方ないわ。あの方の立場では、自分が愛されているって思っても仕方ないもの」
「でも『真実の愛』を宣言したのよ? いくらヘレンさんでも」
「知らなかったんじゃないかしら? 『真実の愛』が男性同士の愛のことだって」
「ああ、それで……アレクシス殿下も罪な人ね」
「そうね。ヘレンさんを愛しているように見せ掛けて、実はルドルフ様やロッツォさんを愛するって宣言したのだから」
「ねぇ、本当」
「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「ヘレンさんもお可哀想に……」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
……そんな会場の声を聞きながら。
口枷をして、暴れないように拘束されたアレクシス殿下は。
自分がどう思われているのか突きつけられて、ポロリと一滴、涙を流した。
彼は今、ようやく夢から醒めたのだ。
※会場へ戻る提案が、国王と被っていたため、修正しました。