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同人誌即売会と悪役顔令嬢  作者: 狐坂いづみ
C99冬編
92/171

第81話 瑞光寺の人

 雀田しのぶの顔は強張っている。

 今度は雀田の顔をぺたぺた触りながら、赤堀が続けた。

 あまり慣れない感触のせいか、自分でも分かるぐらいに明らかに緊張している。

 雀田はまだエステなるものに行ったことは無かった。

 

「元々ね、東英の中でもそういう話があるんだよ。まだ公表してないんだけど……こういう細かいノウハウを一般人向けの短期集中の公開講座みたいにできないかってね。そういう話を高村トシヤにしたことがあったんだと思うけど、あの坊や律義に覚えててくれたみたいだねえ」

 

 雀田の頬が引っ張られる。

 ひんやりした化粧水のせいなのか力加減のせいなのか痛くはない。

 

「場所とか時間とか準備とか手探りだから、試行期間みたいな感じでむしろ私たちがお願いしたいのさ。いきなり一般人を対象にするのは難しいけど、瑞光寺のお嬢様がモニターしてくださるなら話が早いってわけ」


 雀田の施術はお嬢様のそれに比べて短い時間で終わった。

 特にコメントもない。良くも悪くも普通、ということだろう。

 

 そこからさらに、ふたりに表情を作る筋肉の鍛え方を指導する。

 されるがままだった先ほどとは打って変わって、ハードな訓練となった。

 休む間がない。

 顔の筋肉しか動かしていないはずだが、全身に疲れを感じる。

 

「赤ちゃんだって笑うことができるんだから、きちんと時間をかければ貴女も綺麗に笑えるわよ」


 笑えるようになるにはもう少し時間がかかる。つまりそういうことなのだろう。

 だが、表情が上手く作れなかったがために友人もできなかったお嬢様にとっては時間をかける価値が十分にある。

 お嬢様からの視線を感じた雀田は、大きくうなずいてくれた。

 

「良いと思いますよ。私か神崎か安威が付き添えば良いでしょうし」

「付き添いは毎回あんただよ。受講生が何を言っているんだい」

「ええ……」

 

 面食らう雀田。

 付き添うことは問題ないが、いつの間にかすっかり受講生になっている。

 

「あの、仕事がですね……」

「あぁん?」

「うっ……」


 赤堀の眼力に、雀田がたじろいだ。

 またも聡い雀田は、自分の選べる道がないことを早くに悟るのだった。

 

 ただの付き添いと思っていたが、自分もレッスンを受けることになってしまった。予定外だ。


「思ったよりも時間が経っていませんね」

「そうね。密度の高い時間だったわね」


 午後から赤堀の予定があることもあって、お昼を少し回ったあたりで切り上げたのだが、疲労感がそれ以上にある。

 管理棟の前でどうしたものかと考え込む。

 このまますぐに帰っても構わないのだが、それも少々味気ない。


「撮影所の中を少し見てみますか。食堂で食べることもできますが」

「では何か食べましょうか。全身を動かしたわけではないとはいえ……」

「確かに、お腹がすきましたね」


 お腹に手を添えるお嬢様を見て、雀田はふっと笑った。

 こういった仕草はまだまだ可愛らしい。

 

「お疲れ様です」

「お疲れ様ですー」


 食堂への道すがら、すれ違う人とあいさつをする。

 お互いぼんやりと顔を覚えている程度だが、相手が何をやっているのかは知らない。

 

「なんだかコミマスタッフみたいだわ」

「雰囲気は似ているかもしれませんね」

 

 表現を追求する現場、ということも共通しているかもしれない。

 この現場に出入りをしている雀田だったが、ドラマや特撮にはそれほど興味はない。我ながら面白みのない人間だと思っている。

 最近はコミマと関わり始めたこともあって、誰かがこの世に作品を送り出すプロセスそのものに興味を持ち始めた。

 そう思えばここへの出入りの仕事も楽しく思えるのだった。


 味はまあまあでとにかく安い食堂は、お昼のピークを少し過ぎたあたりだが活気があふれていた。

 席を探すのに苦労するほどではないが、これほどの人が働いているのかと感心する。そういえば今日は土曜日だ。

 

 お嬢様とふたりの外での食事は、いつも緊張する。

 美しい顔を真正面から見ることもまあそうなのだが、それ以上に……

 

「失礼。どちらの事務所の方でしょうか。お名前を伺っても?」

「事務所? 瑞光寺かしら」

「そうですね。瑞光寺です」


 このように声をかけられる機会が多い。

 眼鏡をかけた中年の男性だったが、幸いなことに『瑞光寺』の名前で理解してくれたようだ。

 

「瑞光寺……ああ、瑞光寺。申し訳ない。てっきり女優さんかと」

「いえ、お気になさらず」


 お嬢様を改めて見ると、確かに若手の女優と思われてもおかしくない。

 整った顔立ちに手入れされた髪。何より、東英撮影所の中にあって堂々とした振る舞い。

 それでいて見覚えのない美しい顔。目を惹かないわけがない。

 

「瑞光寺は本当に知られていますのね」

「それはもう。知らないのは新人でしょう。毎回毎回協力するのでクレジットから抜いてもらっているぐらいです」

「そうだったの。表示があればわたくしも気づいたのに」


 とはいえ、間違えられないように入構証はぶら下げなければ。

 明確なゲストであることを分かりやすくした方がこういった面倒ごとも減るだろう。

 眼鏡の男性はまだ諦めきれないのか食い下がってくる。

 

「女優にご興味はありませんか」

「ありませんわね」

「勿体ない」

「恐縮ですわ」


 ようやく引き下がってくれた……

 かと思えば今度は雀田の方を向いて自信を持った笑みを浮かべた。

 

「あの、あなたも女優には興味ありませんか」

「えっ? 私ですか」

「はい、いかがでしょう」

「あの、私はただの瑞光寺の従業員ですので……」

 

 ここは撮影所の中。

 万が一にも怪しい勧誘ではないだろうが、それにしても何度も出入りしているのにこんな勧誘を受けたのは初めてだった。

 どこかの芸能事務所の人なのだろうか。

 

「おいおいおい、もうやめとけ。瑞光寺の方と揉め事を起こしたら出入り禁止になるって噂だぞ」

「いや俺はそんな……」


 眼鏡の男性の連れらしき人が、肩を掴んだ。

 これ以上はややこしいことになりそうだったこともあり、雀田は心の中で感謝した。

 それが通じたのかどうなのか、ふたりはやや大げさに頭を下げ、謝罪を残して去っていった。


 数秒ほど見つめ合った後、ふたりは安心したように息をついた。

 

「女優ですって。雀田は美人ですものね」

「そんなこと初めて言われました」

「あら。意外だわ」


 心底意外そうに言う。

 今まで男臭い職場ばかりだったせいもあって、顔を褒められる機会もなかった。

 何より目の前に座る規格外の美女を毎日見ているのだ。自分の容姿に自信など持てようはずもない。

 

「雀田が望むなら、女優になっても良いのよ」

「そんな年ではないですよ」

「年齢は関係ないわよ」

 

 とはいえ、女優というものになりたいと思ったことは無い。意識したことすらなかった。

 改めてなってみたいかと言われれば……やはりそうは思えない。

 今自分のやりたいことがはっきり決まっている。

 

「私はお嬢様のお近くにいる方が楽しいと思います」

「ふうん、そう」


 短く言って箸を動かすお嬢様は、どこか嬉しそうに見えた。


「ええ、そうです」


 雀田もまた、食事に戻る。

 この味を忘れたとしても、ここでの出来事は忘れないだろう。

 やはり、お嬢様に付き添うと楽しい。


 

 ※


 

 高村トシヤはドキドキしていた。

 あかねが赤堀と会っていた日の午後、偶然出会った赤堀からの簡単な報告を受けた。

 そして『あの子は俳優になるのか』と聞かれたのだ。

 その予定はないと答えたが、そんな可能性があるなら自分の事務所の連絡先を渡しておいた方が良いかもしれない。

 別の人から、食堂で声をかけられていたことも知らされていた。やはり撮影所内は失敗だっただろうか。

 いや、他の場所に赤堀を呼ぶわけにもいかなかった。


 答えのない考え事をしていると、向かいの姉が怪訝な目で見ていた。


「あなた、瑞光寺さんに迷惑をかけてるんじゃないでしょうね」

「あのな姉ちゃん、下手に迷惑をかけるとこっちの首が飛ぶんだけど」

「それもそうか」


 夏コミぶりに会った姉は、美味しそうにとんかつを頬張って満足そうにうなずいた。

 今日は夏コミの売り子のお礼の食事だ。


(それにしても……)

 

 瑞光寺さんが撮影所とそれほど関係が深いとは思わなかった。

 そういった会社があるとは聞いたことはあったが、会社名として聞いた『瑞光寺』と、彼女の名前として聞いた『瑞光寺』が同じものとは認識ができなかった。

 

「そういえば聞いたわよ、去年の夏コミの朝、不審者みたいに近づいたんでしょ」


 味噌汁を吹き出しそうになった。

 思い当たることはある。りんかい線の新木場駅だ。

 あれは今になってもなお深く後悔している。何をやっていたんだと。

 

「あかねさんがそんなことを?」

「言ってないけど、挙動不審なナンパみたいだったって?」

「あかねさんがそんなことを?」

「言ってないけど」


 言ってないのか。

 いや、だからこそ何を言われたのか気になってくる。

 

「姉ちゃんの想像で責めるのはやめてくれ……」

「瑞光寺さんは客観的に話してくれるけど、その客観的な話から判断して、間違いなく不審者よ。分かってないなら分からすけど、どうする」


 千切りキャベツにドレッシングをかけながら、目が笑っていない。

 幼少のころから叩き込まれた上下関係が、警告音を発する。

 

「……いや、まあ不審者だった」


 自分でも分かっている。そして反省している。

 確かに不審な初対面だったと言っていい。

 だが彼女はそのことを掘り返すようなことはしない。

 やはりどこかで謝らなければ。

 

「単純に落とし物を拾っただけだよ……確かに同じ駅から乗ったから、プラスで何か話せないかとは思ったけど」

「気持ち悪いな」

「うっ」


 直球が刺さる。

 真夏ということも悪かった。あの始発の時間帯でも少なからず汗はかいていたはずだ。

 確かに気持ち悪い。

 

「話す気は無さそうだと思ったから、それ以上は話しかけなかったよ」

「致命傷で済んだね」

「……助かってないじゃん」


 致命傷なのだ。普通に考えれば。

 そこから偶然もあって縁が続いているが、薄氷なのだ。

 

「んで、また何で表情レッスンのお節介なんか」

「それは……勿体ないと思ったから」

「まあ、それはそうね」


 しばし無言でとんかつ定食を口に運ぶ。

 薄給のトシヤにとってはなかなかの出費だが、確かに美味い。

 キャベツとごはんがおかわり自由なのもいい。間違いなく満腹になるまで食べられる。

 

「……でもまあ、気を付けな」

「?」

「あの子美人だし、表情まで豊かになっちゃったら絶対スポットが当たるよ」

「うーん」


 どうなのだろう。

 本人は目立つことに興味は無さそうだったが。

 

「気をつけなさいよ。私は言ったからね」

「あ、ああ……」

 

 姉の言葉の意味をあまり飲み込めないまま、トシヤはうなずいた。

 

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