29 何なの?
「意味分かんない、意味分かんない!」
「ヘレン……?」
「おかしいでしょ!? 何よ、アレ!」
「いや、俺もそう思うけど……」
ヘレンは呆然としている内に去ってしまった、そこに居ない悪役令嬢とフィリップに向かって指を差した。
「ずっと大人しくしていると思ったら……シルヴァンじゃなくてフィリップが本命だったってこと? だとしても攻略が完了したはずなのに……現実だから後から奪えるの? そんなこと……このタイミングを狙って? 油断した……!」
「お、おい、ヘレン? お前、大丈夫か?」
ぶつぶつと呪詛のように呟くヘレンにルドルフは心配そうに声を掛ける。
「どうにかしなくちゃ!」
「どうにかって?」
「だって! フィリップ様がおかしくなっちゃったんだよ!? あんなの、フィリップ様じゃない!」
「いや、それは……いきなりで驚いたけどさ。でも、髪切っただけじゃねぇ? 別に似合ってないとまで言うほどじゃねぇし」
「私に断りもなく!? ビジュアル崩すの!?」
「髪切るのにヘレンに断り入れたことないだろ、今まで……。あいつはそうだったのか?」
「それは! そうじゃ……ないけど」
「ヘレン、落ち着けって。まずなんだ。アイツにどういうことか確認することからじゃねぇか?」
「……うん。そうだね、でも、あのおん……マリアンヌ様が一緒の時はちょっと。フィリップ様の本心が聞けるか分からないから」
「うん? ああ、なんか『お嬢様』とか言ってたもんな。しかもオードファランに雇われた従者? いきなり何言ってんだか。あいつ、あれでも侯爵家の長男だぜ? んなことする立場じゃねぇって。何か弱みでも握られているんじゃないのか、あの女に」
「そう、そうだよ! きっと何か事情があるんだわ!」
あまりにも動揺しているヘレンの様子を見て、ルドルフは提案する。
「俺があの野郎に聞いてくるよ、ヘレン」
「え?」
「急に髪切って、あの女に肩入れして、おまけに従者? 弟子? 意味分かんねーだろ? だからあの野郎に問い質してくる。あいつはいけ好かない野郎だけどな、あんな女にいいようにされているのは許せねぇんだ」
「そ、そう……そうだよね。ルドルフはフィリップ様と……最高のライバルなんだもん!」
「ああ、そんなむず痒いこと言うなって! あいつは腐れ縁の、ただのいけ好かない野郎だってだけさ!」
「でも、フィリップ様のこと頼まれてくれるんだよね?」
「ああ、どういうことか俺が聞いてくるよ」
「うん、ありがとう、ルドルフ。やっぱりルドルフは優しいね……」
「よ、よせよ、照れるだろ、ヘレン」
ルドルフはヘレンに約束し、胸を張った。
そのやり取りは彼らだけが居る空間で行われたのではない。
多くの目撃者が居て、聞き耳を立てている者たちが居た。
彼女たちは普段から、さりげなくヘレンたちの周りに陣取っているのだ。
どんな些細な情報でも聞き逃さないように。
「聞きました?」
「ええ……。ルドルフ様は、やっぱりフィリップ様のことを特別に意識されているのね……?」
「でも、最近はアレクシス殿下と一緒ばかりで狩猟祭の時も……」
「フィリップ様は狩猟祭の頃から彼らと別行動されていましたわね?」
「だからじゃない? フィリップ様は二人の仲を察して離れていかれたのよ。それにあの髪……」
「『失恋』したってことかしら?」
「あんなに美しく長かった髪を切って、気付いてほしいということ? なんてこと、フィリップ様は健気な方なのね……」
「離れて初めて気付く感情……」
「マリアンヌ様もああして呼称するのは、自分の婚約者に据えるつもりじゃないと言いたいのね、きっと」
「そういうことよね、じゃないと弟子なんて言い方、普通はしないわ」
「そうよね。フィリップ様も婚約者はいらっしゃらないから、誤解されないように気を配っていらっしゃるのよ……」
「ルドルフ様がフィリップ様のところへ行くみたいね」
「何を話すつもりなのかしら?」
「今までそばに居ることが当たり前だったのに離れていくとなって、焦るルドルフ様……?」
「見逃せないわ……」
ひそひそと、いつものようなやり取りが交わされている。
ルドルフが行動を開始し、ヘレンはそれを見送った後。
ヘレンは周りに注目されていることに気付いた。
「……あの、何か?」
「え? ああ、ヘレンさん」
「今、私のことを何か話していました?」
「え? ヘレンさんのこと?」
ヘレンが疑うように女子生徒たちに尋ねる。
女子生徒たちは互いに顔を見合わせてから彼女に答えた。
「いいえ、ヘレンさんについては何も話していませんでしたわ?」
「そうですね、ヘレンさんについては特に何も」
「皆さんもそうですわよね?」
「ええ、ヘレンさんについては別に何も?」
「そ、そう……? ならいいのだけれど……」
それはそれで納得がいかないと思いつつ、満場一致で、特に嫌味もなさそうな雰囲気で平然と返されてしまうと文句も言えない。
(本当に私について陰口を言っていたワケじゃあないの……? やっぱりヒロインだから? イレギュラーなのは悪役令嬢だけなのかしら……?)
美形の男性たちを侍らせるヘレンに対して嫌味でも陰でこぼしていそうだとそう思った。
実は陰口で盛り上がっていたというなら、こちらを見下して嘲り笑うような真似でもするところだ。
しかし、目の前の女子生徒たちは本当に全くその素振りがない。
本当に関係ない話をしていたところ、ヘレンが一方的に言い掛かりをつけた形になってしまった。
「ヘレンさんも頑張ってね」
「え?」
「そうそう、色々と大変だと思うけれど、私たちは貴方を応援していますからね」
「そ、そう? あ、ありがとう……?」
「あ、でもフィリップ様がああいう立場を取られるなら……やっぱり将来はニールセンさんの下へ嫁ぐの?」
「え!? そ、そんなことは……別にロッツォとはそういう関係じゃないし……」
「ふぅん、でも、そろそろそういう問題にも目を向ける時期じゃない?」
「そんなことないです、まだ早いですよ。学園の卒業だってまだまだ先のことだし」
「まぁ、そうですけどね。でも、これから色々と……ねぇ?」
「そうそう」
「と、とにかく今は……! まだ早いですから! ロッツォの気持ちは嬉しいけど私、答えられなくてぇ」
「あら? それはつまり」
「いえ! 私たちは友達のままなんです! ですから、この話は聞かなかったことにしてください!」
ヘレンは匂わせるだけ匂わせて、その場から足早に去っていった。
「やっぱり卒業後はニールセン商会で集まるのかしら?」
「オードファラン家と縁が切れたら殿下の立場も怪しくなるでしょうし」
「そうなると、色々と『やりやすい』ニールセン商会の伝手を辿るのかもしれないわね」
「でも、卒業まで時間があるのは確かよね」
「ええ、それなのに今の内からルドルフ様もフィリップ様も波乱の恋模様で……」
「ヘレンさんは近くに居ても気付かないのかしら?」
「あの方はほら、どうにも思い込みが激しいようですもの。それに男性たちは見目もいいし、舞い上がっていらっしゃるのよ」
「そうね。いつ気付くのかしら? それともすべて終わって……学園を卒業する頃になって、ようやく真実の愛に気付かれるのかしら?」
「そうなったら彼らから離れるの?」
「……でも、表向きは王家と公爵家の縁組を破談にしてしまった悪女という扱いになるのではなくて? そうなると『責任を取らされる』という形でアレクシス殿下との婚姻を強制される可能性も……」
「まぁ。でも、そういう形の場合って殿下に残されるものはあるのかしら?」
「それは……ほら。真実の愛を貫きたいのなら好きにするがいい! とか陛下がおっしゃるんじゃない?」
「まぁ! それって……」
「ヘレンさんを表向きの妻とした……愛の家が完成する……!?」
「きゃあああ! なんてことでしょう!」
わいわいと騒ぐ女子生徒たちの声は、少し離れた場所にまだ居たヘレンの耳にも届いた。
「……何なのよ」
ヒロインである自分についての話題ではないと言っていたが、どこまで本当か疑わしい。
ヘレンはそう思った。
自分を除け者にして盛り上がっていることも気に入らない。
本当ならば学園の女子生徒たちの誰もが羨む立場に自分は居るはずなのだ。
「だいたい全部マリアンヌのせいよ、そうに違いないわ! あの女は悪役令嬢なんだもの! 絶対フィリップも取り返してやるんだから!」
ヘレンが一人、そう零している背後。
盛り上がっていた女子生徒たちは、去り行くヘレンの背中に哀れみの目を向けていた。
「「「「「「「「ヘレンさんもお可哀想に……」」」」」」」」