06 ルセルの目標
ルセルは手にした剪定鋏でライラックの花をパチンと一本切った。
「仕方ありませんね。一度だけなら手伝いましょう。会えればいいんですね?」
ルセルの声は不満気だが、ここで遠慮をするマリーではない。この流れに乗れなければ、二度と王子には会えないだろう。
「ええ、ええ、いつ会えるか決まったら知らせて。私は、ドレスや何かを用意しておくわ。王子に会っても恥ずかしくない身なりにしておかなくちゃね」
ルセルの気が変わる前に話を閉じ、マリーはベンチから立ち上がった。ルセルが何のお膳立てをしなくとも、マリーは自分から馬車へと歩き、御者に声をかけて乗り込んだ。
ガラガラと響く車輪の音を聴きながら、ルセルは、この住み心地よい家から、そろそろ去らなければならないと覚悟する。
マリーの計画が上手く行っても、行かなくても、ここには居られなくなるだろう。
ルセルはルキシア地方領主、ルキシア侯爵の娘だ。ルキシア地方とは、王都ヴェリーゼから南西に位置する、ハーケン、ターウェ、そしてここブーエを含む三つの地域一帯の名称である。漁業、畜産、農産を中心とした人口密度の低い農村地域だ。
マリーをリース王子の出席するパーティーに連れて行けば、自分の身分が明るみになる。マリーは気にしなくとも、マリーの父やこの地域の人々のルセルに対する扱いは変わる。
しばらく見ていない母の顔でも見がてら、ターウェにある家に一度戻るのもいいかもしれない。
軽くため息をつき、ルセルはライラックの一枝を手に、家に入った。
ライラックは台所のテーブル中央の花差しに差した。毎年、ライラックの季節になると、リース王子の家庭教師をしていたケイトから手紙が届く。
ルセル宛の手紙はターウェの実家に届くが、それを魔法で取り寄せることは、ルセルにとっては造作ないことだ。
もちろん、今年もケイトからの手紙は届いた。毎年、内容は同じだ。
ルセルは、半月程前に届いた手紙の封を開けた。
「今年も、ライラックの花が咲く季節がやってきます。
親愛なるルセル、お元気ですか。
リース殿下は、今年18歳になります。
誕生日を祝うパーティーに是非、ルセルも出席下さい。
親しい者だけのささやかなパーティーです。
招待状を同封します。会えることを楽しみに。
あなたの友 ケイト・ブライトン」
代理を一人送ると言うか、同伴者を一人連れて行くと言うか……。行きたくはない。しかし、尻拭いは必要だろうとルセルは思う。
ここで初めて、ルセルは自分にスイッチが入った気がした。やることはたくさんある。
まずは、招待状の返事を送ろう。自分の身の回りも片付けて、王都から戻ったらいつでも旅に出られるように整えなければならない。
それから、マリーをレディに仕立てなければ。王子に会うのだ。最低限の礼儀作法が身についていなければ前には出せない。
リース王子の誕生日まで残り半月、ルセルに目標ができた。
『始めもしないことを出来ないと言うのはばかばかしいわ。何だってやれば出来るし、信じていれば叶うのよ』
マリーに、自分の言葉の責任を取ってもらわなければならない。徹底的にマリーを仕込んで、立派なレディーになってもらう。
何しろ、王子との謁見がかかっているのだから。
決心がつけば、後は急いで支度をするだけだ。
そして翌日、ルセルはマリーの住む屋敷を訪れた。一面の麦畑の向こうに広がる森の前にポツンと一軒だけ建っている、鋼色の屋根に淡い黄色の壁の二階建ての大きな屋敷がそれだ。マクシマ邸の玄関を叩くと、マリーに面差しの似た、小太りのマクシマ夫人が扉を開けた。
「初めてお目にかかります。ご息女マリー様の知人で、魔導師のルセル・ガーシュウィンと申します」
先ぶれは出しておいた。きちんとした家なら、お茶の用意ができているはずだ。
「まあまあ、初めまして。いらっしゃい。マリーですけどね、今ちょっと立て込んでいて応接間には通せないんだけど…」
先ぶれを出したのに?ルセルは訝しんだが、台所に通されてお茶を飲みながらマクシマ夫人が事の次第を話してくれた。
どうやら、ルセルが来るというので、マリーは相手も確かめずに扉を開けた。
そこに立っていたのは、このところ、のらりくらりとマリーにかわされているアレンだった。
マリーは、無下に追い返すこともできずに、応接間で相手をしているらしい。
「失礼ですが、別れ話ですか?」
ルセルがそっと聞いた。
「まさか、アレンと娘はつい最近婚約したんですよ。指輪を買うために王都まで行って。今、一番幸せな時期です。別れるなんてとんでもない」
マクシマ夫人は笑いながら明るく否定した。どうやら、夫人は自分の娘をあまり理解していないようだ。まぁ、誤解を解く必要はない。
ならば、時間も限られていることだし、ルセルはさっと立ち上がる。
「マクシマ夫人、美味しいお茶をご馳走様でした。マリーに用件だけ伝えて、お暇します」
ルセルは、そのまま台所を出て応接間に向かい、扉から中を伺った。
「お客様なの。今日はもう帰ってちょうだい」
三人掛けの濃茶の革張りのソファの上で、大きなアレンの膝に乗せられながらも、アレンを追い返したい様子のマリーにルセルは苦笑いした。
「失礼」
ルセルが扉に立ったまま、二人に声を掛けると、天の助けとマリーが顔を向ける。
「ルセル、よく来てくれたわ」
マリーは立ち上がろうとするが、アレンは腕をほどかない。
ルセルは冷たい笑顔でアレンを見据え、静かに言った。
「そのままで結構。ミスター、女性は か弱きもの。力づくの男に恐怖こそあれ、一緒にいたいと思う女性はいません」
アレンの表情が曇り、マリーに回した腕がほどけた。
ルセルは、マリーの視線を捉えて言う。
「明日から、私がマリーに礼儀作法を教えます。三時間きっかり、休日関係なく半月の間、毎日教えます。マリー、手を抜かず、きっと身に着けてください」
ルセルは、微かに笑って会釈すると応接間の扉を閉めてマクシマ邸を後にした。




