08 恋人でないケビン
ルセルが毎日マリーの元に通い始めると、ケビンが二日に一度はマリーの所にやって来ることを知った。
ケビン・ウォールは、マリーの恋人だ。
歴代のマリーの恋人達の中で、交際期間最長記録保持者である。最長といってもたかだか二年ではあるが。
ケビンは、眉が太く目元がきりりとしている。小柄で、身長は170センチメートル。ほどよく筋肉のついた肢体だ。自称狩人で、月に何度か森に入り獲物を狩って小遣い稼ぎをしているようだ。上品とは言い難いが、とにかく女性に優しい。甘い言葉は幾らでも囁けるし、女性に無理強いはしない。周りをよく見ていて、気が利く男だ。二年前にふらりとブーエにやってきてから、ずっとマリーと付き合っている。しかし、マリー以外の女性とも付き合いはあるようだ。本職は多分……ヒモである。
最初にケビンに会ったのは、プラナの町で、マリーがケビンと腕を絡めて歩いていたときだ。
ルセルはあまり外出しないが、それでも川向こうのプラナへ生活必需品を買いに出掛ける。この町の住民は大抵、プラナで買い物するのだ。
ルセルは出来れば関わりたくなかったが、マリーが先にルセルを見つけて、大きな声で呼び止めた。
「ルセル、ルセル!」
大きく手を振り、ケビンを引っ張ってずかずかと近づいて来る。
「ルセル、プラナで会うなんて思わなかったわ。紹介するわ、友人のケビン。ケビン、ルセルは、私がよく名前を出すから覚えているでしょう?」
「魔女のルセルさんだっけ。俺はマリーの男友達のケビン・ウォーカー。はじめまして」
ケビンは、愛想良くにっこりと笑った。
「はじめまして」
ルセルは、マリーの連れに「魔女」と呼ばれ、無視したい衝動にかられたが、仕方なく挨拶した。
「では、マリー、買い物の途中なので、失礼」
歩き出すルセルに、ケビンから腕をほどいたマリーが、さっと追いついて耳元でささやいた。
「ねえ、ルセル、ケビンかっこいいでしょう」
マリーのことだから、恋人を自慢したいのは分かる。
「お似合いですよ」
これ以外に言いようがない。うかつにケビンを褒めると、今度は「ケビンは私の恋人なんだから、色目を使わないでね」と無駄にけん制されるに決まっている。
「うふふ」
嬉しそうに にやけて、マリーはケビンの元へ戻っていった。
それから三度、ルセルは、プラナの町でケビンを見かけた。しかし、一緒に歩いている相手はマリーではなかった。見るたび、違う女性だった。そして、どの女性とも腕を絡め、恋人同士のように親密な雰囲気を醸し出していた。
一方、マリーもルセルの所へ訪れて、別の男と仲良くなるための助けや、逢引の手伝いを頼みに来ていた。
「ケビンとは別れたんですか?」
ルセルが尋ねる度、マリーはけろりと言い放つ。
「ケビンは大丈夫。私が誰と付き合っても気にしないから」
気にされないということは、好かれていないと同義ではないのか。ルセルは釈然としなかった。
礼儀作法の特訓が始まった二日目に、マリーが言った。
「そうだわ、今日きっとケビンが家にくるわ」
マリーは頭に本を載せて姿勢よく歩く練習をしている。
「礼儀作法の特訓があるのにマリーに会いにくるんですか」
ルセルは、歩くマリーを目で追いながら質問する。
「そうよ。礼儀作法の特訓で外に出る時間がないから、わざわざ会いにくるのよ」
会いに来ても、特訓を止めるわけにはいかないのにとルセルは思う。
「それでは、マリーが王子に会うために礼儀作法を教わっていることも知っているんですか」
ルセルは悪気なく尋ねた。
マリーはバランスを崩し、本はばさりと床に落ちた。マリーは驚いた顔をしている。
「あのね、ルセル。私とケビンは二人で守っているルールがあるの。まず、私もケビンもお互いを「恋人」と言わないこと。それから、二人でいるときは、他の異性の話をしないこと。ケビンがもし『今、お姫様に恋してて、会いに行くために礼儀作法を勉強中なんだ』とか言ったら、私、きっとケビンをぶん殴るわね。そして、浮気しているのかとか、自分のことをどれだけ好きなんだとか、そういったばかばかしい詮索はしないこと。この三つを二人で決めて、守ってるから、ずっと付き合っていられるのよ」
ルセルは、「二人で決めた」ということに、感心した。一体全体どういう流れで、ずっと付き合い続けるためのルールなんて決めることになったのだろうか。
とにかく、そういうことであれば、ケビンには、この礼儀作法をなぜ教えているのか、理由を誤魔化さなくてはならない。
ルセルが嘘の理由をぼんやり考えていると、窓に何かがこつんと当たった。ここは二階のマリーの部屋だ。窓に寄って見ると、バルコニーに紙飛行機が落ちている。これが窓に当たったのだ。
「あら、ケビンが来たわ!」
マリーは、練習を放り出し窓を勢いよく開けてバルコニーへ出た。紙飛行機はケビンが飛ばしたものらしい。
「ケビン!」
マリーがバルコニーから身を乗り出して下を覗く。
バルコニーの下に立つケビンは、ゆっくりと手を上げた。
「上がってくる?」
マリーは尋ねた。
「いや、今日はこれから用事がある。マリーの顔を見れたから帰るよ」
ケビンは、にこりと笑って言った。
「ちょっと待っててね」
紙飛行機を手にして、マリーは急いで部屋に戻ってきた。
急いで紙飛行機を広げ一枚の紙に伸ばす。その紙にケビンに宛てた愛の言葉を書くと再び折り畳み、バルコニーへ出て紙飛行機をケビンに飛ばした。
ケビンは、紙飛行機を受け取ると、しばらくマリーと互いに投げキッスを交わしてから、
「愛してるよ」
と、最後に言って去って行った。
マリーは立ち去るケビンの背中に手を振り続けた。ケビンも何度も振り返って手を振った。
そうして、ケビンの姿がすっかり見えなくなると、マリーは満足した様子で練習に戻った。
なぜ、ケビンがいながら、マリーはリース王子に会いたいと言うのだろう。ルセルは、二人の様子を見て益々意味が分からなくなるのだった。