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前編

オリーフィア・ガザンスはかつては悲劇のヒロインのように思われていた。


オリーフィアは六歳のときに母親を病で亡くした。まだ幼子であったオリーフィアはひどく悲しみ、泣いて、泣いて日々を過ごした。

そんなオリーフィアに追い討ちをかけるように、彼女の父親であるガザンス伯爵は妻の喪が明けるとすぐに再婚をした。それもオリーフィアと同い年の異母妹を連れての再婚だった。


異母妹。そう、父親はオリーフィアが産まれる前から、彼女の母親が存命のときから、ずっと外に愛人を囲っていたのだった。そしてオリーフィアの母親がいなくなると、これ幸いと彼女たちを呼び寄せたのだった。


貴族に愛人がいることも、後妻を迎えることも珍しいことではなかった。しかし、ここまで幼い子供に容赦のないケースはそうあるものではなかった。そのため、幼いオリーフィアに対するあまりの仕打ちに、周囲は眉をひそめた。


事情を知る貴族は皆、後妻となった伯爵夫人とその娘に厳しい目を向けた。そして、悲劇のヒロインとなったオリーフィアに同情を向けたのだった。



それが十年ほど昔の話であった。



オリーフィアがもうすぐ十七歳になる現在、彼女と異母妹のアマンナに向けられる目は正反対となっていた。


ガザンス伯爵の再婚からしばらくオリーフィアは皆から同情の目を向けられていたが、月日が経つにつれて彼女はマナーの粗さや振る舞いの拙さが目につくようになった。

オリーフィアは身だしなみも姿勢も悪く、お茶会に来ても「ふうん、そうなの」「知らないわ」「そうかしら?」ぐらいしか答えなかった。そんな彼女の株は、瞬く間に下落していった。そして、今やすっかり彼女の肩を持つ者はいなくなってしまった。


一方、異母妹のアマンナは初めは非難の目を向けられていた。しかし、市井育ちだとは信じられないほど完璧なマナーを身につけ、努力して得た教養と容姿の愛らしさを活かす愛想の良さで、徐々に周囲の目を好意的なものへと変えていった。今もアマンナに好意的ではない目を向ける者はいたが、それは人気者である彼女に嫉妬する者ぐらいだった。


彼女たちは今、ガザンス家の令嬢といえば、まともに会話も続けられない『出来損ない令嬢オリーフィア』と、愛らしさと才能を備えた『才媛アマンナ』と見られていた。


ただでさえ低かったオリーフィアの評価は、最近では異母妹の才能や人気を妬み、アマンナに嫌がらせをしているとの噂から、さらに低下の一途をたどっていた。もはや到底ひっくり返すことのできないほどの差が、姉妹の間にはできていた。


その彼女たちの差は、オリーフィアの婚約にも影響を与えていた。

オリーフィアの母親は海を挟んだ向こう側、西の王国の出身であった。その王国との貿易の窓口である港街を持つ侯爵家の令息と、オリーフィアは生まれてすぐに婚約を結んでいた。西の王国は閉鎖的なところがあったため、オリーフィアの血があれば向こうの態度が軟化すると見込んでの婚約であった。


その令息であるロデリックも、最初は身内の不幸に泣くオリーフィアに寄り添っていた。しかし、成長するにつれ男爵令嬢にも劣る振る舞いしかできないオリーフィアを見限っていった。


彼らの婚約が結ばれた頃、ガザンス伯爵家には、実際はさておき、娘は一人しかいないことになっていた。そのため、婚約は侯爵家の息子とガザンス伯爵家の娘との間で交わされていた。それをいいことに、正式な婚約者はオリーフィアであるはずなのに、ロデリックはまるでアマンナこそが婚約者であるかのように振る舞っていた。




と言うのが、世間の知るガザンス姉妹であった。

しかし、それは真実とは大きく異なるものであった。




「鈍臭い、本当に使えない下女ね」


外で見せる愛らしい表情からは想像もつかない形相で、そう冷たく言い放ったのはアマンナだった。彼女の手には今しがた水をぶち撒けたばかりの水差しが握られていた。その水差しからは冷たい雫がぽたり、ぽたりと落ちていた。


その水差しに本来入っていた冷水は、アマンナの目の前でうずくまっている下女のお仕着せを着た少女にかけられていた。この国の人にはほぼ見られない特徴的な彼女の黒髪は、水を吸ってその色を更に増していた。

彼女は顔を伝う水を拭うことすらせず、濡れたまま必死にその頭をアマンナに向けて下げていた。


「申し訳ございません、アマンナお嬢様」


ずぶ濡れで、不格好に床に這いつくばる少女をアマンナは満足げに見下ろした。口元には、加虐心からくる歪な笑みが浮かんでいた。


「泥棒の娘は何をやらせても無能ね。せっかくチャンスをあげたのに、ベッドメイク一つ満足にできないなんて、信じられないわ。もういいわ、早くここを片付けなさい」


「かしこまりました」


水に濡れた重い服をその身に貼り付け、掃除道具を取るため立ち上がった少女に、アマンナは追い打ちをかけるようにこう告げた。


「ああ、罰として馬小屋の掃除もしてきなさい。終わるまで食事は抜きよ。分かったわね、オリーフィア」


このアマンナに下女と呼ばれ、まさにそのように扱われていた少女こそ、この家の長女であるオリーフィアであった。

これが、オリーフィアの母が亡くなってからのガザンス家の実情であった。



オリーフィアは、義母と異母妹が家にやってきたその日からずっと、貴族の娘とは到底思えない扱いをされていた。

義母は幼かったオリーフィアに、まるで呪でもかけるように、彼女のいた場所は本来、アマンナのものであったと言い続けた。


「お前の母親は盗人だったのよ。旦那様を騙してその隣に立ち、お前をこの家の跡取りにしようとした。本当はそこは旦那様から心から愛されている私と、可愛いアマンナのものだったのに!」


「六年もそうして他人のものを掠め取っていたのよ!お前もその盗人の血を引いているわ。盗人の母親の罪は、その娘であるお前が償いなさい!」


「これまで他人の椅子に図々しくも座っていたのよ!その罰を受けなさい!食べさせてもらえるだけでも有り難く思いなさい」


そう言って義母はオリーフィアの持っていたい全てを取り上げ、それらをアマンナに与えた。ドレスも、人形も、アクセサリーも、日当たりの良い部屋も、寝心地の良いベッドも、家庭教師との時間も、血の繋がった父親も、全てがアマンナのものとなった。

そして、オリーフィアは使用人のように扱われ、次々と慣れない仕事をさせられるようになった。


オリーフィアは初めはそれが信じられず、父親に助けを求めた。しかし、父親は政略結婚であったオリーフィアの母親より義母の味方であった。


「お前など私の娘ではない。私の愛娘はアマンナ一人だ」


残酷にも実父から、オリーフィアはそう宣言されたのだった。


そこからのオリーフィアの日々は地獄であった。着替えさえ一人でしたことのなかった少女は、泥だらけのジャガイモの下ごしらえをさせられ、油だらけのフライパンを洗わされ、広い庭の草むしりを命じられ、煤だらけの暖炉の清掃をさせられた。美しく手入れされていたオリーフィアの髪と肌は、すぐに見る影もなく荒れてしまった。


そうして家では使用人のように扱われていたが、ある日オリーフィアはアマンナと共に貴族の子供が集まるお茶会に参加するように言われた。

やはり自分は貴族の娘なのだとオリーフィアは密かに胸を撫で下ろしたが、そんな彼女に対し義母はこう言った。


「名目上はうちの娘として出席させるけど、お前はあくまでアマンナの引き立て役として連れていくだけよ。みすぼらしいお前が近くにいれば、私たちの美しいアマンナはより輝いて見えるもの。理由はそれだけよ。アマンナには外ではお前のことをお姉様と呼ばせるけれど、本当にこの家の娘として参加するだなんて夢にも思わないことね」


そうして寸足らずの昔のドレスを着せられ、オリーフィアは義母とアマンナと共にお茶会に参加させられた。


初めの頃は、義母にでしゃばらないよう厳しく言いつけられていたため、オリーフィアはお茶会で話を振られても曖昧な返事しか返さないようにしていた。カーテシーもわざと手を抜き、ふらついてみせたりもした。

しかし、年齢を重ねるにつれ、普段は使用人の仕事ばかりしている彼女は意図せずともろくな振る舞いができなくなっていった。たくさんの家庭教師に付きっきりで教わっているアマンナとの差はどんどん開いていき、オリーフィアの評判は落ちるばかりだった。


そんな中で、オリーフィアに同情的だった友人も、一人、また一人と彼女のもとを去っていった。


「他人のものを勝手に奪うから、そうなるのよ。今や下女のあんたにはお似合いの末路よ」


孤立するオリーフィアを見て、アマンナは実に楽しそうに笑った。そして、多くの友人に囲まれる己の姿を見せつけるかのように、オリーフィアを味方のいない社交界へと連れ出し続けたのだった。



そうして外に出るときはかろうじてご令嬢のようにドレスを着せてもらえたが、オリーフィアは家では名ではなく下女、使用人などと呼ばれた。いつしか着古したワンピースすら着用を許されず、下女の服を着るように命じられた。そのような姿で、貴族の娘では目にすることすらないような手を荒らす仕事をするのが、オリーフィアの日常になっていた。

初めの頃はオリーフィアもそんな扱いに戸惑いを見せたり、反論をしたりしていた。しかし、実父に、義母に、異母妹に、使用人たちにこの家の娘ではないと言われ、そう扱われ続けたことにより、徐々に反発を見せなくなっていった。



そうして下女のような扱いをされながらも、オリーフィアは望んでもいない社交界の他に、婚約者であったロデリックとのお茶の席にもアマンナと共に必ず出るように命じられていた。

そこでも、彼女はアマンナの引き立て役をさせられた。


「お前が婚約者だということになっていたのだから、これからも体裁のために顔だけは必ず出しなさい。後はいつものように出来損ないでいればいいわ。まあそんなことしなくても、お前と私が並んだら、彼は愛らしい私の方を選ぶでしょうけどね!」


三人でお茶会を続けていくなかで、ロデリックは徐々に貴族令嬢らしい振る舞いができなくなっていくオリーフィアを嫌っていった。そして、それに反比例するかのように彼はアマンナに甘い視線を向けるようになっていった。今もまだ三人のお茶会は続いているが、最近ではロデリックとアマンナは完全に二人の世界に入っていて、形ばかり同席をしているオリーフィアに視線一つ向けることはなかった。


オリーフィアはそうして家族からまともな扱いもされず、ときにアマンナたちから罰と称して頬をぶたれることもあった。それなのにいつの間にか社交界では、オリーフィアは貴族の娘としてまともに振る舞えないばかりか、異母妹を虐めているという真逆の噂が流れるようになった。アマンナのドレスを破った、彼女を愛人の子となじったなど、身に覚えのない罪を彼女は次々と着せられた。

社交の場で他人とまともな挨拶一つできないオリーフィアがそれに気付けるはずもなく、彼女は知らぬまに悪評にさらされていた。




そうした不遇の日々の中、事件は起こった。


それはロデリックの家が主宰する夜会での出来事だった。ロデリックとアマンナの二人はいつものようにぴったりと寄り添い、まるで恋人同士のように振る舞っていた。本来ならば正式な婚約者であるオリーフィアを差し置いてそんなことをしたら、顰蹙(ひんしゅく)を買うことになる。しかし、オリーフィアの評判が低すぎたため、あのオリーフィアが相手ではそのようになるのもやむを得まいと許容されていた。


「私と踊ってくれるかい、アマンナ」


「もちろん、喜んで。ロデリック様」


シャンデリアの眩い光の下、ロデリックとアマンナはお互いを甘く見つめ合いながら踊っていた。まるで二人の視界には、壁際で背を丸めて立つオリーフィアの姿など映っていないようだった。


そうしてオリーフィアなどいないように振る舞っていた二人であったが、オリーフィアが中座するため外に出ようとホールに背を向けたとき、ロデリックが大股で彼女に近寄り、その肩を無遠慮に掴んだ。


オリーフィアは驚いて振り返ろうとしたが、男の握力で肩を掴まれたため、首を回すことしかできなかった。オリーフィアが何とか後ろにいるロデリックの方を見ると、彼はその表情を怒りに染めていた。


「なぜ君がそれを持っているんだ?」


地を這うような声でそう言われたが、オリーフィアはロデリックが言う『それ』が分からなかった。


「……何のことかしら」


そのためそう答えたのだが、それを聞いたロデリックは眉をぎりりと寄せると、彼女の髪留めを力任せにむしりとった。


周囲が驚いてロデリックに視線を向ける中、彼はオリーフィアを大声で問いただした。


「なぜ君がこれを持っているんだ!ここに付いているのは私がアマンナの誕生日に贈った宝石だ!加工して形を変えればバレないとでも思ったのか?また君はそうやって妹のものを奪うんだな」


ロデリックの言葉に何も反論しないオリーフィアに、「またよ」「今度は宝石ですって」「前はドレスやアクセサリーをそのまま奪ってバレたからって、他人のプレゼントを勝手に加工するなんて」「出来損ない令嬢な上に性格まで卑劣だなんて」と周囲は口々に囁き合った。


謝罪もなく、無言で立つオリーフィアに、ロデリックは叩きつけるように叫んだ。


「お前が最低限のマナーも危うい出来損ないだというだけでも相当耐えていたのに、他人のものを平気で盗むとはな!もう我慢も限界だ!」


ロデリックはそれだけを言うと、オリーフィアの反応を待つことすらせず彼女に背を向けた。そして、そのままアマンナの元へ向かい、彼女の前でひざまづいた。


「私の婚約は家と家の契約だ。今までは亡き前伯爵夫人のためにも明言を避けてきたが、やはりあんな女を妻に迎えることはできない。アマンナ、私の愛する人よ、どうか君こそが私の正式な婚約者になってくれないか」


ロデリックからの言葉に、アマンナはポロリと一筋の涙を落とした。


「嬉しい。とても嬉しいわ。けど、私は今でこそガザンス家に名を連ねているけど、正妻の子としては産まれていないの。侯爵令息である貴方に相応しくないわ。それに、お姉様を差し置いて貴方と結ばれるだなんて、きっとお姉様もお父様も許してくださらないわ……」


悲しげにまつ毛を伏せるアマンナの手を、ロデリックはそっと取った。


「美しく聡明で、そして心優しい君にこそ、この先もずっと私の側にいて欲しいんだ。相応しい、相応しくないで言うなら、私にとって君以上の人はいない。それに、君にはまだ伝えていなかったが、ガザンス伯爵にはもう了承を得ているんだ。君のお父上も、あの女のできの悪さに頭を抱えておられたよ」


オリーフィアの父は、彼女の評価が既に地に落ち、ガザンス伯爵家の娘と言えばアマンナと言われるようになったのもあり、この辺りで虐め尽くした彼女を切り捨てる気でいた。しかも父親はオリーフィアをただ捨てるだけではなく、彼女の追放をアマンナのために利用しようとしていた。アマンナを姉から婚約者を奪った妹にしないために、出来損ないの悪役令嬢の姉は自身の罪のために追放され、その虐めに健気に耐えた心美しき妹は王子様と結ばれるというストーリーにしようとしたのだった。


ここまでの流れは、ロデリックと伯爵の描いた筋書き通りに進んでいた。オリーフィアの髪にアマンナの宝石が付いた髪留めを着けたのも、その計画の一部だった。


今夜の計画を父親から既に聞いていたのに、アマンナはさも初めて聞いたかのように驚いた顔を見せ、そして嬉しそうに笑ってみせた。


「ロデリック様、そこまで私のことを考えてくださっていたのですか?ああ、許されるのであれば、私も貴方のお側にいたいです」


そっと、遠慮がちにロデリックの腕に触れるアマンナを、周囲は温かな目で見守っていた。ロデリックと伯爵の目論見通り、物語は安っぽいハッピーエンドを迎えようとしていた。


その物語の佳境で、ロデリックは正義のヒーローにでもなった気持ちで、オリーフィアへの断罪を始めた。


「お前のしたことは、全てアマンナから聞いているぞ。それに社交界でもお前の悪い噂は随分蔓延している。皆もお前の悪行は知っているのだ。いい加減己の罪を認めたらどうだ!」


しかし、オリーフィアは悪女のようにヒステリックに否定することも、みっともなく泣いて許しを乞うこともしてこなかった。彼女は戸惑ったような表情はしていたが、何も答えなかった。

舞台の一幕のようにアマンナを救い出すためにも、オリーフィアには悪役として華々しく散ってもらう必要があった。そのため、ロデリックは語気を強めてオリーフィアに詰め寄った。


「まただんまりか。先ほども言ったようにお前を見限ることは、父親である伯爵のご意志でもある。伯爵は家の恥ではあるが、アマンナのためにもお前の罪をここで全て明らかにしてもよいとおっしゃっていた」


「全てを、ですか?」


「そうだ!お前を庇いたてるような者は、誰一人いない。自分の口から全ての罪を語るのだ。それぐらいはお前にもできるだろう、この()()()()()()()!」


夜会に参加していた貴族たちも、オリーフィアの凋落を見てやろうと彼女たちの側に集まっていた。彼らにとってはそれが真実だろうと、仕組まれた演目だろうと関係なかった。無責任な彼らは野次馬のように集まり、そこで上演されている舞台を見ているだけだった。


多くの視線を受けたオリーフィアは、少し逡巡した後に、意を決したようにロデリックにこう答えた。


「失礼ながらロデリック様、私は出来損ない令嬢などではございません」


それまでどれだけ小馬鹿にされても、嫌みを言われても大人しく受け止めていたオリーフィアから初めて出た、反論とも取れるような言葉だった。ロデリックはあからさまに怒りを見せて、更にオリーフィアに詰め寄った。


「はは、ではお前が出来損ない令嬢ではないなら、何だというのだ?」


嘲りを隠さないロデリックの前で、オリーフィアはきゅっと口を結んだ。そして、ドレスの裾を掴んだと思うと、そのまま膝をついた。


オリーフィアの予想外の行動に周囲からはどよめきが起こった。「お前、一体何を」と戸惑った声をこぼしたロデリックの前で、オリーフィアはそのまま両手も床につけ、頭を深々と下げた。


貴族の娘が床に膝をつくだけでも信じられないことなのに、オリーフィアは土下座のように額まで床につけた。人々が土足で踏み歩いた床の上にだ。そこまで大声で彼女を責め立てていたロデリックも、これには言葉を失った。


しんと静まり返った空間に、オリーフィアの言葉が響き渡った。


「ロデリック様、申し訳ございません!私は確かに出来損ないですが、『令嬢』ではないのです。私はただの平民の使用人なのです!」


「し、使用人……?」


理解が追い付かず、思わずそうこぼしたロデリックに、オリーフィアは額を床に擦り付けたまま続けた。


「はい、ただの使用人でございます。伯爵様からのご命令とはいえ、ロデリック様を騙していて申し訳ございませんでした!」


「ちょ、ちょっと待て!西国の者特有の黒髪であるのに、お前はオリーフィアではないのか?」


「いえ、私は確かにオリーフィアでございます」


間違いなくオリーフィアなのに、きっぱりと貴族の令嬢ではないと言われたことにロデリックが混乱していると、アマンナが慌てて二人の会話に割り込んできた。


「お、おほほ、お姉様ったらご冗談が過ぎますわよ。お姉様は半分しか血が繋がらないとはいえ、私のお姉様ではありませんか」


アマンナたち家族はオリーフィアを使用人と呼び、彼女をこき使っていた。そのことがバレてはまずいとアマンナが何とかここを誤魔化そうとしたが、オリーフィアが何の悪気もなくそれをぶち壊した。


「確かに血筋だけでいえばそうですが、私は姉などではなくただの使用人だと、いつもアマンナお嬢様も仰っているではありませんか」


「い、いつも……」


「そんなことありませんわ!ね、違うわよねお姉様!」


アマンナはロデリックから見えない角度で違うと言えとばかりに圧をかけながらオリーフィアを見た。すると、彼女は心得たとばかり頷いた後、こう訂正した。


「はい、アマンナお嬢様申し訳ございません。私は下女でございました」


「そうじゃない!!」


今や音楽も止み、皆が静かにことの成り行きを見守っていた夜会の会場にアマンナの叫び声が響き渡った。

はっと我に返ったアマンナが周囲を見渡すと、触れるほどの距離にいたはずのロデリックは半歩ほど下がり彼女から距離を取っていたし、周囲の人々は疑いの目を彼女に向けていた。


「ね、ねえロデリック様、違いますのよ?ほら、普通に考えてお姉様がおっしゃってることの方がおかしいでしょう?きっとロデリック様に振られたショックでおかしくなってしまわれたのですわ」


愛らしいとロデリックがよく囁いてくれた笑顔を向け、アマンナは必死に訴えた。しかし、ロデリックはそんな彼女から、更に半歩距離を取った。


「確かに信じがたい話だが、あんな嘘をついてもオリーフィアには何のメリットもないだろう。この場を切り抜けられたとしても、彼女は今後社交界で貴族令嬢として扱われなくなるかもしれないんだぞ」


それに、とロデリックは絞り出すように続けた。


「君たち二人の表情を見比べると、オリーフィアの方が真実を語っているように見えるよ。君はひどく焦っているように見えるよ」


「そんな!愛する私の言葉を信じてくださらないのですか!」


「なら、オリーフィアがなぜ自分は下女だなんて平然と言ったのか教えてくれよ!そう言われれば、オリーフィアの手はいつもひどく傷んでいたじゃないか!」


「あ、あれは、お姉様が、その面倒くさがってケアを怠って……」


「侍女がやるのに面倒も何もないだろう?君、まさか今までそうやって俺を騙していたのか!?」


「ちがっ!ひどいわロデリック様!私を信じてくださらないなんて!私を愛していないのだわ〜」


きょとんとするオリーフィアを置き去りにして、アマンナとロデリックはギャーギャーと醜い言い合いを続けた。

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