第83話 C99冬の正念場
広い部屋に五人。
江口橋、瑞光寺、和泉の東5ホール組。そして館内統括の播磨と地区長の山城。
「あ、そうだ江口橋。東2のホール長が変わるんだけど知ってるか?」
「いえ」
「菊田だってよ」
椅子を引きながら、播磨が口を開いた。
ホール長の交代は割と大ごとだが、あまり気にした様子はない。
和泉も山城も知っていたのか、特に表情に変化はない。
「それは……思ったより早いですね」
「なんだ、江口橋。交代しそうだと思ってたのか?」
菊田が何やら企んでいたのは小耳に挟んでいたが、もう少し先の話かと思っていた。
「前々回東2だったので」
「ああ……そういえばそうか」
播磨はそれだけで概ね理解したようだ。
あの時は東2のホール長付にさんざんグチグチ言われて時間を消費したが、その時周囲で聞いていたはずの東123地区の本部員は特にコメントが無かった。
情報が整理できていなかったこともあったのだろう。後日、東123地区長の備前からはお礼を言われたが、その後特に東2からの謝罪はない。
「そしてうちの慎吾……藤崎がホール長補佐になる」
これは初耳だったので驚いた。
「ずいぶん思い切りましたね」
「俺のとこに『若手で回したい!』と直談判してきた」
以前の東2はベテランの安定感と言えば聞こえはいいが、硬直化した考えと事なかれ主義が蔓延し、何とも言えない停滞感があった。
江口橋は別のイベントで世話になった人がいた縁で東2に登録していたのだが、その人が卒業してしまってからはその停滞感が増し、いつ別のホールに行くかと考えることの方が多かった。
「そのパターンで上手くいくことは……」
ベテランを排除して、若手中心に。
過去何度かそういった例を見てきたが、経験不足から失敗する例が多かった。
若い情熱と実行力だけでなく、経験から来る判断力や根回しもまた必要なのだ。
「そう。だがあいつら、俺達には頭を下げてきた。ご指導ご鞭撻よろしくお願いしますってな。つまり前のホール本部連中が信用されてなかったってだけなのさ。123の地区から何人か出す方針みたいだからそこまで心配することもないだろう」
「そうですか」
ある意味根回しだろう。
素直に助力を乞うことができるというのは悪くない。
また東2に登録しても良いかとも思ったが、目下456で持ち上げた問題がある。これを置いて123へは行けない。
「ああ、それと」
「東6もホール長交代する」
江口橋はさほど驚かなかった。
前任のホール長も長かったしそろそろかとは思っていたが、このタイミングか。
次も東5の偽壁を預かる以上、隣接する東6のホール長が知り合いならやりやすいのだが。
「冷泉だ」
「えっ」
思わず声が出た。播磨はしてやったりの顔をする。瑞光寺を見るが特に表情を変えない。
和泉はにやにやしている。
望んだ知り合いのホール長ではあったが……
「意外な人選ですね」
「そうか? 当の東6は面白がってたぞ。初の女性ホール長だな」
山城も特に表情を変えていない。地区長ということもあり事前に相談を受けていたのだろう。
冷泉も、瑞光寺の予知を共有した一人だ。
となるとこれは、彼女なりの協力体制の表明と取れる。まさかホールのトップに立つとは思わなかったが。
ひとりうろたえる江口橋に、播磨が笑いかける。
「で、江口橋。どういう話をしたいんだっけか」
山城と和泉は目だけを動かして江口橋を見る。
先に驚かされはしたが、今日呼んだのは江口橋の方だ。
居住まいを正す。
「……ここ最近の不審物についてです」
「ああ、江口橋は何個か当事者だったな。瑞光寺さんも……あっ、ちょっと待て。それってこの間瑞光寺さんが話していたことと関係あるってこと?」
「そうです」
播磨は姿勢を正すと、瑞光寺をじっと見た。
館内統括を前にしても、表情を変えない。
「播磨さん、俺にもわかるように言ってよ」
「俺も知らない」
「あー、そうだ。山城と和泉にも言っとかないとな」
瑞光寺は何を考えているのかは読みづらいが、真正面から向き合って言葉を待っている。
和泉も興味深そうに瑞光寺を見ていた。
「つまるところ、コミマに『敵』がいて、妨害してるんじゃないかって話」
「愉快犯ではなく敵……か。厄介だな」
「そうなんだよ。厄介なんだよ」
播磨の言葉を疑いもせず飲み込む山城。信頼関係なのか心当たりなのかは分からない。
明確に害意を持った敵。
その正体が分からない以上、こちらから手が出せない。具体的に何かされて、その対応に動ける。
本当に『厄介』だと思う。
「江口橋と瑞光寺さんは、もしかして『敵』に心当たりがあるの?」
「いえ、心当たりはありません」
「そっか」
播磨の声は素っ気ないが少し残念そうだ。
山城は腕を組み、考え込んでいる。直近の出来事について、紐づけられるものを探しているのだろう。
音もなく挙手した瑞光寺が、そのまま口を開く。
妙なところで律儀だが、誰も口には出さない。
「『敵』が本気で仕掛けてくるのでしたら、それはC100夏だと思っています」
「どうして」
「……」
播磨のシンプルな問いに、黙る瑞光寺。
無根拠ではないのだろうが、何か言いにくいらしい。
「俺が『敵』ならそうします」
江口橋が助け舟を出した。
全員の視線が江口橋に集まる。
「『敵』の目的がコミマそのものを……我々が目指す『継続』を脅かすとした場合、立ち直れないぐらいに心をへし折ってくると思います。そういう観点で考えると、節目となる『おめでたい回』に致命傷を与えます」
「それがC100夏だと」
播磨の言葉にうなずく。
非常に合理的で、こちらから見れば嫌な攻め方だ。
「まあ、分からなくはないな……」
あと一年。
どういうつもりで話を持ってきたのか、播磨には何となく伝わった気がした。
まだ納得しきれない風な山城が口を開く。
「じゃあ今散発しているこのトラブルはなんだ」
「これもわたくしの推測でしかないですが、細かいトラブルを『毎回の大したことがないもの』として油断させてしまうということは考えられますわ」
「……なるほどな」
実際一部のスタッフにも楽観視するような雰囲気がある。
所詮音が鳴るだけだ、と。
気の緩みに付け込まれてしまえば、スタッフが何人いても同じだろう。
「面白がって模倣犯も出れば、しめたものでしょうね」
江口橋の補足に、全員がうなずいた。
言い表せない治安の悪さのような雰囲気がある。
実際、窃盗や盗撮での逮捕者も出ている。
「いつも警戒するに越したことは無いんだが、C100夏あたりは特に強い対策が必要かもしれないな」
山城はため息混じりに小さくつぶやいた。
一旦は信じてもらえたと思っていいのだろう。江口橋は瑞光寺と視線を交わすと小さくうなずいた。
「実は、ほかにも同じような話が出ている」
「本当ですか、播磨さん」
「ああ。ちょっと情報源は明かせないんだが、C100夏という時期も一致している。これは偶然か?」
どこからどんな話が出たのかは気になるが、山城も播磨のことを何か言いたげに見ているあたり、東123か西での話なのかもしれない。
播磨の問いには沈黙で返すしかない。誰にも答えられない。
沈黙を破ったのは、山城のため息に似た声だった。
「456は456で全力を尽くすだけだ。123地区長の備前には播磨さんから言っといてください」
「変に歩調を合わせようとするより、それぞれでやりやすいように対応してもらった方がいいかもな」
播磨は山城の言葉にうなずいた。
「和泉、江口橋。この後時間取れ。俺と山城で別の部署に持って行くから、もう少し話が聞きたい」
「あの、わたくしは」
「ちょっと政治的なお話になると思うから、江口橋ごしに話をしてもらった方が良いと思う」
和泉が言うと江口橋が前に出る。
サークルに見せるような頼もしい笑みで、瑞光寺に笑いかけた。
「大丈夫だ。任せておけ」
「はい……承知いたしましたわ」
話し合うための会議室を変えることもあり、一時休憩となった。
呼ばれなかった瑞光寺は、入口で待つ雀田と合流して大人しくそのまま帰るらしい。
そこまで送ろうかと思ったが、エレベーターの前で辞退された。
江口橋は自分がすべてを任されたのだと気を引き締める。
「それでは江口橋さん、よろしくお願いします」
「ああ。決まったことは電話……いや、電話じゃない方がいいのか?」
とは言うが、江口橋が女性に電話をかけるのが苦手だという部分が強い。
何となく察した瑞光寺は、名刺を差し出した。
「SNSでやりとりした方が良いかもしれませんわね。文字が残りますし」
シンプルな名刺にはハンドルネーム『AKANE』とあった。
そういえばコスプレイヤーとしてもジワジワ脚光を浴びているらしい。
多才なお嬢様だ。
呼び出しボタンを押してエレベーターが来るまでの間に、名刺を仕舞い込む。
ここから冬コミまで忙しくなりそうだ。
そんなことを考えていると、後ろから声をかけられた。
「あ、いた。江口橋、ちょっといいか。瑞光寺あかねってお前のとこの副ブロック長だよな」
知り合いの人事担当者だ。東456の地区本部員でもある。
隣に立つ瑞光寺に目をやりながら、江口橋は返事をする。
「ああ、そうだが。どうした」
「スタッフ募集の問い合わせが来てて、同配希望で名指しされてるんだよ」
「瑞光寺を?」
「ああ。名前は……清川千歳」
手元のメモを見ながら言う人事担当者に、瑞光寺が反応した。
「まあ。清川さんが」
「知り合いか」
江口橋に心当たりはない。
勧誘でもしてくれたのだろうか。
「前回お手伝いいただいた女性がいたでしょう。あの子ですわ」
「レイヤーの?」
「ええ」
小竹が面倒を見たコスプレイヤー。
スタッフ業務自体は初めてとのことだったが、教えられたことは忠実にこなし、堂々と振舞っていた。
そして、分からないことを『分からない』と答えられたこと、さらに適切に答えられそうなスタッフに振っていたことに小竹が感心していた。
正直なところ、彼女がいてとても助かった。
改めて、正式にスタッフとして参加したいと思ってもらえたなら嬉しい。
人数が増えてありがたいのもあるが、単純に若い参加者がスタッフに興味を持ってくれることが嬉しい。きっと小竹も喜ぶだろう。
「ああ、君が瑞光寺さんか。知り合いなら良かった。じゃあ拡大の案内送付するから面倒見てやって」
「承知いたしましたわ」
人事担当者は満足げにうなずくと、また忙しそうにどこかへ歩いて行った。
エレベーターがちょうど到着し、瑞光寺が乗り込む。
「江口橋さん、スタッフもハンドルネームで活動できないものかしら」
「レイヤーの彼女か……確かに本名はあまり公表したくないだろうな」
「播磨さんにご相談いただけませんこと」
「ああ、分かった」
「ありがとうございます」
エレベーターが閉まる一瞬、ふっと笑う瑞光寺が見えた気がした。
瑞光寺が……笑った?
いや、気のせいだろう。江口橋はそう結論付け、エレベーターに背を向けた。
C99冬スタッフ登録のアンケートにハンドルネームでのスタッフ参加についての項目ができ、次の拡大集会でハンドルネームでのスタッフ参加も可能であることが周知され、業界を驚かせることになる。
コミックマート準備会は巨大な組織にもかかわらず、これほど迅速に柔軟な対応が取れる。
その柔軟さをもって立ち向かうという意思表明でもあった。




