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同人誌即売会と悪役顔令嬢  作者: 狐坂いづみ
C98夏編
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第76話 3日目 弱り切って

 そんな会話があったとはつゆ知らず、コスプレ広場から戻って着替えを終えたあかねは小さく息をついた。

 手伝ってくれた雀田もまた、疲れた表情をしている。

 夏の暑さと気苦労が重なっているのだろう。

 

「雀田、先に巡回に戻ってもらっても良いわ。少し休憩してから戻るから」

「分かりました。あまり無理なさらないでください」

「ええ」

 

 言ってから、さん付けするのを忘れていたことに気づく。

 疲れがたまっているのだろう。閉会まであと少しとはいえ、今会場に出ても何か失敗をしてしまいそうだ。


「ふう」


 再び巡回に戻る雀田の背中を見送ると、休憩室へと戻る。

 さすがにこの時間誰もいないかと思ったが、数人が机に突っ伏して眠っているようだった。


「申し訳なかったわね……」


 誰に言うともなく声に出す。

 今日はコスプレでも身が入っていなかった。自分の管理が甘いせいだ。

 手伝ってくれた上にコスプレ広場に誘ってくれたChikiにも申し訳なく思う。

 今日は探花とリョリョもいたのに、四人での撮影もすぐに切り上げてしまった。


『夏コミって消耗しますもんね』

 

 疲れたあかねを見て気を使ってくれたようだ。

 去年の夏はこれほどの疲労感はなかったように思う。

 コスプレのせいだろうか。

 いや正山が作った衣装は動きやすく通気性も良い。2日目の服よりも快適だったかもしれない。


 副ブロック長ということもあるだろう。

 色んな事に気を遣ったように思う。気苦労というものか。

 そして、焦り。

 今日このまま終わってしまえば、大事件が起こるC100夏までもうあと1回しか猶予が無い。

 

「コミマが終わる……」


 あかねが必要とされ、頼りにされる場所。

 信頼とやりがいを感じながら、笑顔と幸せが充満する場所。

 自分を含めた誰かの『一生懸命』が実を結ぶ場所。

 それが、終わる。壊されて。

 止められる手立てが分からない。


「休憩していても、悪い方へ考えてしまうだけですわね……」


 休憩室にこもっていても、何も解決しないように思う。

 もう閉会間際と言っていい時間だが、ホールの中でこそ自分のやるべきことが見つかるような気がした。

 体の中の空気を入れ替えるつもりで深呼吸をして、休憩室から外へ出る。

 

 

 ホールの混雑はすっかりなくなり、時折ガレリア側の入り口からトラックヤードの方まで見通せるほどだ。

 ずっと見えるわけではないところが、残っている人の多さを感じさせる。

 真夏だけにまだまだ明るいが、昼間の日差しの強さはマシになっているように見える。

 立ってみて分かったが、ガレリア側の入り口は風があって涼しい。

 

 出入口シャッターの細い柱が立つ真ん中。

 ホールから出る人とホールに入る人の間で、あかねはぼんやりと人の流れを眺める。

 荷物を引く人も、重いリュックを背負う人も、両手に紙袋を下げた人も、みんな同じように満足げに疲れた表情をしていた。

 あと数分で今回のコミマが終わる。

 スタッフとしては「終わった」と息を付けるのはもう少し後のことになるのだが。

 

 心では動きたいと思っていても、どうしても体の動きがついてこない。

 足が重い。あまり経験したことのない感覚だ。


「わたくしは、こんなものでしたの……」

 

 己の不甲斐なさに泣きたくなる。

 こんなに楽しい空間なのに、心も体も重い。


 動けなくなったあかねに、恐る恐る近づく参加者がいた。

 少し浮いた感じのするハンチング帽、カラーレンズのメガネ。意図的に顔を分かりづらくしているように見える。

 お互いに手を伸ばせば届きそうな距離まで来ると同時に声を上げた。

 

「「あっ……」」


 その男性とは昨日も顔を合わせているはずだが、ずいぶんと久しぶりに思えた。

 色んな出来事が重なったせいもあるだろう。

 

「お疲れ様、瑞光寺さん」


 初めて会った地元の駅のことを思い出す。

 自分の生まれ育った大好きな街。

 

(ああ、早く帰りたい……)


 あかねは初めてそんな気持ちを自覚した。

 ここを離れたいというわけではない。

 ただ、大好きな地元の匂いを心から欲している。


「お疲れ様です。高村……トシヤさん」

「大丈夫?」

「ええ、大丈夫……ですわ」


 そして目の前に立つ男性……トシヤに、その欠片をわずかに感じることができた。

 それが、きっかけだったのだろう。

 あかねの頬を、熱い筋が伝う。

 

「あら……」

「うえっ!?」


 あかねも驚いたが、トシヤのそれは比ではない。

 急に目の前の女性が涙を流し始めてうろたえない男はいないだろう。

 

「えっ、ちょっと、瑞光寺さん」

「どうしてかしら……あら」

「いっ、一旦端、端に行こう、こここ真ん中、目立つから!」


 出入口のの真ん中に立っていたあかねをガレリアの端へと誘導すると、くるりとあかねに背を向けるトシヤ。

 気まずい状況に変わりはないが、幾分人の目は減らせただろう。

 

「その、ごめん、ちょっと綺麗なハンカチとかなくて」

「いえ、お気持ちだけで……」


 ぽろぽろと流れる涙。

 あかねは持っていたタオルを目に当てる。


「せっかく声をかけていただいたのに、申し訳ありません」

「いや……落ち着くまでこうしてていいから」


 あかねは自分でも訳が分からなくて困惑していた。

 何もかも初めてのことだらけだ。

 ありがたくトシヤの後ろに居させてもらうことにする。

 あかねの長身のせいでそれほど隠れてはいないのだが、ひとりで涙を流しているよりはよほどマシだろう。

 いずれ何かお礼を……

 そう思った時、聞き慣れた声がした。


「お嬢様!?」

「えっ!」

「何をしている!」

「えっえっ」


 つかつかと歩み寄ってくる足音だけで分かる。先程別れた雀田だ。様子を見に来たのだろうか。

 トシヤに迷惑はかけられない。

 あかねは一歩横にずれると、雀田を手で制した。

 

「雀田。いいのよ、この方は」

「お嬢様、しかし」

「大丈夫よ。ありがとう」


 心配してくれている雀田に、感謝の言葉を告げる。

 雀田はまだ何か言いたそうにしていたが、また別の方から声がかかった。

 

「騒がしいわね、何事よ。あらビッグ一条じゃない」

「誰がビッグ一条ですか!」


 冷泉に声を上げる雀田。まだまだ元気そうだ。

 本当に、頼りになる。

 

「もちろん、スモール一条と区別するためにね」

「冷泉、スモールいらない」


 隣にいる一条は不満げな声を上げる。

 雀田と交互に見ると……やはり似ていた。

 そんな雀田をぱたぱたと追ってきた足音は児島だ。こちらはさすがに息が上がっている。


「はあ……ちょっと雀田さん、急に早足になって何なんですか」

「すみません児島さん、この男がお嬢様を泣かせていると思って」

「お嬢様? あれ瑞光寺さん、どうしたのこんなところで」

「というか冷泉さん、いい加減一条さんと私を見比べて笑うのやめてください」

「だって」

 

 それぞれが好き勝手にしゃべり始めた。

 ガレリアの一角に女性スタッフが集まりちょっとした騒ぎになっている。

 その中心にいるはずのあかねとトシヤは、困ったように顔を見合わせた。

 

「……」

 

『これにて、コミックマート98夏、3日目を終了いたします。お疲れ様でした!』

 

 どちらからともなく口を開こうとしたと同時に、閉会を告げるアナウンスが流れ始めた。

 ホールで、ガレリアで、トラックヤードで、あちこちで拍手が起こる。

 集まっていた女性スタッフの集団も、一時休戦して拍手に参加する。

 あかねも、トシヤも。

 

「おーい、撤収に……って、えっ、何これ」


 誰かを呼びに来た君堂が、ぎょっとして立ち止まる。

 その様子を見てみんなが顔を見合わせ、次の瞬間、君堂とあかね以外の全員が笑っていた。

 終わったのだ。過酷な夏コミが。

 

 その開放感の中、笑うことのできないあかねは今自分の心が不安定だと自覚している。

 同じ不安定でいるならば、泣いているより笑っている方がこの場所に似合っているはずなのに。

 疲れ切った体に容赦ない夏の暑さ。

 達成感と、まだ残る高揚感と、不思議な連帯感。

 つきまとう焦燥感と無力感。

 一緒に心から笑いあえない寂しさ。


「撤収撤収! ほらスタッフ組は早く戻るんだー! お兄さんも元気だったら椅子運んでね! ……瑞光寺さんは私が面倒見るから」


 君堂に追い立てられて、各人がホールへ戻っていく。

 何人かは心配そうに振り返っていたが、君堂が視線を受け止めると小さくうなずいていた。


「さて、瑞光寺さん。落ち着いたらでいいよ」

「はい……」


 面倒をかける申し訳なさを感じながら、あかねはうなずいた。


 どのくらいの間そうしていただろう。

 ガレリアを行き交う人を眺める君堂の方を、あかねがそっと叩いた。

 

「あの……君堂さん、終わったらお話がありますの」


 いつになく重いあかねの視線を、君堂は真っ直ぐに受け止めた。

 話の内容は想像できないにしても、茶化す場面ではないことは弁えている。

 

「いいよ。動けそうなら、頑張って撤収しようか。しんどいなら無理しなくてもいいよ」


 閉会の浮かれた空気の中、あかねだけが取り残されている。

 乏しい表情から読み取った君堂が、肩を軽くたたく。

 あかねは焦りと不安でいっぱいになっていた中、君堂に触れられた肩がじんわり温かくなるのを感じた。


ブックマークありがとうございます。

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