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012

「そろそろいいでしょう。次の曲に入って構いませんよ?」

「そいつは有難いけども、もういいのかい?かれこれ二時間、弾いてはいるけれども、しかし逆に言えば、まだ二時間しか弾いてはいない。彼女の理論では僕はまだ一パーセントも進捗していないんだ」

「二時間も練習すれば十分ですよ。それに性根は腐っていはいるようですけれど、しかし才能までは腐っていないようですし、この調子なら三日ぐらいでクリアできるんじゃないでしょうか?」

「誉め言葉として受け取っておくよ」

 ――しかしまあ、たった二時間でも疲れた。精神的にも肉体的にも。

 二時間ぶっ通しで何かに集中するというのはほぼ一年以上ぶりだし、以前は二時間なんて目じゃないほどピアノに没頭していたわけだけれども、しかし堪えるのは堪える。

「それじゃあ、そろそろ休憩にしましょうか。丁度三時ですし」

「それは有難い。流石にこれ以上は限界だったからね」

「なるほど。体力まで腐りきっていましたか」

「むしろ二時間もよく持ったとお褒めの言葉を頂きたいところではあるけどね」

「嫌ですよ。嘘はつきたくないですから」

「さいで」

「でもまあ、頑張った方じゃないんですか?その額に浮かぶ汗を見る限りは。この部屋は二十度ぐらいですからね。ちょっとやそっとじゃ汗はかけません」

 そう言いながら手ぬぐいを渡す瞑さんであった。

 ――しかし手拭いて。

 確かに冷やされた手拭いが一番いいのに疑いようはないけれども、いささか意外である。ここが一応は洋館だからなのだろうか。少しばかり違和感を感じる。まあ、こんなものはどうでもいいか。話に全く関係のない、ほとんど戯言である。

「話は変わりますけど、音無様は何か食べたいものはありますか?常識の範囲内であれば軽食を用意できないこともないですが。そろそろ三時ですし、ちょっとはお腹もすいているんじゃないですか?」

 果たして、昼食で出された、マグロ一匹の姿造りが常識の範囲内かどうかはさておき、確かに僕は空腹感を感じていた。

「まあ、お腹が減ってないと言えばうそになるけど、別にそこまでする必要もないのでは?軽食まで人の好みを聞いてちゃ世話ないだろ」

「お嬢様ならいざ知らず、私はメイドですからね」

「当然の嗜みってやつ?」

「そうです」

 やけに誇らしげである。ムフンとでも聞こえてきそうだ。

「それじゃあ厚意に甘えようかな。僕はおにぎりを所望するよ」

「そんなのでいいんですか?もっと凝った料理でも構いませんよ?」

「流石にそれはおにぎりに失礼なのでは?おにぎりは奥が深いんだ。メイドの君なら分かると思うんだけどね」

「確かに奥は深いですけど、簡単なのは簡単ですからね。ちょちょいのちょいですよ」

 そうおにぎりを握るジェスチャーをする瞑さん。どうやら作りなれているのは確かなようだ。

「それなら具のバリエーションを増やすってことで。これなら料理のしがいがあるってもんだ」

「……いいでしょう、それで手を打ちます。ですが、本当におにぎりだけでいいんですね?ダイオウイカの姿造りぐらいは用意できますよ?」

「生憎と、そこまでイカに興味はないんだ。しかもダイオウイカって。アンモニア臭で食べられたものじゃないだろ?」

「よく知っていますね。少しばかり見直しましたよ」

「そいつは光栄だね」

「サボテン以上のIQがあることは認めてもいいぐらいです」

「そいつは僕を馬鹿にしているのか?僕のIQは3程度だと?」

「いえ、3程度ではなく3です。そこはかとなく私のあなたへの評価を上げないでください」

「……聞いた話じゃIQが20ほど離れた者同士は会話が成り立たないらしいけど、裏を返せば君のIQは最高でも23ってことになるんだけど」

「そんなの眉唾ものでしょう。そもそもIQなんてただの自己満でしかないんですからね。承認欲求の塊みたいなものですよ」

 ――なら、何故IQの話を切り出したのか。

「随分とまあ物議を醸しそうなことを……」

「あら、嘘は言ってませんよ?それに私と会話が出来ているつもりなんでしょうけど、全然そんなことはないですからね?思い上がりも甚だしいってもんですよ」

「……」

 少し優しくなったと思えばこれである。まあ、主人が主人だし今更のような気もするが、しかし随分とまあ年季の入った飴とムチの使いようである。いい感じに僕のやる気は保たれている。

「君は良い上司になりそうだ」

「私にメイドの才能がないと?」

 ギロリと眼光が光る。おお、怖い怖い。

「いやそうは言っていない。ただ単に君はメイドの素質もあるんだろうけど、他の素質がずば抜けているんじゃないかと思ってね。僕には君がどうして彼女のメイドをやっているか――」

 ――分からない。そう言いかけたところで僕の頬を何かが掠めた。デジャブである。

「おやおや、おしゃべりがすぎたようですね音無様?」

 僕の頬から熱いものが滴り落ちるのを感じた。恐らく僕の血だ。

「いや、まあ純粋に疑問に思っただけだよ」

 どうやら、地雷を踏んでしまったらしい。いや、正確には踏み抜いてしまったか。或いは虎の尾を踏んでしまった、だろうか。僕の感覚的にはこちらの方が近い。

「音無様は女の過去は知ろうとするもんじゃないと学校で習わなかったんですかね?」

「生憎と僕は不良でね。碌に学校に行っていないのさ」

「では、教えて差し上げましょう。軽々しく女の秘密を漁ろうとするのは身を滅ぼしますよ?私がナイフの扱いを嗜んでいなければあなたは今頃空の上です」

「ほほう。僕は死んだら天国へ行けるのか。そりゃ嬉しいや」

 ズドンとナイフがもう一振り。本来の数え方とは違うのだろうが、しかしもはや彼女の扱う卓上ナイフは刀同然と化していた。もはや用途が料理の範疇を逸脱している。

「あら、ナイフは一本と数えるんですよ?知りませんでしたか?」

「ナチュラルに人の思考を読むのはやめてくれ。プライバシーの侵害だ」

「特大ブーメランが刺さってますよ?それとあくまで私はあなたを料理する目的でナイフを扱っているんですから、料理の範疇を越えてはいません」

「君がカニバリストだったとは驚きだね。一応日本の法律じゃあ犯罪だけど?」

「バレなければ犯罪にはなりませんからね。それに起訴されなければ問題にもなりません」

「三権分立をもう一度学んでこい」

「裁判官の服装は真っ黒らしいですよ?これはもうそう言うことなのでは?」

「嘘を言うな。あれは単純に何物にも染まらないという決意の表れだ」

「既に真っ黒に染まっていると?」

「揚げ足をとるな。話がまるで噛み合っていない」

「そりゃIQ3が相手ですからね。むしろこれまで話を合わせてあげたことを褒めて欲しいぐらいです」

「なるほど。どうやら君は戦争を望んでいるらしい」

「別に構いませんが、言っておきますけどあなたの負けは既に決まってますからね?」

「それはどういう?」

「私の手をご覧なさい?サボテン並みの脳みそをお持ちのあなたでも理解できるでしょうから」

 そう豪語する彼女の手にはどこから取り出すでもなくナイフが数十本同心円状に握られていた。その刃先は確かに鈍く光っている。どうやら偽物でもないようだ。それに、僕の見間違いでなければ空中に何本かナイフが浮かんでいる。ここまでくるともはや魔法の域である。

「もう君はマジシャンにでもなるべきだ。君なら世界を取れる」

「残念ですがそんなものに興味はありません。それで?降参ですか投降ですか?それともサレンダー?」

「それ、僕の返答いらないだろ。僕の負けが既に決まってるじゃないか」

 ――酷い三択もあったものだ。

「返答は?」

「ああ、降参だ。投降するしサレンダーもする。正真正銘僕の敗北だ」

「いい返事です。私も犯罪者にはなりたくないですからね。リスクはなるだけ排除したいですから」

「そりゃ殊勝なこって」

 とまあ、こんな感じで楽しく雑談しながら僕の練習は続いていく。軽食として用意された、瞑さんの姿が見えなくなるほど山積みにされたおにぎりを必死の抵抗虚しく口に詰め込まれながら。

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