第75話 3日目 お疲れの最終日午後
午後、順調に昼休憩を回し終えると、さすがに混雑が緩和してくる。
江口橋誠司は自身の疲労度もピークに差し掛かっていることを自覚しながら、まだ落ち着いたとは言い難いネノブロックを巡回していた。
心配していた時限頒布も東6の協力の元で混乱なく収めることができたし、シブロックにも余裕が出てきた。
最終日、今回のコミマにも終わりが見えてきた。
いつもなら名残惜しいと思い始めるところだが、今回ばかりはどちらかと言えば早く終わってほしい思いの方が強い。
今の時間帯は、柱で定点となっている瑞光寺。
このエリアのジャンルに合わせたコスプレをしている彼女はとても目立つ。
午前中は、元々持っている彼女の覇気も相まってとてつもない存在感を見せていた。
しかし、今その気配はない。
度重なる事件に心労がピークになっているのが見て取れた。
「瑞光寺さん、お疲れ様」
「江口橋さん、お疲れ様です。特に問題はなく順調ですわ。人通りはありますが少しずつ列も解消しているようです」
「とはいえ人手は必要そうだな」
「そうですわね。十人程度の列は断続的に発生しておりますので」
「ハパから借りるか。シブロックが落ち着いて、貸していた人員がずいぶん戻ってきたようだ」
「ええ。でも今から遅い昼休憩を回すと、先程椎名さんが」
「そうか」
ハパの人員でカバーしてもらえれば、ずいぶん楽になりそうだ。逆を言えばそれまでは踏ん張らなければならない。
どちらにしても、目の前の瑞光寺は限界が近そうだと判断した江口橋。
「瑞光寺さんはそろそろコスプレ広場に……」
「行きましょう! 私と共に!」
話の途中で、やたら元気な声が飛んできた。
アイプロのキャラクター平松紅葉のコスプレをしたChikiだ。
小竹の話によると、スタッフでないにもかかわらず混雑対応に奮闘してくれていたという。
先程トラブルに巻き込まれ、地区本部で対応していたと聞く。
それでも復帰してくれたのは、曰く『みんな私のお願い聞いてくれるんですよね。快感です』とのこと。
自分のジャンルのキャラに扮したトップクラスのコスプレイヤーの指示を無視する参加者はいなかったらしい。おかげで楽させてもらったという小竹の言葉からも確かだ。
「Chikiさん、私はまだスタッフの業務が」
「いや、もう上がっていいぞ。俺も戻ったし、ハパから人員を借りれば十分回る」
「よろしいのですか」
「よろしいです! あのですね、江口橋ブロック長。私とっても役に立ったと思うけど、あかね様の午後の分の前払いだったということで、どうでしょう? できるだけ早くふたりでコスプレ広場に行きたいんです。というかそのためにお手伝いしたようなものなんですよ。お分かりかと思いますが。私の本業はあくまでコスプレイヤーなので、1枚でも多く写真を撮ってもらいたいのです」
「……らしい。働いてくれたのも確かだ。瑞光寺さんは一旦離れた方がいい。義務の休憩と思ってくれ」
「義務……承知いたしましたわ」
責任感の強い彼女の扱い方を、ようやく分かって来た気がする。
いくつもの事件に彼女が関係するのも、その責任感の結果なのかもしれないと思うと納得もできる。
「コスプレ広場を巡回するつもりで長めの休憩にしてもらって構わない。俺が見ておく。ああ、着替えもあるだろうしな」
「江口橋さん……」
もう少し頼ってくれても構わないのだが、そこはまだスタッフ3回目の若さというものだろうか。
見送る前に、Chikiにもお礼を言わなければならない。
「Chikiさん、お手伝いどうもありがとう。とても助かった」
「いえ、大変ではあったけど、思ったより楽しかったです。コミマ、こんな楽しみ方があるんだなって。何よりあかね様の役に立てたことが嬉しくて」
良く見れば衣装もくたびれ、髪も乱れてしまっている。
申し訳なさを覚えた江口橋だったが、当のChikiはそれほど気にしていない様だった。
後で知ったことだが、この時の汗だくのChikiのコス姿が、まるでライブ上がりのキャラクターそのものだと評判になったそうだ。
一生懸命に取り組んだ後、という共通点はあるが世の中分からないものだ。
並んで歩くふたりの姿を見送っていると、小竹が隣に立った。
片手で首をほぐしながら、満足げな笑みを浮かべている。
「お疲れ、江口橋。ネ22は完売で列解消。本部には上げといた」
「小竹さん」
「それにしても、瑞光寺さんも優秀すぎて苦労するねえ。彼女を誘ったの江口橋だって? なかなか酷なことをする」
「見どころがあったんですよ」
「分かるんだが彼女は若い。あまり期待をかけすぎるなよ」
耳の痛い忠告だ。
今回はもっと自分がフォローできたはずだが、瑞光寺の優秀さに甘えて任せてしまった。
次回ももしスタッフとして参加してくれるなら、そこは外さないようにしなければならない。
「だがまあ……これで安心してやめれるってもんだ」
思わぬ言葉に、江口橋が小竹を凝視する。
「小竹さん、卒業なんですか」
「もう体がついていかねえ。やりたいことの八割ぐらいしかできてない」
意図を汲みかね、小竹の言葉を待つ。
十割でないといけない、ということなのだろうか。
「それに思い知ったんだよ。正常性バイアスってやつを。列の伸び方や人の流れに対して読みが甘くなってる。今日も何回か失敗しちまってな。なんとか自分でリカバリできたが、危なかったんだ」
江口橋は気がつかなかった。
他のネノブロックの誰も、一般参加者もサークル参加者も気づいてはいない。
曲げていた列をくっつけ、まっすぐに戻して少し後に伸びてしまったこと。
非常口から外に案内した直後に、その非常口が列のために使われて出られなくなってしまったこと。
少し目を離した隙に、列が通路を埋めてしまっていたこと。
それは通常のコミマで何度も見られる光景であり、当事者も『運が悪かった』とすぐに忘れる程度のことだったが、小竹は自身がその小さな綻びの積み重ねが大きな事故に繋がることを知っている。
そして、そんな状況を起こさせないような期待を背負って任されていたと自負している。
それだけに、応えられなかったという自責が苦しい。
「ギリギリ納得できる働きができたから、でかい迷惑かける前にやめようと思ってな」
自嘲するように笑うと、小さく肩を回す。
「スタッフは楽しいんだが、楽しいだけに体がついて行かないもどかしさがキツいんだよ」
年は取りたくないねと笑いながら、小竹は再び巡回に行ってしまった。
どう言葉をかけていいものか分からず、その背中を見送る。
そんな江口橋に、また近づいて来る小さい人影があった。
※
「やあやあ江口橋さん」
「ああ、お疲れ」
君堂莉子は気遣うように江口橋の顔を見上げ、なるべく明るく声をかける。
「なーんか雰囲気が重いよ」
「色々あったからな」
「あー、まあねえ」
我らが副ブロック長瑞光寺。彼女とは2回目のコミマとなる君堂だが、前回も騒動の渦中にいた。
明確な犯罪の現場。
彼女がいなければ危なかっただろう。初心者には重い荷を背負わせた。
「瑞光寺さんは?」
「コスプレ広場に行かせた」
「そか。気分転換になるといいね」
心の底からそう願っている。コミマは楽しい場所であるべきだ。
彼女にとって今ここは楽しい場所なのだろうか。次も来てくれるだろうかと心配になる。
ふたり並んで無言のまま人混みを眺める。
ちらりと見た江口橋の横顔は、やはり疲れているように見えた。
まあ夏コミの3日目で疲れていない参加者もあまりいないが。
「そっちも任せきりですまなかったな」
「それが仕事だからね。背中を預けてもらってるって思えば悪くはないよ」
勝ち気に笑う君堂。これもまた本心だ。
基本的にいつも本音で話している。だから、もう少しこちらを向いてほしいのだが。
そう思った君堂から、ふと笑顔が消える。
「昨日の不審物当たりだったんだって?」
「ああ、閉会間際に花火が出るような装置だったらしい。これまでの爆竹ではなく、花火だと」
「何それ危ないな」
この場所で火気をもたらす危険性は、小学生だって分かるだろう。
以前も使われた爆竹も火気といえばそうだが、花火の火薬となると危険度が違う。
「危うく大惨事になってたね……」
「その点でも瑞光寺さんの目に助けられたな」
「そうだね」
あの不思議なお嬢様のことは、君堂ももちろん気に入っていた。
表情には全く出ないのだが、楽しそうだったり怒ったりする。
空気を作ることに長けているように見えた。何より顔が良い。
「その瑞光寺さんのことなんだが」
「うん」
「冷泉女史に『トラブルを呼び寄せてる』と言われてな」
「あの糸目っ子、そんなことを……あの子、瑞光寺さんにだけやたら当たりがきついんだよね」
怒りをあらわにしかけ、ふるふると頭を振る。
暑さで怒りっぽくなっているかもしれない。落ち着かなければ。
そう思った矢先。
「あーっ、冷泉さん!」
冷泉を見つけた君堂は、江口橋が止める間もなく歩き出した。
まだ駆け出さない冷静さがあるのならいいかと江口橋はまた自分のブロックに目をやった。
「ちょっと冷泉さん」
「あら君堂さん、お疲れ様」
こちらもまた隠せない疲れが顔に表れている。
「お疲れ。さすがの冷泉さんも夏コミの3日目は堪えるみたいね」
「それはまあ、疲れてないとは言えないわね。事件もあったし」
窃盗事件。
ほぼ東6で起こったような事件になっているが、これも見つけたのは瑞光寺の目だ。
彼女が起こしたわけではない。彼女が見つけただけだ。
しかも、見つけなければどうなっていたか分からない。
「それ。瑞光寺さんに『あんたが呼び寄せてる』なんて言ったんだって?」
冷泉は気まずそうに目をそらすと、小さくため息をついた。
江口橋がいるであろう柱の方を見る。
「江口橋さんね……ええ、言ってしまいましたわ」
「なんでそんな」
「ちょっと待って」
言いかけた君堂を、手で制した。
「もうお説教は十分です。私が悪かったのは分かってるから」
「何それ。誰にお説教されたの」
「一条よ」
「ええ……一条ってあの一条さん?」
「それ以外に誰がいるの」
あの最低限の会話しかしないイメージの一条が、説教。
しかも話の流れからすると、瑞光寺への言動に対して……どういうことだろうか。
「説教なんてするの? 黙ってついてくるだけかと思ってたのに」
「一条を何だと思ってるの……」
何だと言われてしまうと……
「取り巻き?」
「失礼ね。中学からの友人よ」
「ええ……」
どんな中学生時代を過ごしたのか興味はあったが、それは本題ではない。
年長としてしっかり釘を刺しておかないと。そうでなくても瑞光寺は大事なスタッフ仲間なのだから。
「浜松町のときから瑞光寺さんに対して変だったよね。私が連れていった以上、あんまりちょっかいかけないでほしいんだけど」
「ちょっかい……そうね」
いつもに比べて相当しおらしい。
疲れだけではない。一条に叱られたことが相当堪えているようだ。
「瑞光寺さんと私、近い人種だと思ってたの。だからちょっと学生時代のことを思い出してしまって、意地を張ってしまったというか……ナメられちゃいけないと思ってしまったというか」
珍しく歯切れが悪い。
どうやら自分でも後悔しているようにも感じられる。
「よく分からないけど、それで?」
「居心地が良い場所を取られるんじゃないかと思ってしまって、だからその、彼女が練馬だって聞いてこれで勝ったと思って、上下関係を作っておいた方がいいと思って……今考えたらただのバカなのだけど」
「えっ、つまりお互いお嬢様だと思ったからマウント取りたいって思ったってこと? いい年して? 一方的に?」
何となく線が繋がりそうな君堂が、矢継ぎ早に問いかける。
相変わらず目をそらしたまま、冷泉はぎこちなくうなずいた。
「子供か! しかも向こうはまだ十代だぞ!」
「ああん、もう! それも一条にも言われたからお腹いっぱいです!」
額に手を当てて、天を仰いだ。
微妙に演技がかっているような気もしたが、触れてほしくないというのは本当だろう。
わだかまりが残っているなら、さっさと解決すればいいのにと思ってしまうのは外野だからだろうか。
一条ももうひと押ししてくれれば良かったのに。
「じゃあ瑞光寺さんにも謝りなよ」
「ええ、機会があればそうしたいと思います」
「作れ」




