45 嵐のあと
「待たせた」
その声の主は、中肉中背、茶の長髪を後ろに一つに束ね、印象に残らない平凡な顔立ちに眼鏡だけが目立つ、魔導士団の制服を着た男だった。
「何だ、ハウゼン副団長か…」
マスカーニががっかりした声を出す。
現れたのは、宮廷魔導士副団長ハウゼンだった。ハウゼンは魔導士団長の補佐として事務方を請負っている男で、マスカーニとは仕事上の付き合いがあった。
「何だ、私ではいけなかったか?」
「ああ。ガーシュウィン魔導師かと思ったんだ」
マスカーニはがっかりした表情を隠そうともしない。
一方、ハウゼンはマスカーニの失望など知る由もなく軽い口調で言い放った。
「そりゃあ悪かった。ガーシュウィン魔導師は帰ったよ」
「えっ?報告に来ないのか?」
「ああ、私がガーシュウィン魔導師に代わって報告に来たんだ」
マスカーニは愕然とした。しかし、ハウゼンは淡々と報告する。
「橋周辺の風雨へのガードは天気が回復すれば自然に解除される。川に落ちた馬車は怪我人や馬車の損傷も魔法で回復し問題ない。救出された三台の馬車はカラバ側の休憩所で台風が過ぎるのを待ち、天気が回復次第カラバの首都へ向かうそうだ。橋脚は橋の新しい建材が届くまで魔法で固定する。建材が届き次第ガーシュウィン魔導師に連絡し、新しい橋を架ける手筈になっている。マスカーニ君には新たに作る橋の建材の調達を頼みたい。折れた橋脚を取り替えるわけではなく、橋そのものを新たに作ることになる。よろしく頼む」
「おい、新しい橋を架けるなんて、そんな大事業を簡単に言うなよ。何年かかるんだ」
「いや、設計図と建材があれば小一時間も掛からない。橋はガーシュウィン魔導師が魔法で架けるからな」
「魔法で?小一時間?・・・」
「ああ、そうだ。ガーシュウィン魔導師は設計図通りに橋を作る。橋を刷新したいなら新しい設計図を出来るだけ早く用意してくれ。橋の建設に着手できるようになるまで魔法で固定された橋脚は定期的にガーシュウィン魔導師が点検してくれる約束だが、彼女の負担はなるべく減らしたい」
それならば、点検の時か、橋の建設の時に必ず会えるだろうと高を括ったばかりに、マスカーニはルセルに会うことは叶わなかった。
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「本当に、あの時は会うことが叶わず、どんなに落胆したことか」
マスカーニは大げさに目を伏せ首を振った。
「なぜ10年前にルセルと会えなかったのですか?」
リース王子がマスカーニに質問した。それに答えたのはマスカーニではなく、ルセルだった。
「橋の点検は遠くから魔法で見ました。建設は橋の利用者がいない時間を狙って明け方に十分で済ませました」
会えない筈だ。マスカーニは、橋の新設準備に全力で当たった。幸いなことに新しい設計図は、橋の老朽化を懸念して一年以上前から用意されていた。後は橋の建設用建材を集めるだけだった。しかし、その建材の量が半端ではなかった。マスカーニは、寝る間も惜しんで建材確保に奔走し、ガーシュウィン魔導師に会えるかもしれないと僅かな希望を持って仕事の合間にトレイズ大橋を訪れながら、橋に使う大量の良質な建材を一週間で見事に揃えた。ハウゼン経由でガーシュウィン魔導師に橋の建材と設計図が揃ったことを伝え、とうとうガーシュウィン魔導師に会えるだろうと翌朝に橋を訪れると、トレイズ大橋は見事に新しい橋に生まれ変わっていた。
今日こそは会えるだろうという期待は見事打ち砕かれ、以来、マスカーニにとってガーシュウィン魔導師は幻の魔導師として心に刻まれたのであった。
「なるほど」
リース王子はにっこりと笑った。
ルセルは心中で「あ」と思った。リース王子はマスカーニ宰相を言葉で平伏させる。そう感じた。
「先程、マスカーニ宰相殿は、ここに来た理由を我が妻ルセルに『会いに来た』とおっしゃいましたね」
リース王子の妙に落ち着いた柔らかい声音にマスカーニ宰相が緊張を孕んだ声で答えた。
「ああ、そうだ」
「私達は今日、ルキシア侯爵は仕事中の時間でしたが、結婚の報告をするため時間を割いて頂きました。ご存じでしたか?」
「ああ」
マスカーニ宰相は、リース王子の問いに余計な言葉は返さない。
「良かった」
リース王子は、更ににこやかに笑った。
「ルセルは結婚しても魔導士爵であることは変わりません。つまり、国王陛下以外にはルセルに命ずることはできません。先程、マスカーニ宰相がおっしゃった外遊の際に『ファトムルーゼ王家の第三王子夫妻』であることを公にする件は、国王陛下はご存じですか?」
「・・・」
マスカーニ宰相の顔は落胆の表情に変わった。
「マスカーニ宰相、申し訳ないが私もルセルもこの身を生涯魔法研究に捧げます。魔導士爵の責は負いますが、それ以上でもそれ以下でもありません。あなたは私とルセルに「好きにしていい」と言いました。同じことを国王陛下も仰っていました。私達は私達の平穏な生活のためにこの身分を公にすることを良しとしません。分かっていただけますか」
「ああ」
マスカーニは頷くしかなかった。
ルセルが優しく言い添えた。
「マスカーニ宰相、魔法というものは自由と自然の中で育まれるものなのです。もしも、悪しき心を持って利用することがあれば、この力は失われてしまうでしょう。しかし、私もリース殿下もこの国を愛しています。この国の危機には、トレイズ大橋を守ったように二人で立ち向かいます」
マスカーニがルセルの言葉に感極まり抱擁しようとすると、リース王子がルセルの肩を抱き、マスカーニからついと距離を取った。
マスカーニは残念な気持ちを引きずることなく、切り替えて、うやうやしく暇の礼を述べた。
「リース殿下、ルセル妃殿下、ご結婚おめでとうございます。祝いには野暮な言葉の数々、愛国心故とご容赦下さい。わたくし、マスカーニはこれにて失礼いたします」
マスカーニは、深く深くお辞儀をしてルキシア侯爵の執務室を去った。




