あの世へ行って三年経ったある女性平社員のあの世での一日
目覚ましが、けたたましく鳴った。
正確には、目覚まし時計型フェアレディZのミニチュアから発せられる音だ。
時間が経過するにつれて、どんどんエンジン音の回転数が上がっていく音がするのだ。しかもカスタムバリバリの。
それだけで一発で覚醒できる。耳元でこれを聞くと快感ではあるが、同時に凄まじくうるさいからだ。眠りも一発で消し飛ぶ。
屋根を押すと、その音は止まる。
私はあくびをして、ベッドから起き上がった。
起き上がると同時に、頭の天辺に、輪っかが形成され、背中に羽が生えたのが分かった。
あの世へ来た者の証だ。
そう、私は既に死んでおり、人間ではなく『天使』という存在になっている。
今暮らしている八畳の1LDKマンションも、一見するとかつて私が過ごした部屋に似てこそいるが、現世とは似て非なるあの世のマンションだ。
「おはようございますです。相変わらずあの音が響いても眠そうですねー」
そう言う無邪気な声が聞こえてくる。
少し甲高い、子どものような声だ。
「あ、おはよ、ティエル」
ティエルという小便小僧に天使の羽が生えたような小天使が、私には付いている。
なんでも、あの世へ来たものの特権として、こうした家事手伝いの小天使が、誰にでもつくのだと言う。
そんな小天使が、羽を少しばたつかせながら、まだ少し寝ぼけ眼の私の前にやってきた。
「とりあえずご飯ですね。まず席に座りましょう」
ティエルがそう急かすから、私は寝間着のままダイニングの椅子に座った。
ティエルがダイニングテーブルの横につくと、羽でホバリングしながら私の顔を見た。
「今日は……御主人様パンケーキでも食べたい気分でしょ」
「思考も願望も完全に筒抜けなのね。ま、元からそのつもりだからいいけど。甘すぎないようにね」
ティエルに私は言った。
そういうと、ティエルはテーブルの前に手をかざし、魔法を唱える。
瞬間、程よい香りのするホットケーキと、コーヒーが出てきた。あとバナナが付いてきている。
「バナナはオマケです。疲労を回復させるにはちょうどいいです。ではどうぞなのです」
「じゃ、いただきます」
そう言ってから、私はホットケーキにナイフを入れて一口大にしたところで、頬張った。
なるほど、程よい、私の好みに完璧にあった形のホットケーキだ。
ティエルはこの姿ではあるものの、もう数千年生きているとのことだった。
あの世へ来た者の家事手伝いとしての役目を神から教わった、いわば生粋の執事である。
そして天使というのは、人間よりも遥かに上位の存在であり、元人間の私の思考は筒抜けだ。
だからこうして私の思考も好みも完全に分かっているのだ。
本来だったらそれにゾっとするだろう。実際、私も最初はそうだった。
だが、慣れてしまうものだ。
もう既にあの世に来てから人間時間で三年経過した。
そうするといつの間にか『こういうものだ』と思ってしまう。
洗脳というのかストックホルム症候群とでも言うのか、なんかこれでもまぁいいかと、どこか諦めにも似たそんな境地に達してしまうのだ。
そう思っているうちに食べ終わったら、化粧をする魔法を私は私の手でかける。こればかりはティエルの手を使わせるのは癪だ。
私には首に傷がある。それもでかでかと。
それが死んだという証の一種だ。
私は車の運転中に事故で死んだ。というより私が百パー悪い。調子こいていろは坂の下りを改造したフェアレで時速一六〇kmで爆走しながらドリフトしたら、ものの見事にフェンスを突き破って落下して死んだ。
その際に首に傷を負ったのと、全身の骨がへし折れて死んだのだ。その戒めとしてあの世へ来た際に傷が残っているのだ。
あの目覚ましのフェアレは私の生前の愛車だ。目覚まし時計といえど、実はエンジンまで完全に再現されている。
じゃあなんでこんな精密な目覚まし時計が出来るのか、実はそれこそ、私の今の仕事場に関係がある。
化粧をして首の傷を消そうとするのだが、これだけは消えない。あくまでも化粧は顔くらいしか効果はない。
最初のうちはこれも嫌だったが、周囲がもうそういう人物だらけでもう慣れた。
その後私はスーツに着替え(これも魔法で一瞬で着替えられる)、留守番や掃除などをティエルに任せ、家を出た。
マンションの廊下はというと、実をいうとこれが初めて見た時一番面を食らった。
マンションの防護壁や柵がないのだ。あるのはただひたすらの雲海。
その雲海の上に数多のビルが軒を連ねている。
そして、その雲海の上空を、多くの羽の生えた元人間、要するに今の私と同じ天使が羽ばたいて、各々の職場へと出勤したり、通学したりしている。
自分も同様に、羽を再度展開させてそのままマンションの縁からダイブした。
そのまま、滑空の姿勢のまま、自分の身体を飛ばした。
この感覚が、まさに自分にとっての快感だ。これだけはあの世に行っても忘れられない。
走り屋の一種の矜持だ。誰よりも早く。それが自分の自分である証だ。
しかし、ここには車はない。電車もない。
みんな空を飛んで動いている。
そんなんだからか、すぐ近くで天使同士が抜きつ抜かれつのデッドヒートを繰り広げている。
あの世の連中はみんな走り屋みたいなものだと、私は思うのだ。
もっとも、一部の天使はゆっくりと動いている。
ぶつくさ言っている天使もいるが、それは天使の輪が点滅している者だ。
実をいうとあの世にスマホはない。電話は全部テレパスだ。要するに脳内で会話するのである。
その時だけ天使の輪が点滅するのだ。
ざっと一五分ほどで、自分の職場のビルにたどり着いた。
雲海の上に整理された樹木がいくつも並び立ち、そして巨大なビルが、私を見下ろしている。
ここはあの世の総合庁舎だ。
何度見ても思うが、この高さだけはどうにかならないのかと心底感じる。
首を上に上げてもなお、先が見えない。
自分のいる雲海より更に上の雲海をもぶち抜いて、そのビルは立っている。
威厳を示すため、というのがその理由だ。
何しろこの庁舎の頂点にこの世界の神がいるのだ。そりゃ偉いに決まっている。
もっとも、自分のような下っ端は、会ったことすらないが。
そんなビルの六階に、自分が配属されている場所がある。
「おはようございます」
「おう、今日も飛ばしてきたのか?」
軽口を先輩が言う。先輩は腕に大きな傷がある。
それを見せびらかすように、真冬でも半袖でいるから、この人季節感麻痺しているのかと思わなくもない。
そうこうしているうちに全員が出社して、仕事が始まった。
仕事が始まると同時に、デスクにあったパソコン(何故かブラウン管だが内部のスペックは恐らく現世の何よりも早い)が、一斉に本日の仕事の中身を見せつけてきた。
本日の転生希望者のリストだ。膨大な数があるが、この一見オンボロのパソコンならば処理は一瞬で終わる。
同時に、私の天使の輪が点滅した。
(はい)
(外線だ。相手は転生希望者リスト三六二八五四三)
係長の声だった。
これが脳内に直接響く。
これも最初は驚くが、自然となれるから、慣れとは怖い。
パソコンの画面がその対象者の情報を映し出した。
回線が外線へと切り替わる。
(はい、こちら『あの世総合庁舎転生係』です)
これが私の今の職場だ。
あの世へ行ったら燐廻転生する。そう信じ込まれて結構経つが、その燐廻転生にも手続きが必要で、そのための部署に私は勤めている。
(転生手続きを行いたいと思いまして)
(はい、転生手続きですね。こちらで希望を確認します、少々お待ちください)
テレパス先の相手の個人情報がパソコンに出ている。
何で死んだのか、何年ここにいたのか。
そして、転生をするに値するか、だ。
転生をするにもまずは生前の徳がある程度ないとどうしようもない。
私は徳など走り屋だったこともあってか全く無く、転生して再度走り屋になりたいのにこうして働いているのだ。
更にこのリストには元が何であるか、というのも出てくる。
今回の相手は……パンダだ。
パンダと自分が日本語で話をしているという、おとぎ話のようなことがあの世ではよく起きる。
リストを見ると今回のパンダは寿命で死んだとのこと。
動物園で人気者だったようで、徳は十分。即ち転生する条件は整っている。
転生希望先を見てみた。
猫になりたいらしい。
(確認取れました。猫、になりたいということでよろしかったでしょうか?)
(はい。ほら、僕漢字で大熊猫って書くじゃないですか。だから猫ってどういうものか知りたくて)
(でも、記憶は消されますよ?)
転生した場合現世の記憶は完全に消去される。その上にその転生先に適した知識、言語体系などをインストールするのだ。
要するに中古PCの再出荷となんら変わりないことを執り行うのである。
それで躊躇うものも多いのは事実だ。
しかし、このパンダはと言うと……。
(いやぁ、どうせ僕忘れっぽいし別にいいですよー)
思わず机でずっこけそうになった。
ノリが軽すぎる。
(は、はぁ……。ま、まぁ分かりました。承認が降りるまで数日はかかりますので、しばらくお待ち下さい。許可が降りたかどうかは、折り返しのテレパスをいたしますので)
(かしこまりました。ありがとうございますー。楽しみだなー猫になるのー)
それでテレパスは切れた。
一軒目からだいぶイレギュラーな感じがしたが、まぁそれも業務のうちだからいい。
問題があったのは、それから五件ほど相手にした後だった。
(えっ、異世界転生ってチート能力とか付かないの?!)
この相手は異世界転生した場合にどうなるかという問い合わせなのだが、最近この手の問い合わせがやたら多い。
実際異世界転生モノは変わらずブームだし、チート能力なり無双なりしたい気持ちはよく分かる。
しかし、それはあくまでも物語の中だけの話だ。
残念ながら現実ではそうはいかない。
(そうですね。異世界への転生そのものは可能ですが、チート能力とかをつけるとなると無理ですね。残念ながら漫画のようにはいかないんです)
(じゃ、じゃあ異世界スローライフ! これならいけるでしょ?!)
これもブームだ。
だが、これに関しての答えはこうなる。
(スローライフを送ること事態は不可能ではないかもしれませんが、それは転生先にもよりますね。そちら様の場合に適合する転生先ですが、現在似たフィールドで二〇〇万人待ちとなっておりまして、少なくとも転生可能まで今お申し込みいただいてからあと五年は人間時間でお見積りいただかないと……。あと、ご存知と思いますが、記憶のフォーマットがなされますので)
(つまり、こっちの知識で無双スローライフは)
(無理です。あと異世界への転生ですが、我々のような天使の補助適応外になりますので、転生先で万が一のことがあったとしてもこちらの世界のあの世、即ちここに戻れるかの保証はいたしかねます)
(そ、そんな~……)
異世界へ旅立つのは現在の世界からの輪廻転生概念を外れることを選ぶという選択であるため、当然のことながらサポート対象外になる。
それ以前に異世界でどうなろうがこちらからしても知ったことではなく、死んだとてこちらの責任は何も取れないのだ。
それでも選ぶ存在がこれだけいるんだからわからないものである。
それだけ世の中にうんざりしているんだろうか。
ガッカリしながら相手がテレパスを切った。
昼食の時間になると、どこからともなくティエルがやってきて、最適な昼食を用意してくれる。
他の職員もそうだ。それぞれの小天使が食事を準備する。
だが人間だったときとメニューはさほど変わらない。
もっとも、中には草を食っているシマウマの同僚がいたり、逆に肉ばかり食っているライオンの同僚もいるのだが。
私はと言うと煮込みうどんにしてもらった。
それが終われば午後の業務だ。
午後の業務も変わらず転生相談だったり受付を行う。
たまに無機物(解体されたビルとか)からも相談があったりするからまぁこの現場は驚きに耐えない。
業務をこなしているうちに終業時間になった。
この仕事のいいところは残業がないことだ。あの世では残業は悪徳とされているため、絶対に帰られなければならない。それは実にいい。
そしてその終業直後に、ブラウン管モニターに今日の給与が提示される。
給与、と言われても現金ではない。
『徳』が付与されるのだ。その徳の値によって業輪廻転生が可能となる。
私は、未だにその数値には達していない。
理由は簡単。私以外の相棒も転生させなければならないからだ。
そう、あの今は目覚まし時計になっているフェアレだ。
あれは私と同時に死に、一緒にここにやってきて、徳を貯めるのを頑張っている相棒なのだ。
私の事故で吹っ飛んだくせに、それでも付いてくる健気な相棒を置いて輪廻転生するのは、絶対に後悔すると、私の魂が言っている。
だから、明日も働こう。
二人で転生するために。
そう思って、庁舎を出て羽を出し、家路へと着いた。
雲海に夕日が照らされている。
広がるのはただひたすらのビル街。その中をひたすらに滑空する。
早く。早く。
ただひたすらに、早く。
そうやって重力と風を感じる瞬間を、もう一度相棒と味わいたい。
それだけが、今の私の働く理由だ。
(了)