04 別れの魔法
ルセルは、子供の扱いに慣れていない。だからなのだろうか、身分差のみならず年齢差も気にせずにリース王子を友人のように扱った。
リース王子はまだ小さい。声は高く背は低くく、話せばその考え方に経験値が不足していることが分かる。それだのに、何故か、ルセルはリース王子が自分と同等のように錯覚してしまう。
「何を子供みたいなことを言っているのですか」
ルセルがリース王子をそう嗜めると、リース王子は胸を張って言い返す。
「何を言ってるのルセル?僕は子供だよ」
そう言って可笑しそうに笑う。
一方、リース王子は自分を取り巻く大人達に慣れていて、モリスの徹底した教育も身に付いていたが、気の張らないルセルを相手に、気がつけば砕けた言葉遣いになっていた。
魔法学の時間は一日一時間、休日を除いた週五日が割り当てられている。
毎日のように一緒に過ごし、ルセルとリース王子は瞬く間に親しくなった。
しかし、もともと人付き合いが不得手なルセルが幼い王子を友のように扱ったのは「気が合った」ということに違いない。
初めのうちは、ただ授業を行うだけであった。それが、いつの間にかリース王子の要望で、授業の後のお茶が日課となった。他愛ない話しをするだけなのに、授業よりもお茶の方が長くなることもしばしばだった。いつからか、リース王子はルセルの授業後の時間はスケジュールを空けておくようになった。
春の近いある日、リース王子の勉強部屋でルセルは講義を行っていた。初歩魔法の応用について説明するルセルの顔をリース王子はじっと見つめていた。
「以上の所まで、応用の方法は分かりましたか?」
ルセルの真っ直ぐな視線に、リース王子は一瞬たじろぎ、正直に告白する。
「ああ、ごめん。考えごとしてた」
「何を考えていたのですか」
何を考えていたのか、分かってはいる。しかし、ルセルはとりあえずそう尋ねてみるしかない。
「ケイト先生が戻って来たらルセルはどこへ行くの」
リース王子は、このところ毎日、同じ質問をする。
「まだ何も決めていませんよ」
ルセルは、お決まりになった返事を、そのままストレートに返す。
「ケイト先生と一緒に魔法学を教えたら?」
「一つの教科に二人も教師はいりませんよ」
「じゃあ、別の教科の先生は?」
「私には他のことは教えられません」
「僕の話し相手でも遊び相手でも何でもいいからさ」
「私に遊び相手は無理ですよ」
「じゃあ、じゃあ……」
言いあぐねてリース王子は涙目になっている。
ルセルの一年間の代理教師は、春になったら終わる。そして、もうすぐ約束の一年がやってくる。
リース王子は、ルセルとの別れをどうすれば覆すことが出来るか、そればかり考えている様子だ。しかし、名案はない。何を提案してもルセルに却下される現実に、リース王子は打ちのめされていた。
ルセルだって別れはつらい。でも、年齢も身分も違う。例え「友人」と定義付けても、これまでのように毎日王宮に出入りすることは叶わない。
戻って来る家庭教師のケイトを押し退けてまで、ここに残る気持ちにもなれない。
ルセルは、努めて明るい声で言った。
「少し早いけど、お茶の時間にしましょう」
ルセルは軽く呼び鈴を鳴らし、リース王子付きの侍女ステラにお茶の用意を頼んだ。
ステラは、働き者で気立てが良い年若い侍女だ。カールした亜麻色の髪を後ろで一つにまとめ、侍女達が着る濃紺の制服が似合っている。
ステラが、勉強部屋の隅にあるティーテーブルにティーセットを手際よく並べていく。その様子を横目で見ながらルセルは言った。
「せっかくだから、さっきの応用の方法を見せましょうか」
ルセルはぱちんと指を鳴らして、先ほどステラがティーテーブルに置いたティーポットを宙に浮かせる。
「このティーポットの重さは1200グラム。これを浮かせる方法は二つ。
一つ目は、1200グラムの重さのものを持ち上げるイメージを持つこと。見えない手で、このティーポットを持ち上げます。
二つ目は、このティーポットの重さを忘れること。このティーポットは驚くほど軽いと信じて、見えない手でこのティーポットを持ち上げます」
さっきの講義を上の空で聞いていたリース王子には、これが何の応用なのかさっぱり分からない。
「さっき説明していたのは、二つ目の方法を会得すること。大事なのはイメージの力だから」
ルセルは続けた。
「リース殿下、自分の手でこのティーポットを持ち上げましょう」
ルセルは、ぱちんと指を鳴らしてティーポットをテーブルに戻した。
リース王子がティーポットに手を伸ばすと、そばにいたステラが反射的に動いた。
「リース殿下、紅茶はわたくしが注ぎます!」
しかし、ステラはティーポットをテーブルから持ち上げることができなかった。それを見て、リース王子も手を出しティーポットを持とうとするが動かない。
リース王子は困ってルセルを振り返る。
「さっき私は指を鳴らして、このティーポットが100キロあるように魔法をかけました。
魔法でも素手でも1200グラムを持とうとする力では動かせません。100キロですから。それに、私の魔法の方が強いから。
リース殿下がこれを魔法で動かそうと思ったら、私より強くこのポットが軽いとイメージすればいいのですよ」
「軽いとイメージできなくても、100キロのものを自分が持てると信じれば持てるんじゃないの?」
リース王子が少し考えて言った。
「リース殿下さすが!その手もあります。ただ、先に付加された重さが分からないときは持てるとイメージするより軽いとイメージする方が確実です」
ルセルはにこりと笑い、ステラもリース王子も動かせなかったティーポットを難なく持って、カップにお茶を注いだ。
「冷めないうちに頂きましょう」
潮時だった。ルセルは、自分が十分リース王子に情がうつっていることを自覚していた。
だから、ルセルは一つ決心をしていた。
別れる時に魔法を使おうと。
*******************