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01.異邦人

 小学3年生。短い春休みの登校日にそいつはいた。


 そいつは静かに教室の席に座っていたが、どうしようもなく異質だった。座っているだけで何もせず、どこを見ているかもわからないような顔をしている。肩口で揃えた黒髪、長い睫毛、大きな黒い瞳。整った容姿がいっそう作りものめいて不気味だ。


「はじめまして。葵と言います。よろしくね」


 教室の入り口に立つ自分に気づき、こちらを向いて自己紹介をする。よろしくしようとは思わなかったが、険悪になるのも嫌だった。


「初めまして。伊井田翔太です。こっちにはいつ引っ越してきたの?」


 ここは隣町まで30km、私道のみで繋がる分断地、穂ノ尾(ほのお)。陸の孤島で人間よりも家畜が多い、限界集落の極みだった。新参者ならばすぐに話題に挙がるはず。


「おととい」


「葵―!!無事に着けたかー!マジで真っすぐだっただろ。教室もいっこだけだし」


 チャイムギリギリで滑り込んできた奴がなにか叫んでいる。多分全部こいつのせいだな。


「つけたよ。ちゃんといすにもすわってた。まにあってよかったね」


「えらいぞー。忘れモンしたときは終わったと思ったわ。筋肉痛とか大丈夫か?」


 葵の頭を掴むようにして乱暴に撫でている。佐藤佑。このいい加減なやつ。自分が越してきた時もそうだった。引っ越し当日に突然家に来たかと思えば観光と称し野山を連れ歩いた。舗装された道路しか歩いたことのなかった自分は2時間も持たずに崩れ落ち、翌日は筋肉痛で呻いた。

絶対に学校や店などもっと案内が必要な場所があったと今でも思う。この様子をみるに葵も予告なしに道なき道の弾丸ツアーへ繰り出されたはずだ。ちょっとだけはよろしくしてやろう。先ほどから激しく左右に揺られている葵の頭部を見ながら優しい気持ちになる。


 机に置いた通信端末から授業を知らせるチャイムが鳴った。


 この3月というのにまだ雪深い限界集落には教員が配置されておらず、遠方の小学校とリアルタイムで映像通信をして授業を行う。自分が引っ越してくる前は集落にいる就学児が佑しかいなかったため、100kmの道のりを毎日車で送迎されていた。

 ボクはあまりの非効率に絶望し、なんとか通信環境を整え建物を手配し申請、分校という形で通学を免れることに成功した。


 女性教員の穏やかな進行で午前の授業が滞りなく終わる。宿題のプリントはデータで送られてきていた。携帯端末のフォルダを整理して一息つく。


「葵、大丈夫だったか?」


「言ってたことはわかるとおもう。これのつかいかたもだいじょうぶ。でも、あの」


「ん?」


「もじ、あんまりよめない」


「そっか。どんくらい?」


「ひらがなとカタカナはおぼえた」


「じゃあオレと大体おんなじだな!」


 もう一息、大きなため息をついた。こいつは本気で言っている。ボクが来た2年前は本当に、どうしようもなく事実だった。まさか学校を作った後に同級生のカリキュラムを組んでスパルタ授業をするとは思わなかった。佑は泣いて何かを言っていたような気がしたが、記憶する必要がなかったので覚えていない。佑の家族は嬉し涙を流し大層感謝してくれた。これは最終日に家に送り届けた時に出された豪勢な鍋とデザートがおいしかったから覚えている。


「それ以外はダメってこと?」


 迷惑の気配を感じたので一応聞いてみる。自分が作った分校で落第生が出るとか分校の取り消しになるかもしれないし。


「すうじもだいじょうぶ」


「国語も算数もあんまり困ってなさそうだったけど」


「そうなんだあ、って思ってた」


「そうなんだあ」


 これは本格的にダメそうだぞ。背筋が寒くなってきた気がする。


「でもあしたまでにここからここまではおぼえる」


 国語の教科書の最初のページから20ページほどを摘まんでいる。馬鹿に教えて分かったが、馬鹿は自分が分からないところが分からない。だから自分がやれる範囲を誤解している。これは本当に分からないやつが立てる非現実的なペース配分にしか見えない。ダメだなこれは。


「できそう?」


「する」


「ダメだったら言えよ、オレも分かんないから一緒にこいつに聞こうぜ」


「キミはそれ今聞いてよ。明日の朝泣きつかれても助けないからね」


「うーん、こっからここまでだな」


 葵が摘まんでいるページを同じように摘まんでいる。


「ばーか」


 馬鹿だけど、悪い奴ではないのが面倒臭い。


 給食もないので家から持ってきた弁当を食べながら、年度の初めに習ったことの復習をする。あと一週間後には新学年に上がるんだけどな。馬鹿は本当に馬鹿で、ボクが朗読した箇所の漢字が全く書けなかったので放課後に書き取りが完璧にできるまで下半身を雪に埋めておいた。追い込まれればできるようになるのだ、この馬鹿は。隣では本当にできて一発合格した葵も佑を励まし一緒に泣いていた気がしたが、記憶する必要がなかったので覚えなかった。



 追い込んだ甲斐もあり早めに復習が終わった。夕暮れにはまだ早い。ならばやることは一つ。暇つぶしである。



「昨日も行ったとこだから大丈夫だな!」


「うん」


「ねえちょっと、キミ薄着過ぎない?雪国舐めたらダメだよ」


「あんまりだいじょうぶじゃないけど、ダメそうになったらはやめに言う」


「よろしい」


「オレの帽子とマフラーやるよ」


 出発前に新参者の装備を確認したら、肌に直接シャツを着た上に薄手のコートという雪国では裸に等しい服装だった。よくこいつ学校にたどり着けたな。雪国の田舎では貧弱な装備で出かけると割と真剣に死ぬのである。2年前のボクが山中で5回くらい眠りに就きそうになったから骨身に染みている。急激に空腹になったり眠気がきたら低体温症、凍死の前兆というのを知ってから、5回ともボクを背負って家に届けた佑が山で言うことは覚えて従うようにしている。今日は新参者が途中でダウンしてもいいようにソリを引いてきた。



 雪国の春休みは春ではない。ちょっと雪が解け始めた冬である。視界はほぼ雪しかないため日差しが反射し目が眩む。ちなみに2年前のボクは少しでも視界を確保しようと目を凝らしたため翌日に目が痛くなり泣いた。痛みに泣いたんじゃない。強い紫外線を受け角膜が炎症を起こしたからだ。それからは日差しの強い雪の日はゴーグルを着けるか目を細めて歩くことにした。



 今は廃坑にいる。

 理由は風を防いでくれるし地熱効果で多少は寒さが和らぐからだ。貧弱な装備の新参者を抱えているうちは雪深く目印の少ない山中を無暗に駆け回るよりもリスクが少ない。それに何度も探検に来るうちに、多少の防寒具や備蓄品を置いて避難小屋のような役割も持たせている。佑が箱に入れていた備蓄のホッカイロを葵の服の中に放り込んでいる。


「今日は鳥居の奥まで行ってみようぜ」


「あれ絶対ヤバいやつだと思うんだけどなあ。葵、後で大人に何か言われたら、ボクは止めてたって言ってね」


「言う」


「よろしい」


 廃坑の奥には上下左右を木で覆われた坑道があった。入口の上部ににロープが掛かり正面から見ると鳥居のように見えることから、ボクたちは鳥居と呼んでいた。石でできた坑道に木製の道が続いているのが不気味だ。昔の採掘は人力だったというからには、その必要があって木を運び敷き詰めたのだろう。理由は分からない。ボクは入念にそうされている、ということがよくないことのような気がしている。理由が分からないから佑には説明できないけど。


「だいじょうぶだよ」


 不意に声がした。葵がいた。教室で見た異質さはまだある。だが、その異質さはこの場所に馴染んでいる気がした。


「行く?」


 どこを見ているのかわからない顔で、どちらに聞いたのかわからない声で言う。


「葵―!はぐれてないかー」


 現在一番はぐれる可能性があるのは先行したあの馬鹿なんだろう。


「ないよ」


 呼びかけに応じて葵は佑を追おうとする。


 置いて行くなよ。それだけは本当にダメだ。


 ボクは二人を追って鳥居を抜けた。






「うわーうわーすげー!夏じゃん!!」


 馬鹿が一面に広がる草原を駆け回っている。


「これは夏?」


「うちではそうだけど、ここでは春くらいかもね」


「春くらい」


 鳥居を潜った途端に急激に坑道が蒸し暑くなった。小さく光も見えたので先を急ぐと外に出た。掛けてもいいけど穂ノ尾ではない。だって雪がない。


「穂ノ尾はすごいね、さむいもあったかいもあるね」


「いやここ穂ノ尾じゃねーよ、雪ねーし」


「じゃああったかいところだね」


「いいとこだな」


 あの馬鹿と一緒の思考回路になるのは絶対嫌なのだが、ここは明らかに穂ノ尾ではない。体感は20度を超えているので日本ですら、もしかしたら、


「異世界ってやつかなあ…」


 ボクは馬鹿みたいなことしか言えなかった。




 結論から言うと、ボクたちはまた坑道で震えています。

 というのも駆け回るのに飽きた馬鹿が


「じゃ、ちょっと先まで見てくるな!」


と駆け出して行きそうになったのを全力で止め


「まずは退路を確保してからってボクに教えたのはキミでしょ!!」


と引きずって坑道を戻った。戻ったのはいいものの、かいた汗が冷えて全身に震えが走っている。物理的な意味で。


「翔、これはマジでヤバいやつ。あっちで汗だけでも拭いてこよう。進んでも家に着けん」


「そうだね戻れたら戻ろう。戻れたらね」


「もどったほうが良いね」


 大人しく従うことにした。山でコイツがヤバいと思ったなら、命の危険がある。奥に戻ることには内心震えているけど命を落とすよりはマシだ。本当は行きたくないけど。葵がちょっと考えた後に佑に味方して、ボクの手を引いたから逃げられないけど。



 歯の根も合わない零下の坑道に比べれば、確かに天国だった。

 戻った瞬間に佑は手袋とジャケット、上着を脱ぎ捨てた。適当なところに裏返して置いておく。僕も同じようにして服を乾燥させる。葵は丁寧に帽子とマフラーを脱いで畳んでいる。   コートを脱いだらこの陽気には最適な装いだ。

 下着だけになり草原に座る。下着といっても野球部のアンダーウェアみたいに分厚い長袖なのでまだ暑い。袖を肘の上まで捲る。


「なにこれ」


 両手首に何か模様がある。


「あ、オレにもある」


「おそろいでいいね」


 佑の手の甲にも同じようなものがあった。葵はなんか草原の上で寝転がってのんきに伸びている。この明らかに異世界で体に異常が出ている時点で焦った方がいいのだろうが、なんだか気が抜ける。


「さっきもあったよ」


「え、これ?よく見えたな。隠れてなかったか?」


「翔くんのは手首だから、あるいているときに見えた」


「戻ったら消えっかなあ」


「きえてた」


「ならいいな!」


 そういう異常が出ている時点でヤバいと思って欲しい。まあ命にかかわらないならいいけどさ。死の危険のある現実よりも緊急避難先の異世界だ。




「キッ」


 動物の声がした。佑が勢いよくそちらへ振り向き、しまった、と零す。


「棒忘れた」


 山歩きをする場合、野生動物を追い払うために佑は身長くらいの長さがある棒を持ち歩いている。手で払ったりしてケガをするとばい菌が入ってしまう。病院など近場になく、行くとしても100キロメートルの彼方。まずはケガをしないことが第一だ。

だが、今は坑道探索のために備蓄のある場所に置いてきてしまっている。


「さがせばどこかにあるかも」


「言ってる場合じゃねー。気づかれないように静かに」


 坑道に戻り息を潜める。

 葵は石を拾い佑に手渡した。当たるかは分からない。無いよりはマシだろう。

 視線の先の草むらが揺れる。ゆっくりとこちらに近づく。顔を出した。ウサギだった。


 顔は、ウサギだった。続く背中には羽があり、尾は長く先端が針状になっている。


 こちらを見て、嗅ぎつけ、近づいてくる。

 佑が息を呑む。ボクが雪山で寝そうになった時の顔をしている。

 本当にヤバいことになっている。








 見知らぬ野生動物が近づいてくるときにどうすればいいのか、ボクには分からなった。

 ウサギも、キツネも、鹿も鳥も見たことはある。遠くから見ていなくなるのを待つか、近づいてきたら佑が追い払った。

 見たことはないが熊がいるかもしれない場所は佑が分かった。足跡や木の禿げ方で分かるらしい。それ以上は進まずに別の場所で遊んだ。家に戻ったら大人に言う。しばらくすると熊がいなくなったと大人が教えてくれるから、それまで待つ。



 見知らぬ野生動物はボクたちを見た。低い声で唸り、高い声で威嚇している。

 牙を剥いてこちらへ歩き出した。佑と葵が石を投げる。どちらかの石が耳を掠めた。獣は気にもかけず近づいてくる。佑が立ち上がる。拳を握りこんでいるのが見えた。野生動物に触るなってボクに説教したのはキミだろ。初めて他人に説教なんてされてボクは本当に落ち込んだんだぞ。


 佑が拳を引いて構える。


 ただの馬鹿じゃないって信じてるからな。

 ボクも葵をできるだけ背に隠して足元の石を手に握りこんだ。


 手首がじんわりと熱を持つ。

 それに気づいた時、頭に急に言葉が流れ込んできた。


 スキル:射出

    対象を任意の場所に移動する


 最近見たライトノベルで見たことがある。題名は記憶する必要が無かったので覚えていない。確かファンタジー系でなんか冒険するやつ。

佑がこちらを向く。分校を作って携帯端末の使い方なんて教えるんじゃなかった。漢字が読めないと泣きつかれたからって読み上げアプリを入れてやるんじゃなかった。だってめちゃくちゃワクワクした顔をしている。とんでもない馬鹿の顔だった。


「やってみよーぜ!」


 馬鹿に変な成功体験を積ませないでほしい。心底そう思う。


 佑の模様が淡く輝き、その手に剣が現れた。2割ほどウサギの生物が駆け込んでくるところを薙ぎ払う。横っ腹に当たり、進路が逸れる。1割は鶏かもしれない生物のウサギの部分を狙う。射撃も投石もどうしたらいいか知らない。握りこんだ石が手から消える。


 セット。


 頭の中から自分の声がする。自分の声って変に聞こえるな。当たりさえすればいいか。


 ヒット。


 もしかしたらサソリかもしれない生物は、倒れて起き上がらなかった。




 ボクが考えていた残り3年分のカリキュラムが儚く消えていった気がした。





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