56 マリアンヌの断罪
「……お嬢様」
「ふふふ、分かっていたことよ、フィリップ様」
心配そうにするフィリップ様の隣を離れ、私は呼ばれた通りに前に出る。
コツコツと歩く音が響いて聞こえるのは、楽団がアレクシス殿下の宣言と共に音楽を止めたからだ。
とうとう来てしまった原作再現の日。
思えば多くのイベントをスルーしてきたものだ。
悪役令嬢は逃れることは出来ず、断罪の日を迎えましたとさ。
「オードファラン公爵家長女、マリアンヌ・オードファラン。アレクシス・リムレート第一王子殿下の求めに応じ、参りましたわ」
とびっきり優雅なカーテシーを。
やはり、あの真っ赤でド派手な悪女ドレスを着てくるべきだったかしら。
青色の清楚系なドレスだと、ちょっと演出としては弱いわよね。
「……マリアンヌ」
アレクシス殿下は、目の前に来た私のドレスに目を向ける。
「お前は、私の色さえ身に付ける気がないらしいな」
そういえば金髪・金眼なアレクシス殿下のための装飾品を、今日は何も身に付けていなかった。
例の如く『婚約者の色を纏う』という令嬢ものあるあるな風習がこの世界にもあるのだ。
髪色や瞳の色がカラフルな異世界らしい風習よねぇ。
なので、私たちが婚約者のままだったら私はアレクシス殿下の金色を纏うべきだし。
アレクシス殿下は私の色を纏うべきである。でも互いにその配慮はない。
まぁ、私の方は既に婚約解消していると知っているから気にする必要はないのだけど。
というか、何を責めるような口調なのか。
貴方も私の色を纏っていませんが? ……などと考えるのは一般的な悪役令嬢だ。
私はアレクシス殿下たちが振りかざす令嬢ものあるあるに付き合う気はない。
こういうのは、だいたい真面目に言葉を交わすだけ損なのがパターンなのだ。
「なるほど。それが私の罪! 承知致しました。申し訳ございません、アレクシス殿下」
「は?」
私は、とりあえず、あっさりと頭を下げておいた。
高位貴族令嬢のプライドとか特にないのである。
何だったら畑仕事をさせられても楽しく出来る自信がある。
アレクシス殿下どころかヘレンさんたちまで、私があっさりと頭を下げることにびっくりしているわ。
「おや、どうされました? 私の罪を明らかにすると告げ、殿下の色を身に付けていないとおっしゃられたのですから。それこそが私の罪ということでは?」
「違う! そうじゃない!」
違うんだ。
まず嫌味から話に入るのってどうなのかしら。それは私も? ふふふ。
「……マリアンヌ。お前はどうやら随分と私のことを見くびっているようだね」
「まぁ、そんなこと。殿下を見くびるだなんて心当たりが……」
沢山あるわねぇ。
あ、私の罪って不敬罪か。それはそう。
陛下フォローでどうにでも出来るかもしれないけど、それはまぁそう。
「心当たりがないとは言わせない。マリアンヌ、お前は」
私は?
「王子である私を陥れるため、秘密の集会を催していたそうだな」
「秘密の集会」
はて。何のことかしら。
私が首を傾げると、アレクシス殿下ではなくヘレンさんが次に声を上げた。
「マリアンヌ様! 私、聞いたんですよ!」
「ヘレンさん、何のことでしょう」
「学園の女子生徒の皆さんに! マリアンヌ様が……アレクシス殿下たちを陥れようと呼び掛けていたって!」
あら。そんなことを言う人がまだ学園に残っていたのね。
薔薇文化の影響が大き過ぎて見落としていたみたい。
でも、普通はそういうものよね。隙を見せたらパクリとされる世界だ。
しかも私は悪役令嬢だから余計にそういう噂を流す人たちが居てもおかしくない。
「そうだ! そして、マリアンヌ。お前は悪辣にも彼女たちに口封じを命じていたようだな!」
「口封じ」
あら? これ、実際にそういう悪評を立てられた話じゃなくて、殿下たちの思い込み言いがかりパターンの方かしら。
「口封じとは?」
「秘密の集会に呼び出された者たちは揃って口を噤んでいた! どんなに真摯に尋ね、王子である私が証人として守ると宣言しても頑なに何も語ろうとしない! 誰もが最終的に『マリアンヌ様に聞いていただければ』と濁して去っていったのだ!」
秘密の集会について聞かれたら口を噤んで、しつこく聞かれたら最終的にマリアンヌ様に聞いてと逃げていった女子生徒たち?
「口を噤んだ彼女たちを責める気はない! すべてはマリアンヌ! お前が、彼女たちに口を開かせまいと脅迫していたからだろう!? 私はここで宣言する! マリアンヌ以外の、巻き込まれた者たちの罪は決して問わないと!」
私は、そこで視線を周りに居る人々に向けた。
幾人か見覚えのある顔ぶれの女子生徒たちが申し訳なさそうに無言で頭を下げている。
「……アレクシス殿下。その秘密の集会とやらは、いつ開かれたものでしょう?」
「冬だ! 年が変わる前! 冬季休暇の前にその秘密の集会は催された! そのことまで私たちは掴んでいる! 言い逃れは出来ないぞ、マリアンヌ!!」
「冬。それは」
冬イベだーー!!!
と、叫びながらツッコミを入れたくなった。
特定ジャンルにありがちな叫びツッコミスタイル。偉大なりし、銀の魂。
「彼女たちは、アレクシス殿下たちを陥れる目的であったと、そのように語ったのですか?」
「そうだ! 私たちは入念に調査を続けた! そして、彼女たちから聞き出したことがある!」
「……それは?」
「マリアンヌ! お前がその秘密の集会の主催者であること! その集会では私だけでなく、ルドルフやロッツォに対して良からぬことを広める意図であったこと! それらが判明している! この調査が権力による強制などではなく、また暴力による威圧でもなく、証言者の権利を侵害しない形で行われた正当なものであることは、私たちを監視している王家の影が証明してくれるだろう!」
「まぁ」
きちんと王家の影に監視されていたことを把握しているわ!
ご立派! 成長なさったわねぇ、アレクシス殿下。
「その秘密の集会とやらの具体的な内容は把握されていますの?」
「ここまでのことが判明していれば充分だ! ここから先は被害者である彼女たちではなく、マリアンヌ! お前を尋問して解き明かせばいい!」
あ、これ、具体的な内容は掴んでいないやつね。
流石になまものジャンル。皆さんも本人には話しにくかったのだろう。
別に口封じはしていない。
でも、言い分としてはそれほど間違っていないのでは?
少なくとも私に対する事情聴取はしても許されるだろう。
そうなってしまえば、あちらのもの。
そこで権力や暴力による圧力が発生するかもしれない。
如何様な証言でも言わされるかもね。
悪役令嬢あるある。
とりあえず捕まえた後で王子陣営の都合のいいように証拠を用意するパターン。
処刑コースも充分にある。
今ある中でアレクシス殿下たちが揃える材料としては最適かもしれない。
まぁ、ここに陛下がいらっしゃらない場合は、だけど。
さて。
空気が非常に良くないものとなり、緊迫感もある。
見守っている皆さんも不安になってきたみたい。
もしかして、これは真剣な断罪なのかと。
自分たちがこれまでしてきたことは、実はとんでもないことなのでは、と。
いえ、とんでもないことなのは確かなのだけど。
それをどう覆すか。この張り詰めた空気をどうするのか。
それは一種の賭けだ。すべてはアレクシス殿下の発する言葉に掛かっている。
彼にあの一言さえ言わせれば……。
「それで? アレクシス殿下は……私の罪を明らかにするとおっしゃいましたわね。これで私の罪が明らかになりました。その後はどうされたいのですか?」
ここでパターンとして怖いのは、ルドルフ様が私を暴力的に押さえ付けることね。
とりあえず悪役令嬢を這いつくばらせて動きを封じるパターン。
あれって正直、断罪王子より騎士の方に腹が立つのよね。
「決まっている!」
アレクシス殿下が声を張り上げる。それと同時に案の定、ルドルフ様が動き始めた。
ズンズンと私に向かって突進してくるルドルフ様。
目的は暴力的に私を跪かせることだろう。しかし、それをすると言い訳は効かなくなる。
ライン越えというやつだ。流石の私もここまで周囲に見守られている状況でそれは……。
その時。
「──そこで止まれ、ルドルフ」
あら。
「フィリップ様……?」
突進してくるルドルフ様から、私を庇うように前に出てきたのはフィリップ様だった。
意外ね。彼は武力担当じゃない、頭脳担当だ。
こういう時にわざわざ前に出てくるなんて役回りじゃない。
それも武力担当のルドルフ様を敵に回してだ。
……流石にこのシチュエーションは男性でも怖いんじゃない?
力のない者が、力のある者と対峙する恐怖は男性でも女性でも変わらないだろう。
勇気が必要なことだ。
「……邪魔をするのか、フィリップ」
「当たり前ですよ。何をしようとしているんですか、貴方は」
片手で眼鏡をクイッと持ち上げつつ、呆れた声を出すフィリップ様。
ゲームではトレードマークだったサラサラの長髪ではなくなり、短くした青髪。
ある意味でゲームと一番変わった攻略対象だろう。
「フィリップ、貴方はやっぱりマリアンヌ様の味方に付くのね……?」
ヘレンさんが悲しそうに、或いは悔しそうにフィリップ様を見る。
フィリップ様はヘレンさんの言葉に動揺することなく、無視をした。
そうすると余計にショックを受けたヘレンさんが、今度は私を睨み付けてくる。
「アレクシス殿下。おっしゃりたいことがあるのなら言葉だけで充分です。ルドルフが動く必要はない」
「フィリップ」
それで納得するかしらねぇ。
極まった攻略対象チームは、どうにか悪役令嬢を陥れたいものなのだ。
だから、出来れば暴力的に跪かせるのも彼らの『したいこと』じゃないかしら。
その証拠にアレクシス殿下は眉間に皺を寄せて不満そうだ。
「マリアンヌ様のことは私が捕まえておきますから。彼女は逃げられませんよ」
「あら?」
そう告げたフィリップ様は、私の手を取った。
「はい、これで彼女は逃げられません」
いや、ただ手を取られただけなんだけど。
「いや、フィリップ。そんなことで……」
「どうぞ、話を続けてください、アレクシス殿下。ルドルフはその場から動かないように」
「……俺に命令するのか!?」
フィリップ様は私の手を取ったのとは反対の手で眼鏡をクイッと持ち上げて。
「『お尻ペンペンの刑』」
と、一言だけ口にした。比較的、小さめの声で。
たぶん辛うじて周りには聞こえていない。
「……!!」
言われたルドルフ様は、ぐっと黙り込んでしまう。
「皆さんに詳細をここでお伝えしましょうか?」
「や、やめろ!」
咄嗟にお尻を庇う仕草をするルドルフ様。
その仕草を見て、黙って見守っていた周りの皆さんが色めき立つ。
もちろん、声にならない声で。
「ルドルフ? どうしたの?」
「へ、ヘレンは何も気にしなくていいんだ!」
「え、でも……」
「いいから!」
「フ……」
あらぁ。フィリップ様が勝ち誇った微笑を浮かべているわね。
私が言うと流石に挑発が過ぎて逆効果だったはず。
ルドルフ様がよりカッとなって私に暴力を振るっていただろう。
でも、フィリップ様の口からああ言われたことで抑止の効果があったみたい。
「……これ、口にする側も恥ずかしくないですか、お嬢様」
「ふふふ、そうかもしれないわね」
でも、それを交渉の材料にするなんて、弟子1号も成長したものね。