53 悪役令嬢
「君、少しは反省しているんだね、ルドルフ君」
「セド……卿」
「レイト侯爵令嬢とは正式に婚約することになったからさ。以前見た君の態度で不安だったんだけど。少しはマシになったかな? でも今後、彼女に近付くことは許さないから」
「…………」
学園の廊下、セドリックがルドルフを呼び止めて釘を刺していた。
「返事は? それとも国際問題が望みかな。或いは君の流儀に合わせて、決闘でもしなくちゃいけないかい?」
「……いえ。身分を隠しているんじゃないかと思っていただけです」
「君にだけ話しているから問題ないんじゃない? というより、もうバレても問題ないかな。ある意味、俺の目的は達成したようなのだし」
「目的?」
「婚約者探しに来てたんだよ、俺」
「……それで人の婚約者を奪うんですか?」
「俺が居なくても君と彼女の婚約は解消する予定だったそうだから安心しなよ。全部、君のせいで間違いないよ。流石に俺でも、円満な関係な二人を引き裂かない」
「……! 何しに来たんですか。わざわざ俺に話し掛けてきて……何のつもりですか」
「敬語使えるようになったねぇ」
「……何なんだ!」
「いや、まぁ目的は世間話かな?」
「はぁ!?」
「ははは」
セドリックは困ったようにルドルフに話し掛ける。
彼をその場に足止めするように。
◇◆◇
「……フィリップ?」
アレクシスの前に姿を見せたフィリップに怪訝な表情を浮かべる。
しばらく彼はアレクシスたちとは関わりを持っていなかったからだ。
アレクシスたちから接触を試みても、態度は冷めたものだった。
それもマリアンヌのせいなのだろう。
そのマリアンヌが今日はフィリップのそばに居ない。
「……マリアンヌはどうした、フィリップ。お前は彼女の従者と成り果てたのではないのか」
「……こちらへどうぞ、アレクシス殿下」
「は?」
「付いてこられるかの判断はお任せ致します。私の信用はないでしょうから」
それだけを告げてフィリップはアレクシスに背を向けて歩きだす。
付いてくるかどうか。つまり、付いてこいと。
「……不敬と思わないのか、フィリップ。マリアンヌの影響で礼儀さえ失ったのか」
「言葉で説明するよりも見ていただいた方が早いでしょう。私が言うことはそれだけです」
フィリップは、ちらりと振り返るも、やはりすぐに歩き始める。
アレクシスは困惑しつつもフィリップの後を追った。
◇◆◇
「ニールセン殿」
「え? あ、エドワード様。どうかしましたか?」
「貴方に用事がありまして」
「僕に?」
「ええ」
ロッツォ・ニールセンは、バロウ皇国の留学生、エドワード・メーリッヒに呼び止められていた。
「実は……この国で暮らすための『屋敷』を探しているのです」
「この国で暮らすための屋敷、ですか」
「ええ、貴方の家は大商会でしょう? 良い物件について調べていただくことが出来ないかとね。もちろん、必要な費用は出します」
「それは……家に頼めば探せなくはないと思いますけど。とはいえ、屋敷そのものはメインの商材として扱っていませんよ? ただ情報網から調べることは出来るし、新しい屋敷を買う伝手がなくもないですけど」
ロッツォはエドワードのことをバロウ皇国の伯爵令息だと聞いている。
セド・セインはエドワードの従者だとも説明されていた。
ただ、アレクシスからは二人とも丁重に接するようにと言われている。
特に従者といえど、セド・セイン卿にも無礼なく、敬意を払うようにと。
そのため、叶えられる程度の頼みなら聞くつもりでロッツォはエドワードと話を続けた。
「良かった。では、その物件を探して、その管理者に仲介を頼みたい」
「はい、どのような屋敷を探しているんですか? 王都ですか?」
「いや、王都でなくてもいい。そうだな。男性が三人ほど、女性が一人ほど暮らせて、その程度の人数で生活していける屋敷がいい」
「……平民が住むんですか?」
「いや、若くて、貴族の身分を持つ者が住む。なので広さはある程度あった方がいい。ただ」
「ただ?」
「貴族家門の支援はなく、それこそ平民のように自分たちの力だけで暮らしていけるようなものがいい。暮らす者の稼ぎが増えれば、おいおい使用人を増やしていけるのも望ましいな」
「……中々難しい条件ですね」
「そうだろうな。ではこうしよう。例えば、ニールセン殿がその屋敷で生活する内の一人だと想定してみてくれ。他の住人は……そうだ。君たちのグループといつも一緒に居る女子生徒一人とアレクシス殿下、ルドルフ殿だ。その想定で、使用人なし、貴方たちの力だけで生活することが可能な屋敷がいい。屋敷の規模だけでなく、働くことを考えて立地などの条件も加味して選定してほしい。そこは君たちが今後暮らしていくような屋敷だ」
「僕らが暮らすような……?」
「その想定が一番、求める物件に近いだろうからね」
「……分かりました。難しいかもしれませんが、探してみますよ」
「ありがとう! とても助かるよ」
ロッツォはエドワードとしばらく話を続けた。
◇◆◇
「──ヘレン・アウグスト嬢。貴方、随分な態度を取っていらっしゃるみたいね?」
「え……? マリアンヌ……様?」
中庭で、一人でアレクシスたちを待っていたヘレンの下へマリアンヌが訪れる。
彼女の背後には、いつもヘレンの話を聞いている女子生徒たちが控えていた。
「彼女たちに聞きましたわ。貴方が私の悪評を立てようとしていると。まったく! どういうつもりなのかしら? 貴方、最近……何かに焦っていらっしゃるの?」
ヘレンは驚いていた。
というのも、今世出会った悪役令嬢マリアンヌ・オードファランは、普段からヘレンが関わろうとしても、のらりくらりと避けてくるような人物だった。
そのため、ヘレンとマリアンヌはこの1年間、ロクに対峙したことも会話したこともなかった。
それが今になって、マリアンヌの方からこのように話し掛けてきたのだ。
ヒロインに怒り、責め立てる悪役令嬢。
待ちに待ったシチュエーションとも言える。
目撃者も居るし、監視も付いていると聞いている。
(これって……もしかして運命の強制力?)
ヘレンはマリアンヌの様子を窺いながら、虐められる側のように怯えた演技を始める。
「わ、私はそのようなことは言っておりません」
「それは嘘ね。それとも貴方は、彼女たちが嘘の証言を私に聞かせたとでも?」
「それは……」
「呆れたわね。そもそも、貴方は何か勘違いしていらっしゃるのではないかしら」
「勘違い、ですか……?」
「ええ、そう。勘違いよ。ねぇ、ヘレンさん。アレクシス殿下はね? 婚約者が居るのよ」
「……知っています」
「ええ、そうでしょうね」
「でも、マリアンヌ様は以前、婚約解消するかもしれないと」
「ああ、そのこと? ふふふ、ヘレンさんったら。あの時の言葉は、あの時の言葉よ? そんなことも分からないの?」
「…………」
(つまり、マリアンヌはアレクシスと婚約解消なんてする気はなかった? 当たり前か。悪役令嬢なら、そんなの……)
「アレクシス殿下には婚約者が居る。それでも殿下が愛を貫くと思う?」
「……それを決めるのはアレクシス様じゃないんですか?」
「ふふ、いいえ? 違うでしょう。一つ、言っておくわね? ヘレンさん。もしもアレクシス殿下に唯一無二の……真実の愛があるというなら、殿下が選ぶのはヘレンさんじゃあない。殿下は貴方以外の愛しい人を選ぶのよ? ふふふ」
マリアンヌは扇を広げて口元を隠しながらヘレンを見下して笑う。
ヘレンは苛立ちを覚えつつも、俯いて悲しそうにしてみせた。
「アレクシス様の愛する人が……マリアンヌ様だと言うんですか。お二人は、政略結婚なのに……?」
「ふふふ。私が言えるのは、アレクシス殿下は真に愛する人を選ばれるだろうということだけ。だから、貴方の勘違いをいい加減に正してあげたくてね? 貴方は、アレクシス殿下には愛されていないの。彼が愛している人は貴方じゃあない。……彼が誰を愛しているのか、分かるわよね? ヘレンさんなら。だって、いつもそばで彼らを見てきたのだから。なら、ねぇ?」
マリアンヌはヘレンを憐れむように見下ろした。
ヘレンはマリアンヌのその態度に怒りを覚え、反論する。
「……分かりません! アレクシス様が愛している人は……アレクシス様だけが、はっきり出来ることです! それはマリアンヌ様に決め付けられるようなことではありません!」
「ふふふ。その通りねぇ? なら、ヘレンさんはアレクシス殿下がどんな形の愛を選んだって文句は言わないのね?」
「……当たり前です!」
「なら、けっこう! ふふふ。今度の年度末パーティーでは、きっと殿下の本当の気持ちが分かるわね? ヘレンさん」
「……!」
(やっぱり、マリアンヌは年度末パーティーを警戒してる? 私と同じ転生者なんだ。だから監視なんか付けて……。でも、何? アレクシス殿下に愛されている自信があるの? 悪役令嬢の勘違い? 思い込み? だって殿下はいつも私を……)
アレクシスと話をしなくてはならない。
ヘレンはそう思った。
その時。
「マリアンヌ!」
ヘレンとマリアンヌが対峙する場にアレクシスが現れる。
「アレクシス様!」
「あら……。フィリップに殿下の足止めを頼んでいたというのに、まったく使えないわね、あの役立たず」
「……!」
マリアンヌは扇で口元を隠しながら、そばに居るヘレンにだけ聞こえるような小声で思わずそう呟く。
その言葉を聞き、ヘレンはアレクシスから離れた場所にフィリップの姿を見つけた。
(フィリップ! もしかしてヒロインの私がマリアンヌに絡まれているのを助けようとしてアレクシスを呼んできたの? じゃあ、やっぱりフィリップも私の味方のまま!?)
ヒロインのピンチに駆けつけるアレクシス。
それを呼んだフィリップ。
やはり、どちらもヒーローなのだ。
「マリアンヌ! お前、ヘレンに何をしている!?」
「ふふ、ごきげんよう、アレクシス殿下。別に何もしておりませんよ?」
「アレクシス様……私」
ヘレンは涙を目に浮かべ、アレクシスを上目遣いで見る。
弱々しく、助けを求めるような声色だ。
「……ヘレン。マリアンヌ、嘘を吐かない方がいい。私は先程から二人の様子を見ていたのだ」
「ふふ、嘘も何も。私はただヘレンさんに話していただけですわ。アレクシス殿下には今、婚約者が居ること。そして殿下には愛する人が居るって。それだけ。ねぇ、ヘレンさん?」
「……!」
ビクリ、と。マリアンヌに話し掛けられただけで震えて怯えるヘレン。
「マリアンヌ! ヘレンを責めるのはやめろ!」
「……もう話は終わりましたわ。ねぇ、ヘレンさん。アレクシス殿下には……そうね。この場ではなく、年度末パーティーの日に答えを聞きましょう? 貴方たちはどのような愛を貫くのかと。ね? ヘレンさんもそれなら納得するわよね。もちろん、逃げたりしませんわよねぇ?」
「……私は! 逃げたりなんかしません! マリアンヌ様には……!」
「なら、けっこう! アレクシス殿下? 私、もう彼女には用事などございませんわ。しかし、お戯れも程々に。愛するのならば余計に。堂々とされればよろしいのよ」
「戯れだと……」
アレクシスはマリアンヌを睨み付ける。
だが、マリアンヌはそんな彼の態度に怯えることも、苛立つこともなく、微笑み返した。
「ふふふ、では、ごきげんよう。もしも、アレクシス殿下が真実の愛を貫くというなら、その時は……ふふ」
マリアンヌは淑女の礼をしつつ、微笑みながら去っていく。
強い言葉をぶつけられても終始微笑んでいた彼女の余裕ある態度に、アレクシスは更なる言葉を出せなかった。
ただ、その場に残されたヘレンとアレクシス。
周りにはその騒ぎを見ていた生徒たち。
フィリップはいつの間にか姿を消していた。
マリアンヌの後を追ったのかもしれない。
「アレクシス様……私」
「ヘレン、私が来たんだ。もう安心していい」
「はい……。でも……。あ、そうです。アレクシス様、さっきフィリップ様が!」
「……ああ。あいつが私をここに連れてきたんだ。きっとマリアンヌがヘレンを責め立てようとするのを止めてほしかったんだろう」
「じゃあ、フィリップ様は……私たちのこと、今も?」
「そのようだな。あいつにも何か考えがあるのだろう」
「そうなんですね。私、フィリップ様のこと……誤解していたんだ。もし、そうなら。アレクシス様、私、フィリップ様と仲直りしたい。皆とまた仲良くしたいです! 以前みたいに……!」
「……そうだな。また私もフィリップと話してみるよ。あいつは……真面目過ぎるんだ。何か間違った方向へ進んでしまっても、自分では戻れないのかもしれない」
「じゃあ……アレクシス様」
「ああ。フィリップは、私が必ず取り戻してみせる」
「嬉しい。やっぱりアレクシス様は……素敵な人です」
「はは、ありがとう、ヘレン」
アレクシスの表情、そして言葉に手応えを感じるヘレン。
(とうとうマリアンヌが、悪役令嬢が動き始めた。でも、あっちの策は上手くいってないんじゃない? だってアレクシスはこんなに私を想ってくれている! マリアンヌは自信過剰過ぎて、アレクシスの気持ちが自分に向けられているって思い込んでいるのかも? それでパーティーの日も上手くいくって考えて……?)
「アレクシス様」
「どうしたんだい、ヘレン」
(この手応えなら、アレクシスだけは確実に……。なら、逆ハーレムルートじゃないけど。アレクシスルートをメインに考えて、彼を王太子にして……マリアンヌを断罪すれば全てが上手くいくかも。フィリップも協力してくれるなら今の状況はむしろ……。マリアンヌの考えている策を覆すことだって。フィリップのこと、マリアンヌは役立たずなんて言ってたんだもの。きっとロクな扱いをしていないはず。なら、付け入る隙は……ある!!)
「お願いがあります。今度のパーティーに向けて……一緒に、考えてほしい」
(パーティーの日が勝負よ! 絶対に悪役令嬢なんか断罪してやるんだから!)