03 回路
翌朝はいつものように、エドワードがエマの体調確認兼朝食の誘いに部屋を訪れた。エマが風魔法が使えたことを知ると驚き、身体の中の魔力の流れを見てもいいかと聞いた。
魔力は血のように全身に流れている。魔力の流れ道である魔力回路を見せることは、よほど親しい間柄でしか行わない。相手に身体を委ね、プライベートな部分を晒すことになるからだ。そもそも他人の魔力に同調して魔力を見ることができるのは、高度な魔法使いだけだ。
エマは真剣な目をしたエドワードに伏目がちに頷いた。
手の平を合わせて向かい合って座り、エドワードの魔力がエマの身体を巡り始める。温かい物が身体に流れ、ジンジンとむず痒いような感覚だ。
エドワードはエマに魔力回路が2つあり、それはとても珍しいことだと告げた。1つは聖魔法、もう1つは水魔法だった。
水魔法使いが風魔法を使えないこともない。あくまで主力が水魔法というだけだ。他属性の魔法も頑張れば初級レベルくらいは使える人もいる。
「今まで何も魔法が使えなかったのに……」
エマは魔法とは無縁の生活から、一気に水と風も使えるようになったのだが、まだ実感が湧かなかった。
「恐らく私が魔力を流したせいでしょう」
エドワードは自信満々に告げる。
(魔力を流した? そんなことあったかしら?)
エマはエドワードに魔力を流された覚えがなく記憶を辿っていると、突然右手を握られ手の甲に軽いキスをされた。
「ひゃっ!」
エマは油断していてつい声が出てしまった。突然のキスに驚きエドワードを見ると、なぜか意味深な目を向けられている。
「……あっ! 出発前の(誓いの口付け……)」
エマは旅を始める前に、今と同じようにエドワードから手にキスをされたことを思い出したが、明言することは避けた。エマはの顔は益々赤く染まった。
「そうです。口付けした時に、少し魔力が流れてしまったようですね」
エマは手を握られたまま真っ赤な顔をなんとか見られないようにしたかったが、エドワードは許してくれなかった。確かにエマの身体の変化はあの時からだった。
「水魔法の回路は魔力つまりをしていたようです。今まで辛かったでしょうに……」
エドワードは狩人のような目を和らげ、エマの頭を優しく撫でた。
魔力つまりとは体内で魔力の塊などができて回路に栓をし、魔力がうまく循環しない病気だ。魔力がうまく流れないため魔法が使えず、倦怠感などの症状もある。
治療は簡単で、他者の魔力を流してつまりをとるだけだ。
エマは珍しい2属性の魔力の回路持ちだった。これまでも聖魔法の回路が正常に機能していたことから、魔力つまりを疑われなかったのだろうとも言われた。
旅の4日目は魔法指導と治療も兼ねて、エドワードがようやくエマとアメリアの馬車に同乗することになった。エマは遠慮したかったが、エドワードが折れることはなかった。
エマの魔力回路を塞いでいた大きな塊は取れたが、まだ大小の塊がいくつも体内に残っている。少しずつエドワードの魔力をエマに流し、塊を砕くような治療が身体に一番負担がなく適しているらしい。
エマはエドワードに治療をお願いした方がいいことはわかっているものの、四六時中手を握られて耳元で話されると身が持たなかった。
魔法が使えることは嬉しく学びたい意欲はあるものの、練習にも集中できなかった。
アメリアはエマの魔力つまりに気づけなかったことを後悔していた。涙ぐみながら「愛の力ですね」とかなんとか言っていた。最初はエマとエドワードのことを微笑ましく見ていたが、しばらくすると呆れ顔になっていた。
(アメリアごめん!)
エマは誰が見ても自分たちはイチャイチャしてるようにしか見えないと思った。
(恋愛も魔法も落ちこぼれだったのに……)
エマは自分の変化に戸惑いながらも、幸福を実感していた。
♦︎
ホークウッド領に入ると小型の魔物に遭遇したものの、大した戦闘はなく屋敷についた。屋敷はエマの家と比べてだいぶ大きかった。
エドワードは帰宅後の処理でしばらく忙しくしていたが、寝る前には時間を作りエマの治療を続けた。治療の効果はてきめんで、数日後にはエマの体は驚くほど軽くなった。
(まるで身体に羽が生えたみたいだわ)
エマはエドワードに後日そう伝えると、「天使の羽ですね」と笑顔で返された。どうやらエドワードはエマのことになると思考回路がおかしくなるようだ。
エマの治療が終わっても、エドワードといる時はいつも手を繋いでいるようになった。エドワードいわく、手を繋いでいると心地よいらしい。2人の心の距離は近づき、互いに「エマ」「エド様」と呼ぶようにもなった。
エドワードだけでなく、屋敷のみんなもエマを温かく迎えてくれた。エマは幼い時から薬草作りに精力的に取り組んでいた。治癒魔法ができない代わりに何か自分にできないかと考え、たどり着いたのが薬草作りだった。領地レイトンは農作物だけでなく薬草もよく育った。
エマの作る薬草は効果が高く、ホークウッド領でも重宝されているらしい。侍女からも夫が魔物に受けた傷が治ったと感謝された。
エマはエドワードの婚約者として、ホークウッド領の勉強をしたりエドワードと魔法の訓練をしたり、充実した忙しい日々を送っていた。
ドレスや普段着用の採寸も何度かした。持ってきた服が着られなくなったからだ。
エマは魔力つまりが解消されたおかげで身体の代謝があがり、みるみる痩せた。長年ダイエットに苦労したのは何だったのかと思わずにいられなかったが、身体の変化を素直に喜んだ。
エマが新調するのは普段着だけのつもりだったが、領地で腕利きのデザイナーにウェディングドレスのデザイン案を見せられたり、どんなドレスがいいか聞かれたりして返答に困った。エマには黒輝石の件が片付いたら、エドワードとの未来がどうなるのかまだ見えなかった。
エマはウエディングドレスのことをエドワードに相談すると、「エマの好きなのを」としか言われずまたエマを困惑させた。
(エド様は本当に私と結婚するつもりなのかしら?)
エマは痩せたことで自分でも綺麗になったと自信がつき、これならエドワードに好きになってもらえるかもしれないと思い始めていた。
しかしエマの身体の変化にエドワードは嬉しいのか嬉しくないのか、複雑な表情をすることがあった。エマの体重が目に見えて落ち始めた当初は、体調不良を疑いまるで重病人かのように心配した。
エドワード自らリンゴの皮を剥き、食べさせようとしたこともあった。エドワードは心配でずっとエマの側にいたいと言ったが、執事に仕事へ引っ張っていかれた。
エマはエドワードに体調は今までにないくらい良いことを何度も伝えた。それでも心配なエドワードは、エマの魔力回路に異変がないかよくチェックするようになった。ようやくエマが痩せたのは魔力つまりが解消された効果であるとわかると安心し、「綺麗になったね」と褒めてくれた。
エドワードはエマが痩せて嬉しそうな姿を見るのが嬉しかった。だが実はエドワードは焦っていたのだ。
(エマの魅力が他人に気づかれてしまう! 私だけわかっていれば良かったのに……)
エマは体重が落ちても胸まで小さくはならなかった。ウエストなど締まるところは締まり、とても魅力的な女性に変身した。
エドワードは護衛や屋敷の男たちが、エマのことを綺麗になったと噂しているところに何度か遭遇し、氷のプリンスの名に相応しくブリザードを放った。
こうしてエドワードは早くエマと結婚しなければと決意を新たにした。エドワードの命を受け、デザイナーはエマのウエディングドレスの製作を進めようとしていたのだ。
エドワードは始めからエマと結婚するつもりでいた。だからエマが結婚に迷いや不安があると考えもしなかった。
エドワードもエマも恋愛初心者だった。エドワードは態度でエマに自分の好意が伝わっていると思っていた。しかしエマは直接的なことを言われないので、エドワードの本心がわからないままだった。