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第1話 がらんどうの家。

 「いつの間にか寝てしまった……」


 誰に会うわけでもないのに、顔を洗って、歯を磨いてからリビングに向かう。階段をおりながら、無性に挨拶がしたくなって、「おはよう」と言った。

 

 リビングのソファーに腰をかける。

 テーブルの上には、掃除道具が無造作に置かれていたが、何も感じなかった。


 「先々月までは、家具が多すぎるくらいだったのに、随分寂しくなっちゃったよな」


 俺は、癖でキッチンの方を眺めた。

 だけれど、誰もいないキッチンは静かで、ジーと冷蔵庫の作動音だけが聞こえる。


 「はぁ」


 タバコに火をつけた。 

 妻の目を盗まずに吸うタバコは、味気なかったが、口寂しくて何本か吸った。


 静かなのが嫌でテレビをつける。すると、ニュースで春の行楽地を特集していた。何組かの家族がインタビューを受けていたが、そのうち見たくなくなってテレビを消した。



 おれの家は一軒家なのに、がらんどうだ。



 ほんの2ヶ月前まで、この家は普通の家だった。子供と妻が常に行き来して、うざいくらいに賑やかだっだ。


 だが、アッと言う間だった。

 本当に、あっと言うまに、この家はがらんどうになってしまった。


 そのしばらく前から、そのウィルスのことは知っていた。既知のウィルスが突然変異した、新種のウィルス。


 見たことも聞いたこともないウィルスに、みんな戦々恐々だった。


 でも、俺は、どこかで他人事だと思っていた。だけれど、そのウィルスは、いつの間にかすぐそこまで忍び寄っていた。


 そして、突然2人に牙を剥き、あっけなく、本当にあっけなく2人を天国に連れて行ってしまった。



 「ちょっと熱っぽい、アカネと病院にかかってくるね」


 それが妻のあおいと話した最後の言葉だった。




 ……そして、この家の住人は、俺1人になった。



 ソファーに座っているのも、落ち着かないので、掃除の続きをすることにした。


 「片付けはじめて2週間か……」


 テレビ、冷蔵庫などの家電製品はかなり処分したのだが、まだいくつかの家具は残っている。なんだか、まだ生きている家電たちを捨てるのが忍びなくて、アプリなどで無償提供している。


 中には買取業者みたいな人も多い。まぁ、処分費がかからないのだから、贅沢は言えないが、できれば、他の家でも家族の生活の役に立ってほしいなんて思ってしまう。


 今更の自己満足だとはわかっているが、そんなこともあり、片付けは、なかなか進んでいなかった。


 あおいとアカネがいなくなってから、もうすぐ2ヶ月がたつ。法事などでバタバタしていて、しばらく、家のことは放置になっていた。


 だが、ウチの両親が「家族の思い出がつまった家に、一人ぼっちで住み続けるのは不憫だ」と心配してくれた。俺自身もきつかったので、この家をひきらはって、一時的にだが、実家に戻ることにした。  


 一人で住むには、この家は広すぎる。


 だけれど、ちょうど来月が賃貸の更新月なので、それまではこの家にいようと思っている。



 俺は、冷蔵庫を開けた。

 すると、ほとんど物が入っていないせいで、ドタポケットの焼き肉のタレが倒れた。


 俺は、ボトルを手に取り眺める。

 そのタレは、未開封だったが、ゆうに一年半は賞味期限をすぎている。


 「懐かしいな」  


 懐かしいのは嬉しいはずなのに、腕で目を擦った。


 あの日、知り合いに良い牛肉をもらった。それで、焼き肉のタレがあるか確かめたくて、妻に電話したのだ。


 すると、あおいの声がやたら響いていた。


 「おまえ、どこのいんの?」


 「え、家だよ? お風呂中〜。アカネがジッとしていられなくてさ、すごい大変」


 電話口では、はしゃいで騒ぐ、アカネの声が聞こえた。狭い風呂なので音が反響して、さらにやかましく聞こえる。


 「パパー。何時に帰ってくるの?」


 アカネ、時間分からないじゃんと思いながら答えた。

  

 「20時くらいかな。ちゃんとママの言うこときけよ?」


 「ママ、20時ってなーに?」


 あおいに替わった。

 俺はあおいに用事があるのだ。


 「なぁ、あおい。うちに焼肉のタレある? いい肉もらってさ」


 「あるよーっ。お肉、楽しみにしてる!!」


 「俺の帰りは楽しみじゃないの?」


 「あ! お肉の次に楽しみ〜。ね、アカネ?」


 キャッキャという声を聞きながら、おれは電話を切った。


 家に帰ると、お風呂上がりの2人がお出迎えしてくれた。


 「おかえりなさーい。おにくさーん!!」


 アカネはもうすぐ年長さんだ。

 最近は、ママのマネっ子がブームらしい。


 荷物をおき、リビングに戻ると、あおいが焼き肉のタレを渡してくれた。なんだか、誇らしげだ。


 「これ。新品なの。これ買っといた私、グッドジョブ?」


 俺はあおいの頭を撫でた。


 なんたなく、ボトルの裏を見た。

 すると、なんと消費期限は一年前だったのだ。


 「未開封だから、一年なんて誤差」


 なんて意味不明なことを言うあおいを無視して、塩で食べたんだっけ。


 がらんどうの中でボトルを見つめていた俺は、ボトルをまた冷蔵庫にいれた。


 いまはもう、一年半も期限を過ぎているけれど、捨てる気がしない。



 「はぁ」


 なんだか気が重くなってしまって自分の部屋に戻った。2人が亡くなる半年ほど前から、俺は妻と寝室を別にしていた。


 だから、この部屋は昔のままの散らかりっぷりで、いまは、この家の中で一番落ち着ける場所なのだ。


 片付けは一休みすることにして、この部屋で気ままに過ごす。前と同じように、映画を見て、絵を描いて。ギターをいじって過ごす。


 時々、隣の部屋から2人の笑い声が聞こえないことに寂しくなりながらも、以前と同じように、好き勝手に時間を過ごした。


 寝室を別にしたのは、不仲だったからではない。アカネも大きくなってベッドが狭くなってきたし、ちょっとした喧嘩がキッカケで別の部屋になったというだけだった。


 あおいは、しばらくは「いつ戻ってくるの?」なんて言っていたが、おれは1人の時間が楽しくなってしまって戻らなかった。


 だから、わかってる。

 今更、隣の部屋の声が聞きたいなんていうのは、ワガママなのだ。

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