47 マリー・マクシマの結婚(1)
こんなことなら、ハーケン領を通過した時にハーケン男爵邸に立ち寄れば良かった。ルセルはマリーが気に掛かった。
「ハーケン男爵邸にマリーを訪ねて行くかい?」
まだ玄関口での挨拶だ。中に入ってから踵を返すのは難しい。ルセルの表情を読み取ったのだろう、リース王子がルセルに訊いた。
ルセルの思案はもう一つあった。馬車を動かすとなるとケビンに頼まなければならないが、出来ればケビンを連れて行きたくはない。何しろ、マリーはケビンが好きだったのだから。
「馬車でなくとも、ルセルは行けるだろう?僕も行けるよ」
またも、ルセルの心配を感じとったリース王子が事も無げに言った。
「スワン先生に教わったの?」
「ああ」
リース王子はルセルを見つめて言った。
「僕の夢は、王宮を飛び出してルセルと一緒に旅することだったからね」
二人の会話の意味が分からないブーエ男爵は、少し慌てた様子で早口に尋ねた。
「マリーに会いに今からハーケンに行くのですか?」
「ええ。馬車は暫く休ませたいので、私とリースで行きます」
「徒歩で行けば2時間はかかります。家の馬車を出しましょう」
ブーエ男爵は厩に向かおうとしたが、ルセルがやんわりとそれを止めた。
「私とリースは魔法で移動します。あちらには瞬き一つで着きますからご心配にはおよびません」
「あら、まぁ!魔法ですか!そうですよねぇ、ルセル妃殿下は魔導師様ですものねぇ」
ブーエ男爵夫人は、驚きの中に好奇心を含んだ声で言った。
「ブーエ男爵夫人、魔法はとても集中力を必要とします。私達は男爵邸から少し離れて人気のない小麦畑で魔法を使おうと思います。マリーに言伝や渡して欲しいものがあれば、今お預かりしますが」
「お気遣いありがとうございます。でも、大丈夫ですわ。近くですし、いつでも会いに行けますから」
ブーエ男爵夫人は、にこやかに答えた。
「では、失礼します。また、マリーに会った後には寄らせて頂きますので、それまで、馬車と従者をよろしくお願いいたします」
「ええ、ええ。お任せ下さい」
ブーエ男爵は、済まなそうに何度も頭を下げた。
ブーエ男爵邸を離れて小麦畑の前まで来て、リース王子はくすくす笑った。
「わざわざここまで来ないと魔法移動は無理だった?」
「ああ、あのままだったら、きっとブーエ夫人はハーケン領まで一緒に着いて来たよ」
「そうかもね、魔法見たさに目をキラキラさせていた」
「少し待っていて。今、向こうを覗いてみるから」
ルセルは魔法を使ってハーケン男爵邸の付近を見た。遠くを見るには、鳥の目を借りたり、その場所にある物が映すものを見たり、方法は色々あるが、ルセルは自分の目をそのまま「どこまでも見通せる目」として使う。見たいものがある方向に目を向け、その先を、その先を、見て行く。ただそれだけだが、普段目に映るものより更に先を見通せる。しかも、障害物を除いて。しかし、それができると信じて力を使うことは存外難しい。
ルセルの目は小麦畑を風のように抜け、放牧された豚達の背をなでながらハーケンの丘を駆け上がり、丘の上の男爵邸に辿り着いた。屋敷の中を覗くとマリーの姿があった。婚約者のアレンと何か話している。まさか屋敷の中に突如現れるわけにはいかないため、屋敷周辺の楡の木陰を着地点に決めて、ルセルは視線を目の前の小麦畑に戻した。
「マリーはハーケン男爵邸にいた。屋敷の裏手にある大きな楡の木の木陰にここから転移しようと思う。いいかな?」
「一緒に」
そう言って、リース王子がルセルの手を取った。
二人の魔法使いが均等な力を用いて魔法を使うのは難しい。しかし、ルセルとリース王子にはそれを難なくやってのけるだけの魔力と技量があった。
二人はハーケン男爵邸裏手の楡の木陰に降り立つと、真っ直ぐ屋敷の玄関に進んだ。
ルセルがノッカーで扉を叩くと、奥からメイドが返事をした。
「はいは〜い」
王宮でこんな対応をしたら、即刻クビになるだろう。軽やかに歌うように返事をしながら、中年のメイドは陽気にドアを開け、そして、固まった。
「わたくしはルセル・ファトムルーゼという者です。こちらにいらっしゃるマリー・マクシマ・ブーエ男爵令嬢にお取り継ぎを頼みます」
ルセルの落ち着いた声と品のある佇まい、そして告げられた名は国名と同じファトムルーゼだ。
「しっしっ失礼致しました!しばしお待ちを」
メイドは、大慌てで奥に消えた。
出てきたのはマリーではなく、アレンの父、ハーケン男爵だった。
「ルセルお嬢様!」
ハーケン男爵は、上背がありでっぷりとした体格で人の良さそうな男だ。短く刈り込んだ髪は白髪で、切長の目が喜びで細められている。
「ハーケン男爵、久方ぶりですね」
ルセルは微笑んだ。
「本当に、二十年ぶりですか。ルセルお嬢様は益々お美しくなられて!第三王子と結婚されたと聞きました!おめでとうございます」
ハーケン男爵は、ルセルの後ろに立つリース王子を認めて挨拶した。
「リース殿下も、このような田舎に足を運んで頂きまして、ありがとうございます。わたくしは、二十年前に領地の養豚業を軌道に乗せるためにターウェ領のルキシア邸に暫く滞在したことがあるんです」
ハーケン男爵はリース王子に説明をした。
「私はすっかり太ってしまって、よそで会ってもお嬢様は私に気が付かなかったでしょうな。この屋敷で再会できたことは本当に幸運です」
ルセルは、若かりし頃のハーケン男爵を思い返した。確かに、上背のあるハーケン男爵は、凛々しく逞しく女性に人気があった。
しかし、再会を喜んでいる場合ではない。マリーに会わなけれはわならない。
「ハーケン男爵、マリーはどちらですか」
ルセルが柔らかな口調で訊ねた。その時、奥の応接室の扉がバタンと無遠慮に音を立てて開き、中から二つの人影がドカドカと出てきた。その様子にルセルもリース王子も身構えたが、出てきたのは変わらず傍若無人なマリーと、その婚約者である大男のアレンだった。




