07 レディーの心得
翌日から始まった礼儀作法の教育は一筋縄ではいかなかった。
何しろ、マリーに根気がない。
「ルセル、ちょっと休憩にしましょう」
マリーは、言いながら、すぐにだらしなく椅子に座った。ティーテーブルには頼んでいないのにお茶とお菓子が乗っている。目を離すとすぐマリーの手はお菓子に伸びていく。
「休憩は一時間学習したら五分です。始めてから、まだ十五分しか経っていません。椅子に座っても構いませんが、顎を引いて背筋は伸ばして背もたれには寄りかからないでください。手は膝の上で左手の上に右手を添えて両膝を合わせて、座っていてもきれいに見せましょう」
訴えるマリーを無視して、ルセルは学習を続けようとする。
「私が教えたことは、教わった通りに、授業の時間以外もずっと続けてください。今日から二週間、誰の目がなくても、椅子に座るときは必ず私に教わった通りの座り方をしてください」
言われても、マリーはだらしなく座ったままだ。
「言葉遣い、会話の作法、お辞儀、ダンス、歩き方や座り方など身のこなし、全て二週間で覚えてください。二週間後にはリース殿下の誕生日パーティーです」
どうしたらマリーにやる気を出させることができるのだろうか。礼儀のなっていない人間に王宮の門をくぐらせたら、それは付き添うルセルの責任だ。
「まだ二週間あるんだから、ゆっくりやりましょうよ」
マリーには既に、緊張感のかけらもない。
「いいですか、王宮では礼儀作法が身についていない人間は一目で分かります。王子に会えるより前に、衛兵に不審人物として取り押さえられて、中に入れてもらえません」
ルセルの厳しい視線と言葉に、だらしなく座っていたマリーは慌てて背筋をしゃんとする。
「反対に、礼儀作法と教養が身についていれば、質素な身なりだろうと、身分を証明するものがなかろうと、手荒に扱われることはありません。教養を付け焼刃で手に入れることは難しいので、誕生日パーティーでは、できるだけ口をつぐんで、にっこりと微笑んでいてください。余計なことは言わないように。もし、王子に伝えたいことがあれば、二人きりになる機会が訪れるまで我慢して、他の誰にも聞こえないように伝えなさい」
「王子と二人きりになる機会はあるかしら!」
マリーはルセルの最後の言葉にだけ反応し、突然顔を輝かせる。
「小規模なパーティーらしいので、もしかしたら機会があるかもしれません」
「もしかしたら?」
マリーは不満顔だ。
仕方ない。ルセルはしたくない大サービスをマリーのモチベーションを上げるために口にする。
「あなたが、王子の前に出られるだけの礼儀作法を身に着けられたら、私が機会を作りましょう」
「本当ね!約束よ!」
マリーは嬉々として立ち上がり、先程ルセルに教わった歩き方の練習を始める。
しかし、どうもよろしくない。マリーは教わった通りやろうとしているが、形になっていない。
ルセルは思案した。手本が必要だろうか。言葉で指示するより見本を示した方が分かりやすいだろうか。ルセルは、マリーに座るように促し、ぱちんと指を鳴らした。
マリーとルセルの前にマリーの立ち姿が現れる。
「何これ、私?」
先日の箒の王子に続き、今度は自分の姿が現れる。マリーは自分の幻をしげしげと見る。
「そう、マリーの幻です」
「この間の顔のぼんやりした王子よりずっとちゃんとしてるわね」
「それは、私の記憶を使っているからです」
「でも、私の目はもっと大きくて鼻ももっと高いわ」
ルセルは、笑いをこらえた。マリーは自分の容貌に補正がかかっている。ルセルの記憶は確かで、目の前のマリーはマリーそのものだ。
「よく見ていてください」
目の前に現れた幻のマリーは、ゆっくりと歩き出した。顎がすこし前に出たまま姿勢悪く、ちょこちょこと歩く。部屋の中を一周して元の位置に戻った。
「ちゃんと歩いているわ」
マリーは嬉しそうだ。歩き方の良し悪しも分かっていない。
ルセルがもう一度ぱちんと指を鳴らすと、幻のマリーの隣にもう一人、女性の幻が現れた。両肩を開いて真っすぐに立ち、背筋正しく、一目見て美しい立ち姿である。一方マリーの幻は右足に体重が掛かり、立っているだけで左右のバランスが崩れ、手は緊張感なくだらしなく下がっている。顔は上げているが頭を突き出しているので格好悪い。
「うわあ」
何に対してかマリーが感嘆の声を上げる。
今度は、マリーの幻と、隣の女性の幻が同時に歩き出した。
女性の幻は頭が揺れない。ゆっくりと優雅に歩を進め、どのような足さばきなのかスカートをめくって中を見てみたいくらいだ。隣のマリーの幻は、先程と同じく顎を出してちょこちょこ歩いている。どちらの歩き方が美しいかは一目瞭然である。
「え~、私ってこんなに格好悪いの……」
見比べてマリーは落胆し、頭を抱えて顔を伏せている。
「隣の女性は、王宮で礼儀作法の教師をしていたフォーレ侯爵夫人。誕生日パーティーにも出席されるでしょう」
ルセルは伏して見えづらいマリーの表情を窺った。現実を直視し、この二週間で必死に礼儀作法を習得してほしい。でなければ、気落ちして王子を諦めてくれたらと思う。
頭を抱えていたマリーが、手を下ろし顔を上げ、ルセルを真っすぐに見た。
「それでルセル、どこをどう直したら、フォーレ夫人のように歩けるようになるの?」
フォーレ侯爵夫人の幻の隣に、幻ではなく本物のマリーが立ち、けんか腰でルセルに尋ねる。
さすがマリーだ。根気はないが本気である。
「歩くときは足を持ち上げず床に平行に前に出してください。顎は引いて、頭はつむじを上から引っ張られているような感覚で動かさないように。お腹は引っ込めてお尻の穴を引き締めて立ってください。重心を後ろにかけると、姿勢がよくなります」
教えるしかない。ルセルは腹を括り、マリーの指導を続行する。
「とにかく練習です。レディとしての心得をしっかり身に着けましょう」
励ますようにルセルは言った。




