第77話 3日目 終わったのだけど
君堂とガレリアで言葉を交わしていた間にも、撤収はどんどん進んでいる。
あかねも少し体を動かすうち、心も楽になってきた。
気を紛らわすことができているのだろう。
手近な椅子を集積所に持って行き、重ねたところで小竹に声をかけられた。
「瑞光寺さんお疲れ」
「お疲れ様です、小竹さん」
「いろいろあったし疲れたな。まあ、最後に良い記念になったよ」
「最後、ですか」
言葉を確かめるように繰り返すと、小竹は笑顔で答えた。
「ああ、コミマスタッフ引退だ」
先程江口橋に話したのと同じように、自身の衰えを感じていることを伝える。
江口橋はある程度納得して聞いていたが、あかねはあまりしっくり来ていない。
衰えたと言っても、小竹の手腕は素晴らしい。
「わたくしには知りえない、高みのお話ですわね。他にもできることがたくさんあるように思いますわ」
「あー……まあそれだけじゃねえんだよな」
小竹は気まずそうに眼をそらす。
首に掛けたタオルで額の汗を拭いた。
「混乱を収めることはまあ誰にでもできる。だが本当の一流ってのは、そもそも混乱を起こさせないんだな。今回の瑞光寺さんを見て実感したんだよ」
「……」
自分のことを言われていると思っていなかったあかねが、首をかしげる。だが、小竹は構わずに苦笑いして続ける。
「俺はその域まで行けなかったよ」
「小竹さん……」
かけるべき言葉を探しているが、あかねは小竹の思いはあまり理解できない。引き留めも慰労も、どこか中途半端になってしまうだろう。
自分の衰えを実感して引退する……責任感が強いということなのだろうか。
あかねは小竹とのやり取りを思い返す。飄々としながらなるべきことをきっちり成し遂げる小竹の凄さは今回のコミマだけで十分理解できた。
それだけに、もったいない。
「小竹さんは」
「うん?」
自分を見る目に妙な力を感じた小竹は、虚を突かれたような顔をする。
「『助けが必要になれば、いつでも助けに来る』そうおっしゃいましたわね」
「あー、言ったっけか。でもそれは今回……」
「小竹さんほどの方が、約束を違えるとは思えません」
礼を失しているとは思いながら、意図的に小竹の言葉を遮った。
責任感に訴える……少々卑怯な気もするが、なりふり構ってはいられない。
仲間が必要なのだ。
「C99冬とC100夏、わたくしには小竹さんの助けが必要です」
「ってもな……」
「ネノが難しいのでしたら、ハパから助けてくださいませんこと」
「瑞光寺さん……」
揺らいだ。
ここだ。
「わたくし、小竹さんの技量を手放せるほど潔くはありませんのよ」
返事を待たずに言葉を重ねる。
「混乱を起こさない人間がひとりいたところで、どこかで混乱は起きるのです。それを収める技量を持った人間が不要などということはあり得ませんわ」
はっきりと伝える。
小竹が必要なのだと。
「お願いします。あと2回……C100夏までお手伝いしてくださいませんか」
じっと見つめると、小竹はまっすぐに見返してくる。
ああ、やはり。信用に足る方だ。
あかねの言葉に、自身の引退宣言をひっくり返す価値があるのかを見極めようとしている。
「……」
撤収の音があちこちから聞こえる中で、変わった組み合わせのふたりが立っている。
長身の美女と、どこにでもいそうな中年男性。
お互いを見るふたりの目は真剣だった。
どのくらいの時間そうしていただろう。
先に息を吐いたのは小竹だった。
「……分かったよ」
自分の評価も大事だが、ここまで言わせて無下にできるほど小竹は冷たい人間ではないつもりだ。
「買ってる人間にここまで言わせて、断れるわけねえやな」
「小竹さん」
「だが偽壁はきつい。椎名の嬢ちゃんに仲間に入れてもらうことにする。まあ、サポートに徹するのも面白そうだしな」
「ありがとうございます」
「なに、お互い様よ。またよろしく」
誰かに『頼られている』ことを実感した小竹は、今までにない満足感があった。
あかねの後姿を見送りながら、久しぶりに『次回』が楽しみに感じる。
「しかしC100夏か。やけに具体的だったが、何かあったか?」
つぶやく小竹に答える言葉はなく、ただ撤収の音だけが耳に届いた。
定点だった柱から東4方面を眺めていると、後ろに気配を感じた。
振り返ると冷泉と一条が立っている。
一条はこちらを見つめているが、冷泉はその糸目を露骨に泳がせている。珍しい。
「一条さん、冷泉さん、お疲れ様です」
「お疲れ様……」
歯切れの悪い冷泉。
そんな冷泉のことを一条がじっと見ている。いや、ほとんど睨んでいる。
「分かったわよ……」
両手を上げて降参する。
そして弱々しい視線が、あかねの方を向く。
「あー……瑞光寺さん。さっき言い損ねて……その、えー……ぴぇ!」
さらに言い淀む冷泉の尻を、目にもとまらぬ速さで一条がひっ叩いた。
何か可愛い悲鳴が聞こえた気がしたが、そこには触れないでおく。
「あの、私、先ほどのあなたへの非礼な態度を……詫びたいの。ごめんなさい」
「非礼、ですか」
一条の一撃に気を取られて半分ぐらいしか理解していなかった。
今回冷泉と一条には大いに助けてもらった。謝られるような心当たりはない。
「私のつまらない虚勢のために、あなたに向けた言葉。あなたがトラブルを呼び寄せてると言った……あれを、謝りたいの。本当にごめんなさい」
「あの、どうなさったの?」
あかねは一条を見る。
一条はため息をついて一歩前に出た。
「冷泉は、本当は瑞光寺さんと仲良くしたい。なのにバカだから虚勢を張る」
「バカは言わないで……」
完全に一条が上の立場になっている。
冷泉についていくタイプだとばかり思っていたあかねにとっては意外な光景に見えた。
「わたくしも仲良くしたいとは思っておりますわ」
「冷泉、自分で説明して」
「分かってる……」
一条にせっつかれた冷泉は、しどろもどろに言葉を絞り出す。
仲良くしたいと思っていたが、居住地域の話題でスイッチが入ってしまい学生時代のように上下関係を構築しようとしたこと。
いい年の大人が何をやっているのかと後悔したこと。
周囲からも非難されたこと。
「ここなら無条件でチヤホヤしてくれるもの。あなたを同類だと思ったから、キャラがかぶる前に……」
「ね。バカでしょ」
「やめて……」
容赦ない一条と、弱り切った冷泉。
冷泉の言葉に引っかかりを覚えたあかねは、あごに人指し手を当てた。
「冷泉さんは、本当に無条件だとお思いなのですか?」
「えっ」
初めて冷泉があかねを見た。
冷泉が東6でチヤホヤされているかどうかは分からないが、冷泉にはスタッフとしての実力があることは隣のブロックから見ても十分理解している。
「冷泉さんがわたくしよりも上のスタッフなのは当然ですわ。それを行動で示されているのは冷泉さんではありませんか。だからこそ皆様が尊重なさるのでしょう。無条件だなんて、わたくしは思いません」
冷泉の物言いは、自分を卑下するだけに留まらない。
評価してくれる周囲の人のことまでなおざりにしてしまっている。
「虚勢だけでできるものではありませんわ」
他の誰にも見抜けないとしても、『同類』には分かってしまう、芯のようなもの。
冷泉にはそれがある。
「わたくしは、冷泉さんが努力なさったことぐらい分かります。冷泉さんの言う通り、同類ですもの」
「どうして……」
「それに冷泉さんは『初めから何もかもやれる人なんていない』とおっしゃっていました。その上で今があるのでしょう」
振る舞いも、言動も、ひとつひとつの所作も。
一朝一夕にできるものではない。たゆまぬ努力があってこそだと分かる。
それはあかねも積み重ねてきたものだからだ。
「ここは同類が見つかる場所。そしてお互いに通じ合う場所。そう思いますわ」
「同類……」
あかねの言葉を噛みしめる冷泉の糸目が、少し潤んだように見えた。
見られたくはないだろうと目をそらし、一条の方を見る。
「一条さんはどうして、いつも一歩控えていらっしゃるの」
「……?」
急に振られた一条は、何のことかと首をかしげる。
「いつも冷泉さんの斜め後ろにお立ちですわよね」
「この角度の冷泉が一番綺麗だから」
「え?」
言葉の意味が分からず、少々間の抜けた声が出た。
一条は無言であかねの手を引いて、自分の方へと引き寄せた。
「ちょっと一条、あなたまた」
「冷泉そのまま」
「分かったわよ……」
一条はあかねの立つ位置と顔の角度を調整すると、静かに冷泉の顔を指さした。
「ここ。この髪に隠れた横顔……まつ毛のカーブと少しだけ見えた鼻先、分かる?」
「ええ」
「ここから見る冷泉が一番綺麗」
フンス、と一条の鼻息が聞こえた気がした。
予想だにしなかった解説に、あかねも一瞬言葉を失くす。
つまり一条は、冷泉の横顔を見たいがために、いつも一歩後ろにいて冷泉を見ていたのだ。
そんなこと分かるわけがない。




