第84話 あかねの魅力
そのメッセージがあかねに届いたのは、すっかり夏の背中を見送った涼しい夜だった。
差出人はミズナラ。
あかねはその名前から、一瞬で去年の夏のことを思い出していた。
ネット上のトラブルから、コミマで一般参加者に危害を加えられそうになったサークル、チリア。
その隣に配置されていた『不可思議樫木』の男性、ミズナラだ。
前回、前々回と忙しさの中で会いに行けることは無かったが、何かあったのだろうか。
「あら……」
少し心配しながらメッセージを確認すると、思いがけない内容だった。
サークル活動を休んでいるチリアと交際を始めたことと、彼女がC100夏にサークル参加する意思があるということが綴られている。
あかねのことはSNSで流れてきたコスプレ写真で知ったらしい。
できればいずれ生で見てみたいとの感想も添えられていた。
彼女の創作が途切れなくて良かったと思うとともに、コスプレによって縁が繋がったことを喜ばしく感じた。
問題のC100夏に復帰するということだけが引っかかるが、ともかく元気にしているようで良かった。
ドアをノックする音が聞こえ返事をすると、妹のすみれが顔をのぞかせた。
「姉さま、勉強を教えてほしいの。いい?」
「もちろん、いいですわよ」
進学校に通うすみれは、毎日出る課題の量に苦労している。
詰まった時にはこうして姉であるあかねを頼っていた。
あかねとしても悪い気はしない。妹に向上心があるというのは喜ばしいことだ。
「……」
そんなすみれが手を止めて、あかねのことをじっと見ている。
「どうかして、すみれ?」
「姉さま、いいことがあったの?」
「ええ、そうね」
「そっか。良かったね」
すみれは満足そうにうなずくと、また手を動かし始めた。
基礎は問題ないのだが、応用で少し苦戦するらしい。解き方を知っているか知らないかだけの問題なので、少しヒントを与えれば自力で解くことができる。
少しのきっかけで大きく進むすみれを見ているのもまた楽しい。
休憩時間ぴったりに雀田が運んできたほうじ茶が、とてもいい香りだ。
雀田は自分でお茶を焙じるのが楽しいらしく、お目付け役の日は大抵ほうじ茶を出してくる。美味しいのだが。そのきっかけはほうじ茶の同人誌らしい。同人誌が新しい世界に触れるきっかけになるのは面白い。
雀田は姉妹の邪魔をしないようにと気を使ったのか、ほうじ茶を置いて部屋を出て行った。
「そういえば雀田が言ってたけど、東英に通ってるの?」
「言ってなかったかしら。レッスンを受けに」
「レッスン?」
あかねはすみれに簡単に経緯を説明する。
どうやらすみれの方は瑞光寺が撮影所に出入りしていたことを知っていたらしい。
さして驚いた風もなく、ほうじ茶を口にする。
「姉さま役者になるの?」
「違うわよ。表情を上手く作れないから、表情を作るレッスンを受けているのよ」
「そんなレッスンがあるの……あ、もしかして雀田も」
「よく分かったわね」
「最近よく笑うような気がしてたの。そっか、謎が解けた」
それはあかねも何となく感じていた。
雀田の雰囲気が柔らかくなったような気がしていた。
そういえば赤堀女伯も何気ない表情の作り方で印象が変わるというようなことを言っていた。
レッスンが雀田にはいい方に働いているようだ。
あかね自身はどうだろう。自分ではよく分からない。
「姉さまに魅力的な表情がついたら……」
うーんとすみれは想像をめぐらせる。
自慢の姉は顔が良い。目がきついことで一見近寄りがたいのはそうなのだが。
その雰囲気が和らぐとすれば……
「それこそ女優にスカウトされるかもね」
「そんなことないわよ」
「そうかなあ。いいと思うけどなあ」
「ありがとう、すみれ」
そう言うとあかねは、自然な笑顔を見せた。
何ら力みのない、涼やかな風のような笑み。
「うわあ……」
すみれは眩しそうに目を細めた。
先ほど想像していたのよりもさらに上回る魅力。
これはとんでもない破壊力だ。
普段の凛とした表情を見慣れているだけに、ギャップにまたやられそうになる。
東英のレッスンとはこれほどまでに即効性のあるものなのか。
目を閉じて深呼吸すると、すみれはぽつりと漏らした。
「……姉さま、CM出られるよ」
「……と、言われましたの」
もうすっかり慣れた東英の会議室。
雀田とレッスンを受け、帰り支度をしているところにトシヤが現れた。三人で何となく雑談をしているうちに、すみれとの話になる。
「すみれ様は見る目がありますね」
なぜか得意げな表情の雀田。
「瑞光寺さんにその気があるなら、うちの事務所に紹介するよ」
「トシヤさんまでそんなことを」
あかねは困ったように眉を顰める。
苦笑いはまだ上手くできない。
「芸で身を立てるなど、わたくしにはできませんわ」
「瑞光寺さんならできると思うけど」
「お嬢様はモデルもなさってましたしね」
「えっ、本当に?」
事も無げに言う雀田を、トシヤがぎょっと見る。
「数回、急な代理で出ただけですわ」
「それでも凄い。やっぱり向いてると思いますよ。ねえ?」
わが意を得たりと言わんばかりの笑顔を雀田に向けるトシヤ。
「え、ええ……」
本職の俳優の笑顔に、思わずドキリとする雀田。
そんなふたりに目をやるあかね。
「そんなことありませんわ。もう、皆さん褒めてくださって嬉しいのですが、本業の女優さんも出入りされる撮影所でそんなことをおっしゃると、女優さんが気を悪くなさいますわよ」
『女伯』のレッスンのお陰でこの頃良く見せるようになってきた柔らかい表情。
それはここに出入りする女優にも、決して引けを取らない。
雀田は目に焼き付けておこうと凝視している。
「……」
それにしても、自己評価が低い。謙遜を通り越している。
トシヤが何か言いたげに雀田を見るが、黙って首を振られてしまった。
あかねは柔らかい表情のまま、優雅に飲み物を口にする。
多忙な撮影所の一角で流れる時間は穏やかだ。
Chikiから誘われたチャットは夏コミの思い出話から始まり、お互いの近況の話になる。もちろんSNSには載せたくないような話題が中心だ。
色々なトラブルを避けるためにも、コスプレイヤーは基本的に素性を隠している。
Chikiは相変わらず続けているモデルの話。
リョリョと探花は最近食べに行った店の話。
やがてあかねの東英の話題になり、あれやこれやと会話に花が咲く。
ちきちゃん『ははあ。世界があかね様の魅力に気づき始めたのですね。私は前から知っていましたけど』
リョッ!『撮影所って入れるんだ……私も行ってみたい』
東英で検討しているセミナーにも興味があるようだ。
このことは女伯かトシヤに伝えておいた方が良いだろう。
探花『やっぱり芸能人とか多いんですか?』
AKANE『いえ、スタッフの方がほとんどですわ。それに芸能人の方なら普段からお見掛けしていましたし』
リョッ!『さすが撮影所のある街……』
特にあかねは早朝に走ることを日課にしている。
撮影は朝から行われることが多いためか、駅から撮影所までの道を歩く若手俳優の姿を見かけることは良くある。
それなりに芸歴がある人は見かけないことから、自家用車かタクシーなのだろう。
ちきちゃん『あかね様も芸能人のようなものです』
AKANE『全然違いますわよ』
あかねの自己評価は、あくまでただのオタクの大学生だ。
そして今はコミマスタッフでもある。
ちきちゃん『またモデルやりませんか? 私もう一度あかね様と同じランウェイを歩きたい』
AKANE『今はあまりそういったことを考えられませんわね』
少なくともあと一年。C100夏を終わるまで、別のことに目を向ける余裕は無い。
大学はまだついていけているが、今の二年次だから何とかなるのであって、一年後はそう余裕もなくなってくるだろう。
AKANE『できるとしたら、大学を出てからかしら』
ちきちゃん『大学出たら適齢期過ぎちゃいますよ!!!』
文面からChikiの叫び声が聞こえてきそうだ。
あかねにとってモデルはそれほど重要ではないのだが、Chikiにとっては違うのだろう。さらに言えばあかねと一緒に出ることに意味があるようだ。
リョッ!『そういえば大学生でしたね』
探花『あー、大学も大変ですよね』
探花『こっちも今、卒業制作でバタバタしてて』
季節は秋に差し掛かろうとしている。
日に日に涼しくなっていくことに季節の移り変わりを感じるが、卒業年次ではそう呑気なことは言っていられないのだろう。
ちなみにコミマのスタッフにとっては、拡大集会のお知らせがあって冬コミの足音が聞こえてくる季節となる。
ちきちゃん『あ、探花は今年卒業だっけ。冬コミはどうするの』
それはコスプレイヤーにとっても同じらしい。
探花とリョリョの場合はサークルかもしれない。
探花『出るに決まってますよ。年末ぐらい好きなことしたい』
リョッ!『私はもう衣装できてるからね。原稿に取り掛からないと』
両方だったようだ。
こういう点でもまた、等しく参加者ということなのだろう。
探花『うぇっ、優秀すぎる』
リョッ!『夏から冬はあっという間だよ』
AKANE『全くその通りですわね』
あっという間。
この一年もあっという間だった。
そして恐らく、次の一年も。




