03 王子様の思い出
マリーの第三王子狙いはいたって本気だ。ルセルもそれはよく分かっている。
マリーに、もしも、もう少し現実を見る力があれば、自分の望みがいかに分不相応か分かるだろうに。
マリーの判断力と欲望は、自分を決して客観視しないのだった。
「さあ、ルセル、私を王子様のところへ連れて行って」
マリーは、腰に手を当て踏ん反って、さもルセルに命令する権利があるかのように振る舞う。
ルセルは大きくため息をつく。
「何を言っているんですか。マリー、そろそろ屋敷に戻る時間ですよ。馬車へどうぞ」
ルセルは、少し離れた所でのんびりと待っている御者に合図し、魔法で風を操りマリーの背中を馬車の方へ押しやった。
御者は心得ており、馬車の扉をさっと開くとマリーを中へ押しやり、素早く馬車を出した。やれやれ、これでマリーが片付いた。
やりかけだった庭仕事に戻る気持ちも失せ、ルセルは小さなため息を一つついて、小さくて居心地の良い棲み家の扉を開けた。
ルセルは、台所で夕餉の支度にスープでも作ろうと、採れたての豆をざるから鍋へ滑り込ませ、鍋に水を入れる。指をぱちんと鳴らしてコンロに火を付けると、その上に鍋を置いた。
別に、指をぱちんと鳴らさなくとも生活魔法は使える。
大抵の不器用で生真面目な魔法使いは、よくわからない呪文を唱えるがもともと膨大な魔力を持ちやすやすと魔法を使うことができるルセルは、気持ちを向けて「はい」とか「ほい」とかスタートの合図を示せば魔法が発動するのだ。
しかし、「はい」とか「ほい」では格好がつかない。杖を振るのでも、手を叩くのでも何でもいいのだ。試行錯誤の末に指を鳴らすところに落ち着いたのだった。
マリーは、本気で第三王子のリースと結婚するつもりだろうか。ルセルは考えて、馬鹿馬鹿しくなり、その思考を止めた。マリーにその気があっても、リース王子がその気になる可能性は0だろう。それは、ルセルが誰よりも良く分かっている。
思い出さないように、思い出さないようにと毎日考え、それはつまり毎日リース王子の事を思い出しているということなのだが、自分の中にリース王子がすっかり居場所を作ってしまっている事実に、ルセルは呆れる。とにかく、夕飯を作ることに意識を集中しよう。放っておくとリース王子との思い出が際限なく頭の中を回り続けるに違いない。
八年前、ルセルはリース王子と一緒に過ごした。一年間だけ。家庭教師を始めてすぐにリース王子の十歳の誕生日祝いをしたと記憶しているから、彼はもうじき、十八歳だ。
王宮に勤めるリース王子の魔法学の家庭教師が体調不良で、一年間の約束で代理を務めたのがルセルだった。
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「ルセル、ルセル、どこにいるの?」
王宮内の王子たちの居住エリアいっぱいに響く声で、リース王子がルセルの名を呼ぶことはしばしばだった。
「リース殿下、ルセル先生に何かご用事ですか」
近くにいた近衛兵が問う。
問われて、リース王子は口ごもる。
「用というわけでは……。王宮に来ているはずなのに姿が見えないから……」
近衛兵から少し視線を外し、照れたような、困ったような表情で答える。
「リース殿下、おはようございます。何用ですか」
「あ、ルセル、おはよう!」
ルセルが現れた途端、リース王子の表情が明るくなり、嬉しさにぴょんぴょんとその場で跳ねる。
どうしたことか、リース王子はルセルに懐いた。
ルセルは、別に子供の扱いに慣れているわけではない。
王宮という礼儀作法にうるさい環境に自分が馴染むとは思えないし、そこに住まう、自分とかけ離れた価値観を持つ人々と上手くやっていけるとは思っていなかった。
ルセルは、魔法学院を優秀な成績で卒業したが、研究者や魔導師団という進路を選ばず、気ままに放浪生活を送っていた。そこへ、魔力を持つ王子の家庭教師という依頼が舞い込んだのだ。仕方なく引き受けたが、一年間だけという約束でなければ、きっと姿をくらましていた。
「リース殿下、『おはようございます。』とおっしゃってください。ルセル先生はリース殿下の魔法学の師ですから、敬語をお使いください。」
どこからか現れたリース王子付き教育係のモリスは言った。
リース王子は、この国の第三王子だ。国は賢王の治世で栄え、平和が続いている。そんな中、父母である王と王妃、二人の兄、姉と妹の五人兄弟に囲まれ、王宮でのびのびと日々を送っている。
少年らしい華奢な手足に胡桃色の美しい髪と翠緑の瞳をもつ整った顔立ち。今はルセルより背が低いが、二年もすればルセルを追い越すだろう。
「分かった、モリス。気を付けるよ」
殊勝な顔つきでリース王子が答える。
「おはようございます。ルセル先生」
「はい、おはようございます。リース殿下」
ルセルはにっこりと笑った。
モリスは長身痩躯の美しい男性だ。銀髪を七三分けにきっちりと整え、口角を常にやや上向きに保ち、背筋を正している。
「ではルセル先生、魔法学の時間にはまだ十五分早いですが、よろしくお願いいたします。勉強が終わりましたらリース殿下と庭の東屋へお越しください。お茶の用意をしてお待ちしております」
決まりきった台詞を礼儀正しく伝えて、モリスはその場を後にした。
モリスの姿が見えなくなるとリース王子は途端にうきうきした様子を見せた。
「さあ、ルセル、勉強部屋へ行こう」
目の前にモリスがいれば、必ずたしなめられる言葉使いだ。
「こほん」
わざとらしい咳ばらいをして、リース王子は左手を腰に添え、覚えたばかりのエスコートを実践すべく、ルセルの方を見る。
ルセルも思わず笑顔になり、リース王子の華奢な左腕に自分の右手を添えた。
嬉しそうな笑顔をルセルに向けて、リース王子はルセルと並んで勉強部屋に歩き出した。
(私といて、何がそんなに嬉しいのだろう)
ルセルにリース王子の気持ちは測れなかったが、ルセルもまた、リース王子と過ごす時間は一日で最も楽しみな時間であった。




